かわたれどきの頁繰り (小野寺秀也)

読書の時間はたいてい明け方の3時から6時頃。読んだ本の印象メモ、展覧会の記憶、など。

『モローとルオー ――聖なるものの継承と変容』展 パナソニック汐留ミュージアム

2013年09月28日 | 鑑賞

 ギュスターヴ・モローという名前は知っているような気がした。しかし、画家として知っていたかどうか判然としない。ずっと昔に眺めていた「ファブリ世界名画集」全60巻を納戸の奥から引っ張り出して確認したが、そこには含まれていなかった。何処かの美術館で見た可能性もないではないが、まったく記憶がない。『モロー展』はそれなりの頻度で開催されていたらしいのだが、知らずにここまで来てしまった

 画集 [1] 解説によれば、モローは国立美術学校においてジョルジュ・ルオーの才能を認め、育んだ「情熱の指導者」 [2] だった。ルオーは、モローを敬愛し、その画業を称揚し続けたという。その師弟の画業における「継承と変容」が展覧会の主題なのである。

左:ギュスターヴ・モロー《ユピテルとセメレ》 油彩/カンヴァス、141.5×110cm、
パリ、ギュスターヴ・モロー美術館 [図録、p. 38]。

右:ジョルジュ・ルオー《石臼を回すサムソン》 1993年、油彩/カンヴァス、
146.68×113.98cm、ロサンゼルス・カウンティ美術館 [図録、p. 47]。

 展示のほぼ最初(二人の自画像の後)にギュスターヴ・モローの《ユピテルとセメレ》が架かっていた。定かではないが、いつか、どこかで見た記憶がある。私にとってユピテル(ゼウス)は恐怖の全能神であるが、このユピテルは微妙に私のイメージとずれている。確かに、威厳に満ちた表情と言えないこともないが、どこかに驚きと悲しみの表情が含まれている。構図ばかりではなく、世界を見つめるこうした表情のありようも「このユピテルをキリストになぞらえることもでき」 [図録、p. 41] る根拠の一つになるだろう。

 《石臼を回すサムソン》は、ルオーがモローの指導を受けていた頃の作品である。私が馴染んでいるルオーではないが、同じような色調で描かれた初期の作品が多く展示されている。モローもまた備えていたであろう宗教心が、同じようにルオーにおいても具象化されたような作品群である。

左:ギュスターヴ・モロー《ゴルゴタの丘のマグダラのマリア》 油彩/木版、
33×45cm、パリ、ギュスターヴ・モロー美術館 [図録、p. 91]。

右:ジョルジュ・ルオー《ゴルゴタの丘の聖女たち》 1940年頃、油彩、
グワッシュ/紙、34×32.9cm、パリ、個人蔵 [図録、p. 95]。

 モローとルオーが緊密な師弟であることを示すかのように、二人とも同じような主題を取りあげた作品が多いようだ(そのように展示構成されている)。しかし、その作品はけっして似てはいない。モローはあくまでモローの世界を描き、ルオーは傑出したルオー的世界を作り上げている。
 《ゴルゴタの丘のマグダラのマリア》と《ゴルゴタの丘の聖女たち》は、二人の対称性(差異)を示す好例の一組だろう。イエス・キリストの磔刑の地、ゴルゴダの丘である。モローは、ゴルゴダの丘の十字架と悔悟するマグダラのマリアを組み合わせ、悲惨と悔悟の情景を描いている。
 しかし、私は、この絵の色調の中にモロー特有の抒情性が込められているように感じる。それは、深い悲しみや後悔を包含しつつ、情景を手探っているような抒情とでも言ったらいいのか。これは、上の《ユピテルとセメレ》で感じた「非ユピテル性」(私の勝手な概念だが)と共通しているものではないかと思う。

 ルオーのゴルゴダの丘に、悲しみのような気配が漂っているのは確かだが、一方で、確信に満ちた信仰心が表象されているようにも感じる。ルオーの描法は、いつもそのような確信、強い実存性のようなものを表出しているように私には思える。

左:ギュスターヴ・モロー《油彩下絵または聖女カエキリア》 油彩/カンヴァス、
86×68cm、パリ、ギュスターヴ・モロー美術館 [図録、p. 100]。

右:ジョルジュ・ルオー《クマエの巫女》 1947年、油彩/紙(格子状の桟の
付いた板で裏打ち)、53.2×37.8cm、パリ、個人蔵 [図録、p. 101]。

 《油彩下絵または聖女カエキリア》と《クマエの巫女》を並べると、ここでもまた、師弟の二人がこんなにも違うのだとあらためて感じさせられる。モローの絵には、習作なのか、下絵なのか、制作途中なのか、あるいは完成形なのか、絵を見ただけでは私には判然としないが、これは「カエキリアに後光がさす作品のための習作」 [図録、p. 102] らしい。
 この絵を見て、聖女カエキリアの美しさに惹かれる、そう思った。カエキリアの表情はきわめてラフに描かれているにもかかわらず、そのように感じてしまう不思議がこの絵にはある。そう感じさせるモローの何かをうまく言い当てられないので、それをモロー固有の抒情性と呼んでみたのだ。

 クマエの巫女は、いままさに確信に満ちて信託を与えようとしている。ここでも、ルオーの筆致は「確信」を強く表象しているようだ。やはり、ルオーはルオーのようだ、という愚かしい言い回しで評するのが私にはしっくりする。

左:ギュスターヴ・モロー《パルクと死の天使》 1890年頃、油彩/カンヴァス、
141.5×110cm、パリ、ギュスターヴ・モロー美術館 [図録、p. 108]。

右:ジョルジュ・ルオー《我らがジャンヌ》 1948-49年、油彩/紙(格子状の
桟の付いた板で裏打ち)、55×45cm、パリ、個人蔵 [図録、p. 112]。

 《パルクと死の天使》と《我らがジャンヌ》でも師弟の資質の違いがはっきりと顕れている。モローの絵は美しい。背景の暗い空の明暗の変化がことさら美しい。しかし、私は馬を引くパルクがまっすぐな引っ掻き線で描かれていることに強く惹かれる。すべての神や人間の罪を決して許さず、冷酷に罰を与えるというパルクがうなだれている。
 青と白の衣服を表わす複数の引っ掻き線はパルクの直截な悲しみ、あるいは悔悟のように見える。そして、そんなパルクに呼応するかのように馬もまた、死の天使を乗せる存在のありように耐えているように見えるのだ。言ってしまえば、モローの絵には「詩」そのものが溢れている、そんなふうに感じている。

 一方、ルオーの絵はまさにジャンヌ・ダルクである。希望と意志と未来への確信、そんなふうに感じるのは、人物がもたらすイメージのせい、私の先入観のせいかもしれない。(正直に言えば、この展覧会ではモローという驚きを知ったということで圧倒されて、若い頃から比較的よく見ているルオーの絵になかなか気が向かなかったのである。)

ギュスターヴ・モロー《油彩下絵》 油彩/カンヴァス、27×22cm、
パリ、ギュスターヴ・モロー美術館 [図録、p. 121]。

 モローが、ルオーたち美術学校の生徒に強調していたことは「色彩の解放」と「美しい材質感(マティエール)」だったという。「モローは、アカデミズムが推奨するデッサンの巧みさに対抗し、色彩の研究を行なっていた。下絵なしに絵の具で直接カンヴァスへ向う描き方を認め、何よりも個性を尊重した」 [図録、p. 107]
 《油彩下絵》はモローの教え自体の自らの実践の例である。いくつか展示されていた《油彩下絵》の中ばかりではなく、展示中のモローの絵の中でどれか一つと言われれば、私にとってはこの絵である。配色の具合、絵の具の量感と質感、筆遣い、奥行きのある空間構成などとても魅力的である。優れた抽象画なのである。
 図録写真では、この絵の素晴らしさが半減してしまっている。抽象画ではよくあることらしく「具体」展における吉原治良や白髪一雄の抽象画で、同じ経験をしたことがある。会場での感動と図録写真は差が大きいのである(後で『吉原治良展』の図録と見比べると写真の質にも依存していることは分るのだが)。


ギュスターヴ・モロー《オルフェウスの苦しみ》 1890年、油彩/厚紙、
21.2×25cm、パリ、ギュスターヴ・モロー美術館 [図録、p. 155]。

 モローの《オルフェウスの苦しみ》も惹かれた絵の一つだが、横たわるオルフェウスはほとんど気にならず、月と雲(つまり、夜空)と暗い森(たぶん)の陰が織りなす空間に惹かれるのである。明らかに主題の明確な具象画なのだが、月を中心とした空間は、優れた抽象画と呼んでもいいように思う。

ジョルジュ・ルオー《キリスト》 1937-38年、油彩/紙(麻布で裏打ち)、
67×48cm、東京、パナソニック汐留ミュージアム [図録、p. 168]。

 モローの絵にばかり心が動いてしまったが、私の一番好きなルオーは、《キリスト》である。この人間くさいキリストはどうだ、と威張りたくなる。人間くささを突き抜けてこそ、マリアから生まれたイエスは神の子になりうるのだ、というのが私の独断的なキリスト理解である。

ジョルジュ・ルオー《避難する人たち(エクソドゥス)》 1948年、油彩/厚紙(木版で裏打ち)、
49×60cm、東京、パナソニック汐留ミュージアム [図録、p. 47]。

 もう一点、ルオーの絵として《避難する人たち(エクソドゥス)》を挙げておく。エクソドゥスと称しながら、この絵はモーゼの民ではなく、二〇世紀の避難民を描いている。たとえば、いまやそれはシリアの民であり、フクシマの民である。現代の民は、モーゼの民のように神に導かれて海を渡ることができるのか。ルオーの描く民は神に導かれているだろうが、それでも彼らは黄昏れどきに脱出して、夜へ歩き出すのである。
 こういう思いを私(たち)に抱かせることも、優れた絵の功であろう。

 

[1] 『モローとルオー ―聖なるものの継承と変容』(以下、図録)(淡交社、2013年)。
[2] マリー=セシル・フォレストの引用によるルオーの言葉。マリー=セシル・フォレスト「ギュスターヴ・モローの名誉を保ち彼を擁護したジョルジュ・ルオー」図録、p. 20。


『アンリ・ルソーから始まる ―素朴派とアウトサイダーズの世界』展 世田谷美術館

2013年09月28日 | 鑑賞

 興味深い企画展に誘われて東京に出てきたのだが、すべて世田谷美術館の所蔵作品ばかりで構成されているということを知って驚いた。図録 [1] によれば、世田谷美術館は開設以来、「正規の美術教育を受けることなく、非専門の作家として創作を続けてきた人々に注目し、作品を収集して」 [2] きて、この企画展に至ったというのである。
 「素朴派」というのは、ヴィルヘルム・ウーデ企画のルソーを中心とする「聖なる心の画家たち」展に展示された画家たちを指す [3]。「聖なる心の」という形容から、素朴派の先にアール・ブリュットの作家たちが連なっているだろうと容易に想像できるのだが、実際、「アール・ブリュット」のセクションが設けられている。その他にもアール・ブリュットの作家たちと似たようなカテゴリーに区分してもよいと思われる作家たちのセクションもいくつか設けられている。

 
左:アンリ・ルソー《フリュマンス・ビッシュの肖像》1893年頃、カンヴァス、
油彩、92.0×73.0cm [図録、p. 12]。

右:松本俊介《立てる像》1942年、画布、油彩、162.0×130.0cm、
神奈川県立近代美術館 [5]。

 展示は、ルソーの三作品から始まる。そのうちの一つ《サン=ニコラ河岸から見たシテ島》は、私の古い画集 [4] では《サン・ニコラ港から見た夕暮れのサン・ルイ島》(パリ、個人蔵)として紹介されている。サン・ルイ島とシテ島がどういう関係にあるか私にはまったく分らないけれども、石ころの一つ一つまでまったく同じなので同一の作品であることは間違いない。
 実物を前にしたとき、この絵の持つ「存在感のある静寂」に圧倒されるような感動を受けたことは間違いない。ところが、隣に展示されていた《フリュマンス・ビッシュの肖像》に一瞬にして心が移ってしまったのである。残念ながら、それは絵の美しさのためではなく、背景とバランスを欠いた巨大な人物像のためであり、すかさず松本俊介の《立てる像》を思い出した。
 松本俊介の《立てる像》は、敢然と生きようとする自己意識の表象であり、言い換えれば、自尊心の具現化としての巨大な自画像である。この絵は、俊介の代表作の一つのように扱われている(らしい)が、自己主張に対する洲之内徹の批判的な評 [6] もある。
 俊介の絵に対して、ルソーのこの絵は対象への尊敬、敬愛が大きな人物像に結実していると見ることができる。俊介の心性とはまったく正反対に近い。素朴派の名そのもののルソーの心性がもたらす構図と考えていいのではないか。このことが、順次絵を眺めていく私の心に尾を引いていったのである。

左:アンドレ・ボーシャン《花》1952年、カンヴァス、油彩、
50.0×66.3cm、[図録、p. 17]。

右:カミーユ・ボンボワ《三人の盗人たち》1930年、カンヴァス、油彩、
65.2×54.4cm、[図録、p. 18]。

 遠近法や写実性を超えた心性のありようが、私(たち)のような凡庸な者にとってバランスを欠いていると思われる構図を生み出していると考えると、アンドレ・ボーシャンの《花》やカミーユ・ボンボワの《三人の盗人たち》にも同様な観点で見ることができる点がある。
 花の鉢は遠近の差を超えて異様に大きいし、立っている盗人の大きさは、手前の盗人とのバランスを欠いて大きい。「聖なる心」が、率直に描くべき主題に向っていると見るべきなのだろう。

左:ルイ・ヴィヴァン《ムーラン・ド・ラ・ギャレット》1925年、カンヴァス、油彩、
38.2×55.2cm、[図録、p. 20]。

右:オルネオーレ・メテルリ《楽士と猫》1937年、カンヴァス、油彩、
75.0×55.0cm、[図録、p. 22]。

 遠近法の異常は、ルイ・ヴィヴァンの《ムーラン・ド・ラ・ギャレット》の中の緑色の壁を持つ建物の描き方にも現われている。他の部分を見れば、遠近法そのものを無視しているのではないことがわかる。たぶん、表現上のやむを得ない仕儀なのだ。

 オルネオーレ・メテルリの《楽士と猫》は、私にとってはとてもお気に入りの作品なのだ(絵自体もそうだが、ヨーロッパのこのような街角そのものが私は好きなのだ)が、ここにも遠近法の異常がある。細部を除けば、奥行きはそれなりの遠近法で描かれているが。垂直の壁は平行(むしろ、上部が開いている)をなしている。これを「壁は垂直である」という観念的知識の表象と見るより、垂直方向への見る主体の素直な移動とみるべきだろう。楽士と猫を見ている画家の目の位置は、不自然な高さにあるが、垂直方向へ視線が自在に移動できれば何でもない高さである。視線の移動というのが極端に進めばキュビズムに至るのであって、意識して行なうかどうかの問題はあるが、絵画の技法として特殊なわけではない。

塔本シスコ《秋の庭》1967年、カンヴァス、油彩、130.5×162.3cm、
[図録、p. 39]。

 塔本シスコの《秋の庭》は、優れて印象的な絵である。なによりも中央の緑青色の葉にうたれる。ルソーの描く熱帯植物群の絵と共通するような印象を与えながら、琳派の装飾的な秋草図との通底するような感じもある。
 この装飾性は、じつはそれぞれの植物や秋の虫の大きさが実際の大きさを反映していないこと、実物の差異を超えてそれぞれが配置されている構図によるのだろう。
 塔本シスコは、その画業をまとめて見てみたいと思わせる画家ではある。

草間彌生《君は死して今》1975年、紙、インク、パステル、コラージュ、
54.8×39.77㎝、[図録、p. 82]。

 草間彌生の特異な想世界とそれを表現する力は圧倒的である。正直に言えば、アール・ブリュットの表現の最良のものだという印象なのである。具象と抽象の一体化は、アール・ブリュットの主要な表現手法であろう。
 草間彌生のこの絵には確かに遠近法が使われている。しかし、実在空間を関係性を持たない想世界の遠近法という概念は、とても刺激的で、草間彌生の強靭な表現力のよってきたる根拠の一つではなかろうか。

左:アドルフ・ヴェルフリ《ツィラー=タールの三位一体》1915年、紙、鉛筆、
68.8×72.9㎝、[図録、p. 88]。

右:ルイ・ステー《身振りをする6人》1937年、紙、インク、44.0×58.0㎝、
[図録、p. 89]。

 アドルフ・ヴェルフリの《ツィラー=タールの三位一体》やルイ・ステーの《身振りをする6人》は、「心の中をのぞいたら」というセクションに収められているが、ともに「精神に障害を抱える人々」 [図録、p. 87] の作品である。展覧会では「アール・ブリュット」とは別のセクションだが、私の中では同じカテゴリーに属している。
 かつて、『アール・ブリュット・ジャポネ展』を観たときや『アール・ブリュット パッション・アンド・アクション [7] という画集を眺めたときに感じたことが上の二つの絵にも共通して感じられる。
 たとえば、アドルフ・ヴェルフリの《ツィラー=タールの三位一体》には、かつての次のような感想をそのまま引用できそうだ。

 アール・ブリュットで気になっている特徴のひとつは、細密性である。そこには、空間を埋め尽くす執念のようなものがある。しかし、私たちの呼吸しているこの時空が「在るもの」によって構成されている、というのはきわめて初元的な感覚ではないか。「無いもの」は存在しない、というのは認識の初めとして不自然ではない。  

 また、ルイ・ステーの《身振りをする6人》には次のような感想が充てられよう。

 線の極限は、太さも面積もゼロである数学的抽象である。その線に有限の幅を付与すると、どこまで「線」であり得るのだろう。そんなことを考えてしまうほど、「線」が存在を主張するような絵があった。
 線こそが実在の本質だと主張している。そして、ルオーのような逡巡がない(その逡巡こそが芸術的? 世間では)。そして、構成のシンプルさ。………
 私たちは、少し大げさだが、いわば構成主義的に時空を見る。客観的だと思い込みたいが、構成のプロセスに主観が混じってしまう。そのため、見える世界は凡庸である(あくまで私のような場合であって芸術家のことではない、としておく)。
 まず、彼らはそのような構成主義的な世界観をはなから拒否しているのだ。

フィリップ・シェプケ《67歳の婦人ヒラント》1986年、紙、鉛筆、色鉛筆、紙、インク、
62.5×88.0㎝、[図録、p. 101]。

 フィリップ・シェプケの《67歳の婦人ヒラント》もまた、きわめてアール・ブリュット的な作品である。特徴的なことは、微視的な細部の気の遠くなるような繰り返しで空間を描きだす、という創造のあり方である。
 《67歳の婦人ヒラント》といくぶんは共通するであろう絵をふたつ、『アール・ブリュット パッション・アンド・アクション』から抜き出してみよう。 

左:齋藤裕一《不明》2002-3年、紙、色鉛筆、38.4×54.4cm [8]。
右:吉川秀昭《目・目・鼻・口》2007年、紙、水性ペン、油性ペン、
76.8×108.6cm、社会福祉法人やまなみ会(やまなみ工房)蔵 [9]。

 かつて、上のような絵を見終えた感想が、「細部の無限の繰り返しに圧倒されるものの、その繰り返しが私たちを囲繞する世界へ繋がっていく(連続していく)機制が私にはよく分からないのだ」というものだったが、それは今でも変わらない。

 この展覧会は、とても刺激的な企画展である。アウトサイダーズといいながら、その先にはインサイドのキュビズムや抽象画へ繋がっていくような世界がある。「聖なる心の画家たち」や「アール・ブリュット」が意味するのは、人間の芸術的心性の豊穣性であり、個々の画家たちの心的多重性がいかに貴重かということだろう。
 いつか、インサイダーズとかアウトサイダーズとかのアイデンティティ付与を乗りこえるような芸術理解の方法論が確立されるのではないかと思う(正確に言えば、信じたいということか)。

 ここではまったく触れなかったが、「才能を見出されて――旧ユーゴスラヴィアの画家」と「絵にして伝えたい――久永強」というセクションが設けられていた。ともに、「正規の美術教育を受けることなく、非専門の作家」としての画業ではあるが、私の中ではこれまで述べてきたこととはまったく別枠として受け止めてしまったので、いずれ独立に眺めたり考えたりしたい、そんなふうに思っている。

 

[1] 遠藤望、加藤絢編著『アンリ・ルソーから始まる ―素朴派とアウトサイダーズの世界』(以下、図録)(世田谷美術館、2013年)。
[2] 遠藤望「アンリ・ルソーから始まる」図録、p. 4。
[3] 同上、p. 6。
[4] 『ファブリ世界名画集40 ルソー』(平凡社、1971年)。
[5] 『生誕100年 松本竣介展』図録(NHKプラネット、NHKプロモーション、2012年)p. 93。
[6] 洲之内徹『気まぐれ美術館』(新潮社、昭和53年)。
[7] 小出由紀子(編著) 『アール・ブリュット パッション・アンド・アクション』 (求龍堂、2008年)
[8] 『アール・ブリュット・ジャポネ』(以下、図録)(現代企画室、2011年)p. 58。
[9] 同上、p. 132。