かわたれどきの頁繰り (小野寺秀也)

読書の時間はたいてい明け方の3時から6時頃。読んだ本の印象メモ、展覧会の記憶、など。

『モローとルオー ――聖なるものの継承と変容』展 パナソニック汐留ミュージアム

2013年09月28日 | 鑑賞

 ギュスターヴ・モローという名前は知っているような気がした。しかし、画家として知っていたかどうか判然としない。ずっと昔に眺めていた「ファブリ世界名画集」全60巻を納戸の奥から引っ張り出して確認したが、そこには含まれていなかった。何処かの美術館で見た可能性もないではないが、まったく記憶がない。『モロー展』はそれなりの頻度で開催されていたらしいのだが、知らずにここまで来てしまった

 画集 [1] 解説によれば、モローは国立美術学校においてジョルジュ・ルオーの才能を認め、育んだ「情熱の指導者」 [2] だった。ルオーは、モローを敬愛し、その画業を称揚し続けたという。その師弟の画業における「継承と変容」が展覧会の主題なのである。

左:ギュスターヴ・モロー《ユピテルとセメレ》 油彩/カンヴァス、141.5×110cm、
パリ、ギュスターヴ・モロー美術館 [図録、p. 38]。

右:ジョルジュ・ルオー《石臼を回すサムソン》 1993年、油彩/カンヴァス、
146.68×113.98cm、ロサンゼルス・カウンティ美術館 [図録、p. 47]。

 展示のほぼ最初(二人の自画像の後)にギュスターヴ・モローの《ユピテルとセメレ》が架かっていた。定かではないが、いつか、どこかで見た記憶がある。私にとってユピテル(ゼウス)は恐怖の全能神であるが、このユピテルは微妙に私のイメージとずれている。確かに、威厳に満ちた表情と言えないこともないが、どこかに驚きと悲しみの表情が含まれている。構図ばかりではなく、世界を見つめるこうした表情のありようも「このユピテルをキリストになぞらえることもでき」 [図録、p. 41] る根拠の一つになるだろう。

 《石臼を回すサムソン》は、ルオーがモローの指導を受けていた頃の作品である。私が馴染んでいるルオーではないが、同じような色調で描かれた初期の作品が多く展示されている。モローもまた備えていたであろう宗教心が、同じようにルオーにおいても具象化されたような作品群である。

左:ギュスターヴ・モロー《ゴルゴタの丘のマグダラのマリア》 油彩/木版、
33×45cm、パリ、ギュスターヴ・モロー美術館 [図録、p. 91]。

右:ジョルジュ・ルオー《ゴルゴタの丘の聖女たち》 1940年頃、油彩、
グワッシュ/紙、34×32.9cm、パリ、個人蔵 [図録、p. 95]。

 モローとルオーが緊密な師弟であることを示すかのように、二人とも同じような主題を取りあげた作品が多いようだ(そのように展示構成されている)。しかし、その作品はけっして似てはいない。モローはあくまでモローの世界を描き、ルオーは傑出したルオー的世界を作り上げている。
 《ゴルゴタの丘のマグダラのマリア》と《ゴルゴタの丘の聖女たち》は、二人の対称性(差異)を示す好例の一組だろう。イエス・キリストの磔刑の地、ゴルゴダの丘である。モローは、ゴルゴダの丘の十字架と悔悟するマグダラのマリアを組み合わせ、悲惨と悔悟の情景を描いている。
 しかし、私は、この絵の色調の中にモロー特有の抒情性が込められているように感じる。それは、深い悲しみや後悔を包含しつつ、情景を手探っているような抒情とでも言ったらいいのか。これは、上の《ユピテルとセメレ》で感じた「非ユピテル性」(私の勝手な概念だが)と共通しているものではないかと思う。

 ルオーのゴルゴダの丘に、悲しみのような気配が漂っているのは確かだが、一方で、確信に満ちた信仰心が表象されているようにも感じる。ルオーの描法は、いつもそのような確信、強い実存性のようなものを表出しているように私には思える。

左:ギュスターヴ・モロー《油彩下絵または聖女カエキリア》 油彩/カンヴァス、
86×68cm、パリ、ギュスターヴ・モロー美術館 [図録、p. 100]。

右:ジョルジュ・ルオー《クマエの巫女》 1947年、油彩/紙(格子状の桟の
付いた板で裏打ち)、53.2×37.8cm、パリ、個人蔵 [図録、p. 101]。

 《油彩下絵または聖女カエキリア》と《クマエの巫女》を並べると、ここでもまた、師弟の二人がこんなにも違うのだとあらためて感じさせられる。モローの絵には、習作なのか、下絵なのか、制作途中なのか、あるいは完成形なのか、絵を見ただけでは私には判然としないが、これは「カエキリアに後光がさす作品のための習作」 [図録、p. 102] らしい。
 この絵を見て、聖女カエキリアの美しさに惹かれる、そう思った。カエキリアの表情はきわめてラフに描かれているにもかかわらず、そのように感じてしまう不思議がこの絵にはある。そう感じさせるモローの何かをうまく言い当てられないので、それをモロー固有の抒情性と呼んでみたのだ。

 クマエの巫女は、いままさに確信に満ちて信託を与えようとしている。ここでも、ルオーの筆致は「確信」を強く表象しているようだ。やはり、ルオーはルオーのようだ、という愚かしい言い回しで評するのが私にはしっくりする。

左:ギュスターヴ・モロー《パルクと死の天使》 1890年頃、油彩/カンヴァス、
141.5×110cm、パリ、ギュスターヴ・モロー美術館 [図録、p. 108]。

右:ジョルジュ・ルオー《我らがジャンヌ》 1948-49年、油彩/紙(格子状の
桟の付いた板で裏打ち)、55×45cm、パリ、個人蔵 [図録、p. 112]。

 《パルクと死の天使》と《我らがジャンヌ》でも師弟の資質の違いがはっきりと顕れている。モローの絵は美しい。背景の暗い空の明暗の変化がことさら美しい。しかし、私は馬を引くパルクがまっすぐな引っ掻き線で描かれていることに強く惹かれる。すべての神や人間の罪を決して許さず、冷酷に罰を与えるというパルクがうなだれている。
 青と白の衣服を表わす複数の引っ掻き線はパルクの直截な悲しみ、あるいは悔悟のように見える。そして、そんなパルクに呼応するかのように馬もまた、死の天使を乗せる存在のありように耐えているように見えるのだ。言ってしまえば、モローの絵には「詩」そのものが溢れている、そんなふうに感じている。

 一方、ルオーの絵はまさにジャンヌ・ダルクである。希望と意志と未来への確信、そんなふうに感じるのは、人物がもたらすイメージのせい、私の先入観のせいかもしれない。(正直に言えば、この展覧会ではモローという驚きを知ったということで圧倒されて、若い頃から比較的よく見ているルオーの絵になかなか気が向かなかったのである。)

ギュスターヴ・モロー《油彩下絵》 油彩/カンヴァス、27×22cm、
パリ、ギュスターヴ・モロー美術館 [図録、p. 121]。

 モローが、ルオーたち美術学校の生徒に強調していたことは「色彩の解放」と「美しい材質感(マティエール)」だったという。「モローは、アカデミズムが推奨するデッサンの巧みさに対抗し、色彩の研究を行なっていた。下絵なしに絵の具で直接カンヴァスへ向う描き方を認め、何よりも個性を尊重した」 [図録、p. 107]
 《油彩下絵》はモローの教え自体の自らの実践の例である。いくつか展示されていた《油彩下絵》の中ばかりではなく、展示中のモローの絵の中でどれか一つと言われれば、私にとってはこの絵である。配色の具合、絵の具の量感と質感、筆遣い、奥行きのある空間構成などとても魅力的である。優れた抽象画なのである。
 図録写真では、この絵の素晴らしさが半減してしまっている。抽象画ではよくあることらしく「具体」展における吉原治良や白髪一雄の抽象画で、同じ経験をしたことがある。会場での感動と図録写真は差が大きいのである(後で『吉原治良展』の図録と見比べると写真の質にも依存していることは分るのだが)。


ギュスターヴ・モロー《オルフェウスの苦しみ》 1890年、油彩/厚紙、
21.2×25cm、パリ、ギュスターヴ・モロー美術館 [図録、p. 155]。

 モローの《オルフェウスの苦しみ》も惹かれた絵の一つだが、横たわるオルフェウスはほとんど気にならず、月と雲(つまり、夜空)と暗い森(たぶん)の陰が織りなす空間に惹かれるのである。明らかに主題の明確な具象画なのだが、月を中心とした空間は、優れた抽象画と呼んでもいいように思う。

ジョルジュ・ルオー《キリスト》 1937-38年、油彩/紙(麻布で裏打ち)、
67×48cm、東京、パナソニック汐留ミュージアム [図録、p. 168]。

 モローの絵にばかり心が動いてしまったが、私の一番好きなルオーは、《キリスト》である。この人間くさいキリストはどうだ、と威張りたくなる。人間くささを突き抜けてこそ、マリアから生まれたイエスは神の子になりうるのだ、というのが私の独断的なキリスト理解である。

ジョルジュ・ルオー《避難する人たち(エクソドゥス)》 1948年、油彩/厚紙(木版で裏打ち)、
49×60cm、東京、パナソニック汐留ミュージアム [図録、p. 47]。

 もう一点、ルオーの絵として《避難する人たち(エクソドゥス)》を挙げておく。エクソドゥスと称しながら、この絵はモーゼの民ではなく、二〇世紀の避難民を描いている。たとえば、いまやそれはシリアの民であり、フクシマの民である。現代の民は、モーゼの民のように神に導かれて海を渡ることができるのか。ルオーの描く民は神に導かれているだろうが、それでも彼らは黄昏れどきに脱出して、夜へ歩き出すのである。
 こういう思いを私(たち)に抱かせることも、優れた絵の功であろう。

 

[1] 『モローとルオー ―聖なるものの継承と変容』(以下、図録)(淡交社、2013年)。
[2] マリー=セシル・フォレストの引用によるルオーの言葉。マリー=セシル・フォレスト「ギュスターヴ・モローの名誉を保ち彼を擁護したジョルジュ・ルオー」図録、p. 20。


『アンリ・ルソーから始まる ―素朴派とアウトサイダーズの世界』展 世田谷美術館

2013年09月28日 | 鑑賞

 興味深い企画展に誘われて東京に出てきたのだが、すべて世田谷美術館の所蔵作品ばかりで構成されているということを知って驚いた。図録 [1] によれば、世田谷美術館は開設以来、「正規の美術教育を受けることなく、非専門の作家として創作を続けてきた人々に注目し、作品を収集して」 [2] きて、この企画展に至ったというのである。
 「素朴派」というのは、ヴィルヘルム・ウーデ企画のルソーを中心とする「聖なる心の画家たち」展に展示された画家たちを指す [3]。「聖なる心の」という形容から、素朴派の先にアール・ブリュットの作家たちが連なっているだろうと容易に想像できるのだが、実際、「アール・ブリュット」のセクションが設けられている。その他にもアール・ブリュットの作家たちと似たようなカテゴリーに区分してもよいと思われる作家たちのセクションもいくつか設けられている。

 
左:アンリ・ルソー《フリュマンス・ビッシュの肖像》1893年頃、カンヴァス、
油彩、92.0×73.0cm [図録、p. 12]。

右:松本俊介《立てる像》1942年、画布、油彩、162.0×130.0cm、
神奈川県立近代美術館 [5]。

 展示は、ルソーの三作品から始まる。そのうちの一つ《サン=ニコラ河岸から見たシテ島》は、私の古い画集 [4] では《サン・ニコラ港から見た夕暮れのサン・ルイ島》(パリ、個人蔵)として紹介されている。サン・ルイ島とシテ島がどういう関係にあるか私にはまったく分らないけれども、石ころの一つ一つまでまったく同じなので同一の作品であることは間違いない。
 実物を前にしたとき、この絵の持つ「存在感のある静寂」に圧倒されるような感動を受けたことは間違いない。ところが、隣に展示されていた《フリュマンス・ビッシュの肖像》に一瞬にして心が移ってしまったのである。残念ながら、それは絵の美しさのためではなく、背景とバランスを欠いた巨大な人物像のためであり、すかさず松本俊介の《立てる像》を思い出した。
 松本俊介の《立てる像》は、敢然と生きようとする自己意識の表象であり、言い換えれば、自尊心の具現化としての巨大な自画像である。この絵は、俊介の代表作の一つのように扱われている(らしい)が、自己主張に対する洲之内徹の批判的な評 [6] もある。
 俊介の絵に対して、ルソーのこの絵は対象への尊敬、敬愛が大きな人物像に結実していると見ることができる。俊介の心性とはまったく正反対に近い。素朴派の名そのもののルソーの心性がもたらす構図と考えていいのではないか。このことが、順次絵を眺めていく私の心に尾を引いていったのである。

左:アンドレ・ボーシャン《花》1952年、カンヴァス、油彩、
50.0×66.3cm、[図録、p. 17]。

右:カミーユ・ボンボワ《三人の盗人たち》1930年、カンヴァス、油彩、
65.2×54.4cm、[図録、p. 18]。

 遠近法や写実性を超えた心性のありようが、私(たち)のような凡庸な者にとってバランスを欠いていると思われる構図を生み出していると考えると、アンドレ・ボーシャンの《花》やカミーユ・ボンボワの《三人の盗人たち》にも同様な観点で見ることができる点がある。
 花の鉢は遠近の差を超えて異様に大きいし、立っている盗人の大きさは、手前の盗人とのバランスを欠いて大きい。「聖なる心」が、率直に描くべき主題に向っていると見るべきなのだろう。

左:ルイ・ヴィヴァン《ムーラン・ド・ラ・ギャレット》1925年、カンヴァス、油彩、
38.2×55.2cm、[図録、p. 20]。

右:オルネオーレ・メテルリ《楽士と猫》1937年、カンヴァス、油彩、
75.0×55.0cm、[図録、p. 22]。

 遠近法の異常は、ルイ・ヴィヴァンの《ムーラン・ド・ラ・ギャレット》の中の緑色の壁を持つ建物の描き方にも現われている。他の部分を見れば、遠近法そのものを無視しているのではないことがわかる。たぶん、表現上のやむを得ない仕儀なのだ。

 オルネオーレ・メテルリの《楽士と猫》は、私にとってはとてもお気に入りの作品なのだ(絵自体もそうだが、ヨーロッパのこのような街角そのものが私は好きなのだ)が、ここにも遠近法の異常がある。細部を除けば、奥行きはそれなりの遠近法で描かれているが。垂直の壁は平行(むしろ、上部が開いている)をなしている。これを「壁は垂直である」という観念的知識の表象と見るより、垂直方向への見る主体の素直な移動とみるべきだろう。楽士と猫を見ている画家の目の位置は、不自然な高さにあるが、垂直方向へ視線が自在に移動できれば何でもない高さである。視線の移動というのが極端に進めばキュビズムに至るのであって、意識して行なうかどうかの問題はあるが、絵画の技法として特殊なわけではない。

塔本シスコ《秋の庭》1967年、カンヴァス、油彩、130.5×162.3cm、
[図録、p. 39]。

 塔本シスコの《秋の庭》は、優れて印象的な絵である。なによりも中央の緑青色の葉にうたれる。ルソーの描く熱帯植物群の絵と共通するような印象を与えながら、琳派の装飾的な秋草図との通底するような感じもある。
 この装飾性は、じつはそれぞれの植物や秋の虫の大きさが実際の大きさを反映していないこと、実物の差異を超えてそれぞれが配置されている構図によるのだろう。
 塔本シスコは、その画業をまとめて見てみたいと思わせる画家ではある。

草間彌生《君は死して今》1975年、紙、インク、パステル、コラージュ、
54.8×39.77㎝、[図録、p. 82]。

 草間彌生の特異な想世界とそれを表現する力は圧倒的である。正直に言えば、アール・ブリュットの表現の最良のものだという印象なのである。具象と抽象の一体化は、アール・ブリュットの主要な表現手法であろう。
 草間彌生のこの絵には確かに遠近法が使われている。しかし、実在空間を関係性を持たない想世界の遠近法という概念は、とても刺激的で、草間彌生の強靭な表現力のよってきたる根拠の一つではなかろうか。

左:アドルフ・ヴェルフリ《ツィラー=タールの三位一体》1915年、紙、鉛筆、
68.8×72.9㎝、[図録、p. 88]。

右:ルイ・ステー《身振りをする6人》1937年、紙、インク、44.0×58.0㎝、
[図録、p. 89]。

 アドルフ・ヴェルフリの《ツィラー=タールの三位一体》やルイ・ステーの《身振りをする6人》は、「心の中をのぞいたら」というセクションに収められているが、ともに「精神に障害を抱える人々」 [図録、p. 87] の作品である。展覧会では「アール・ブリュット」とは別のセクションだが、私の中では同じカテゴリーに属している。
 かつて、『アール・ブリュット・ジャポネ展』を観たときや『アール・ブリュット パッション・アンド・アクション [7] という画集を眺めたときに感じたことが上の二つの絵にも共通して感じられる。
 たとえば、アドルフ・ヴェルフリの《ツィラー=タールの三位一体》には、かつての次のような感想をそのまま引用できそうだ。

 アール・ブリュットで気になっている特徴のひとつは、細密性である。そこには、空間を埋め尽くす執念のようなものがある。しかし、私たちの呼吸しているこの時空が「在るもの」によって構成されている、というのはきわめて初元的な感覚ではないか。「無いもの」は存在しない、というのは認識の初めとして不自然ではない。  

 また、ルイ・ステーの《身振りをする6人》には次のような感想が充てられよう。

 線の極限は、太さも面積もゼロである数学的抽象である。その線に有限の幅を付与すると、どこまで「線」であり得るのだろう。そんなことを考えてしまうほど、「線」が存在を主張するような絵があった。
 線こそが実在の本質だと主張している。そして、ルオーのような逡巡がない(その逡巡こそが芸術的? 世間では)。そして、構成のシンプルさ。………
 私たちは、少し大げさだが、いわば構成主義的に時空を見る。客観的だと思い込みたいが、構成のプロセスに主観が混じってしまう。そのため、見える世界は凡庸である(あくまで私のような場合であって芸術家のことではない、としておく)。
 まず、彼らはそのような構成主義的な世界観をはなから拒否しているのだ。

フィリップ・シェプケ《67歳の婦人ヒラント》1986年、紙、鉛筆、色鉛筆、紙、インク、
62.5×88.0㎝、[図録、p. 101]。

 フィリップ・シェプケの《67歳の婦人ヒラント》もまた、きわめてアール・ブリュット的な作品である。特徴的なことは、微視的な細部の気の遠くなるような繰り返しで空間を描きだす、という創造のあり方である。
 《67歳の婦人ヒラント》といくぶんは共通するであろう絵をふたつ、『アール・ブリュット パッション・アンド・アクション』から抜き出してみよう。 

左:齋藤裕一《不明》2002-3年、紙、色鉛筆、38.4×54.4cm [8]。
右:吉川秀昭《目・目・鼻・口》2007年、紙、水性ペン、油性ペン、
76.8×108.6cm、社会福祉法人やまなみ会(やまなみ工房)蔵 [9]。

 かつて、上のような絵を見終えた感想が、「細部の無限の繰り返しに圧倒されるものの、その繰り返しが私たちを囲繞する世界へ繋がっていく(連続していく)機制が私にはよく分からないのだ」というものだったが、それは今でも変わらない。

 この展覧会は、とても刺激的な企画展である。アウトサイダーズといいながら、その先にはインサイドのキュビズムや抽象画へ繋がっていくような世界がある。「聖なる心の画家たち」や「アール・ブリュット」が意味するのは、人間の芸術的心性の豊穣性であり、個々の画家たちの心的多重性がいかに貴重かということだろう。
 いつか、インサイダーズとかアウトサイダーズとかのアイデンティティ付与を乗りこえるような芸術理解の方法論が確立されるのではないかと思う(正確に言えば、信じたいということか)。

 ここではまったく触れなかったが、「才能を見出されて――旧ユーゴスラヴィアの画家」と「絵にして伝えたい――久永強」というセクションが設けられていた。ともに、「正規の美術教育を受けることなく、非専門の作家」としての画業ではあるが、私の中ではこれまで述べてきたこととはまったく別枠として受け止めてしまったので、いずれ独立に眺めたり考えたりしたい、そんなふうに思っている。

 

[1] 遠藤望、加藤絢編著『アンリ・ルソーから始まる ―素朴派とアウトサイダーズの世界』(以下、図録)(世田谷美術館、2013年)。
[2] 遠藤望「アンリ・ルソーから始まる」図録、p. 4。
[3] 同上、p. 6。
[4] 『ファブリ世界名画集40 ルソー』(平凡社、1971年)。
[5] 『生誕100年 松本竣介展』図録(NHKプラネット、NHKプロモーション、2012年)p. 93。
[6] 洲之内徹『気まぐれ美術館』(新潮社、昭和53年)。
[7] 小出由紀子(編著) 『アール・ブリュット パッション・アンド・アクション』 (求龍堂、2008年)
[8] 『アール・ブリュット・ジャポネ』(以下、図録)(現代企画室、2011年)p. 58。
[9] 同上、p. 132。


原発事故はどう詠まれたか:朝日歌壇・俳壇から(事故後3ヶ月の頃)

2013年09月25日 | 鑑賞

 これは、朝日新聞の投稿欄「朝日歌壇・俳壇」に掲載された短歌と俳句の中から、東京電力福島第一原子力発電所の原子炉溶融事故に関連して詠まれたものを縮刷版から抜き書きしたものである。
 原発事故の発生時から2012年7月までの期間について順次抜き書きを進めていて、今回は2011年6月に掲載されたものである。
 2012年8月以降については、新聞発行をリアルタイムでフォローしながら適宜まとめてこのブログで紹介している。 

 

2011年6月6日

心平のモリアオガエルも被爆危機もう聞けぬのかケルルンクック
               (下野市)若島安子 (馬場あき子選)

原発が停止になればきのうより茶畑眩し牧之原台地
               (静岡市)篠原三郎 (馬場あき子選)

二か月も見えぬ収束原子炉の蒸気を避けて無人ヘリ飛ぶ
               (市川市)山本明 (佐佐木幸綱選)

原発の大事故千年に一度のみと。三十二年に三度起こりし
               (名古屋市)諏訪兼位 (佐佐木幸綱、高野公彦選)

土下座などされても還らぬ日常と知れども怒りのやり場のなくて
               (福島県)斎藤栄子 (佐佐木幸綱選)

原発に群がる蟻と逃げる蟻、蒼天にただ白き日輪
               (福島市)美原凍子 (高野公彦選)

原発の五月の闇にぬつと月
               (名古屋市)青島ゆみを (長谷川櫂選)

 

2011年6月12日

「わがんね」と「さいあぐだ」との二言で言い尽くしたり静かな怒り
               (野洲市)松山武 (馬場あき子選)

刈り捨てる生茶の匂い嗅ぎながら農の人嘆く原発汚染
               (三重県)喜多功 (馬場あき子選)

「原発に馬も豚っこも牛も皆殺(や)られちまっだ どうしよもねべ
               (神栖市)寺崎尚 (佐佐木幸綱選)

ポポポポーンとあいさつしようお日様に脱原発のCM見たい
               (函館市)武田悟 (佐佐木幸綱選)

原発のCMに出たあの人が災害募金を訴えている
               (千葉市)愛川弘文 (佐佐木幸綱選)

 

2011年6月20日

魔界めく警戒区域の慰霊祭僧侶でさえも防護服着る
               (名古屋市)山田静 (高野公彦選)

バス停の浜岡原発明るくて何も思わず乗り降りしていた
               (静岡市)堀田孝 (永田和宏選)

原発は悪いものだと言ってません怖いものだと言ってるのです
               (横浜市)田口二千陸 (永田和宏選)

一番茶刈り捨てをする茶農家に宙(そら)は真っ青な八十八夜
               (野田市)川瀬玄忠(馬場あき子選)

一時帰宅駆けつけたるは牛のもと餌やり水やり第二の家族
               (福島県)北村ミヨ (馬場あき子選)

フクシマの哀れ桃の実色づくよ
               (本宮市)兼谷木実子 (金子兜太選)

被爆地の薫風の野に牛痩せし
               (鎌ケ谷市)桜井宇久夫 (金子兜太選)

 

2011年6月27日

丘畑は雲ひくく垂り廃棄せしキャベツ五千に花咲きたりと
               (ひたちなか市)篠原克彦 (高野公彦、永田和宏、馬場あき子選)

名古屋まで水を持ち来る出演者アメリカからのオペラ公演
               (名古屋市)福田万里子 (高野公彦選)

放射能データ同封で送らるる会津の友のアスパラガスよ
               (三重県)三井一夫 (馬場あき子選)

ふくしまのもも、なし、りんごちさき実のひとつひとつが抱いてる不安
               (福島市)美原凍子 (馬場あき子選)

放射能を怖れ今年は食べずおり背戸の筍ただ見守るのみ
               (福島県)目黒美津英 (佐佐木幸綱選)

窓閉めろ表土を削れよ言うけれど地上の生物人のみにあらず
               (福島市)伊藤緑 (佐佐木幸綱選)

その内に何とかなると思いしが何ともならぬ原発の事故
               (川崎市)池田功 (佐佐木幸綱選)

南相馬へ二度目の帰宅日帰りで猫一匹の頭撫で来ぬ
               (横浜市)荒川澄 (佐佐木幸綱選)

セシウムの大気に太る鯉のぼり
               (福島市)二宮宏 (大串章選)

原発の方茫々と卯波立つ
               (いわき市)斎藤ミヨ子 (大串章選)

脱原発デモに知る顔梅雨激し
               (横浜市)下島章寿 (金子兜太選)

福島の日傘は重し放射能
               (福島市)渡部健 (金子兜太選)

 

街歩きや山登り……徘徊の記録のブログ
山行・水行・書筺(小野寺秀也)

日々のささやかなことのブログ
ヌードルランチ、ときどき花と犬(小野寺秀也)


【書評】ジュディス・バトラー(佐藤嘉幸、清水知子訳)『権力の心的な生』(月曜社、2012年)

2013年09月23日 | 読書


 今、世界は(というより人類は)、1%のプルトノミーと99%のプレカリアートに分裂している。99%のプレカリアートの叛乱は、世界中の各地で生起しつつある。中でももっとも印象的だったのは、「99%」であることを明示的に標榜してなされた「オキュパイ運動」である。2011年9月19日にニューヨークで「ウォールストリートを占拠しろ(Occupy Wall Street)」という合い言葉のもとに1000人規模で始まった金融資本への抗議である [1]
 1%のプルトノミーの象徴的存在としてのアメリカ金融資本を名指しての運動は、アントニオ・ネグリとマイケル・ハートならさしずめ「マルチチュードの叛乱」と呼ぶところであろう。プレカリアートとマルチチュードは同じ概念ではないが、99%がプレカリアートであれば、マルチチュードと名指される人々と重なってしまう。

 「オキュパイ運動」は、プレカリアートの行動としてはきわめてシンボリックではあったけれども、世界中のプレカリアート(マルチチュード)のあいだに共鳴音や共鳴振動が生じたという兆しが必ずしも見えたというわけではない。
 おそらく、99%のほとんどは目覚め、自覚し、反抗に至るまでの主体形成を行なうことができないでいる。それがプレカリアートの避けがたい困難性であることは、反貧困の活動を行なっている湯浅誠もつとに指摘していることだ [2]

 アメリカ合州国発の新自由主義が世界を席巻している現代世界で、支配され、従属状態にある99%の主体形象として、ネグリ&ハートは次のように指摘している。

 新自由主義の勝利とその危機は人びとの経済的・政治的生活の条件を一変させたが、それはまた社会的・人間学的〔=人類学的〕変容を引き起こし、新たな主体形象を作り上げた。金融と銀行のへゲモニーは「借金を負わされた者」を生みだした。情報とコミュニケーションのネットワークに対する管理は「メディアに繁ぎとめられた者」を創り出した。セキュリティ体制と例外状態の全般化は、恐れにとりつかれ、保護を切望する形象としての、「セキュリティに縛りつけられた者」を構築した。そして民主主義の腐敗は「代表された者」という奇妙に非政治化された形象を作り出した。 [3]

 ささやかな住まいも耐久消費財も借金(ローン)なしで手に入れられない私たちは、借金を抱えているという事実に拘束されないで未来を見通すことができない「借金を負わされた者」である。
 私たちはまた、マスコミ・メデイアの不作為的な、ときには作為的な情報に右往左往して、昨日は民主党、今日は日本維新の会、明日は自民党と簡単に煽られてさらさら流れてしまう政治意識しか持たない「メディアに繁ぎとめられた者」である。
 オウム真理教事件に戦き、実際には年々減っているにもかかわらず凶悪な少年犯罪が増えていると煽られて、厳罰化する法改正をわが身に降りかかる想像力もないまま受け入れ、ひたすら他者に不寛容になり、自らを監視するモニターカメラの林立を望んでしまう私たちは「セキュリティに縛りつけられた者」である。
 そして、投票権の格差を放置したままの民主主義的根拠のない選挙制度によって選ばれた政治家に「代表された者」であり、それはまた私たちが選挙に関心を失う一つの契機となり、望んだわけでもないのに「メディアに繁ぎとめられた者」が選んだ政党政府に「代表された者」として私たちはこの日本で今を生きている。

 だから、問題は私たちの「主体」そのものである。どのような契機で私たちは自らを「主体化」したのか? どのような心的機制で私たちはこのような「主体形成」を行なってきたのか?
 これが、ジュディス・バトラーによる本書の主題である。しかし、「主体化=服従化に関する諸理論」という副題を付したこの本は、「主体性」の話ではなく、あくまで「主体形成」の機制の話である。

「主体化=服従化[subjection]」とは、主体になる過程を指すとともに、権力によって従属化される過程を指す。アルチュセール的な意味で呼びかけによるのであろうと、フーコー的な意味で言説の生産性によるのであろうと、主体は権力への原初的服従を通じて創始される。フーコーは、この定式化の両義性[ambivalence]を認めているにもかかわらず、服従において主体が形成される固有のメカニズムについて詳述していない。フーコーの理論においては、心的なものの領域全体がほぼ言及されないままになっているだけでなく、[主体を]従属化すると同時に生産するというこの二重の誘因を持った権力が探究されないままになっている。 (p. 10-1)

 「主体化」はフランス語でassujettissementという(らしい)。しかし、アルチュセールやフーコーの言説に明らかなように、それは「服従化」という意味の方に比重がかかっている言葉だ。バトラーは、「主体化=服従化[subjection]」という命題からその議論を始める。つまり、アルチュセールやフーコーは、社会(共同体から国家までのあらゆる社会)の権力(支配イデオロギーや法)がもたらす服従化をもって「主体化」の契機としている。

 アルチュセールの比喩的な表現によれば、警察官の「おい、お前」という「呼びかけ」に振り向いたときに「主体化=服従化」が始まるという。その「振り向き」において、人は社会(権力)から呼びかけられる主体であることを自覚する。

 アルチュセールが提示した「呼びかけ」の光景は、社会的な主体が言語的手段によっていかに生産されるかを説明しようとする、半ば虚構的な列である。呼びかけに関するアルチュセールの見解は、明らかに、「主体の言説的生産」に関する後のフーコーの見方を準備している。むろんフーコーは、主体は「語りかけられる」ことで存在するようになるのではないし、権力の諸々のマトリックス〔母基〕と、主体を構成する言説は、それらの生産的行為において単一のものでも至高のものでもない、と強調している。しかし、アルチュセールとフーコーは、主体化=服従化〔assujetussement〕の過程には基礎づけ的な従属化が存在する、という点で一致している。アルチュセールの試論「イデオロギーと国家のイデオロギー諸装置」において、主体の従属化は、個人に呼びかける権威的な声の効果として、言語を通じて生起する。アルチュセールが提示する有名な例では、警官が通行人に呼びかけると、通行人は振り向き、自分が呼びかけられた者であることを再認する。再認が申し出られ、受け容れられるやりとりの中で、呼びかけ――社会的主体の言説的生産――が生起するのである。意味深いことにアルチュセールは、なぜその個人が振り向き、彼あるいは彼女に呼びかけられた声を受け容れ、その声が生み出す従属化と規範化を受け容れるのかについて、手がかりを提示していない。 (p. 13-4)

 バトラーは、細部において批判的に取りあげているけれども、アルチュセールやフーコーによる主体化=服従化の契機としての権力論を大筋で認めたうえで、権力からの呼びかけへの「振り向き」とは何かを問い、始原的な主体における「振り向き」を次のように理解する。

この権力が取る形式は、振り向くこと[turning]、つまり自分自身へと還帰すること[turning back upon oneself] あるいは自分自身に対して振り向くこと[turning on oneself] という形象によって執拗に徴しづけられている。この形象は、いかに主体が生産されるか、従って、厳密に述べるなら、この振り向きを行うようないかなる主体も存在しない、ということを説明する要素として機能している。それどころか、振り向きは、主体の創始の比喻として、その存在論的地位が常に不確かなままであるような基礎づけの瞬間として機能しているように思われる。 (p. 10-1)

 つまり、「振り向き」は呼びかけた権力(アルチュセールの比喩の警察官、支配イデオロギーや法)の呼びかけに振り向くことばかりではなく、振り向く自我を自覚することで自分自身をも振り向く、つまり、自己へ還帰するのだ。「振り向き」という行為の瞬間の主体を、バトラーは次のように問うている

なぜこの主体は法の声に対して振り向くのか、また、社会的主体を創始するこうした振り向きの効果とは何なのか。これは罪のある主体なのか、もしそうだとすれば、どのようにして主体は罪あるものとなるのか。呼びかけの理論は良心の理論を必要とするのか。 (p. 14) 

 こうして、バトラーは、権力による従属化が生起する心的な主体化のプロセスを、精神分析の領野に踏み込みながら明らかにしようとする。ここですでにバトラーは服従化が「罪のある主体」によって担われることを示唆している。またそれは、「主体は罪あるもの」として主体化=服従化するという時間的な矛盾を抱えていることすら予兆として与えている。
 つまり、法の声に振り向くのは「罪ある主体」であるためのはずだが、振り向くことで始原的な主体ははじめて「罪ある主体」として服従化することになる。つまり、「最初に呼びかけられることがなければいかなる振り向きも存在しないが、また、何らかの振り向く準備がなければ振り向きは存在しない」 (p. 134) はずなのである。この主体形成の循環性をバトラーは、主体形成の「定式化の両義性[ambivalence]」 (p. 11) と呼んでいる。

 「罪ある主体」として生成する心的なプロセス、その精神分析的な議論の過程は、ヘーゲル、ニーチェ、フロイトときどきラカンという具合で進められる。
 ヘーゲル『精神現象学』における「主人と奴隷」をバトラーは次のように読み解く。 

 〔奴隷の労働の〕対象の上に付された徴しあるいは記号は、単に奴隸の所有物であるだけではない――奴隸の徴しが付されたこの対象は、彼にとって、自分が事物に徴しをつける存在であり、その行為はある特異な効果、つまり還元不可能な仕方で彼のものである署名を生み出す、ということを含意している。この署名は、対象が主人――彼は対象に自分の名前を刻印し、それを所有し、あるいはある仕方でそれを消費する――に引き渡されるときに消去される。……むろん、奴隸は初めから、ある他者の名前や記号の下で他者のために働いていたし、署名が常に既に消去され、書き換えられ、収奪され、再意味化されるという一連の条件において、自分自身の署名によって対象を徴しづけていた。もし奴隸が、本人に対する代理人という従属的立場を一時的に逆転し、主人の署名を書き換えるなら、主人は、奴隸の署名を書き換えることで、対象を再我有化する。 (p. 53-4)

結局のところ、その署名は主人の署名によって書き換えられてしまったのである。彼は、まさしく署名の没収において、そうした収奪が生み出す自律への脅威において、自分自身を認識する。そのとき奇妙にも、ある種の自己認識が、奴隸の根本的に希薄な地位から導出される。その自己認識は、絶対的恐怖の経験を通じて達成されるのである。 (p. 54)

 ここでは、奴隷の主体内部の心的駆動力は脅威、恐怖である。主人による奴隷の支配とは、「生の文脈の内部で他者に死を強いる方法だった」 (p. 56) のであり、奴隷は死の恐怖を避けがたい運命と考え、「不幸な意識」に移行することで恐怖を克服しようとする。そのとき、自ら倫理的規範、倫理的禁令を作り、それを通じて自己に固執するのである。

不幸な意識に関する章は、倫理の領域の生成を、それを動機づけるような絶対的恐怖に対する防衛として説明している。恐怖から(そして恐怖に抗して)規範を作成し、これら規範を反省的に課することは、不幸な意識を二重の意味で主体化=服従化する。つまり、主体は規範に従属化され、規範は主体化=服従化する。言い換えれば、規範はこの出現する主体の反省性に倫理的形態を与えるのである。倫理的なものの記号の下で生起する主体化=服従化は、恐怖からの逃走であり、ある種の逃走と拒否として、恐怖からの恐怖に満ちた逃走――その恐怖をまず頑固さで、次に宗教的な自己正当化で覆い隠すような――として構成される。 (p. 58)

 ヘーゲルにおける主体化=服従化の心的プロセスを主導する「不幸な意識」は、ニーチェにおいては「疚しい良心」、フロイトでは「自我理想」とされ、同じような役割を果たす。バトラーは、ニーチェ、フロイトの思想を辿る理路の前に次のような戦略の概要を示している。

もし主体概念そのものにおいて前提とされているのが主体化=服従化への情熱的な愛着であるとすれば、そのとき、主体はこの愛着の例証と効果としてのみ現れるだろう。最初にニーチェの考察を通じて、次にフロイトとの関係において私が示したいのは、主体の出現の構造としての反省性の概念そのものが、いかに「自分自身への還帰」の帰結であり、「良心」という誤った名称を形成する反復的な自己叱責の帰結であるか、という点であり、主体化=服従化に対する情熱的な愛着なしにはいかな主体形成も存在しない、という点である。 (p. 85)

 しかし、議論は、権力(外部)からの呼びかけ(働きかけ、抑圧)によって主体が形成されるとしながら、それを契機に形成される「不幸な意識」、「疚しい良心」、「自我理想」が自我に向けて行なう「反省」によって主体形成がされるというふうにも理解される。そのような自己循環の矛盾については次のように述べている。

一方では、主体が仮定されており、いまだ形成されていないように思われ、他方では、主体が形成されており、従って仮定されていないように思われる、という論理的循環性は、フロイトとニーチェにおいてこの反省性の関係が常にただ形象化されるだけであり、この形象はいかなる存在論的要求もしない、という点を理解すれば改善されるのである。 (p. 87)

 したがって、反省に至るまでの自己還帰のメカニズムをニーチェとフロイトから探り出さなければならない。

 ニーチェは「疚しい良心の始まり」を、「暴力によって潜在的なものとされた自由への本能」と記述している。しかし、この自由の痕跡は、ニーチェが記述する自己束縛の中のどこにあるのだろうか。それが見出されるのは、苦痛を加える際に得られる快の中、道徳性のために、道徳性の名の下で自分自身に苦痛を加える際に得られる快の中である。従って、以前は債権者に帰されたこの苦痛を与える快楽は、社会契約の圧力の下で、内化された快に、自分自身を迫害する悦びに変わるのである。それゆえ、疾しい良心の起源は、自分自身を迫害することで得られる悦びであり、そのとき、迫害された自己は迫害の圏外には存在しない。しかし、処罰の内化はまさしく自己の生産であり、快と自由が奇妙にも位置しているのはこの生産の中なのである。処罰は単に自己を生産する力ではなく、この処罰の生産力そのものが意志の自由と快の場なのであり、その製作行為の場なのである。 (p. 94)

 人間の「自由への本能」(これは「力への意志」でもある)は、社会(権力)によって暴力的に抑圧される。そのとき、外へ向っていた自由への本能は自己の内部に向う。それは社会規範による禁制を抱え込むことで「疚しい良心」という自我の高位の審級となって、自分自身を処罰する。しかし、その自己処罰はマゾヒスティックな「快」として「自己を生産」するというのである。

 このニーチェによる心的機制は、フロイトへと繋がっている。私たちの身体的衝動、欲望は社会規範(法的権力)によって抑圧され、「リビドーはいったん法の検閲に服するが、その後その法の維持作用として再出現する」、つまり、「リビドーの抑圧は常にそれ自体、リビドー的に備給された抑圧」 (p. 98) なのである。「リビドー的に備給された抑圧」によって維持される「法」は、「自我理想」を自己の高位審級として生成せしめる。もちろん、この自我理想は家族や国家の理想と通底している。
 このようにして、フロイトもまた衝動や欲望が権力(法)による抑圧(禁止)を通じて自己還帰することによって、反省する良心が自己の中に形成されるとするのである。

 アルチュセールやフーコーが例証するように、権力(支配イデオロギー、法)による呼びかけは、学校、工場、監獄などあらゆるところでなされる。社会の網の目のように張り巡らされた権力構造の局所的なその場、その時に呼びかけがなされるのだ。そのつど、呼びかけに振り返り、自己還帰として心的な上位の審級である「良心(不幸な意識、疚しい良心、自我理想)」が生起し、自己生成としての主体化=服従化が行なわれる。それは無数の反復としての「主体化=服従化」である。

 さて、私たちの主体化は服従化そのものだけであろうか。バトラーは、私たちの権力(の呼びかけ)への抵抗についても言及している。抵抗する主体については、フロイトやラカンの精神分析的な解釈があるが、バトラーはそれについてはやや批判的に取りあげる。

より明確に言えば、精神分析が強調する抵抗は、社会的、言説的に生産されるのだろうか。それともそれは、社会的で言説的な生産そのものへの一種の抵抗、そうした生産そのものの浸食なのだろうか。次のような主張について考えてみよう――無意識はただ常に規範化に抵抗する。文明化の命令への順応のあらゆる儀式には、ある代価が伴う。それによって、軛から解放された、社会化されていないある種の残余が生産される。その残余は、法に従う主体という現象に異議を申し立てる――こういった主張である。この心的残余は規範化の限界を意味している。この見解が含意するのは、そうした抵抗が、言説的要求の諸関係――つまり、規範化を生起させる規律的命令――を作り直すあるいは再分節化するような力を行使する、ということではない。……無意識は主体の言語ほど、文化的シニフィアンを満たす権力諸関係によって構造化されているわけではない、と私たちに考えさせるものは何だろうか。もし無意識のレヴェルにおいて主体化=服従化への愛着が見出されるなら、そこからいかなる種類の抵抗が作動しうるのだろうか (p. 109)

 フーコーは、「抵抗を、それが対抗するとされる権力そのものの効果として定式化し」「法によって構成されると同時に、法への抵抗の効果でもあるという二重の可能性」 (p. 121) を述べている。

フーコーにおいて転覆あるいは抵抗の可能性は、しばしば次のような場合に現れる。(a)主体化=服従化を動員する規範化の諸=標を超えるような主体化=服従化の過程において、例えば、「逆転した言説」において。あるいは、(b)意図せざる仕方で生み出された言説複合体が規範化の目的論的な諸目標を浸食することで、他の言説的諸体制と収束することを通じて。従って、抵抗は権力の効果として、権力の一部として、その自己転覆として現れるのである。 (p. 114)

 簡略化して言ってしまうと(すこしばかり乱暴だが)、呼びかけの失敗、誤認、呼びかけられた主体のアイデンティティの失敗が抵抗の契機となるのである。一つの例を挙げれば、警察官が「おい、お前」と呼びかけるように、権力は「女」、「ユダヤ人」、「クイア」、「黒人」などと呼びかけるが、そのような名前で始まる呼びかけに対して、主体は応答をためらったり、応答しつつも否定的に内部化することもあるだろう。
 「もし呼びかけられた名前がそれの言及するアイデンティティを達成しようとするなら、それは、にもかかわらず想像的なものの中に逸脱してしまう行為遂行的な過程として開始される」ことになり、「アイデンティティが異議申し立て」 (p. 118) を受けるのである。このような契機で、私たちの主体化=服従化は権力(支配イデオロギー、法)への抵抗を内部化し、その魂が身体を拘束することによって抵抗する身体を形成するのである。 

 ジェンダー的同一化が、より正確に言えば、ジェンダーを形成する際にその中核をなす同一化が、メランコリー的同一化を通じて生産されるような仕方が存在するのだろうか。……もし女性性や男性性の引き受けが、常に脆弱な異性愛を達成することを通じて進行するとすれば、私たちはこの達成の力を、同性愛的愛着の放棄を命じるものとして、あるいは恐らくより明確に言えば、同性愛的愛着の可能性の先取り的回避として、生存不可能な情熱や哀悼不可能な喪失だと考えられている同性愛の領域を生産する可能性の排除として、理解できるかもしれない。 (p. 169)

 ここで言う「メランコリー」はなかなか難しい概念である。フロイトによれば、メランコリーは「意識から撤収された対象喪失」に関連していて、「理想が隠されて、失った人物「において」何を失ったのかわからない」心的状態である。「メランコリー患者は「自分が誰を失ったのかと言うことは知っていても、その人物における何を失ったのかということは知らない」と主張する」 (p. 214) という。
 このやっかいな概念が、上記の「同性愛的愛着の可能性の先取り的回避として、生存不可能な情熱や哀悼不可能な喪失だと考えられている同性愛の領域を生産する可能性の排除」という面倒な言い回しを支えているのである。ここで出て来る「排除」とは主体による抑圧ではなく、主体を基礎付け、主体を形成する否定行為を意味している (訳者解説、p. 265)

 主体としてのジェンダー形成におけるメランコリーの役割は、主体化=服従化における「不幸な意識」、「疚しい良心」、「自我理想」、いわゆる「良心」の役割と同等になる。

 こうしてメランコリーは、私たちを、心的なものの言説における基礎づけ的な比喩としての「振り向き」という形象へと連れ戻すのである。へーゲルにおいて、自分自身へと還帰することは、不幸な意識を徴しづける禁欲的で懐疑的な反省性の様態を意味している。ニーチェにとって、自分自身へと還帰することは、自分の過去の言動を撤回すること、あるいは自分の過去の行動に向き合って恥ずかしさのためにたじろぐことを示唆している。アルチュセールにとって、法の声に対する通行人の振り向きとは、反省的(自己意識が法によって媒介された主体になる契機)であると同時に、自己を服従化するものである。
 フロイトが提示するメランコリーについての語りによれば、自我は、愛がその対象を見失い、代わりに自分自身を愛の対象のみならず攻撃性と憎悪の対象と見なすときに、「自分自身に還帰する」とされる。 (p. 209)

 ここから、バトラーは主としてフロイトの精神分析を参照しながら、前著『ジェンダー・トラブル』の世界に踏み込んで議論している。議論は詳細を極めていて、ずっと以前に読んだ『ジェンダー・トラブル』を再読しなければ、私としては踏み込みようがない。

 最後に訳者解説として佐藤嘉幸の「主体化=服従化の装置としての禁止の法」という論考が付されている。本書の読解に大いに参考になる解説である。

 

[1] ノーム・チョムスキー(松本剛史訳)『アメリカを占拠せよ!』(ちくま新書、2012年)
[2] 湯浅誠『ヒーローを待っていても世界は変わらない』(朝日新聞出版、2012年)
[3] アントニオ・ネグリ、マイケル・ハート(水嶋一憲、清水知子訳)『反逆――マルチチュードの民主主義宣言』(NHK出版、2013年)p. 24。


原発事故はどう詠まれたか:朝日歌壇・俳壇から(事故後2ヶ月の頃)

2013年09月19日 | 鑑賞

 朝日新聞の投稿欄「朝日歌壇・俳壇」に掲載された短歌と俳句の中から、東京電力福島第一原子力発電所の原子炉溶融事故に関連して詠まれたものを縮刷版から抜き書きした。
 原発事故の発生時から2012年7月までの期間について順次抜き書きを進めていて、今回は2011年5月に掲載されたものである。
 2012年8月以降については、新聞発行をリアルタイムでフォローしながら適宜まとめてこのブログで紹介している。

 

2011年5月2日

それでも春は巡り来てけぶるがに咲くふくしまのうめもさくらも
                        (福島市)美原凍子 (高野公彦選)

ほんとうは不安に蓋してきたのかも東海村の四季をめでつつ
                        (茨城県)原里江 (高野公彦、佐佐木幸綱選)

みんなさ迷惑かげっから水飲まねようにしてんだ――ええがら飲まっせ
                        (福島市)斎藤一郎 (永田和宏選)

抜け駆けのように逃げ出たふくしまの恋し恋しく子らのふるさと
                        (福島市)恩田規子 (永田和宏選)

天に地に海にひろごる欝と鬱ベクレルを知るシーベルトを知る
                        (山形県)佐藤幹夫 (馬場あき子選)

放射能汚れちまった里山でサンプルとなり生き抜いてやる
                        (さくら市)大場公史 (馬場あき子選)

原発に汚染されたる草を食む人なき野辺に放たれし牛
                        (高崎市)植原昭士 (馬場あき子選)

「フクシマ」が緑の党の勝因と騒ぐ人らの麦酒(ビール)の苦味
                        (ドイツ)西田リーバウ望東子 (馬場あき子選)

東京の空に桜満ち満てど十キロ圏内のわが里哀し
                        (福島県)半杭蛍子 (佐佐木幸綱選)

南相馬を離れて三度居所を変え日毎つのるは原発憎し
                        (東京都)荒川澄 (佐佐木幸綱選)

四月はや半ばなれども春遠し日々原発の行方を憂ふ
                        (福島県)目黒美津英 (佐佐木幸綱選)

目に見えぬ放射能におびえゐる庭にも春きてやさしく花咲く
                        (いわき市)宇田文子 (佐佐木幸綱選)

原発に反対の署名集めしは正しかりきと古希過ぎて知る
                        (横浜市)関口佳子 (佐佐木幸綱選)

「想定外」免罪符のごとふりかざしテクノクラート淡々と言ふ
                        (岩手県)山内義廣 (佐佐木幸綱選)

福島に初音や耳を疑ひぬ
                        (伊達市)林ふゆ子 (大串章選)

原子力止めよ変色する穀雨
                        (流山市)尾形ゆきお (金子兜太選)

福島の空こそ泳げ鯉のぼり
                        (北九州市)原田奎子 (長谷川櫂選)

亡国の原発事故や花八分
                        (羽曳野市)三石志郎 (長谷川櫂選)

 

2011年5月9日

聞き慣れぬ単位と数値のそのあとで上を向いてとラジオは歌う
                        (いわき市)藁谷貴実人 (永田和弘選)

下肢のみが映る原発作業員躊躇いがちに復旧語る
                        (山形市)渋間悦子 (永田和弘、馬場あき子選)

新宿で南相馬の苦しみを息子は一人訴へ歌ふ
                        (東京都)荒川澄 (佐佐木幸綱選)

どうか暗号ではありませんように「福島の天気西の風、晴れ」
                        (交野市)角浦万巳 (佐佐木幸綱選)

システムを恃む原発の不始末は人海戦術に依る皮肉
                        (長野市)田中政行 (佐佐木幸綱選)

三十年間原発反対叫びたる祝島漁民意思固きかな
                        (山陽小野田市)浅上薫風 (佐佐木幸綱選)

地図広げわが圏内の原発を縮尺見詰め定規で測る
                        (蒲郡市)古田明夫 (佐佐木幸綱選)

原発の同心円に居て仰ぐおぼろの月のまどかなるかな
                        (福島市)美原凍子 (佐佐木幸綱選)

福島原発蜃気楼であれば
                        (国立市)加藤正文 (金子兜太選)

放射能いつまで飛ぶか花粉症
                        (加賀市)坂入やすのり (金子兜太選)

原発に追わるる里や桜咲く
                        (横浜市)大井みるく (長谷川櫂選)

 

2011年5月16日

原発事故起きてからずっとヨコスカの米軍住宅の灯は灯らない
                        (横須賀市)梅田悦子 (馬場あき子選)

俺も牛も死ねというのか原発の警戒区域の酪農家哭く
                        (白河市)舟部勲 (馬場秋子選)

従業員の如くとアレバのCEO謙虚のこころフランスに学ぶ
                        (町田市)冨山俊朗 (馬場あき子選)

放水の任務終へたる隊長の部下を称ふることばうるみて
                        (徳島県)吉田哲 (馬場あき子選)

フクシマのニュースに戦く我もまた火遊び覚えし猿の裔なり
                        (東京都)谷田貝和男 (佐佐木幸綱選)

三月に安全唱えし識者らはいずこに消えしか泡(あぶく)のごとく
                        (名古屋市)諏訪兼位 (佐佐木幸綱選)

たびたびの事故隠したる原発を想定外と吾は認めぬ
                        (福島市)遠藤幸子 (佐佐木幸綱選)

避難地のくらしになじめぬ日々なれどここが居場所とかえねばならぬ
                        (釜石市)宮館テル (佐佐木幸綱選)

原発への不安詠み来し人の朝日歌壇の切り抜きに読む
                        (山形市)渋間悦子 (佐佐木幸綱選)

ことあらば飛散し来るやも海峡を隔て見やりぬ刈羽原発
                        (佐渡市)神蔵久 (佐佐木雪綱線)

いなさ吹けば放射線量増すという真野の萱原夏は来向かう
                        (下野市)若島安子 (高野公彦選)

帰らざるひと、帰れざるひと、万のいのちに万の名のありしこと
                        (福島市)美原凍子(高野公彦線)

原発の中で働くわが息子カンパン齧りシートでごろ寝
                        (東京都)山名輝子(高野公彦選)

死してなお放射線浴び横たわる死者にも死者の尊厳がある
                        (小樽市)吉田理恵(高野公彦選)

日雇いのうからはらから無き人の募られてゆく原発建屋
                        (神栖市)寺崎尚 (永田和宏選)

「フクシマ」の半径二十キロの赤い円半分は海半分は陸
                        (埼玉県)小林淳子 (永田和宏選)

朧にも見えぬが怖き放射能
                        (神戸市)森木道典(長谷川櫂選)

 

2011年5月23日

馬鈴薯の種芋に土被せつつ日常失う悔しさを思う
                        (山形市)半杭蛍子 (佐佐木幸綱選)

原燃の事故ある時は逃げ場所の無き下北の地図を見つめぬ
                        (むつ市)高橋やす子 (佐佐木幸綱選)

原発の安全うたうスローガン掲げて封鎖さるる町並み
                        (ひたちなか市)猪狩直子 (佐佐木幸綱選)

持ち出しは認めずといふ家畜とは持ち出すものか一時帰宅に
                        (水戸市)檜山佳与子 (佐佐木幸綱選)

ふるさとは無音無人の町になり地の果てのごと遠くなりたり
                        (福島県)半杭蛍子 (高野公彦選)

買手なき小女子身を打ち身を反らす漁港に直射日光受けて
                        (埼玉県)小林淳子 (高野公彦選)

警戒地の浜を嬉しげに奔りゐる黒牛の群哀しき自由
                        (高山市)桐山吾朗 (馬場あき子選)

心配はしなくていいよと電話切る福島に残る意思堅き子は
                        (大和市)澤田睦子 (馬場あき子選)

ヤマボウシ牧場の空を白く染め七十頭の牛なき五月
                        (福島市)澤正宏 (馬場あき子選)

牛飼の友漂白に身を委ねわが家で夜弾くチゴイネル・ワイゼン
                        (新発田市)北条祐史 (馬場あき子選)

笑うには遠し安達太良五月来る
                        (静岡市)西川裕通 (金子兜太選)

 

2011年5月30日

カリフォルニア州より狭き日本に五十四基も原子炉要るや
                        (三田市)辻井倫夫 (高野公彦選)

防護服の警察官が持ち上げし赤きランドセル背負いしは誰
                        (郡山市)渡辺良子 (高野公彦選)

里人の鎮守のわれは別当ぞ原発事故といへど避難はできず
                        (福島県)目黒美津英 (高野公彦選)

「フクシマとチェルノブイリへのレクイエム」ポスターがある乗り換え駅に
                        (ドイツ)西田リーバウ望東子 (馬場あき子選)

富岡だ!画面に映る故郷にわが家の姿毎日探す
                        (福島県)廣瀬隆也 (佐佐木幸綱選)

原発を逃げて浅間に一ケ月みなさん優し「いわき」が恋し
                        (いわき市)馬目弘平 (佐佐木幸綱選)

青岬へ原発見ゆる砂丘踏み
                        (静岡市)西川裕通 (大串章選)

春の牛空気を食べて被爆した
                        (福島市)中村晋 (金子兜太選)

放射能田植を奪い牛を奪い
                        (八王子市)樋口雄二 (金子兜太選)

福島がフクシマとなり夏来る
                        (金沢市)前九疑(長谷川櫂選)

春愁や原発五キロ圏に住む
                        (御前崎市)岡村福彦(長谷川櫂選)


原発事故はどう詠まれたか:朝日歌壇・俳壇から(事故直後のころ)

2013年09月15日 | 鑑賞

 これは、朝日新聞の投稿欄「朝日歌壇・俳壇」に掲載された短歌と俳句の中から、東京電力福島第一原子力発電所の原子炉溶融事故に関連して詠まれたものを縮刷版から抜き書きしたものである。
 私の地元仙台では、昨年(2012年)の7月から「脱原発みやぎ金曜デモ」と称する定期的な反原発デモが開催され続けている。そのデモの当初から参加しているときに、投稿短歌や俳句の中から、原発事故に関連したものを抜き書きすることを思いついた。2012年7月16日付けの朝日新聞から始めて、このブログで紹介してきた。

  時間とともに原発事故に関連する短歌や俳句が減ってきたのは、新聞の投稿欄という性格からは当然のことである。新聞である以上、たとえそれが短歌や俳句という芸術の領域に分類されることがらであっても、そのときどきの季節やトピックにふさわしい歌や句が選ばれやすいことは想像に難くない。風化はいつでも、マスコミ・ジャーナリズムから始まるのである。

 ここでは、原発事故の発生時から抜き書きを思い立った2012年7月までの期間の「朝日歌壇・俳壇」から時間を追って順に抜き書きをしていく予定である。事故直後には多くの歌や句が詠まれているのは当然で、できるだけ早急に拾い集めるべきだったのだが、図書館の机に拘束されて縮刷版を繰る手間に尻込みして、さぼりつづけていた。事故直後からの16ヶ月分をこれからカバーする予定である。

 私は、私の住む仙台から福島までのその距離感でしか原発事故にまつわる事象を見ることができない。投稿された短歌や俳句は、日本(世界)の至る場所、そして福島のど真ん中そのものから見たフクシマを指し示しているにちがいない。そのような眼差しや感情をいくぶんかでも我が身に取り込めたら、そんな淡い期待を抱いているのである。

 

2011年3月28日

怖れゐし事故の起こりたりあれほど安全と言ひてゐたりに
          (敦賀市)上田善朗 (佐佐木幸綱選)

 原発という声きけば思わるる市井の科学者高木仁三郎
          (静岡市)篠原三郎 (佐佐木幸綱選)

絶対を想定外が覆す科学の粋の原発に事故
          (西海市)前田一揆 (佐佐木幸綱選)

原発が峡二分せし枯木灘家族葬あり如月の昼
          (和歌山市)山口雅史 (永田和宏選)

        

 2011年4月4日

原発の地に残しきし牛気づかい畜産営む農が涙す
          (三島市)朝野和子 (高野公彦選)

現実にならねばよいがと不安なりチェルノブイリの石棺のひび
          (山口県)宮田ノブ子 (佐佐木幸綱選)

 

2011年4月10日

過疎採るか原発採るかこの地にも決断迫る時勢のありき
          (新潟市)伊藤敏 (佐佐木幸綱選)

生きてゆかねばならぬから原発の爆発の日も米を研ぎおり
          (福島市)美原凍子 (佐佐木幸綱選)

放射能の不安の募る原発より二十キロ内にわが町もあり
          (西予市)大和田澄男 (佐佐木幸綱選)

薄氷を踏みいる如き幸せと思い知らさる原発の事故
          (佐野市)広瀬恭子 (佐佐木幸綱選)

ただじっと息をひそめている窓に黒い雨ふるふるさと悲し
          (福島市)美原凍子 (高野公彦選)

姿見ぬ人に二種あり原発の内部作業者、最高責任者
          (高槻市)奥本健一(高野公彦選)

        

2011年4月18日

田も畑も黙り込んでるふるさとの風が重たい原発の空
          (福島市)美原凍子 (馬場あき子選)

蟻のごとき列の車が阿武隈の山に吸わるる町民避難とは
          (我孫子市)開発廣和 (馬場あき子選)

春キャベツ七千五百株畑に残し男は自殺す核汚染苦に
          (三重県)喜多功 (馬場あき子選)

原発の空のしかかるふるさとのここにいるしかなくて水飲む
          (福島市)美原凍子 (佐佐木幸綱、永田和宏選)

簡単に想定外と記者会見きちんと想定すべきあなたが
          (東京都)大久保やそじ (佐佐木幸綱選)

原発を逃れて来たる姪の手がしっかり抱くダックスフント
          (ひたちなか市)猪狩直子 (佐佐木幸綱選)

犬つなぎ避難せし人責める人聞くもつらしや原子漏れ事故
          (福島県)北村ミヨ (佐佐木幸綱選)

原発で下請け作業者被爆すと本社社員は淡々と読む
          (高槻市)奥本健一 (佐佐木幸綱選)

時季なれば菜大根蒔かむと畑を打つ放射能汚染時にまかせむ
          (稲敷市)川村とみ (佐佐木幸綱選)

わが町はチェルノブイリとなり果てし帰るあてなき避難民となる
          (福島県)半杭蛍子 (高野公彦選)

背に肩に両手に喰い込む荷をさげて難民となる放射能避け
          (枚方市)澤正宏 (高野公彦選)

三十キロ遠くに写り危うげに蜃気楼のごとき白き原子炉
           (高松市)菰渕昭 (永田和宏選)

春光の全て放射能塗れ
          (いわき市)馬目空 (金子兜太選)

原発の業火消せぬか春のつき
          (千葉市)矢羽野睦男 (金子兜太選)

東北を逃げ来し孫と日向ぼこ
          (三鷹市)福田正 (長谷川櫂選)

 

2011年4月24日

被爆検査受けねば非難受けつけぬと雨を濡れきし親子帰さる
          (福島市)中村晋 (佐佐木幸綱、高野公彦選)

毎日のおかずのように噛んでいるベクレル数値、シーベルト数値
           (福島市)美原凍子 佐佐木幸綱選)

乳搾るナカレ、耕すナカレ、種蒔くナカレ、ふくしまの春かなし
          (福島市)美原凍子 (高野公彦選)

昭和へと戻る気配す放射能・計画停電・集団疎開
          (長野県)小林邦子 (高野公彦選)

此処もすでに危険と話す人等いて闇迫るとき次の地へ立つ
          (福島県)開発廣和 (永田和宏選)

窓辺から見ている空は福島の先週までと変わらない空
           (郡山市)畠山理恵子 (永田和宏選)

いわき駅構内鉄路赤錆びて津波・原発が街を滅ぼす
          (いわき市)松崎高明 (馬場あき子選)

乳出すなと餌を減らすわれの手元見るその眼のやはらかき乳うし
          (郡山市)横田俊幸 (馬場あき子選)

ふくしまがフクシマとなりFUKUSHIMAとなりたる訳の重すぎるわけ
          (福島市)美原凍子(馬場あき子選)

無惨なり一束残し根張りたるホウレン草をみな抜き捨てる
           (取手市)緑川智 (馬場あき子選)

原発の屋根吹き飛ぶや涅槃西風
          (横浜市)御手洗征夫(長谷川櫂選)

福島は暗黒大陸桜咲く
          (三郷市)岡崎正宏 (金子兜太選)

相馬よりいま沈黙の葱坊主
          (横浜市)高橋央尚 (金子兜太選)

東風吹けば吹くほど暗くなる山河
          (黒石市)複視謙二 (金子兜太選)

花咲けど人の戻らぬ山河かな
          (川崎市)山根繁義 (金子兜太選)

 

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『シャガール展』 宮城県美術館

2013年09月03日 | 展覧会

声とならず言葉とならず黙したる闇に来ているシャガールの馬
                                      道浦母都子 [1]
 

 この歌にある「シャガールの馬」は、私の中にあるシャガールの馬のイメージによくフィットする。それは、濃い藍色の夜の空を駆ける白い馬なのである。そのイメージの根拠となるシャガールの絵そのものを覚えているわけではないが、ずっとそんなイメージを思い描いてきた。「シャガールの馬」を詠ったわけではないが、次のような優れた詩のイメージも、上の歌と相俟って私の「シャガールの馬」のイメージに取り付いているのである。

せめぎあう 光と闇のはざまに
溶けさりながら
涙ではなく
しずかな身ぶるいによって
馬は 哭く
          吉原幸子「風景は」部分 [2]

 2013年9月3日から始まった「シャガール展」の初日に出かけた。正直に言えば、シャガールの「何」を見たいというモチベーションが強くあったわけではない。近くの美術館でシャガール展が開催されていれば、ごく自然な反応として足を運ぶだろう。そういう動機である。見ないですませるというのがとても不自然に思えたのである。

 展示のかなりの部分がシャガールのモニュメンタルな仕事にあてられている。一つは、オペラ座の天井画で、膨大な下絵が展示されている。実際の天井画については大きなスクリーンにビデオ映像が写されていた。そこでは、線描で描かれている人物や天使のその線が太く描かれていて、大写しで見ると、その線そのものに表情があるように感じられ、驚いた。
 他にはオペラ「ダフニスとクローエ」の舞台衣装や背景画の仕事、メッス大聖堂やエルサレムのシナゴーグのステンドグラスの仕事、教会の壁を飾る陶版画などが紹介されている。

左:《赤い馬に乗る女曲馬師》1970年、墨・グワッシュ・布のコラージュ、紙、
    32×25.5cm、個人蔵 [3]。
中:《ハダサー医療センター附属シナゴーグのステンドグラスのための最終
  下絵:シメオンの部族(第5段階)》1960年、グワッシュ・水彩・パステル・
  墨、紙、40.7×30.0cm、個人蔵 [4]
右:《フェアトン》1977年、油彩、キャンヴァス、195.0×120.0cm、個人蔵 [5]。

 多彩、多様なシャガールの画業に圧倒されてはいたが、会場を回りながら何となく「シャガールの馬」を探していたのだった。馬が登場する絵はいくつかあった。《赤い馬に乗る女曲馬師》は、たしかに夜の情景に違いないが、赤い馬に少しイメージの違和がある。
 《ステンドグラスのための最終下絵:シメオンの部族(第5段階)》は白い天馬で私が抱いていたイメージに合わないわけではないが、ステンドグラスの下絵を私が見たはずがないので、イメージの根拠とは考えにくい。それに装飾的な多数のシンボルの配置もなんとなくそぐわない。
 《フェアトン》は明らかに夜ではない情景の赤い馬である。私の思い込みの「シャガールの馬」に拘らなければ、この絵はイメージが開放的でとても良い。

左:《ソロモンの雅歌IV》1958年、油彩、キャンヴァスで裏打ちされた紙、
  42.0×61.0cm、マルク・シャガール国立美術館(1972年寄贈) [6]。
右:《女曲馬師》1927年、100×8lcm、プラハ,ナロドニ・ギャラリー [7]。

 《ソロモンの雅歌IV》の天を飛ぶ白馬がとても良いが、世界は闇ではない。もっと華やかな雅歌の世界である。いったい、私はなぜ「シャガールの馬」を勝手に思い描いているのだろう、そう思って昔眺めていた画集を納戸の奥から引っ張り出してきた。それにも白馬の絵《女曲馬師》があるが、それはシャガールの主要なモチーフの一つのサーカスの絵で、その白馬が幻想性を帯びることはない。


《サン=ポールの上の恋人たち》1970-71年、油彩、キャンヴァスで
裏打ちされた紙、145.0×130.0cm、個人蔵 [8]。

 馬が出てくる絵としては、昼の情景であり、頭部だけの青い馬なのだが、たぶん《サン=ポールの上の恋人たち》がいちばん私の好みにフィットする。たぶん、私は青が好きなのだ。

シャガールの〈こひびとたち〉は
やさしく抱きあって浮んでゐるが
さういへばとぶゆめのとき
わたしはいつもひとりだ
             吉原幸子  「夜間飛行」部分 [9]

 この絵には、村の風景、優しく抱き合う恋人たち、花束など、シャガールの絵に欠かせない要素が揃っている。そういえば、手持ちの古い画集にも同じようなモチーフで描かれた絵《恋人たちと花束》があった。


《恋人たちと花束》1926年、92×73cm、個人蔵 [10]。

  《サン=ポールの上の恋人たち》の制作年から45年も前に同じような構図で村の風景の上に浮かぶ恋人たち、花束が描かれ、ここには馬ではなく空を飛ぶ天使が登場する。
 暗い藍色の夜空に白い天馬、などというイメージは、作り物だったに違いない。《恋人たちと花束》の白い天使を白い馬に置き換えた私の錯視だったのではないか。そう、思う。青い森に囲まれた青い湖の畔の一頭の白馬、それは東山魁夷の絵なのだが、深い紺青の空を駆ける白い馬というのはあまりにも私好みだったということらしい。

《村の風景を前にした食卓》1968年、油彩、キャンヴァス、
100.0×72.5cm、個人蔵 [11]。

 村の風景の上の恋人たち、花束という図柄の絵で惹かれたもう一枚は、《村の風景を前にした食卓》である。
 《サン=ポールの上の恋人たち》、《恋人たちと花束》、《村の風景を前にした食卓》には「村の風景」、「花束」、「恋人たち」は共通に描かれているが、もう一つの大切な要素として、それぞれ「青い馬」が「白い天使」に、「白い天使」が「赤い鳥」に替えられて描かれている。とすれば、それぞれの絵の固有性を表象しているのは馬や天使や鳥だということになるだろう。たとえば、天使は二人の愛の象徴などと言えるかもしれないが、三つのシンボルを並べてそれぞれの寓意の異同を語る力は私にはない。またしばらくはイメージの中で「ああだこうだ」と考えるしかない。

 恋人たちが登場する絵を眺めていると、意外なことに気付く。かつて私が抱いていたシャガールの絵に対するイメージとは違っていて、空間構成が極めてシンプルだということだ。実空間は村の風景が描かれた時空一つであって、恋人や花束や馬は、その空間に浮いているだけである。
 一見、構図的には松本俊介の《都会》や《街にて》の絵に似ているのだが、俊介の絵は何層もの時空が重なり、浸食し合うようなモンタージュ技法で描かれていて、シャガールの絵のようなシンプルさはない。

 たぶん、シャガールの空間構成のシンプルさこそが観る者の想像力にリアリティを与えてくれる力になっていると思う。そのことをもっと端的に表わしているのが《夢》という絵ではなかろうか。

 《夢》1939-44年、油彩、キャンヴァス、78.7×78.1cm、
公益財団法人吉野石膏美術振興財団(山形美術館寄託) [12]。

  シンプルな空間構成という点から言えば、この絵はテーブルのある居間の空間と村の家々が存在する空間の二層構成なのだが、それにもかかわらず平明で優しい感じのとても気に入った作品である。
 それは、夢の片々のそれぞれがテーブルに座している人物がいる空間にシンプルに浮かんでいて、明るいテーブルに集約していって人物に繋がっていくように見えるからだろうと思う。

 このようなシンプルな空間構成が意外だった、ということにはわけがある。私のシャガール経験の中では《私と村》のような若い時代のキュビズムの影響の強い絵から際立った印象を受けていたからだ。この絵の中では、空間は反転したり、入り組んだり、複雑な様相を呈していて、晩年の平明さと良い対称をなしている。 

《私と村》1911年、191.2×150.5cm、ニューヨーク近代美術館 [13]。

 《私と村》に描かれた村は、シャガールの原点としての生れ故郷、白ロシアのヴィテブスクという村ということだ。シャガールの作品はすべて、「流謫と定住の弁証法」 [14] に結びついているという。たぶんそれが、人々(シャガールもまた)が住む村の風景、その時空のなかでイメージが開花していくような構図の理由なのであろう。

 

[1] 『道浦母都子全歌集』(河出書房新社、2005年) p. 139。
[2] 『吉原幸子全詩 III』(思潮社、2012年) p. 282。
[3] 『シャガール展』(以下、図録)(北海道新聞社、2013年) p. 125。
[5] 図録、p. 162。
[6] 図録、p. 193。
[7] 図録、p. 234。
[8] 『ファブリ世界名画集48 シャガール』(以下、「ファブリ」)(平凡社、1970年)図版XIII。
[9] 『吉原幸子全詩 II』(思潮社、1981年) p. 223-4。
[10] 「ファブリ」、図版XII。
[11] 図録、p. 296。
[12] 図録、p. 258。
[13] 「ファブリ」、図版IV。
[14] シルヴィ・フォレスティエ「シャガール、空と海の間で」図録、p. 251。


【書評】ブール&ホワイトサイド(松尾日出子、中原毅志訳)『エコ・デモクラシー』(明石書店、2012年)

2013年09月01日 | 読書

 ドミニク・ブールとケリー・ホワイトサイドによる本書は、サブタイトルに「フクシマ以後、民主主義の再生に向けて」とあるが、原著は2010年に刊行されていて、〈3・11〉以降に日本で出版された。「日本の読者に向けての序文」に次のようにある。

そして忘れてならないことは、フクシマは、世界でもつとも高度なテクノロジーをもつ国の一つ、また主要な近代民主主義の国の一つで起きたという事実である。
 フクシマはわたしたちに新しい世紀への入り口を示している。それは、経済の根底を支える資源(エネルギー、鉱物、生物)の有限性と、生物圏の調整メカニズムそのものの有限性という二重の有限性を前に、わたしたちの社会が信じがたいほどの脆さを露呈しつつあることが徐々にではあるが、ようやくわかってきたことを意味する。それなのに、わたしたちの代表制民主主義はこの現実に向きあおうとしない。この制度が目指すものはGDPの成長以外にないからである。 (p. 12)

 本書は、①人間の(資本主義的)活動による地球生物圏の避けがたい危機の現状、②私たちが持つ政治体制としての代表制民主主義は原理的にその危機を解決することは不可能なシステムであること、③危機の克服のためのエコ・デモクラシーの提言、という構成となっている。
 私たちは、人類が極めて危険な環境問題を抱えていること自体を何かにつけて知らされており、憂えてもいる。しかし、何か工夫すれば、科学技術が進展しさえすれば環境問題は解決するのではないかと漠然と考えているのではなかったか。
 この本が示すのは、環境問題はそれ自体として回復不可能なことがらを内包しているばかりではなく、対処すべき人間の政治システムにその能力がないということも事態を非常に困難にしている、ということである。

 著者は、環境問題の五つの特性を上げている

 一つ目の特性は、「環境問題は国境を越える」 (p. 18) という地理的広がりを持つことである。その広がりがもたらすのは地域間の利害背反であって、そのいがみ合いが解決を不可能にする。
 東京電力の福島第1原発の溶融事故を日本政府は国内問題として処理したがっている。しかし、2年後の現在もまったく収束処理ができずに放射性物質を放出し続けている。とくに太平洋に垂れ流しになっている大量の放射能による海洋汚染については、現時点ではまったく手の施しようがなく、将来的には太平洋を共同利益海域と見なす国家間の政治問題となるに違いない。

 二つ目の特性は、環境問題の不可視性、「環境問題は目に見えない」 (p. 21) ということである。福島原発から空中にばらまかれ、福島県ばかりではなく近隣諸県も放射性物質によってひどく汚染されたが、その汚染は目には見えない。もちろん、測定機器によって確認することは可能であるが、目に見えないことを良いことにして、県全域の放射能測定はしないと決めた県がある。測定しないことでデータがない、データがないことで放射能汚染はないと強弁したいのだ。
 著者が例示するように、「交通量の多い幹線道路近くの住民たちは、一般的に自分の子供が癌になる確率が平均よりかなり高いということを知らない」 (p. 22) ということからも分るように、不可視性は意図的な情報遮断の問題でもある。福島原発事故は、情報遮断、情報隠蔽がてんこ盛りの事例である。

 予知不可能性もまた重要な環境問題の特性である。「環境問題は予測できない」 (p. 23) ことが三つ目である。

 放射能による健康被害、人間の活動に起因する気候変動、オゾン層の破壊、DDT 〔有機塩素系殺虫剤〕の影響、一定の動物の生殖システムにかかわる偽ホルモンの問題など、どれもがわたしたちに不意打ちを食らわせるような形であらわれた。これは単なる偶然ではない。 (p. 23)

 「環境問題は世代を超える」 (p. 24) というのが四つ目の特性である。これもまた原発問題がいい例になる。被爆の問題は世代を超える。これは放射能被爆、とくに広範な地域で起きている低線量被爆が抱える最大の問題である。原発を推進したい人々は現時点での被爆被害だけを取り上げ、可能な限り過小評価をしようとしているが、被害はこれから長いスパンをかけて現われてくることは間違いない。
 しかも、原発が日々生産し続けている大量の放射性廃棄物を10万年のスパンで管理し続けなければならない。ホモ・サピエンスが地球上に現われたのが15~20万年前であることを考えると、10万年後のホモ・サピエンスがどうなっているか、確かな予想は難しい。どのように言いつくろうとも、原発は未来への責任を完全に無視するか、ないしは責任を放棄することを前提としているエネルギー技術なのである。

 環境問題の五つ目の特性は、「環境問題は汚染の問題」という私たちの認識の中にある。

 今日わたしたちが抱えている最重要課題は、もはや汚染そのものではなく、自然環境にかかる過剰な負荷とその限界の問題である。一九五〇年代以降、爆発的に増加した人類の活動はさまざまな分野で危険限界域を越える勢いを示している。気候変動、生物多様性の損失率、人間の活動とリン・窒素循環との競合、成層圏のオゾン減少、海水の酸性化、淡水および土地の使用、化学汚染の量と質、大気中のエアゾ—ルの影響。 (p. 27-8)

 著者は、この五つを環境問題における特性としてあげているが、6番目として「不可逆性」を加えてもいいのではないか。使われてしまった化石燃料は人類が生存するスパンで再生産されることはない。地球上に拡散されてしまった有毒な化学物質を回収するすべはない。ただいまこの瞬間も空中や海水へ垂れ流している福島第1原発からの放射性物質も回収することができない。「取り返しが付かない」のである。
 拡散していない有毒化学物質なら中和・無毒化も可能だろうが、原発で作り出された大量の放射性物質を消すことは不可能である。それを支配しているのは人間の知恵や技術を超えた「物理学的半減期」という厳然たる物理事象だけである。科学を知らない無知な人間ほど、いずれ何とかなる、未来の技術が解決するなどと思っているようだが、冷徹な「不可逆性」を人類はひっくり返すことはできない。

 生物圏への過剰な負荷は、自然からの略奪として「近代」の宿痾のように始まった。かつて古代ギリシャ的世界観では、「永遠不変の天界(アリストテレスが言う月の上の世界)によって支配される人間」の技術は、「世界を変えるようないかなる使命も与えられず、単に生活を便利にするために世界を整備するだけの手段でしか」 (p. 38) なかったのである。ところが、ガリレィ物理学に見られるような自然観と、個人の幸福を追求する自由を認める近代においては、「自然はかつての秩序と美の宇宙世界(コスモス)とは無縁なものとなり、開発され加工される資源の供給源にまでおとしめられ」 (p. 40) たのだ。

 ケインズは一九三〇年に著したエッセイのなかでこう定義する。ある種の需要は「他人の状況に関係なく必要だと感じるとき」絶対的である。そして、「その充足が他人にたいする優越感を生むことから必要だと感じるとき」その需要は相対的である。
 この越境と追い越しの体系的プログラムは科学、技術、政治の分野に限ったものではない。規範にたいする漠然とした蔑視は、近代社会の特徴の一つである。美術やスポーツに限らず、経済の分野でも、競争は際限のない違反の連鎖を生む。あふれるような追い越しの欲求が、無限の発展プロセスとしてあらわれた経済成長、すなわちGDP競争にエネルギーを供給してきたし、いまでも供給しつづけている。  (p. 42)

 際限のない(経済的)自由の欲するままに動いてきた近代は、当然の報いのように、「エネルギー資源の枯渇の危機」、「鉱物資源の限界が生み出す技術的かつ地政学的危機」、「生物多様性の危機」が意味する「人類生存のための食糧危機」、そしていまや「淡水の有限性による危機」にまで及ぶようになってきた。

 このような危機の詳細は、さすがにマスコミ・ジャーナリズムも頻繁に取り上げてきたし、政治家もしばしば政治的課題であるかのように口の端の上らせることは多い。しかし、決定的な困難が存在する、と著者は主張する。それは、地球規模の環境問題の解決にとって、現代世界のマジョリティが最良の政治システムと認めている代表制民主主義はふさわしくないということだ。

 〔バンジャマン・〕コンスタンは言う。「近代人の目的は個人の利益を安全に享受することであり、それぞれの利益を制度が保障してくれることをもって彼らは自由と名づけた」。 (p. 34-5)

 コンスタンによれば、代表制度は市民の日常生活に干渉すればするほど、みずからの正当性を失うことになる。近代人は自分の職業を、所属する社会集団を、自分の富を享受する方法を自分だけで選択する。近代の代表制は本質的にこの自由の概念によって規定され、そこでは、ほとんど無制限と見なされる生産と消費とが個人の幸福の主要な手段と考えられてきた。 (p. 37)

 代表制民主主義は、いわば民主主義の実行システムとして確かに個人の自由と利益を守るために極めて重要な役割を担ってきた。しかし、現在の代表制民主主義は国家の枠を超えられないし、現在の選挙民の利益を守ろうとするため、何世代も先の未来に関わる問題には目を瞑らざるを得ない。

 代表制が、地理的に限定された国家への市民のアイデンティティを強化すると考えられないことはないのである。むしろ、これこそが主要な役割の一つだともいえる。ここ数年に限ってみても、アメリカの上院が京都議定書の承認を拒否し、日本の議会が捕鯨の権利を擁護するところを見れば、政治家が一七世紀以降彼らに割り振られてきた役割をしっかりと果たしていることを認めざるをえない――国境によって限定された土地に住む住民の生活様式を法律で守るという役割を。 (p. 94)

 代表制の理論家が提示する選挙区の規模に関する基準は、国土の生物物理学的条件をほとんど無視している。ミシェル・フーコ—が指摘したように、主権は伝統的に特定の地或の住民に法律を課すことにかかわってきたというのに、その地域の肥沃度、気候、人口密度などは、政治的議論における「変数」の一つにすぎなかったのである。実際のところ、選挙区の線引きはさまざまな歴史的、政治的偶然の結果である。  (p. 95-6)

 代表制政府は、責任の時間的長さの問題に適切に応えることができない。なぜなら、近代民主主義は一種の「近視眼」的症状をわずらってきたからだ。貴族階級にたいする反抗から生まれた近代民主主義は、「現在の権利」に価値をおく。そして「予め決められた時間性のなかに閉じこめられる」ことを拒否する。あからさまな言い方になるが、選挙の投票日という切迫した時間制限を弱みにもつ政治家は、政治的なリスクをはらむ変化を、それも将来の有権者のためだけに検討することにはしりごみをする。なぜ将来の世代や動物の利益のことを考えないのかと問われたある政治家は、ためらいもなくこう答えた「彼らは投票してくれないからね」。 (p. 101)

 それは代表制民主主義という制度の問題とのみ考えることはできない。たとえば、「政党のプログラムを通じて代表制のシステムのなかに未来を組みこむ」ような「長期的な視野をもっとも鮮明に打ち出している党」 (p. 102) として緑の党がある。その緑の党は必ずしも望まれたような状況にあるわけではない。

どの国でも国政選挙で緑の党の得票が二〇%を超えたことはない。この党の知名度が高い国でも、得票率はせいぜい五%から一二%である。どこでも「現在主義」の票とバランスを取るほどの人気を得るレベルにはいたっていない。つまり、四〇年かかつて緑の党のプログラムは大衆のほんの限られた反応しか得られていないことになる。  (p. 102)

代表制度で政権を目指すとなると、当然のことながらそのほかの教育、防衛、社会保障の改革などの大きなテーマについても政策決定を迫られる、という点である。そこには代表制システムの「近視眼」的わなが待ち受けており、「現在」優先の手法にからめとられてしまう。連立内閣の閣僚は連立の最重要課題を守らなければならない。戦争が勃発する、失業率が急上昇するといった現在の問題には緊急性がある。こうした問題は、組織が結びつきより分裂に走りやすい緑の党の内部に亀裂を引き起こすことになる。 (p. 104)

 緑の党が掲げるような「未来における人類の利益」は、近代民主主義の政治システムが保証すると称する「個人の自由と利益の追求」とは折り合いが悪い。近代民主主義イデオロギーをマジョリティが信じている限り、緑の党が支持を広げることは困難に見える。近代イデオロギーが個人の利益の無限の拡大を保証するためには、地球上の生物圏の消失に対しては手をこまねいているしかできないのである。

 著者は、こうした深刻な環境問題を解決するため「エコ・デモクラシー」なるものを提案しているが、これは代表制民主主義に取って代わるべき新しい民主主義を提案しているというわけではない。
 アントニオ・ネグリとマイケル・ハートは、こうした「近代性(モダニティ)」が抱える根源的な問題に対して、マルチチュードの反乱を通じて「反近代性」を乗りこえて「他の近代性(オルター・モダニティ)」を模索しようとしている [1] が、エコ・デモクラシーは、そのような「他の民主主義(オルター・デモクラシー)」ではけっしてない。

1 エコ・デモクラシーは自然を非還元的な問題としてとりあつかう。環境現象のアイデンティティそのものを重視し、その現象を尊重する必要性を説く行動主体(アクター)に発言権を与える。
2 理想的には、こうしたグル—プの活動領域は環境問題の地域的規模に合った順応性が求められる。
3 未来の世代および国境の外にいる人びとにたいして機能しにくい代表制にかわり、エコ・デモクラシーは、すでに国際的な視野をもち「世代を超えて協力しあえる取り組み」に貢献できる活動を展開するアクターを活用する。 (p.106)

 現在の民主主義に長期的視野をとりもどすための仕組みを一覧にまとめることは可能だが、まずは、代表制度の短期的視野を修正するための措置を四つのタイプに大別してみよう。①憲法に環境上の配慮を導人すること、②国家の定義とその国有財産管理機能の拡大、③「未来アカデミー」の創設、④参加型プロセスの展開。国家の国有財産管理機能、「未来アカデミー」の創設、参加型プロセスの導入を柱とする憲法の再検討というアプローチも可能である。さらにそこに、「新しい上院」の創設もつけ加えたい。 (p. 124)

 アクターとして環境問題を知悉する環境NGOを利用する「熟議民主主義」を提案しているのである。つまり、代表制民主主義を温存しつつ、そこに環境NGOが主体となるような「未来アカデミー」を創設して視野狭窄的な代表制民主主義を補佐しようというのである。新しい上院は、未来アカデミーの提案の実現を保証するためのものだが、ここで想定されているのは「環境の世界共有財産」 (p. 125) に敵対するような法案に対して拒否権を持つというようなことである。

 ユルゲン・ハーバーマス流の熟議民主主義がどれほど有効であるのかは、なかなかに判定は難しい。ネグリ&ハートの思想に比べれば、それは明らかに現在の政治状況にとって受け入れやすい改良主義のように見える。
 京都議定書をけっして受け入れないアメリカ合州国が、京都議定書を超える要求をするに違いない「エコ・デモクラシー」に基づく諸制度を受け入れる国家になるとは考えにくいし、多くの工業後進国家は、先進国同様の自然略奪の権限を主張して憚らない状況もある。
 とはいえ、私たちは代表制民主主義に代わるべきオルター・デモクラシーのモデルをまだ持ってはいない。多くの困難が自明であっても、「エコ・デモクラシー」の実現に向うしか、さしあたっての道はないようだ

 環境問題は、地球という自然観の問題そのものであり、近代性が否応なく抱えた政治システムの問題そのものでもあるが、一方で個々人の生き方というミクロなレベルの問題とも直結している。

自然なものの美と完全さへの感性を保ちつづければ、そうした自然を消費したり変貌させたりすることに抵抗すべき理由はおのずと見えてくると考える。……限りなく欲望を追求するのではなく、抑制、節度、簡潔さといった価値観こそが、好ましく優れた人間の生活の基礎になるべきだと真剣に考える。彼らの自由の概念は、利己主義やわがままとは無縁である。 (p. 143)

 気候、生物多様性といった新しい公共財産――実際には手に取ることのできないものだが――を個人の自由裁おと競争原理から断ち切り、市場に依存しない、集団的で共通の新たな論理を見出さないかぎり、富を長期にわたって生産し、その恩恵に浴しつづけることは不可能である。資源の希少化は遠からず、国際協調か、それとも全人類を巻こむ戦争か、という選択肢を突きつけることになるだろう。 (p. 146-7)

 

[1] アントニオ・ネグリ、マイケル・ハート(水嶋一憲監訳、幾島幸子、古賀祥子訳)『コモンウェルス』(NHK出版、2012年)。