かわたれどきの頁繰り

読書の時間はたいてい明け方の3時から6時頃。読んだ本の印象メモ、展覧会の記憶、など。

『吉原治良展』(図録) (朝日新聞社、2005年)

2012年09月21日 | 読書

 小出由紀子編著の「アール・ブリュット パッション・アンド・アクション」と同じ日に、図書館で見つけた。この本もまた9月3日に国立新美術館で『「具体」――日本の前衛18年の軌跡』という展覧会を観ることがなかったら、いつまでも見逃していた本だったろう。

 吉原治良、1905(明治38)年大阪生まれ、14才で油絵を始め、22才頃より展覧会に出品。1934年(29才)に藤田嗣次に出会い、同年二科展にデビュー。戦後の1947(昭和22)年「汎美術家協会」設立、1954(昭和29)年「具体美術協会」結成。1957(昭和32)年ミシェル・タピエの来日後、「具体」は国際的な評価を得る。1972(昭和47)年逝去、それに伴い「具体美術協会」は解散する。

 絵を選んで、その絵のデータのキャプションを書き、上の段落の吉原の略年まで書き終えて、時間切れ、寝てしまった。
 夢の中で、吉原の絵の分類と評価をしていたらしい。最後の方の3枚ほどの絵画については、「名付けることがそのまま絵の評価になる」ということを発見(?)して喜んでいるあたりで目が覚めた。
 その3枚がどの絵だったか覚えていない。たぶん、絵の方ではなく方法の発見に主題があったのだろう。確かに、「そこに在る」絵をその在るがままに、つまり「本質と全属性」を併せて「在るものとして名付ける」ことができるなら、それは理想的な評価であろう。何しろ、それは存在論ですらある。しかし、目覚めてみれば、それが不可能であることを知るのである。
 これから、実物の絵ではなく、図録を前にして鑑賞の代替を為そうとしている程度のことなのに、何と不遜な夢なのだろう。

 それでも、始めるのである。
 制作年代順に気になる絵を見ていくことにする。文中の引用は、『「具体」――ニッポンの前衛 18年の軌跡』展の図録 [1] と、本書の『吉原治良展』という図録 [2] に拠る。

    
            《風景(風景B)》 1933-34年頃、油彩、カンヴァス、91.0×116.5cm、
                   大阪市立近代美術館建設準備室。 [吉原図録、p. 74]

 28、9才頃の作品に《風景(風景B)》 がある。これは文字通り風景画であるが、その色使いは先の「具体」展で私のお気に入りになった《作品A》という抽象画と強い共通性がある。
 《作品A》は、この《風景(風景B)》 の数年後の制作である。ところが、ほぼ同年代の作品である下の《図説》は、色彩よりも幾何学的な図像に力点がある。熊田司によれば、《図説》は「比喩的にいえば、二科出品の《風景(風景B)》の、谷を隔てた向こうの人気ない丘にぽつねんと立つ案内板が、いきなり吉原の眼前に具体的な形象をともなって現れ出た」 [3] 作品ということらしい。つまり、《風景(風景B)》の具象的な風景と《図説》に幾何学的抽象が一体のイメージとして存在しているらしい。

   
 左:《図説》 1934(1936-37)年頃、油彩、カンヴァス・板、158.8×133.5cm、東京都現代美術館。
   [吉原図録、p. 84 ; 具体図録、p. 95]

 右:《夜・卵・雨》 1936-37年頃、油彩、カンヴァス、45.5×38.0cm、大阪市立近代美術館建設準
   備室。 [吉原図録、p. 85]

 《図説》も《夜・卵・雨》も、とくに感傷的な印象を受けない、いわば渇いた印象の抽象画である。じつのところ、わたしは幾何学的な図像にあまり感情が動かされない。物理学を職業としてきたために、数学的、幾何学的図像に慣れてしまっている、あるいはうんざりしている、ということかもしれない。

 《図説》も《夜・卵・雨》も二科展出品作品であるが、外山卯三郎に「私の不満に思ふのはその画題である、こんな文学的な文字をさけることが必要ではあるまいか」と批評され [3]、しばらくは《作品》のような画題にしたそうである。
 《図説》も《夜・卵・雨》もごく即物的で、それほど文学的な画題とは思えない。どうしても意味がまとわりつく文字そのものが、抽象を志す芸術家にとっては避けるべきことに属するのだろうか。
 私が考えていたのはまったく逆で、描かれた抽象を文字に還元できないために《無題》とか《作品》という画題にせざるを得ないのだ、と思っていた。つまり、言葉ないしは文字に還元できれば、それはそれでいいと思っていた。絵が先行して、画題はただの従属的な結果ではなかったのだろうか。

 抽象画としては、次の《作品B》には強く惹かれる。「具体」展での 《作品A》と同じようなモチーフで描かれていて、『吉原図録』では《作品A》と並べられて収録されている。 

     
        《作品B》 1936(1939-40)年頃、油彩、カンヴァス、45.5×52.5cm、
               大阪市立近代美術館建設準備室。 [吉原図録、p. 101]

 《作品A》では「具体」展での実物と『具体図録』の写真ではかなり印象が異なっていたことを考えると、この《作品B》もその恐れが充分にある。《作品A》の場合、実物では奥行きの深い立体的な印象、その立体がいわば空間の運動のような印象を与えるのに、図録写真はかなり平板にしか見えなかったのである。
 ただ、《作品A》は薄い青の部分が遠い背景「空」の印象を与えていて、白から黒褐色で描かれた図像が空中に立体的に構成されているように見える。写真なのに奥行き感が強い。つまり、《作品A》の経験から言えば、《作品B》の実物はさらに立体感が強いのではなかろうか。 

    
        《防空演習》 1944-45年頃、油彩、カンヴァス、130.6×160.5cm、
              大阪市立近代美術館建設準備室。 [吉原図録、p. 117]

 すこし意外だったのは、吉原が《防空演習》のような絵を描いていたことである。私の偏見だろうが、抽象画の画家たちはマティエールと形象への関心が強すぎて、社会への関心が薄く、いわゆる芸術至上主義的な人が多いのではないかと思っていた。
 29才の時に藤田嗣次に出会い、いわば画家としての精神的な駆動力を得たと思われるのだが、藤田嗣次とは異なり、戦時中にはこの《防空演習》のほかに《夕立に飛ぶ飛行艇》くらいしか戦争に関連する絵を描かなかったたらしい。

     
           《犬と鳥》 1945-46年頃、油彩、カンヴァス、52.5×45.0cm、
              大阪市立近代美術館建設準備室。 [吉原図録、p. 118]

 終戦前後には、《犬と鳥》のような風景画のほかに鳥、蝶、虫、貝などの具象画が多い。この《犬と鳥》には、戦争画を描かずに戦争をやりすごそうとする画家の心性の辛さ、暗さが反映されているのではないか、と憶測する。哀しみの具象化ではないか、と思う。それにしても、三匹に犬のうち、 座ってこちらを向いている白毛の犬のリアリティは何としたことだろう。

     
          《子供たち(花と子供たち)》 1947年、油彩、カンヴァス、117.0×91.2cm、
               大阪市立近代美術館建設準備室。 [吉原図録、p. 135]

 戦後、吉原はふたたび幾何学的な図像の抽象画を描き始めるが、それと同時に、人間をも描く。その人物像はしだいに抽象化されていくのだが、《子供たち(花と子供たち)》はそのプロセスの初期に位置しているようだ。
 《子供たち(花と子供たち)》のような絵を見ると、どうしてもその意味を考えたくなるのだが、どうにも私にはわからない。色彩と構図は、私の中に「鬱々とした希望」のようなものを惹起する。しかし、その理由はわからない。

   
    左:《作品A》 1955年、白セメント、板、91.5×61.0cm、東京都現代美術館。 
            [吉原図録、p. 165 ; 具体図録、p. 45]

    右:《作品》 1957年、油彩、カンヴァス、49.9×65.1cm、大阪市立近代美術館建設準備室。 
            [吉原図録、p. 167 ; 具体図録、p. 46]

 上の《作品A》と《作品》は「具体」展で実際の絵を観ることができ、感動した2枚である。ただし、『具体図録』に収録された写真では魅力が伝わらないと思って以前には紹介しなかった作品である。
 『吉原図録』では、光の方向の案配か、絵の具の立体感がある程度表現されている。二つの作品とも単色(またはそれに近い)で描かれ、その感動の源泉は絵の具(白色セメント)の微妙な盛り上げそのものにある。そういう作品は現物に当たるのが本筋なので、実際に観ることができたのは幸運であった。

    
      《黒地に赤い円》 1965年、アクリル、カンヴァス、181.5×227.0cm、
          兵庫県立美術館。 [図説、p. 193 ; 具体図録、p. 199]

 晩年(吉原の芸術活動の後期)に、吉原は「円の画家」と呼ばれるほどに円を描く。円は、幾何学的な図形の中で完全形の一つである。対称性という点では完全無欠である。禅の世界で取りあげられる所以でもある。ほっとけば、いくらでも哲学的思弁の餌食になりそうなモティーフである。
 円そのものに魅力があると言えば言えるだろうが、しかし、完全無欠は魅力に乏しいとも言える。完全性の魅力と、その破れの魅力。対称性に溢れた現代物理学で「対称性の破れ」が宇宙理解を補完するように、円の対称性の破れ(この場合は、対称性からのずれというべきか)の魅力を、完全性の魅力に付け加えると、《黒地に赤い円》になる、というのは言い過ぎであろうか。とくに、下中央やや右の絵の具の小さな垂れは、「企まざる必須」として私の目を引いてやまない。

 

[1] 『「具体」――ニッポンの前衛 18年の軌跡』(国立新美術館、2012年) (以下、『具体図録』)。
[2] 『吉原治良展』(図録) (朝日新聞社、2005年) (以下、『吉原図録』)。
[3] 熊田司「吉原治良―物質を切り裂く線の軌跡、あるいは一本の道―」 『吉原図録』 p. 11。

 



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