あおしろみどりくろ

楽園ニュージーランドで見た空の青、雪の白、森の緑、闇の黒の話である。

2024年 日本旅行記 11

2024-08-29 | 
金沢出発の日、東京へ向かう。
北陸新幹線に乗れば3時間で東京へ行けるが、旅情もへったくれもない高速鉄道には興味はない。
速さなら飛行機の方が速い、しかも値段が安く次の日のことを考えて東京までは飛行機で行くことにした。
ヒデと奥さんが小松空港まで送ってくれて、僕らは硬い握手をして別れた。
飛行機から白山が見えるかと期待したが、雲に覆われ霊峰は見えず。
この山とは結局今回は会えずじまいだったが、それもまあご縁というものだろう。
1時間ちょっとのフライトで大都会東京へ。
東京では旧友Mと会い、彼がガイドとなってくれた。
M
さてどこに行こうかという話になり、浅草はどうかと提案されたが観光客がうじゃうじゃいて、店の人もそれを見込んでいるような場所には行きたくない。
それよりも観光客があまりいない所で日本を感じられる場所はないかと聞いたら、それならMが昔からよく行っていた北千住にある昭和の喫茶店に行こうという話になった。
北千住という町には来たことがない。
名前は聞いたことがあるが、東京の東の方というぐらいしか知らない。
どんな所かと駅に降り立ち、お目当てのコーヒー屋さんに向かう途中でも居酒屋や立ち飲みの店などフラフラ入りたくなってしまう、とても危険な町だ。
近くに大学があるのだろうか斬新な芸術系のチラシがベタベタと貼られていて、他の東京の町とは明らかに違う。
持論では音楽でも美術でもファッションでも芸術というものはある程度の都会で生まれるもので、そこに住む人間によって作られている。
そういうのは都会が持つ良いエネルギーだ。
とにかくそんな雑多な街を抜けていくと、あったあったありましたよ。
まさに昭和から抜け出たような外観で、渋い爺さん婆さんがやっている喫茶店。
店に入りお勧めのコーヒーをいただく。
正直に美味しい。何がどう美味いという事は上手く言えないが、香り良く酸味と苦味と旨味のバランスがよいのは分かる。
僕はまるでタイムスリップをしたかのごとく、店の雰囲気に飲み込まれた。
お店の電話が黒電話というのも徹底してさらに良し。
なんか白馬の絵夢を思い出したが、こういう店が実存して社会の一部を作っているのを見ると、やっぱり日本大丈夫じゃないかと思う。



その後はちょっと移動して根津神社でちょうどつつじ祭りというのをやっていて見学。
色とりどりのつつじが満開でこれはこれで綺麗だ。
観光客もある程度いるが、あまり気にならないぐらいの混み方である。
バランスが崩れない程度の人の賑わいは大切なのだな。
そしてそのまま歩いて谷中へ。
どうでもいい話だが谷中は鬼平犯科帳で同心の木村忠吾が見回りをさぼって、谷中のいろは茶屋に出入りしているのを鬼平に見つかった、あの谷中である。
もちろん当時の面影は全くなく、今は昭和の面影を残す下町の商店街だ。
だが観光客のための街でなくそこに住む人のための街であり、通りには佃煮屋とか総菜屋とか瀬戸物屋とか庶民の店が立ち並ぶ。
これはこれで楽しく時間があるのならばゆっくりと浸りたくなるような街だ。
北千住もそうだったが、同じ東京でも場所によってこうも雰囲気は変わるものなんだな。
一部分だけを見て全体を把握しようとするのは人間の本性なのだろうが、東京という大都会の違う一面を見る事ができたのはこれまたよい経験である。

Mと別れ新宿へ。
夜は別の友達と会うことになっている。
前回新宿に来たのはゲイのユーマに会って二丁目を案内してもらうというものだったが、今回は西やんという友達と久しぶりに会うのである。
西やんとは実際には3回ぐらいしか会っていないが、ネットを通じてかれこれ20年近くのつきあいがある。
またあれこれ書くと長くなるので昔の話を貼り付けておこう。

百レボと愉快な仲間たち 1 - あおしろみどりくろ

百レボと愉快な仲間たち 1 - あおしろみどりくろ

きっかけは去年の夏、クィーンズタウンのフラットメイトのタカに借りた本からだった。『百姓レボリューション』というタイトルの本で、僕はその本を数日で貪り読んでしまっ...

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百レボと愉快な仲間達

アジトと呼ばれている中華の店でビールを飲みながら近況報告とか世界情勢とか色々と語る。
僕が行くということで会いたいという人が何人かいたが、みんな都合が合わなくて結局は西やんと2人で、後から西やんの上司なのか友達なのかごっちゃんも参加する。
みんなでワイワイやるのも良いが、心の芯が同じ方向を向いている人とじっくり話すというのも良い。
人に会うというのが今回の旅の大きな目的だが、じっくりと人と話をする事の大切さを感じる事は多々あった。
西やんの話を聞くと、コロナ禍の間に飲食店は時間短縮だの営業縮小だのを半ば強制された。
このアジトと呼ばれる店では、窓をテープで貼り明かりが外に漏れないようにして、中で酒を飲んでいたという。
なんか反政府勢力の集まりみたいで、やっている事は楽しく明るく酒を飲むという愉快痛快な話だ。
時代が変われば命をかけて陰々滅々になるだろうが、時代と環境が違うので社会構造は同じでも暗さが違う。
そんな話を聞きながらやっぱりこの人は同志なんだなと思った。
住む所ややっている事は違えど、芯で繋がる関係は固い絆のようなものを感じる。
互いに相手の事を尊重尊敬しつつ、自分の道を突き進む姿が今の人間に必要なことなのではないか。
向こうも僕から何かしらのエネルギーを受け、僕も西やんとごっちゃんから刺激を受けた。
そこには奪い合いでないエネルギーの交流、突き詰めてしまえば愛が根底にある人間関係が存在する。
結局のところ、答えはそこにあり逆に言えば答えはそこにしかない。
実にシンプルだ。
新宿アジトにて今回の旅の最後の夜を堪能した。




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2024年8月20日 BrokenRiver

2024-08-23 | 最新雪情報
今年初のブロークンリバー。
同行したのは奴隷のフルセカズヤとポーターズでスキーパトロールをしているヤサ。
自分は長い仕事を終えて久々の休み、カズヤも自分のツアーを終え日本帰国前日のフリーの1日。
この日は雪が降った後のブルーバードデイ、新雪40〜50cm、間違いなく今シーズン最高の1日である。
カズヤのツアーは雪に恵まれずお客さんはあまり良い状態でスキーができなくて帰国した、そこへきてこのパウダーである。
お客さんをさておき自分だけ美味しいところをいただく。
どれだけ悪運が強いんだこいつは!というようなタイミングがまたカズヤらしくてよろしい。
カズヤとはかれこれ30年ほどの付き合いになるが、お互いに忙しくなり一緒に滑る機会はなかなかない。
こうして一緒にクラブフィールドへ行くと、昔を思い出し懐かしい気持ちにもなる。
自分もカズヤもこうして年を重ねていくのを感じると、そういう生き方も悪くないなと思うのだ。


考えてみればカズヤと一緒に写っている写真は少ない。互いに爺いになってもこうやっていたいものだ。


広大なアランズベイスンのオープン前。


ヤサは白馬で働いていたのでカズヤのことも知っている。尊敬する人・・・らしい。


パーマーロッジは今日も愛に包まれていた。


子供が滑り大人はそれを見てビールを飲む。


今年はこの山にケアがいた。
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2024年8月14日 Porters

2024-08-15 | 最新雪情報
晴れた日が続くポーターズ。
山全体は白くなっているものの、まだまだ雪は足りない。
8月も半ばでこの雪の量だと、このままシーズンが終わってしまうのではないかと心配にもなる。
以前は1週間のサイクルで低気圧と高気圧が入れ替わり、それなりに雪を降らせたのだが今年は天気が全く読めない。
人間社会もそうだが自然界も以前とは完全に違うものになっているのを肌で感じる。
自然環境の変化というものは長い歴史の中では常に起こり続けてきたもので、人類はそれに合わせて生きてきた。
短いスパンで考えるか長いスパンで考えるかでも、物事の捉え方は大きく変わる。
目の前の状況を人間主体で見るのではなく自然の一部の人間として見つめて、今の自分に何ができるのかを考えるのが自分達がやるべき事だと思う。
天気はこの日がピークで下り坂へ向かっていく。


日本は夏休み 日本からきたスキーレーサーたちがキャンプをする。


山頂からクライストチャーチを望む。向こうも天気は良さそうだな。


山頂にてスキーパトロールのヤサ 本日のパトロールのユニフォームはこれです。


リフト係 フランス人のマシューとカナダ人のルビーは八方尾根でこの前のシーズンを過ごして今シーズンポーターズにやってきた。


空は青く雪は白い。平和な1日だ。


カフェのゴミ箱に村男がいた。
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日本旅行記 10

2024-08-14 | 
金沢三日目は市内観光である。
まずは市内を見渡す見晴台から。
「いつもならここから白山が見えるのに」とヒデが残念そうに言うが、春の霞で霊峰白山は見えず。
そして東の茶屋街を歩く。
小京都と呼ばれるだけあって昔の茶屋が並ぶ街並みは素敵である。
こりゃいかにも観光客が喜ぶだろうなぁというような場所で、あちこちで写真を撮る観光客が絶えない。
貸衣装を着て写真を撮るなんてのも、観光地らしい一コマである。
ヒデに勧められるままに入った試飲ができる酒屋で飲んでみたが不味くないというだけの感想で、人生で一番かもしれないというほどの手取川を飲んだ感動からは程遠いものだった。
だからと言って「手取川の方が美味い」などとその店の人にいう気はない。
それこそヤボってもんだろう。



僕らが行ったのは朝も早い時間だったので人の出が少ないほうだが、繁忙期にはごった返すのは想像出来る。
自分の率直な感想を言うと、昔に賑わったお茶屋街と今現在の物とは違う物であり、そこから昔の社会風俗を想像するのは難しい。
実際に一つのお茶屋を解放して中に入れるような場所を見てみたが、引っ切り無しに人が出入りし子供が走り回るような状況では当時の様子を思い浮かべ心静かにその世界に浸る気分にはなれない。
一度は行ってもいいが二回行く気はない。
それよりもその近くの観光客目当てでなく人も少ないお茶屋街、一見さんお断りという雰囲気を建物が滲ませているような路地を歩く方が雰囲気があり好きだった。

そして兼六園である。
これは言わずもがな見事な日本庭園であるので僕がくどくど書かなくてもいいだろう。
一通り歩いてはみたものの、ここでも何故か自分の心が揺れ動くようなことはなかった。
兼六園を出て観光バスが停まる所では、バスドライバーがつまらなそうな顔をしてお客さんを待っている姿が妙に記憶に残っている。
ひがしの茶屋街、兼六園、金沢城跡、近江町市場、武家屋敷跡界隈、といったいわゆる観光名所を歩いたのだがどうも心が奮い立たない。
それぞれに日本っぽく良い所なのだが、何なのだろうなこれは。
お茶屋街では芸妓が歩く様を、兼六園では殿様が庭を愛でる様を、武家屋敷では武家が生きる様を想像するのだが、どれも今ひとつなのである。
旅の疲れがでてるのか、はたまた観光業に携わる者としてさめてしまっているのか、何かは分からないがモヤモヤは残る。



金沢市内の観光名所を巡って考えたのだが、ここでもオーバーツーリズムの波からは免れないのはもはや仕方がないだろう。
綺麗な場所に行きたいという感情は人間の自然な欲求であり、誰もそれを止めることはできない。
ましてやコロナ禍で世界中の人間の行動が急激に制限され、それが解放された現在は以前よりその動きが活発になっている。
そういう自分もコロナが終わって落ち着いたので日本に里帰りをした一人だ。
善悪の判断をしようとすると、物事がゆがんで見えてしまうのでそういう話は抜きにしてどういう状況か考えるようにしている。
人が動けば金も動く。
観光地のような場所に店ができて経済が潤うというのは、当たり前の話でどこの世界でも同じだ。
ただそこを訪れる人の数が多すぎるとバランスが崩れ、いろいろな弊害が起こる。
現在のように情報が一人歩きをし、全ての人が情報発信者になりたいという状況もその一つの要因だ。
旅をするということはただ空間を移動するのではなく、自分が生きる社会との相違点を見出し比較をすることで客観的に物を見ることができるようになる。
きれいごとだけでなく汚い所や危ない事もあることを知り、他人と出会うことで自分自身を見つめる。
それが旅の醍醐味なのだが、そんなのは小難しいことを言って大人の風を吹かせたい僕の戯言だ。
今の人には今の考えや価値観があり、それに乗って人は行動する。
そういう状況があるというだけの話だ。
それとは別に、自分が求める旅とは他人の価値観を物差しにすることなく、あくまで自分の持つ感性や心を動かされる事に焦点を当てて物を見る。
そういう意味では金沢市内の観光地にもう行く事はないだろうし、もしもう一度この地を訪れるのならば手取川の酒蔵に行ってみたいし、その奥にある霊峰白山を近くで見たいというのが素直な感想である。



金沢最後の夜はお好み焼きの店へ行くという。
日本のあちこちでいろいろと美味い物を食ってきた僕が行くと言うので、ヒデは聖が来たら何をご馳走しようかとあれこれ考えてくれていたらしい。
場所は前日に行った鶴来の町外れにある店で、人が多く集まる金沢より鶴来の方が好きだった僕には何の異存もない。
金沢と鶴来の関係はクィーンスタウンとアロータウンのようなものだ。
景色が綺麗でお店も多く観光客がごった返すクィーンスタウンと、その近くで派手さはなく小さいながらひっそりと昔風の情緒を残すアロータウン。
自分が連れて行ったお客さんのほとんどがアロータウンを気に入ってくれたし、僕自身も何故か心惹かれる街なのだ。
街が持つエネルギーというのか雰囲気というのか、何か特別これ!というものがあるわけではないし、うまく言葉にできないがなんとなく好きになる街。
目に見えてはっきり分かる特別にこれ!というものがあったらそこはすでに有名な観光地になっている。
インスタ映えする場所なんてのがいい例だ。
そんな鶴来へ行くまでにヒデが素敵な提案をしてくれた。
金沢から鶴来までは北陸鉄道石川線というローカル線があるのでそれに乗っていき、ヒデは終点鶴来まで車を回してくれる。
ローカル線が好きな僕としてはとても嬉しい。
新幹線の旅が移動としての手段であり、旅情のかけらが微塵もないなどと話していたのだ。
車で最寄り駅まで送ってくれて、そこからは30分ほどのローカル線の旅だ。
ワンマン車両の車内は部活を終えた高校生や家路に向かう勤め人など、生活の匂いがプンプンする。
電車は住宅街を抜け日が傾く田んぼの中をカタンカタンと走る。
停車駅はほとんどが無人駅で、家路に向かう人々が運転手に定期券を見せたり料金を払い降りていく。
こういうなんてことのない日常の一コマの中に異邦人の自分がいる。
運転手をはじめ乗客には当たり前の情景だが、僕には非日常だ。
終点鶴来駅でヒデが待っていて、そこから車でお目当のお好み焼屋へ。
まだ線路のレールが残っている廃線跡地の前にそのお店はあった。



お店の名前は八尾屋(やおや)お好み焼きのフルコースのお店で、古民家を改造した店構えの雰囲気が良い。
カウンターに僕とヒデが並んで座り、店主の親父が目の前で焼いてくれる。
お好み焼きでフルコースってなんなの?と思っていたが鉄板で前菜からメインへと流れるように次々と焼いてくれる料理だ。
もちろん全部が全部お好み焼きというわけではなく、前菜は薄焼き卵で包んだお肉だったりレンコンの薄切りえおお好み焼きっぽく作ったものだったり、エビ焼だったり、カキだったり。
そしてメインはお腹にたまるお好み焼きから焼うどんへ。
確かにこれはコース料理だな。
味は素材にこだわっているのだろう、文句なく美味い。
店主の親父は僕と同年代だろう。
最初は気難しくとっつきにくい雰囲気だったが、お店の片隅にあるスノーボードを僕が見つけスノーボードの話になり、自分昔のスキーパトロールの話をすると、うちとけて一気に饒舌になり色々な話で盛り上がった。
聞くと元々大阪のお好み焼き屋だったが、この地が気に入りお店を開くことにした。
ただしお店の場所で銀行と一悶着あったという。
というのもお店が辺鄙な場所なので銀行が渋って融資の話がまとまらなかった。
銀行側の言い分としては、こんな人が来にくい場所でやるより人が多く集まる金沢市街でやるべきだと。
それはそれで資本主義の基本に沿った考え方であり、何も間違っていない。
捨てる神あれば拾う神ありありで、別の銀行が融資を申し出てくれて今の場所に店を出すことができた。
神様はこんなところにも居る。
ミシュランでも星を取り、今やお店は大人気で予約が絶えない。
そうなると隠れ家的な名店ということで、テレビの取材の依頼も来るがそういうのは一切断っていると。
あーもう、昭和の頑固親父みたいでいい、とてもいい、すごくいい、なまらいい。
料理も美味かったが、僕は親父の生き様みたいなこの店が醸し出す雰囲気がとてつもなく気に入ってしまった。
白馬の食堂の絵夢のおかみさんもそうだったが、時代の流れに流されずかたくなに自分の信念を貫き通す人をみて、ここでも日本は大丈夫なんだろうなと思うのだ。
金沢最後の晩にこういう店に出会えたのは大きな喜びで、こういう思いがけない感動が旅の醍醐味だ。
人と人とのご縁、ご縁で全てこの世は成り立っている。



続く

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2024年8月6日 Craigieburn

2024-08-08 | 最新雪情報
今シーズン初のクレーギーバーン。
悲しいけどここも雪は少なく厳しい状況である。
ロープトーラインは雪はあるが、上級者か経験者のみ乗れる状態。
山頂付近はかろうじて雪はあるが、なんとか滑れる程度。
中間から下は夏道を通るのだが、どんなに注意深く滑っても石を拾う。
1本滑っただけだが板がボロボロになった。
こことオリンパスはなんとかオープンしているが、他のクラブフィールドは未だにオープンできず厳しい状況が続く。


今年初のロープトー ワクワク


上へ


そして山頂


ミドルベイスンの上部は良さそうだが下へ滑っていけない


一本だけハミルトンフェイス 気持ち良かったぁ〜


下まではこの道を下る。石がゴロゴロしていて板はボロボロ


普段はやらないお客さんとのツーショット お客さんのウィンは6年前に僕が案内して一緒に滑った。
次は何年後になるか分からないが、また会おうと固い握手をして別れた。
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2024年8月3日 Porters

2024-08-05 | 最新雪情報
待望の雪が降った。
ポーターズは一番上までオープン。
ただ全体の雪の量はまだまだ少なく、オフピステでもゲレンデでも気をつけないと石を踏む。
それでも山頂までオープンというのは嬉しい知らせである。
待ちに待った雪が降り最初の週末で天気は快晴ということで、スキー場は大混雑の1日だった。


スキー場に賑わいが戻り、周りの山もやっと雪景色となった。


一番上のTバーも今シーズン初のオープン。


お客さんはドイツ、ベルギー、日本からの留学生。


無風快晴の1日。冬が始まった。
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日本旅行記 9

2024-07-28 | 
一夜明け、この日は金沢近郊の観光である。
いつものごとく下調べは一切せずに、ガイドのヒデにお任せで連れて行ってもらう。
ヒデは僕がいくというので、どこに連れて行くのか色々と考えてくれていたようだ。
先ずは車で30分ぐらいにある鶴来という街に向かう。
つるぎという名前は元々は剣だったらしいが今は鶴が来る鶴来となったようである。
扇状地の扇の付け根の部分で平野の方から来ると谷がぎゅっとつまったような地形をしている。
綺麗な川が流れ昔の街並みがたたずむ、観光客が少ない僕好みの街だ。
そこにある白山比咩神社をお参り。
参道を登っていく途中で神様のパワーをビンビンと感じ指先がしびれる。
これはすごい所だと一人で昂奮するのだが、地元に住むヒデにとってはあまりに当たり前すぎる場所のようだ。
全国で2000ある白山神社の総本宮というのを知り、ナルホドと感心した。
これを書いていて気付いたのだが神社の写真を1枚も撮っていない。
あまりに強く氣を感じて写真を撮ることを忘れてしまったようである。
もともと写真を撮るのが目的ではないし、写真は残らなくても自分がそこで感じたことは心に深く刻み込まれている。
白山とそれを取り巻く自然環境、そこに長く住む人々の信仰心がこういった神社であり、そこに神が宿る。
今回の旅で何度目だろう、日本は護られている国だと感じ、そしてまた日本は大丈夫なんだろうなぁという思い。
旅を続けるうちに最初に感じた漠然とした想いは、今や強い確信となっていた。



神社で参拝を済ませ、次は近くにある獅子吼高原へ。
そこはゴンドラがかかっていて景色の良い場所なのだが、ゴンドラには乗らずその麓にある獅子ワールド館へ行く。
獅子吼とは仏教用語で獅子が吠える様子、仏の説法で真理を説き邪説を喝破すること、とある。
そんな大層な名前が地名になっているだけあり、そこは獅子頭の産地のようである。
獅子頭とは獅子舞の頭のアレだ。
獅子舞は知っているし生で見たこともないが、それがどこから来たかアジアのあちこちの獅子頭が展示されていて面白い。
そうやって見ると日本という国も、周りの国や民族の影響を受けて長い間に今のようになっていったのだとわかる。
違う角度で物を見る、ということに最近ハマっているのでこのような自分の知らない物事を学ぶのは楽しい。

金沢に戻り、金沢名物チャンピオンカレーを食す。
B級グルメというものが日本中で流行っているが、このカレーもその一つである。
カレー屋は金沢市内にいくつも店舗があるようだが、ヒデが連れて行ってくれたのはその本店で大学の近くにある庶民の味方だ。
店内にはカレー屋の創業当時から現代までの写真などが展示されていて歴史が見える。
味は普通に美味く、毎日食べても飽きのこないほっとする味だ。
日本に来てからの食事は圧倒的に和食が多く、行くとこ行くとこでは当地のご馳走を出してくれる。
もちろんそれは美味しくて又嬉しいのであるが、地元の人が日々の生活で食べるものを食べたいという想いもある。
そんな僕の欲求を満たせてくれた金沢カレー。
そもそもカレーはインドの料理でインドにはカレー粉というものはない。
スパイスを調合して作った料理をカレーと呼び、植民地料理をイギリスに持ち帰りスパイスの調合が苦手なイギリス人用にカレー粉というものができた。
そのカレー粉を日本に持ち込み、日本人の味覚に合うようにしてややとろみをつけたのが日本のカレーだ。
日本人は他所の食べ物を魔改造して美味い物を作り上げてしまうという特性がある。
ラーメン、カレー、アンパン、コロッケ、カツ丼、どれにも歴史があり今に至っている。
そこには食に対する真摯な姿勢と美味い物を食いたいという人間本来の欲求、好奇心や探究心といった遊び心、イチゴを大福に入れるなんて発想だれが思いつくというのか。
それらを全て包括した物が日本食なのではないだろうか。
そこでもう一度問いたい。
カレーは和食か?
僕の答えはまぎれもなくイエスである。



そのまま車で市内観光へ。
本格的な市内観光は次の日に行くということで、この日は街の中心部からちょっと外れた西の茶屋街へ。
金沢には西の茶屋街と東の茶屋街があり、東の方は結構な観光地のようである。
ブラブラそぞろ歩きをして、そこにある甘味処でぜんざいなんてものをいただく。
テーブルに置かれた炭火で餅を焼きぜんざいに入れて、茶店の奥の日本庭園を見ながらほっと一服、風流じゃのう。
金沢の街をヒデが運転する車に乗り感じたことは、どこの家も庭が綺麗だ。
きっちりと木々が剪定されて、手入れが行き届いている。
ヒデの家にも小さな庭が玄関先にあるが、小さいながらも日本庭園の流れが見えてとても好ましい。
北陸という土地柄、冬囲いという事をやらねば雪で木が折れてしまうので最低年に2回は庭の手入れをしなければならない。
これは南国では全く考えなくてよいことだ。
それに加え兼六園という日本三名園があるので、腕の立つ庭師が多いのは想像できるし組合や寄り合いのような職業集団だってあるだろう。
カリスマ庭師の師匠がいて、その技術の惚れ込み弟子入りするなんてのも絶対にあるはずだ。
こういう地域性というものに気がつくのも自分が他所者であり、他の地域と比較をするという事ができるからだ。
これが旅の醍醐味で、違う視点で物を観ることであり、今の世で必要な人文学でメタ認知(そうなのか?)なのである。



晩飯はヒデの家でじっくりと飲む。
北陸の名物といえば押し寿司で、それをリクエストして用意してもらった。
押し寿司と一言で言っても金沢の笹寿司と富山のます寿司と福井の鯖寿司と新潟の笹寿司ではそれぞれに違う。
金沢の笹寿司は笹の葉で包んであり、笹の葉は抗菌作用もあって腐敗を防ぐ保存食にもなる。
先人の生活の知恵というのは素晴らしいものだな。
それから午前中に行った鶴来で奥さんに頼んで買ってもらった手作りコンニャク。
コンニャク自家生産者としては、気になるところだ。
そして日本海の海の幸の甘エビとホタルイカ。
わーい、全部日本酒に合う肴だ。



その肴に合う日本酒、これが凄まじかった。
何がすごかったかって、その酒を飲んだ時に水の美味さを感じ取り、僕は呻いた。
「何これ!これはすごい酒だ!」
長年日本酒に関わってきたが、水の美味さを感じられる酒は初めてだ。
今回の日本の旅で行くとこ行くとこで美味しい日本酒を飲んできたが、間違いなくこの酒がベストだと言い切れる。
その名も手取川。
「手取川という川は今日の朝行った鶴来の所を流れている川だ」とヒデが教えてくれた。
さらに日本酒が好きな僕のために地元の友達に聞いて、それならこの1本だろうということでヒデが調達してくれた酒だ
確かに鶴来の街に行った時に、綺麗な川が流れているなと思った。
そうか、あの川かあ、色々な事が繋がるものだが、こういう物事の繋がり方は大好きだ。
そしてこの川の源流は霊峰白山である。
この酒蔵に行ってみたいと思った。
もちろん利き酒もしたいが、蔵に行ってこの水を飲んでみたいと思った。
水というのは地球上の全ての生き物、人間を始めとする動物や植物や虫や魚に関係なく、生きとし生けるもの全てにとって空気の次に大切なものだ。
当たり前のことだが当たり前すぎて人々はそこをあまり深く考えない。
そして失われた時に初めてその存在を知り、嘆く。



クライストチャーチも地震までは水道水が美味しい都市だったが、地震の後でカルキが入るようになり水が美味しくなくなった。
我が家でも山に行った時に水を汲んできたり、水道水にフィルターをかけたりしてなんとかやっている。
それでもニュージーランドはまだ良い方で、世界の中では水道の水が飲めないという国が圧倒的に多い。
そういう意味でも日本は水に恵まれた国だ。
美味しい綺麗な水が豊富というのは本当の意味で豊かなことなのだ。
自由市場経済を基盤とする資本主義社会では全ての物が商品となりうる、とはプロレタリア万歳の冒頭の言葉であるが昨今はあちこちで水源や水道システムが売られるようになっている。
まあそれもこの世の流れなので仕方あるまい。



そんな美味い酒をヒデの家にあった九谷焼きのおちょこで飲む。
いつものことながら何の事前学習もしなかったので九谷焼きの事は何も知らなかったが、金沢の名産品で市内にはいくつもの九谷焼きに店がある。
一言で言えば派手である。
黄色とか緑とか色とりどりで、書かれている物も鳥とか動物とかドラえもんとか何でもありだ。
わびさびとはエラい違いであるのだが、色々と見てみると何か芯というのか流れというのかがあるような気がする。
西洋の派手さ、中国の派手さとは違う、これはこれで日本の美なんだろうなぁと思うのである。
ヒデの家のおちょこは鶴が3羽描かれた物で、なんとなく気に入って、それをニュージーランドに帰るお土産にもらった。
物との出会いも人と同じでご縁があると思う。
お店で気に入った物を買うのもご縁であれば、友人宅にあった物をいただくのもご縁だ。
九谷焼きのお店を次の日にいくつか回ったがピンと来る物はなかった。
それよりもどういう経緯があるのか知らないがヒデの家で使っていたお猪口が何よりピンときたのだ。
地元の酒を地元の肴をつまみに地元の器で飲む。
ここへきてこれ以上のご馳走はあるまいか。
加賀の殿様もこういう器で酒を飲んだのだろうな。
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2024年7月24日 Porters

2024-07-26 | 最新雪情報
7月も終盤にさしかかるが雪が降らない。
気温はそこそこ冷えているが、低気圧が来ないので雪にならない。
今まで起こらなかった事がこれからも起こらないとは限らない、とは歴史を勉強して強く学んだことだが、今まで起こっていた事柄がこれからも続くとは限らないとは実体験で身を持って学んだことだ。
20年前、30年前にパウダーウハウハで滑っていた時には、まさか将来雪がなくなるなぞとは夢にも思わなかったが今はそうなりつつある。
良い悪いという話は別にして、実際にそうなっているという状況把握、そして認識を持つことは大切だ。
環境の変化は歴史上いつでも起こっていたが人間はその都度それに対応してなんとかやってきて、今の社会がある。
スキー業界で言えば人工降雪機というものができて、文明の力で雪を作りスキー場を運営してきた。
24日時点、この少雪でもスキー場がオープンできるのは人工降雪のおかげであり、それがなかったらとてもではないがスキー場はオープンできない。
実際に人工降雪施設のないクラブフィールドは未だオープンできないでいる。
人工降雪でやっていくためにはそれなりのエネルギーが必要で、電気やディーゼル燃料や労働力というエネルギーを回すにはお金が必要だ。
そのお金を生み出すために会社組織があり、資金運用をするためにリフト券を売る。
この辺は単純に資本主義の話だ。
そう考えるとリフト券が高いというのは当たり前の話で、それができない会社はつぶれる、スキー場は閉鎖となる。
昔はお金を湯水のように使っていたアライというスキー場で働いていたが、そこの会社も潰れ今は別の会社が運営している。
諸行無常だ。
まだスキー駆け出しの頃、長野のとあるスキー場で夜間の人工降雪の仕事をしていたことがある。
大きな扇風機で細かい水の粒を空中に飛ばし雪を作るのだが、気温がマイナス3度ぐらいまで冷えないと雪にならない。
スキー場が1日の営業を終了した後、マシンをセッティングして、さあ雪を作るぞという時点で気温が下がらずに雪にならずそのまま待機ということもあった。
気温が下がらないのなら人工的に気温を下げればいい、ということで囲いを作り空調を効かせ室内スキー場というものも登場した。
こうすれば自然環境に関係なくいつでも雪を作れるが、それに費やすエネルギーの量は跳ね上がる。
要はお金をふんだんに使えば、真夏でもスキーができる環境は作れるということだ。
何をどうすれば良いのかは分からないが、今の自分には雪が降るのを祈ることぐらいしかできない。
次の予報は月曜日に大きいのが来そうだが、期待をすると外れた時にがっかりするので期待しないように期待する自分がいる。


リフト脇のコースはイージーライダー。降雪機のおかげでこの雪の量にしては良い状況である。


7月も後半に成ると下部ゲレンデにも日が当たるようになる。遠くにはクライストチャーチを望む。


スキーパトロールも救助の練習。


名物コース、ビッグママは日当たりが良いのでこの状況。今シーズンは開くのかな。
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日本旅行記 8

2024-07-20 | 
ダイスケのすさまじいほどの盛り上がりっぷりから一晩明け、静かな朝を迎えた。
朝早くに仕事で出かけるアスカを見送り、ぼんやりと桜の花がちらほら舞う庭を眺めていた。
何気ない庭の、ある春の朝の一コマだが妙に心に打たれる情景である。
そこではっきりと気がついた。
桜は散りゆく姿が美しいのだと。
確かに満開の桜は綺麗だし見栄えが良いので、観光客がそれを写真に収めようとするのも分かる。
ただそれは綺麗に咲いた見栄えの良い景色を思いも馳せずにボタンを押しただけのもので、時間の流れはそこに映らない。
プロの写真家が瞬間を切り取るのとはわけが違う。
もっとひどい事を言えば、今の風潮は誰かがどこかで撮った写真を自分がそこにいって写すのが目的で、さらにSNSであげることが最終目標だ。
これは国籍に関係なく、世界中で同じような現象がある。
桜は満開もきれいだが、同時に散りゆく姿に本質があるのだと思う。
そこにあるのは時の流れと共に存在するなくなってしまうという現実、さらにその奥には生きることのはかなさと必ずやってくる死というものに対する死生観である。
これは生き物に限る話ではなく、文明や権力でも同じことを歴史は繰り返す。

祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。沙羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらはす。奢れる人も久からず、ただ春の夜の夢のごとし。猛き者も遂にはほろびぬ、偏ひとへに風の前の塵におなじ。

有名な平家物語の冒頭であるが、平家にあらずんば人にあらず、と言ったぐらいの平家も滅ぶ。
永遠に続くと思われた徳川幕府も滅んだ。
世界に目を向ければ、全ての道はローマに通づると言われたローマ帝国。
ユーラシア大陸を蹂躙したオスマン帝国。
我が辞書に不可能という言葉はないと言ったナポレオン。
7つの海を制した大英帝国。
その他諸々、数え上げればきりがないが、みーんな栄えて滅ぶの繰り返しだ。
諸行無常だな。
桜という花はそれを現している、だからこそ日本でこれだけ愛されている。
そこに侍は死を見出し、いかに死ぬかという答えのない問いに、いかに今を生きるかという答えを出した。
死があるから生があり、生があるから死が来る。
当たり前の事だがあまりに当たり前すぎて誰も考えない。
桜の散る様はそんなメッセージを含んでいる。
そんな当たり前の事に改めて気づかせてくれた、今井家の庭であった。



この日、娘は白馬に戻り僕は金沢へ向かう。
旧知の友人ヒデが金沢に住んでいて「日本に来たら金沢に来てくれ。自分が全て案内するから。とにかく来い。つべこべ言わずに黙って来い」という具合に誘われていて、今回それがようやく実現した。
金沢までは新幹線で行くつもりだったが、エリが神戸に帰るので金沢は通り道だからというので乗せて行ってもらうこととなった。
新潟から富山へ入り親不知を超えたあたりから立山が見えた。
静岡や山梨の人が富士山を心の拠り所とするように、富山の人には立山がその存在なのだろう。
そう考えれば日本各地にある主だった山は山岳信仰の対象であり、山が神様なのである。
ニュージーランドの最高峰はアオラキマウントクックであり、マオリ族の神話に残っているぐらいに神様の山なのだが、やはり日本のそれとは何か違う。
どこがどう違うのか上手く言い表せられないが何か違う。
そしてまたどちらが優れていてどちらが劣っているという話でもない。
ただ単に違うというだけの話であり、僕はどちらも好きだし山を見れば自然に手を合わせ拝んでしまう。
そんな立山を横目に見ながら車を快調に飛ばし金沢に着いた。



ここで神戸へ帰るエリとお別れをして、そこからはヒデに案内をしてもらう。
まずはお昼時ということで、山深い所にある茶屋でニジマスの塩焼きだの山菜だのの御膳を食し観光へ。
向かったのは五箇山という谷間の小さな集落で、合掌造りの家が残る。
合掌造りと言えば白川郷が有名だが、白川郷のある庄川の下流にあるのが五箇山だ。
合掌造り=白川郷というイメージは強く、白川郷がブランド化していて皆がそこへ向かい、そこだけが全てだと思い込んでしまうのは大きな誤りだ。
人間は一部分の情報で全てを把握できるという勘違いをする性質がある。
テカポの星空がブランド化しているのと同じ構造であり、テカポで星空を見ることが旅の目的になっている人も多く、テカポでなければ意味が無い、なにがなんでもテカポという風潮には首を傾げてしまう。
白川郷と違い五箇山は規模が小さいのでそれほど有名ではなく、観光地になりきっていないので人も少ない。
人がうじゃうじゃいる観光地はあまり行きたくない僕にはおあつらえ向きである。



民俗資料館を見学し、ぶらぶらと散策して当時の人々の生活に想いを馳せる。
昔は流刑地だっとされ罪人が流されてきた場所であるが、今はそのおどろおどろらしさは微塵も感じられない。
表面的には日本らしさが残るのどかな観光地だが、過去には暗い歴史が渦巻いている。
こういう見方をするようになったのも、コテンラジオで歴史を勉強して人文学を学んだからだ。
人里離れたというより隔離されたような場所では、戦で重要だった火薬の製造が行われていた。
加賀百万石という北陸では巨大な勢力の末端で、人々は何を想い暮らしていたのだろう。
とある資料館では中で働いていた女性が当時の様子を事細かに説明してくれたが、これが素晴らしかった。
歴史や生活や当時の社会情勢など学問的な話もさることながら、その奥には彼女の郷土愛が根付いており、ガイドというのは本来こういう姿なのだろうと思い知らされたのである。



金沢に戻ってきて夜は街に繰り出す。
白馬や能生といった当たり前に夜は暗い場所から一転して、ネオンが眩い歓楽街へ。
金沢という街は北陸では一番の歓楽街があるようで、富山や福井といったお隣の県からも人が来るそうな。
こういうのも加賀百万石という歴史が関係しているのだろう。
連れて行ってもらったのは『ぴるぜん』という本格的なビール酒場で、ヒデが若い頃によく行った店だという。
ビール好きな僕としては、名前だけで喜んでしまう。
ドイツで生まれたラガービールがチェコのピルゼン醸造所で醸されてできたのがピルスナーというビールであるとか、なぜそこのビールが他所と違うのかはそこの水が軟水だったからだとか、それと同じような製法で作られたビールがアメリカに渡ってバドワイザーになったとか、そんなのを最近勉強したばかりである。
創業1968年というから55年、僕が生まれたのと同じ年だ。
ドイツ風の内装でビールは当然本格派、そして料理もソーセージとかビールに合うようなものばかりで嬉しい。
アナゴのフィッシュ&チップスというのをオーダーしたが、これがまた美味かった。
ニュージーランドのフィッシュ&チップスとは違う、日本のフィッシュ&チップスはやはり日本人シェフが日本人好みに作るのだな。
前日は新潟で海の幸山の幸をご馳走になったが、それとは一転して歓楽街でビール居酒屋。
表面的にはぜんぜん違うものだが、そこに流れる芯は同じである。
自分が好きな店に、この人が喜ぶだろうと連れて行ってくれる。
時に豪華絢爛な食事が最高のおもてなしとなるし、時に一杯のお茶が最高のおもてなしとなる。
それには主人と客人の関係性もあるし、季節や場所や時間といった状況その他諸々でその形は常に変わる。
だが奥にある物事の本質は同じで、それが茶の湯の心であり、和食の真髄なのである
和食が世界遺産になるという話は前回でも書いたが、一体和食とは何かという根本的な問いを考えなくては本質は見えない。
カレーは和食か?ラーメンは和食か?寿司は和食か?
歴史を辿れば寿司だって今僕らが思い浮かべる寿司と原型の寿司とはぜんぜん違う。
表面だけを見ず、その奥にある本質を見極めることで洋風居酒屋が和食の心になる。
ここでも本質とはつまり、大きな人間愛なのだと気付いた金沢の夜。


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2024年7月18日 Porters

2024-07-19 | 最新雪情報
毎年のことながら雪不足で悩まされる。
温暖化という一言で片付けられる話ではないと思うのだが、簡単な理屈づけを人は望むものだ。
ポーターズはオープンして2週間近くになるが、雪不足のためオープンエリアは下部のゲレンデのみ。
そして基本的に山は岩山なので岩や小石が多い。
コース内でも小さな石は転がっており、スタッフが常に石を拾っている。
スタッフは仕事としてやっているが、常にそこで滑っているローカル達や他のお客さんも気づいたら石を拾いゲレンデ外に投げている。
みんなが力を合わせ雪が少ないなら少ないなりになんとかやっていこうという姿勢は、変わりつつある自然界の中で人間社会のあるべき方向性と見るのは考えすぎだろうか。
そういう難しい話は別として、小さいスキー場はローカルが盛り立てている感じが強く、そこが好きなのだ。
リフトは下部だけだが、親にもらった足がある。
リフト終点から1時間半ほど歩き、山頂でゆっくりと自分だけの時間を取る。
また再びこの場所に立てることに感謝の念を抱く。


今シーズン、スキーパトロールとして入ったヤサは、娘の白馬での同僚でありルームメイトでもある。
ヤサが持っているのは誰かが自作で作ったのだろう、ゲレンデで石ころを拾う道具。
日本ではこんな仕事はない、と笑う。


この時期ゲレンデ下部は日陰の中。人工降雪機があるというのは少雪時の強みだ。


歩き始めは日陰の中を黙々と歩く。


途中で日陰から日向へ。このあたりまで登ると雲に覆われたカンタベリー平野も見えてくる。


山頂までもう少し。


山頂は無風快晴。
こういう所に立つと自然の大きさと人間の小ささを実感する。
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