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沖田瑞穂『すごい神話』46.「『原初の愛』――カーマ・エロス・ムスヒ」:「愛欲の神」カーマは原初の超越的存在だ!「エロス」は世界の最初期の存在!『古事記』における原初の愛「ムスヒ」!

2023-10-29 13:09:59 | Weblog
※沖田瑞穂(1977-)『すごい神話』(2022)第四章 インドの神話世界(42~52)

シヴァ神の「リンガ」の話との関連で、インド神話の「愛」について以下、考える。
《参考》シヴァはヒマラヤ山中でヨーガの修行を行う苦行者であり,女神パールバティーを妃とし,ガネーシャ(日本で聖天)とスカンダ(日本で韋駄天)を息子とし,牡牛(オウシ)ナンディンを乗物とする。シヴァはまた生殖をつかさどりしばしば円筒形の男根,リンガの形で崇拝される。南インドではナテーシュバラ(舞踏者の神)と呼ばれ,演劇の保護者として崇敬される。

(1)インド神話:「バラモン教」では「愛欲」の神「カーマ」は「最初に生まれた者」つまり原初の超越的存在だ!「愛欲」は世界のはじまり、原動力である!
A インドで「愛」の神はカーマという男神だ。(Cf. 「カーマ」とは「愛欲」「意欲」という意味のサンスクリット語。)カーマ神は「愛欲」の神と言った方が本来の意味に近い。カーマ神は「サトウキビの弓」と「花の矢」を持ち、人の心を射て恋心を掻き立てる。海獣マカラを旗印とし、妻はラティ(「快楽」)、お伴が春の神ヴァサンタだ。

B 「カーマ」神はインド最古の宗教文献である『リグ・ヴェーダ』(紀元前1200年頃成立)に現れる。「カーマ」は、世界創造の際に「唯一物」(「唯一の存在」)から最初に現れた原初的な存在だ。それによると、世界のはじまりのとき、暗黒が立ち込め、水に覆われていた。そこに「唯一の存在」が熱の力により誕生した。これにより最初の生命が世界に生じた。その「唯一物」から「カーマ」が現れた。
B-2 紀元前1000年ごろに成立した『アタルヴァ・ヴェーダ』(まじないの言葉を集めた聖典)では、カーマは敵対者を駆逐する勇ましい神であり、同時にカーマは原初の超越的存在だ。カーマは「最初に生まれた者」である。「どれほど天地が広がろうとも、どれほど水が流れようとも、どれほど火が燃えようとも、カーマはそれらすべてより勝っている」。
B-3  「愛欲」は世界のはじまり、原動力である。

(2)ギリシア神話でも、「愛欲の神」エロスは世界の最初期の存在だ!
C ギリシア神話でも、「愛欲の神」エロスは世界の最初期の存在だ。ヘシオドスの『神統記』(紀元前700頃)によると、原初の混沌「カオス」から最初に大地の女神「ガイア」が生まれ、次に地底の暗黒界「タルタロス」、その次に愛の「エロス」(クピド、キューピッド)が誕生した。

(3)「原初の愛」のテーマが日本の神話(『古事記』)にも見られる:「タカミムスヒ」(高御産巣日)と「カムムスヒ」(神産巣日)!   
D  『古事記』の神話にも「原初の愛」のテーマがみられる。『古事記』によれば、世界のはじまりのとき、まず「アメノミナカヌシ」(天之御中主)が誕生し、次に「タカミムスヒ」(高御産巣日)と「カムムスヒ」(神産巣日)という神が誕生した。
D-2  「ムスヒ」の「ムス」は「生え出る、萌え出る」(Ex. 苔むす)という意味だ。また「ヒ」は「目に見えない霊妙な力」をさす。つまり「ムスヒ」は「生産の力」である。これは「愛欲」の概念と非常に近い。「原初の愛」のテーマが日本の神話(『古事記』)にも見られる。

《参考》『古事記』によれば、天地開闢の際、高天原に三柱の神、つまり「造化(ゾウカ)の三神」がいずれも独神(ひとりがみ)として成ってそのまま身を隠した。
☆天之御中主神(あめのみなかぬしのかみ) 至高の神。神名は天の真中を領する神を意味する。『古事記』では神々の中で最初に登場する神。
☆高御産巣日神(たかみむすひのかみ;高皇産霊神): 天の生成の「創造」の神。神産巣日神と対になって男女の「むすび」における男を象徴する神。
☆神産巣日神(かみむすひのかみ): 地の生成の「創造」の神。高御産巣日神と対になって男女の「むすび」における女を象徴する神。 (ア)『古事記』で語られる神産巣日神は高天原に座して出雲系の神々を援助する祖神的存在であり、他の神々からは「御祖(みおや)」と呼ばれている。また(イ)須佐之男命が大気都比売神(オオゲツヒメノカミ)を殺したとき、その死体から五穀が生まれ、神産巣日神がそれを回収したとされる。(ウ)大国主神が八十神らによって殺されたとき、大国主神の母の刺国若比売(さしくにわかひめ)が神産巣日神に願い出て、遣わされた𧏛貝比売(キサガイヒメ)と蛤貝比売(ウムギヒメ)が「母の乳汁」を塗って治癒したことから女神であるともされる。(エ)『古事記』では、少名毘古那神(すくなびこな)は神産巣日神の子である。

《参考(続)》「天津神」(アマツカミ)のうち、「別天津神」(ことあまつかみ)は、☆天之御中主神(あメノミナカヌシノカミ)、☆高皇産霊神(タカミムスビノカミ)、☆神産巣日神(カミムスビ)の「造化(ゾウカ)三神」、さらに☆宇摩志阿斯訶備比古遅神(ウマシアシカビヒコジ)、☆天之常立神(あめのとこたちのかみ)の二柱、計五柱である。これら五柱の神つまり「別天津神」は、性別はなく独身のまま子どもを生まず身を隠し、これ以降、表だって神話に登場しない。

(4)《感想》世界のはじまり、原動力である「愛欲」の神「カーマ」(原初の愛)は、宇宙の「エス」(欲動)である!(Cf.  フロイト)
《感想》フロイトの「エス」(欲動;Es)つまり「欲求」は個人の原初のエネルギーだ。「超自我」は個人の「理想」だが理想が成立するためには理想(「超自我」)への情熱(「欲求」)がなければならない。「エス」が情熱(「欲求」)を支えるエネルギーだ。「自我」は「快感原則」(or快楽原則)に基づいて行動を選択するが、「行動」における快感への欲求を支えるエネルギーも「エス」だ。(Cf. 快楽原則は、必要であれば充足を延期する現実原則がこれと対を成すが、現実原則を快楽原則と対立するものでなく、快楽原則の変形されたものだ。)
《感想(続)》理想(「超自我」)への情熱(「欲求」)は「エス」(欲動)というエネルギーに支えられる。快感原則に基づく「行動」も「エス」というエネルギーに支えられる。「エス」は、個人の「理想」(「超自我」)そして快感原則に基づく「行動」を支えるエネルギーだ。(Cf. マルクス・ガブリエル『「私」は脳ではない』講談社選書メチエ、263-269頁、原著2015年)
《感想(続々)》世界のはじまり、原動力である「愛欲」の神「カーマ」(原初の愛)は、宇宙の「エス」(欲動)である。

(5)「ヒンドゥー教」では、カーマ神はその「原初の超越性」よりも、もっぱら「愛欲、エロス」の神としての側面を表す !   
E  インドに話を戻すと、「バラモン教」よりも新しい「ヒンドゥー教」では、カーマ神はその「原初の超越性」よりも、もっぱら「愛欲、エロス」の神としての側面を表すようになる。
E-2  カーリダーサの叙事詩『クマ―ラ・サンバヴァ』(『クマ―ラの誕生』5世紀頃)に次のような話がある。あるときターラカという名の強力なアスラ(悪魔)が神々を打ち負かし、神々は苦境に陥った。ターラカを倒せるのは最高神シヴァの「まだ生まれていない息子」(軍神スカンダ)のみだった。シヴァの妻としてふさわしいと神々が考えたパールヴァティーに対し、苦行に没頭していたシヴァは、全く興味がなかった。そこでシヴァの関心をパールヴァティーに向けさせようとして、神々の王インドラが愛神カーマを派遣した。瞑想するシヴァはカーマの矢によって一瞬心を乱されたが、すぐに原因を悟り、怒って第三の眼から炎を発しカーマを灰にしてしまった。カーマの妻ラティが嘆いていると、天から声が聞こえてきて「シヴァ神がパールヴァティーを受け入れるとき、シヴァ神はカーマに肉体を返すだろう」と予言した。シヴァ神がパールヴァティを妻としたので、愛神カーマも再生した。
★シヴァ神に向け愛の矢を放とうとする愛神カーマ
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