宇宙そのものであるモナド

生命または精神ともよびうるモナドは宇宙そのものである

上原隆(1949-)「身の上話」『友がみな我よりえらく見える日は』(1996年、47歳):桑野道子さん(43歳)は、真面目で、真剣に生きる人だ。また有能だし、バイタリティもあり、敬意を表したい。

2018-10-31 22:34:22 | Weblog
39歳の時(1992年)、タクシー運転手になった女性(1953-)の身の上話。
話をしたのは1996年、桑野道子、43歳の時だ。

(1)
道子は、高校2年(17歳、1970年)、1学年上の桑野光男と恋愛する。
道子の卒業式の日にセックスし、妊娠。
光男が「責任をとる」と言い、結婚した。1972年、道子19歳、光男20歳だった。
(1)-2
道子・光男・子ども(健)は、横田基地近くの米軍ハウスに住む。
ヒッピーのコミューンの時代で、家賃を半分負担する津田(光男の同級生)が同居人となる。
道子22歳(1975年)、二人目の子ども、リリ(1975-)を出産する。
「なにも考えずに子どもを産んじゃって、ハッて気づいたら二人もいた」と道子。
(1)-3
仕事で都心に通っていた夫・光男は、彼女ができ、家に帰らない。
帰ってきても、光男は1、2万円のお金しか置いていかない。
道子たちは、パンと牛乳と卵焼きの生活が続く。
3歳で、長男・健が肺炎で死ぬ。(※道子23歳、1976年)
「わたしは泣いています、ベッドの上で」とリリィが歌う。
(1)-4
同居人だった津田が去る。
夫・光男はキャバレーのマネージャーとなり、店のホステスと同棲。
道子は光男と離婚する。
その後、光男が、養育費月7万円を払ったのは、1年間だけだった。(約束は20年間。)

(2)
道子はリリを保育園に入れ、生命保険会社に勤める。月給8万円。
朝、タイムカードを押すと、あとは自由。自動車教習所に通い、免許を取る。
車の運転が好きなので、生命保険会社を辞め、道子は、チリ紙交換の仕事につく。
土日は売り上げが良く、一日で、7000円が手元に残った。
ところが梅雨になると、仕事にならない。日ゼニ生活だったので、お米を買う金もなくなる。

(3)
友だちの紹介があり、道子は、スナックで働き始める。
すぐに客と恋に落ちる。夜の世界で輝いている男だった。
道子は、結婚は、こりごりなので、遊びでつき合う。
ところが、男はママの恋人で、トラブルとなり、道子はクビになる。
男が追ってきたが、男は「覚醒を扱っているヤクザだ」と、友だちから教えられる。
道子は、男と会うのをやめた。

(4)
「水商売はもうこりごり」と思ったが、金が必要で、道子はキャバレーのホステスになる。
1日1万円、指名1回につき1000円、有料託児所付き。
2歳年下の客、清水博(トラック運転手)と恋におち、結婚する。
道子は妊娠する。28歳、1981年。
「私って、バカみたいに同じこと二回やってる」と道子。
(4)-2
道子は、出産に備え、キャバレーをやめる。
女の子が生まれる。あきな(1981-)と名づけた。
清水が、中森明菜のファンだったためだ。
(4)-3
ところが、清水は、実は、金庫破りの常習犯で、逮捕された。(1981年)3年6カ月の実刑。
道子は、清水と離婚する。
「ひとりめは女癖で、ふたりめは盗み癖、なんか、私って癖のある男を好きになっちゃうのよね」と道子。

(5)
小学生のリリ(1982年、7歳)が、父親(清水)のことで、学校でいじめられると心配し、道子は引っ越す。
そして、「事情を話すのは恥ずかしかった」が、生活保護を申請した。
(5)-2
1982年、あきなが1歳になると、保育園に預け、道子(29歳)は働き始め、生命保険会社の営業となる。
給料が13万円を超え、生活保護がカットされ、生活費が不足。
週3日、近所の居酒屋でアルバイトする。
(5)-3
また、銀行のカードローンを使うようになる。
1年後には借金が100万円となり、収入がっあっても、利子を払うばかりで、元金が減らない。
「借金を返さないとこわいので、毎日、求人広告を見てた。」という。
(5)-4
「私は、しょっちゅう、お金がないとか、仕事がきついとかいってた」のに、「あの子たちは私のグチをよく我慢して聞いてくれた」と道子。

(6)
1992年、リリ(17歳)は中学校を卒業しアルバイトをする。あきなは小5(11歳)だ。道子、39歳。
タクシードライバー募集の広告が目についた。
「月収45万円以上可能」と書いてある。
ただし24時間勤務に就かなければならない。
「どう思う?」と子どもたちに聞くと、「お母さんのいいようにして」とリリが言った。
「給料がいっぱいもらえるんだったら、いいんじゃないの」とあきな。
道子は、二種免許を取り、タクシードライバーとなる。
平均30万円の収入となった。
(6)-2
嫌なこともたくさんあるが、車の運転は好きだし、収入もまあまあだ。
「好きな仕事につけたな」と、道子は思う。

(7)
「ふりかえると私の人生って当面のお金を稼ぐことに追いかけられてきたみたい。でもその時その時はけっこう充実してた。なんか真剣そのもの。」と道子(43歳、1996年)が言う。
(7)-2
道子は、KANの「愛は勝つ」という歌が好きだ。

心配ないからね 君の想いが
誰かにとどく明日がきっとある
どんなに困難でくじけそうでも
信じることを決してやめないで

《感想1》
それぞれの人が、どう生きているか、知りたいと思い、この本『友がみな我よりえらく見える日は』を、読んだ。
著者は、「ルポを書く」とのことだから、多くの人から聞いた話だ。

《感想2》
桑野道子さん(43歳)は、大病を患わず、健康で良かったと思う。
健康は、人生の最大の財産の一つだ。

《感想3》
娘さん二人が、お母さんを理解していて、良い子だ。
桑野道子さん(43歳)は、真面目で、真剣に生きる人だ。
また有能だし、バイタリティもあり、敬意を表したい。
子どもさんも、お母さんを尊敬していると思う。

《感想4》
それにしても、父親は、子どもに対し無責任だ。
光男は、養育費月7万円を20年間払うべきなのに、1年間しか払わなかった。
法的に責任があるはずだ。
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