日記

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釋摩訶衍論の金剛喩定について・追記

2023年02月18日 | ブログ
平岡宏一先生よりご指摘を賜りまして、下記のような説明では、色身を法身より先に獲得するような誤解を与えてしまうため、単純に無上瑜伽タントラの成仏体系と比較するのではなく、あくまでも顕教の成仏体系から、釋摩訶衍論の金剛喩定の「方便」の禅定は、煩悩障断滅のための三摩地、「正体」の禅定は、所知障断滅のための三摩地として、拙生としてはそのような理解に留めておくことと致します。

少し「方便」(色身のための資糧)という語の名称に引っ張られ過ぎたのかもです・・

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随分前に頂いていた質問で、釋摩訶衍論の金剛喩定のことがあり、かなり遅れてしまいましたが、、

釋摩訶衍論の金剛喩定における方便と正体は、無上瑜伽タントラの成仏体系と比較検討すると分かりやすくなります。

方便は、色身の成就のため、正体は、法身の成就のため、そのそれぞれの三摩地を表すものと考えるのであります。

要は、煩悩障断滅のための三摩地、所知障断滅のための三摩地ということになります。

無上瑜伽タントラにおいては、どちらも清浄なる勝義の光明への等引となりますが、方便は、煩悩障を断滅して、清浄なる幻身を実現させるための等引であり、煩悩障を断滅した後に実現したその清浄なる幻身は、そのまま仏陀の色身へと移行していくことになります。

そして、正体は、この清浄なる幻身と勝義の光明のそろってある状態においての等引であり、これは所知障を断滅させるための三摩地で、この等引により、全ての所知障を断じ尽くすと、勝義の光明が法身となり、清浄なる幻身が色身となり、仏陀・如来の完成となるのであります。

このように考えるとすっきりとすることになります。