ひーさんの散歩道

道には、様々な歴史や文化が息づいている。
歴史に触れ風景に感動し忘れていた何かを探したい。

荒雄川神社/岩出山

2009年08月29日 11時24分47秒 | 宮城の散歩道(仙台を除く)
荒雄川神社
鎮 座:宮城県大崎市岩出山池月字上宮字宮下10
御祭神:須佐雄命(すさのおのみこと)・ 瀬織津姫命(せおりつひめのみこと)
境内社:天神社(菅原道真)・山神社(木花咲姫) 

延喜式神名帳(延喜七年に編集した代表的神社台帳)にのっている玉造三座の一つで、鬼首の荒雄岳上の社を奥宮と称したのに対して里宮と称され、神宮寺も併置されて、この地方の信仰の中心となっていた。
 祭神は、須佐雄尊と瀬織津媛尊で、応徳三年(1086)ころに、源義家が征東の際、戦勝を祈って黄金の剣を奉納したと伝えられている。
 また、嘉応二年(1170)に、藤原秀衡が鎮守府将軍となった時に、奥州一の宮とし、室町時代には、奥州探題の大崎義隆が大崎五郡の一の宮として、崇敬し、江戸時代に至っては、岩出山伊達家の氏神となった。
 寛保三年(1743)に、幕命によって江合川(荒雄川)沿いの三十六所明神を合祀したので、三十六社様とも称されている。
                            ー案内板によるー

ここでも出てきましたね! 源義家!今度は黄金の剣を奉納のようです。

一の鳥居をくぐると右側にこんな石像があった。 産婆の像です。
産婆さんが赤子を抱いていますね。境内には山神社の安産&縁結びの神が祀られているようですね。
今調べている平家落人の里にも山神講があって、小牛田にある山神様の掛軸に赤飯を供えて女だけで安産祈る習慣がある。





狛犬さんは三対いました。
向かって左吽形                               右・阿形
     

今度は左が阿形                                右・吽形
     

正面拝殿ですが、控え目に小さな狛犬が・・・・・・
これが、今までに無い形の狛犬でした。顔立ちもですが、体の巻き毛の模様も変わってました。また朱塗りのような色を残しています。

  


向かって右側、阿形
     



向かって左側・吽形

     

左の柄が小さいですね。? 普通神殿から見て左側が格が上とされています。
だから向かって右側が派手なのでしょうか?


この獅子頭・・・目に色が入っています。
     



延喜式内社の文字が・・・


石の祠が沢山


     

     


     

立派ではありませんが、舞台のようですね。 能舞台でしょうか?


なんと五千年前の遺跡とあります。 御神木だったのでしょうか? 大きな木の根元のようです。


なんと、お手水が最後になってしまいました。この失礼を水に流して下さい。
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コメント (17)   この記事についてブログを書く
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17 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
かなり~ (維真尽(^^))
2009-08-29 21:27:48
風化が進んでいますね
さすが
式内社です

外しますが
裸電球が印象的です
いーさんへ (ひー)
2009-08-29 22:24:24
wwwやはり気が付きましたか避けようと思いましたがバランスが悪くなるので。
おばんです (ほでなすいっく)
2009-08-29 22:25:36
狛ちゃん、3対とも面白い顔してますね
最初のペアはお猿さんみたいです

お手水…蛇口ですか?
これはこれで、味があっていいかも
お晩です (あーさん)
2009-08-29 23:13:10
狛犬a  塗装されてるのは本当に珍しい!

東北本部長ですね ♪
Unknown (桃源児)
2009-08-30 00:35:07
黄金の剣、実在していたら、すごいでしょうね。
ここの狛犬様はどれも、ちょっと変わっていますね。
縄文時代から、ココは神が宿る場所として祀られていたのでしょうね。
いっくさんへ (ひー)
2009-08-30 06:35:14
古いものは、猿っこに似ているのが多いですね。よく自分も思います。
あーさんへ (ひー)
2009-08-30 06:52:12
煽てないで下さいよ~
すぐ調子に乗りますから。

本当は「あらはばき神社」を探しに行ったのですが、あまり調べずに行ったので…
この手前でした。道路から見えましたので次の機会に行きます。
平安時代以前または、縄文から弥生時代の神様だと思いますので気になるところです。
桃源児さんへ (ひー)
2009-08-30 06:56:48
神社のエピソード…どこまで信じていいのか?

怪しいです。
歴史がありますね。 (ミモザ)
2009-08-30 07:54:53
こちらの荒雄川神社もかなりの歴史が
ありますね。
狛ちゃんが風化しているのから見ると
歴史が感じずには居られません。
しし頭が笑ったような顔が憎めないですね。
本当かな? (momohana*)
2009-08-30 12:08:20
縄文時代の遺跡って凄いですね~!
にしてもあまりにも簡単な保護柵ですね^^;
5000年前の歴史・・本当かな?

momohana*さんへ (ひー)
2009-08-30 13:30:36
これは樹木の根元でしょう。太さで年代を特定したのでしょう。放射性炭素年代測定で年代測定も出来ますしね。
以前記事にしてますが、長町にある地底の森ミュージアムに行くと何万年もの樹木の遺跡が生でみれますよ。
世界にここだけです。
お薦めします。

お晩です (あーさん)
2009-08-31 00:22:05
お疲れ様でした。

また明日♪
あーさんへ (ひー)
2009-08-31 17:54:53
昨日は休ませていただきました。

おーきに!
赤飯 (りひと)
2017-03-21 15:41:06
ご紹介ありがとうございます。赤っぽいのが何か意味ありそうですね。
昨日かどこかの神社で赤飯だか赤粥だかを供えていたのにしなくてその年は大変だったという神社があったんですよね。なんかこちらとも関係しそうです。

そして荒雄というと雄は野野上の件で考えている妄想なのですけど雄と大と男というと同じ神が関わるのでは?と思っています。地形的な部分も含めみてみますね。川がつくのとつかないのと時代的に違うのかもかなり気になりますね。
ただこのキーワードだと水神は関係するし、下手した龍(龍はあまり好きではないので辰かな?)にも関係しそうにも思います。お不動さんとかにも。6301
りひとさんへ (ひー)
2017-03-22 10:58:50
5千年前(縄文時代中期)の遺蹟の中に、この神社があるのもすごいですね。
須佐雄命・ 瀬織津姫命が主祭神ですから、古代から神社を想起します。
やはり境内社に山神社(木花咲姫) がありますね。
また、女性だけによる講と呼ばれる集会みたいなものは、いたるところに見られます。これを調べるのも面白いことが沢山ありそうです。今でいう女子会ですよ(笑)
荒雄山思い出しましたよ。 (りひと)
2017-04-03 23:28:22
東北の山見てきました。
少し内陸側だったので山そのものは写真にとれたかは?疑問ですけどこの記事の神社の場所は、確実な谷好きの民族の移動への入り口にもなりそうな場所です。そしてこの最上へルートは確実な古代の移動水路だと思いましたよ。

また日の出が仙台辺りだったので仙台で日の出をずっと見ながらの北上で多分あの川の辺りもちょうど東から少し南は山がなく開けているので古代の太陽信仰もありそうな気がしますね。もっと下だと塩竈の南、川の所は低い場所で確実に視界が開けている場所でさらに谷をどんどん行けば日本海まで移動出来ますよ。

塩竈神社が内陸にあるのも、そもそも内陸のが栄えていた可能性もありそうですね。

東北と奈良は確実に繋がってそうですよ。
むしろ東北から奈良に移動した高地好きの海神さんがいそうにも思いますね。

彼岸とか夏至冬至とかにダイヤモンド富士がどこかで見えないのか?どこの山か?それが気になってますね。山岳に関わるならば朝日でしょうと。

あと優しい工藤さんと出会ったので工藤氏が気になっています。富士山の方や伊豆とか栗原の狩野さんとかがかなり気になっています。戦いに強いイメージですけど地形の知識で知性で凄い方ではなかったのか?

東北にはまり中です。なかでも須賀川に興味があります。3565

松尾芭蕉のように4号北上したような?水運で移動した気になって実感した感想です。
りひとさんへ (ひー)
2017-04-05 16:35:46
何から答えたらいいのか・・
渓谷や谷にあるのはやはり水路ですね。マタギはシカを川の近くに追い込んで仕留めます。
それは、肉が傷まないように、すぐに血を抜くためです。
水は生活に欠かせないライフラインですからね。
そうそう鹽竈神社は内陸にあるように見えますが、表・裏の参道まで海が来ていました。塩釜の街は埋め立て地と言ってよいほどです。坂の多い街で斜面に住んでいる方も多く人口密度で言えば東北一でしょう。
栗原と伊豆・・・栗原には伊豆権現といって、ある神社の元になった場所があります。
http://sanpomichi114.blog119.fc2.com/blog-entry-1.html
これは後で整理してこちらのブログに転記します

東北と奈良は密接なつながりがあります。
一つは国府が多賀城に開かれ、遠田郡涌谷で金が日本で最初に見つかり、その金を奈良の大仏に使いました。大仏の印象は黒ですが、できた当初は金箔に覆われていたはずです。 それまでは中国からの輸入でしかありませんでした。

須賀川は東北の入り口ですね。あの辺りにはいろいろありそうな予感がします。

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