今日も国立博物館に行って来た。何度も足を運んでいると、一流の作品が鋭い輝きを放って眼に飛び込んでくる。特に、壺や陶磁器は作品の中身が濃いため味わい尽くせない。1つの作品でも味わい尽くすのに一生かかるのではないか?
今日は、上野公園でレオナルド・ダ・ビンチ展をやっていた。ダビンチ自体に作品数はあまり多くないようだが、ダビンチ以前とダビンチ以降の素描が比較展示してあって、(演出もあるのかも知れないが)ダビンチの影響力の大きさを感じた。
今日も国立西洋美術館のラファエロ展に行って来た。同じ絵を何度も見ていると作品に対する理解が深まっていくような気がするのは、自分の成長の証(あかし)だろうか?絵を見入っていると、絵の中に引き込まれていくような感じがするが、絵の中の世界というのは、画家の内面の世界なのかもしれない。併設されている常設展の中では、印象派と現代作品(といっても、20世紀前半だが)に興味がある。もともと名作が多く展示されているという理由もあるが、絵画がルネサンスの頃からどう変わっていったを知るのも興味深い。現代作品は、ずいぶん前まで私には理解できなかったが、印象派とともに確かな一流を感じる。
一流のものを見ているときは、共通した「何か」を感じる。その「何か」というのは決して言葉では言い表せないものだが、二流、三流の作品で感じることはできないものである。いろいろ一流のものに触れて、その「何か」を自分のものにしたときに、自分も一流の仲間入りを出来るのではないかと思う。
私は以前述べた理由で、同じ展覧会には何度も行くが、今日も国立西洋美術館のラファエロ展に行って来た。ゴールデンウィークのせいもあるのか、混雑していた。人が多かったのであまりじっくり見られなかったが、同じ絵でも、見るたびに新鮮な感動を与えてくれる。私は絵を見るときは、あまり解説を読まずに、先入観なしに見ることを心がけている。画家にはそれぞれ「色」があって、その「色」は画家によってすべて異なる。自分の好きな絵を見ているときは、作品の内容の濃さから染み出てくるものが、自分の心の内に入ってくるのを感じる。それが、見る人の内面を充実させてくれるのかもしれない。絵というのは、見れば見るほど新たな発見があって、面白くなってくるものだ。