リンポウアカデミア

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Never jam today

2014-01-31 23:51:06 | 日記

Jam tomorrow and jam yesterday – but never jam today. (Proverb)

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神々が見ている

2014-01-31 23:14:30 | 日記

ちょうどそのころ、まさにその完全とは何かを教えてくれる1つの物語を読んだ。ギリシャの彫刻家フェイディアスの話だった。紀元前440年ころ、彼はアテネのパンテオンの屋根に立つ彫刻群を完成させた。それらは今日でも西洋最高の彫刻とされている。だが彫像の完成後、フェイディアスの請求書に対し、アテネの会計官は支払いを拒んだ。「彫像の背中は見えない。誰にも見えない部分まで彫って、請求してくるとは何ごとか」と言った。それに対して、フェイディアスは次のように答えた。「そんなことはない。神々が見ている」。この話を読んだのは、ちょうど「ファルスタッフ」を聴いた後だった。ここでも心を打たれた。「あなたの本の中で最高のものはどれか」とよく聞かれる。そのときには、次の作品ですと本気で言っている。ヴェルディが80歳のときに、それまでずっと取り逃がしてきた完全を追及して、新しいオペラを書いたときの言葉通りのことを意味しているつもりである。(「プロフェッショナルの条件」ピーター・ドラッカー氏著)

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人の心など分かるはずがない

2014-01-31 22:45:25 | 日記

たとえば、われわれカウンセラーのところには、「札付き」の非行少年と呼ばれる子が連れて来られるときもある。もちろん、彼はそう呼ばれるのにふさわしいだけのことをいろいろとやってきている。そこで、「専門家」に期待されることは、この子の心を分析したり探りを入れたりして、それだけではなく、子どもの親に対しても同様のことを行い、非行の原因を明らかにして、どうすればよいかという対策を考え出すということである。ところが、本当の専門家はそんなことをしないのである。一番大切なことは、この少年を取り巻くすべての人が、この子に回復不能な非行少年というレッテルを貼っているとき、「果たしてそうだろうか」、「非行少年とはいったい何だろう」というような気持ちをもって、この少年に対することなのである。速断せずに期待しながら見ていることによって、今まで分からなかった可能性が明らかになり、人間が変化してゆくことは素晴らしいことである。しかし、これは随分と心のエネルギーがいることで、簡単にできることではない。むしろ、「わかった」と思って決めつけてしまう方が、よほど楽なのである。この子の問題は母親が原因だとか、札付きの非行少年だから更生不能だ、などと決めてしまうと、自分の責任が軽くなってしまって、誰かを非難するだけで、ものごとが片付いたような錯覚を起こしてしまう。こんなことのために「心理学」が使われてばかりいると、まったくたまったものではない。(河合隼雄氏の本より)

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ツボを押していると

2014-01-31 22:26:39 | 日記

本を見ながら、ツボをあちこち押していると、全身の気の巡りがよくなり、体調がよくなったような気がする。

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ツボを押していると

2014-01-31 22:26:39 | 日記

本を見ながら、ツボをあちこち押していると、全身の気の巡りがよくなり、体調がよくなったような気がする。

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