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宇宙はできすぎ240328

2024-03-28 16:57:11 | 日記

私たちのいる宇宙はできすぎている、というのは現代の物理学者がよく口にする言葉である。ちょっとでも定数の値が今と違ったりすると、そもそも銀河はできないし、人間も生まれなかっただろうと言われている。これを説明するには3つの方法があって、(1)神がこの宇宙を作ったのだから、われわれ人間に都合のいいように神がわざわざ設定した。(2)たまたま宇宙がそうなっている、(3)宇宙がそもそもたくさんあって、たまたまわれわれがいる宇宙が都合の良い宇宙なのは、そこに人間が存在しているからそう見えるだけである。宇宙にはたくさん星や惑星があるが、たまたま人間の住める地球という惑星にいるので、地球が世界だと思っていたのと同じ理屈である。今では、(3)の説が有力だと考えられている。私は、これに哲学的な考察を加えて、4つ目の説を提唱したいと思う。(4)宇宙は、私に都合のいいように作られている。これは、神が作ったわけではなく、たまたまそうなったわけでもなく、たくさん宇宙があるわけでもなく、そもそも宇宙は私のためにできすぎているくらいよく作られているという考え方である。これは、科学でもなく、宗教でもなく、哲学的にそうだということである。昔は、宗教がヨーロッパでは支配的で、「地球は回る」と唱えたガリレオガリレイが宗教裁判にかけられたりしたが、その後科学が支配的な思考となった。科学がこの世のあらゆることを説明できるとされた。しかし、自然界を調べれば調べるほど、科学的に謎なことがたくさん出てくる。今説明できないことでも、科学が発展すればそのうち説明できるようになるだろうと思われていたが、謎ばかり出てくるので、科学万能とも言えなくなって来たというのが現代の状況である。ここは、哲学の復権である。古代ギリシャでは、万物は水でできていると唱える哲学者がいた。万物は原子でできているという人もいた。これは、古代ギリシャ人の考えが間違っていて、後で科学者によって訂正されたというよりは、「万物は何で出来ているか」という問いを発したことに歴史的な意義がある。これと同じで、科学的に実証されるかを考える前に、哲学的に「どうなっているのか」という問いを発することに意義があったのである。ここで、私の唱える(4)番目の説「宇宙は、私に都合のいいように作られている」という哲学の説を唱える意義があるのである。

 

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