リンポウアカデミア

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心理学教室-幼児虐待は戦争より恐ろしい

2013-10-05 23:46:01 | 日記

ここ数年、日本でも親による子どもの虐待が社会問題として大きく取り上げられるようになりましたが、アメリカでは80年代からそれが深刻化していたのです。こうした虐待が問題視されるようになるまで、PTSDを引き起こす原因として注目されていたのは戦争、レイプ、災害などによるトラウマです。これはいずれもたった1回の体験によって生じるものでした。しかし幼児虐待や性的虐待は、たいがいの間、長いあいだにわたって日常的に続くものです。たとえば近親相姦をするような親は、自分の娘を1回レイプしただけでやめることはまずありません。暴力を振るう親も同じで、場合によっては酷たらしいせっかんが何年も続きます。それによって子どもが受ける心の傷の深さは、戦争やレイプの比ではないでしょう。一度の体験によるトラウマよりも、長期間に反復して受ける慢性的なトラウマのほうが、はるかに深刻なダメージを与えるのです。普通のPTSDは、過覚醒と感情鈍麻を起こすのが基本的なパターンです。しかし複雑性PTSDになると、その程度では済みません。ひどい場合には、人格がボロボロに壊されてしまうのです。ハーマンは、ボーダーライン患者もほとんどは過去に虐待の経験があり、そのトラウマが原因となっているのだから、これも複雑性PTSDの一つとして考えるべきだと主張しています。

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心理学教室-日常性と常識

2013-10-05 23:25:37 | 日記

ブランケンブルクは「自然な自明性の喪失」と題する著書で、アンネ・ラウという若くて自殺した女性の症例記載を通じて、「何が分裂病者の人間存在の基礎において障がいされているのか」を論じた。:アンネは入院時20歳の、寡症状性の分裂病である。アンネは小さいときから一人ぼっちでほったらかしにされていたが、「おとなしくて文句一ついわぬ」「いい子」だった。入院以来のアンネは、うまく表現できないことに苛立ちながら、さまざまな言い方で「自分には自然な自明性が欠けている」ことを訴えた。「私に欠けているのは何なんでしょう。ほんのちょっとしたこと、ほんとにおかしなこと、大切なこと、それがなければ生きていけないようなこと・・・」「誰でも、どうふるまうかを知っているはずです。そこにはルールがあって、誰もがそれを守っているのです。でも私にはそのルールがまだはっきり分からないのです。私には基本が欠けていたのです」「どんな子どもでも分かることなんです。ふつうならあたりまえのこととして身につけていること」「それは知識じゃありません。それはわかったり理解したりできるものではありません。たぶん両親だけが-そう、たぶん両親なんでしょう-両親とまず結びつきがないと-一人の人間としての結びつきがあって、それではじめて理解できることがあるのです」「ことばは聞こえます。ただ、人の話に心から入っていくことができないのです」「いろいろ考えるのをやめるなんてこと、不可能です。感情がないから、なんとかその埋め合わせをしなければならないのです」(昼田源四郎氏)

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心理学教室-ほめて叱って子どもは育つ

2013-10-05 23:10:07 | 日記

このような激しい自己愛憤怒が起こらないようにするには、まず、多少傷ついてもバラバラにならないようなしっかりした自己を本人が持てるようにするしかありません。子どもの自己愛は、ふつう親が自分に愛情を注いでくれることで満たされます。小さな子どもには、「自分はすごい、えらい」と思いたがっていることで満たされます。アンヨができたとき、母親が「すごいわね」「えらいわね」とほめてくれれば、子どもはさらに自信を持つことができます。人間の子どもが一人前になるには、いろんなことを覚えなければなりません。しかし、それを次々とマスターできるのも、こうした自己愛があるからなのです。といっても、単にほめちぎればいいというものではありません。悪いことをしたときに叱るというのも、小さな子の自己を育てる上で重要なのです。叱られることよりも、無視されるほうが、ずっと自己愛は傷つくのです。つまり、子どもの自己愛は親が自分に注目してくれているということで満たされるというわけです。いいことをしたら、ほめる、逆に悪いことをしたら叱ることも、大切な親の役割です。

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心理学教室-自己愛憤怒は恐ろしい

2013-10-05 22:50:28 | 日記

ボーダーラインの患者が他人とうまくつきあえないのは、自己愛の満たし方が未熟であり、また感情を体験する自己がしっかりしていないせいだとコフートは考えました。誰でも「自分がかわいい」という気持ち、つまり自己愛がありますが、ボーダーラインの患者の自己愛は、ちょとしたことでも激しく傷ついてしまいます。もちろん会社の上司からバカにされたり、人前で恥をかかされたりすれば、誰でも腹が立つでしょう。「自分がかわいい」という気持ちを傷つけられたから、その反応として怒りが湧いてくるのです。そういう怒りのことを、コフートは「自己愛憤怒(じこあいふんぬ)」と呼びました。もちろん、バカにされたり恥をかかされ、心が傷ついても、それが本当にひどいやり方でなければ、人間はふつう我慢します。ところがボーダーライン患者は、よくあるジョークや、多分悪気で言ったのではないだろうとふつうは笑って済まされるようなことでも、ひどい侮辱と感じて激しい怒りが生じるのです。さらにボーダーラインの場合、問題なのは、その怒りをコントロールすべき自己そのものがもろいために、ちょっとした出来事で自己がまとまりのないものとなってしまうことです。ボーダーラインの患者では、そのようなしっかりした自己がないので、その場で攻撃性を抑え得ることもできないために怒りが暴走しやすく、また、その怒りがなかなか収まらないものになりがちなのです。だからこそ、ボーダーラインの人が犯す殺人事件には、ひどく残虐なものが多くもなるし、「なぜ、ここまで」というくらい、しつこく攻撃することも多くなるのでしょう。ボーダーラインの自己愛憤怒は、激しく長続きするものになりがちなのです。(和田秀樹氏)

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心理学教室ー

2013-10-05 22:20:12 | 日記

風邪の強い日に、殿様が家老の「火の用心」をいいつけた。家老は奉行に、奉行は与力に、与力は足軽に、逐次火の用心を伝えた。その夜、火が出て城は丸焼けになった。この話はおおかた落語話なのであろうが、実は企業におけるコミュニケーションにも同じようなことが見受けられる。「社長曰く」がそのままの形で各段階を素通りしてしまうのである。コミュニケーションは、上の方で抽象的定性的なものであっても、下へ降りるにしたがって各段階で咀嚼(そしゃく)消化しながら具象化定量化してゆくべきものなのだ。(土光敏夫氏)

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