超兵器磯辺2号

幻の超兵器2号。。。
磯辺氏の文才を惜しむ声に応えてコンパクトに再登場。
ウルトラな日々がまたここに綴られる。

夏休みの宿題

2011-08-26 12:00:12 | 書籍
何度かここでも書いた記憶があるが、私は夏休みの宿題など大半は「夏休み前」に終わらせていた。「ご立派」と褒められそうに聞こえるかもしれないが、そう感心されるものでもない。海や山、プール、虫捕り、田舎へ旅行・・・「帰ったらあの『宿題』をやらなければ」という「邪念」があって遊びに集中できないのが「嫌い」だったのである。
夏休み前にテスト勉強さながらに詰め込んで「宿題」を消化して終業式を迎え、心ゆくまで夏休みを遊び過ごす、という信条だった。登校日もほとんど出たことがない・・・

さすがに宿題全部ではない。絵日記的なものは先に書いておくわけにもいかないし、ラジオ体操も「やり貯め」はできない。(実はこういう毎日のコツコツとしたヤツがそもそも性に合わない?!)
「ラジオ体操第一と第二を6回連続でやるからシールください」と言って怒られたこともある。
一番苦手だったのが、「自由研究・自由工作」である。工学部だからと言って「何かを作ることが得意」ということは決してない。
むしろ私は「言われた問題は解くが、自分で何かクリエイティブなものを生み出す力は乏しい」少年だった。
休み明け、皆の作品が自由工作展に並ぶとき、「マッチ箱でカニを作る」幼稚園レベルの私に対し、どうしたらこんなにスゴイヤツを作れるんだろう?と不思議に思っていた。
そのうちに「やるもやらぬも自由研究」とか勝手に解釈して提出もあまりしなくなった。。。

次に苦手だったのが、読書感想文である。当時私の読書は恐ろしく偏っていた。簡単に言うと「宇宙モノ」と「歴史モノ」と「刑事コロンボ」である。
それ以外の読み物には何の興味も持てなかった。だいたい教育委員会推薦の「課題図書」を読むなど苦痛以外の何物でもなかったのだ。
こればかりは8月の終わりくらいになると白紙の原稿用紙を前に頭を抱えていたものだ。
電車で1時間以上通学、通勤をするようになって私の読書力はだいぶ変わったと思う。特に最初は偏っていたものが、「勧められた本を無邪気に読む」ことができるようになってから、各段に広がった。
特に「読んだ本について語り合うと楽しい」という中学生でも知っている事実を体感するのに40年近くも回り道してきたのは恥ずかしいことだが、それなりに色々語れるようになってきたのは大きな進歩だと思う。

さて、夏休みの宿題と奮闘しているのは息子甘辛だが、どうやら私と同様「自由研究」と「読書感想文」を残してしまっているらしい。彼も「他の宿題などいつでも片付けられる派」のようだが、夏休みに入っても何も始めようとしなかった。。。妻にうるさく言われてしぶしぶやっていたが、さーっと終わらせたようだ。
やりかけでも「邪念」として残らず、全然気にならないところが私より「大らか」ということか?というよりズボラという感じだが。
自由研究について、奇抜なアイディアで何かを探求したり、毎日コツコツと観察したりするのが私と同様苦手で「何も考えていない」ような甘辛に「掟破り」なんだが、一瞬で解決する「神の言葉」を提供した。(ホントはいけないんだけど甘いねー)
「納豆作ればいいじゃんか」
そう、我が家には秘密兵器があったのである。震災直後に小夏さんサイトで知って即決で購入した納豆キットである。
1回やってみて見事に成功した。まだまだ気温の低い時期なので発酵処理期間の温度維持に苦労したが、今は夏なので40度くらいは軽く保持できる。(実は作製時は急に涼しくなって苦労したらしい)
私の作品を食した妻が「どうも圧力釜での『蒸し』が足りなかったようだ」と分析していたので長めに時間をとっていた。

自由研究テーマの選択にあたってのコメントはこんな感じを想定した。。。
「今年大震災発生後、スーパーの売り場から我が家の朝食には欠かせない納豆が消えていた。納豆は大豆から作製するので、納豆菌を入手し、インターネットで製造方法を調べて自分で作ってみようと考えた・・・・」
ホントは全部キットになって揃っているんだが、「虚偽」にならない範囲で道具も自分で調達すればよい。「これで今年の自由研究大賞(そんなのあるか?)はいただきだー!」と吠える私に妻は「あざといねー・・・」
そうです。その通りです。「一発勝負に弱い」私はこうやって地道に点数を稼ぎ重ね、今に至ったわけであります。。。

次の難関が読書感想文だ。中学生の課題図書は「聖夜」「スピリットベアにふれた島」「夢をつなぐ 山崎直子の4088日」別にこれ以外でもよいらしいが。。。
息子はブーブー言っていたが、「全部読め!」とランドマークプラザで買い込んで帰った。私が読む気になったのである。
当人優先とするためまだ「聖夜」しか読んでいないが、なかなか深みのある普通に読んでも楽しいものだった。

主人公一哉は高校3年生、ミッション系スクールのオルガン部部長である。父は牧師で、祖母と3人で教会に住んでいる。母はオルガン/ピアノの演奏者だったが、一哉が10歳のときにドイツ人と駆け落ちしてしまった。キリスト教、宗教音楽の環境に育ちそれなりの才能を持った彼だったが、母の「背徳」が心の大きな傷だった。
文化祭で各自楽曲を演奏することになったが、一哉が選んだのは母親がその昔弾いていた難曲「メシアン」だった。ところが同じ音楽ではあるが「ロック」を通じて近づいた友人と当日本番に失踪、深夜のバンドを見に行ってしまう。。。
父との話でこれまで目を背けてきた母の面影を少し知り、クリスマスでは同じ曲を演奏することに決める主人公・・・

時代設定は私達よりも少し前のようだから面白い。
母親への微妙な思いや恋愛、音楽への鬱屈した姿勢などに加え結構パイプオルガンやらバロック音楽やら専門的な話も多く興味を持てる。
演奏曲は「メシアン」の「主の降誕」から「神はわれらのうちに」というものだった。すぐに聞いてみようとレンタル屋CD屋に走ったがマイナー過ぎる?のか全然見当たらなかった。。。
今はよいが、私が中2の頃読んだらどんな感想文を書いただろうかなー。たぶん恐ろしく貧しいことしか書けなかったろう。少なくともメシアンを聞いてみよう、とい気にはならなかった。興味分野も人間の幅も狭かったからな。
息子甘辛は読んでみて「なぜタイトルが『聖夜』なのか分かった」と言っていた。結構いいことを書くかもしれない。30数年前にタイムスリップしたとして。。。

「聖夜」を読んで        
2年6組 磯辺太郎

一哉は文化祭で「メシアン」という専門家のコーチでも感心するような難曲に挑戦します。メシアンは自分が小さい頃母親が弾いていて、その難しさが自分を置いて出て行った母親への思いがそうさせたのだと思います。でも当日彼は逃げました。うまく弾く自信が無かったのか、弾けるけど納得ができなかったのか、母に対する気持ちの整理ができなかったのか、理由はよくわかりません。
恐らく全部だったのだろうと思います。
下級生の青木瑛子は一哉を好きになり告白しますが、彼は全然興味を持ちません。正直もったいないです。また1年生の天野真弓に対しては当人自身よりも「演奏」を好きになっています。
「音」や「演奏」を通じて人を見るというところに自分達にはない「才能」という分野を感じます。
私はクリスマスの演奏までに一哉は母親が自分宛てに出して父に保管されていたたくさんの手紙を読むべきだと思います。またそれがどんな内容だったのかを憶測するのもこの物語の面白いところだと思います。(終わり)


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