日々是マーケティング

女性マーケターから見た日々の出来事

「バブル」の頃が懐かしい?

2016-12-04 21:12:02 | アラカルト

調べものをしていて、フッと目に留まった記事があった。
ダイヤモンドビジネスオンライン:「平成元年」驚きの回顧録

昭和天皇が崩御された時、日本は「バブル景気」の真っただ中にあった。
正しくは「バブル景気に翳りが見え始めていた」といったほうがよいのかもしれないが、世間は天皇崩御という暗い雰囲気の中で、どこか「変な熱」を帯びていたような雰囲気があったように思う。
それだけではなく、社会が大きく変わり始めたころだったのかもしれない。

その一つが、「男女雇用機会均等法」の施行だろう。
「男女雇用機会均等法」の実施によって、女性が企業で働くことが当たり前になったのではなく、結婚後も継続的に仕事をすることが、当たり前になった・・・という変化だ。
「男女雇用機会均等法」以前の頃は、「寿退社」が当たり前だったし、それが「女性の人生の理想形」のような捉えられ方をされていたような気がする。
「雇用や昇進、厚生面などの面で、性差に関係なくチャンスが与えられる」という施行時の目的ではなく、「仕事を継続的にできるようになった」ということ点のほうが、施行後の大きな変化だった。
と同時に、大卒女子を企業が積極的に採用になった、ということも大きな変化だったと思う。

とはいうものの「バブル=泡」のような、うたかたの時はアッという間に過ぎてしまう。
その後の経済変化は、社会にも大きな影響を与え、バブル崩壊時に小中学生だった人たちの多くは「堅実」な、生活志向になっていったように感じる。
自動車の取得率なども、「バブル期」に取得した世代と「崩壊後」の世代では、随分違う。
「公共交通機関を利用すれば、ほとんどの所へは行くことができる=クルマは無くても生活ができる」という、生活志向に代わってきたのもバブル崩壊後世代に顕著な傾向だろう。

だが、最近女性週刊誌などを見ていると「バブル期」を懐かしむような、記事があったりする。
「ビックコミックスピリッツ」で掲載され、その後大ヒットドラマとなった「東京ラブストーリー」が、同じ出版社から発刊されている女性週刊誌に掲載されるようになった。
「50代になった主人公たちの今」というのが、テーマのようだ。
それだけではなく、バブル期にもてはやされた?イケイケな女性たちを取り上げるような女性向けのコミックスもある。
ただし、このようなコミックスでは「いまだにバブルを引きずっているイタイ中年女性」という、扱われ方だ。

しかし、記事全体を読んでみると「バブルの頃が懐かしい」という部分だけではなく、「昭和」という時代の終焉が年号が変わったというだけの意味ではなかったような気がする。
とはいうものの、バブルの頃を懐かしむばかりでは、今という時代にそぐわない。
バブルで恩恵を受けた世代が、社会の責任世代となってきている今だからこそ、懐かしむのではなく「バブルの恩恵(=豊かさによって育まれた文化)」を社会に還元する必要があると思う。

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市場を充実させるためには、ライバルが必要

2016-12-01 20:07:38 | ビジネス

今日、コンビニに寄ったら保冷のデザートのショーケースに、目新しいパンがあった。

このパッケージを見て、何か気づかれただろうか?
ここ数年人気になっている「生クリームばん」が、コンビニで売られていたのだ。

「生クリームぱん」と言えば、真っ先に思い浮かべるのが「八天堂」さんではないだろうか?
元々は広島の三原市という、地方都市のパン屋さんだったのだが、数年前から話題となり、今や大都市の駅ナカなどで売られるようになった・・・という、ヒット商品だ。

その「八天堂」さんと同じ分野(というべきか?)のパンを、コンビニで扱うようになった、ということのようだ。
この「清水屋」さんは、岡山のパン屋さんで創業も「八天堂」さんよりも、随分新しい。
実はこの「生クリームパン」を見た時、少しうれしかったのだ。
理由は、「ライバルが登場」したということが、嬉しかったのだ。

ご存じの方も多いと思うのだが、この「生クリームぱん」の市場というのは、「八天堂」さんが切り開いた市場だと思う。
「八天堂」さん以外にも、作っていたパン屋さんはあったのかもしれないが、大評判となり「生クリームぱん」という市場を創ったのは、「八天堂」さんだと思う。
そのため、どこへ行っても「生クリームぱん=八天堂」という、状況になっていた。
「生クリームぱん」の市場そのものが、八天堂が独占をしていた・・・という状況になっていた、と言っても過言ではないと思う。
だが、それでは「生クリームパン」という市場は、広がってはいかない。
市場を広げるためには、「ライバル」となる企業が必要なのだ。
なぜなら、完全独占状態の市場は、いつか生活者が飽きる等のリスクがあるからだ。

例えば「萩の月」という、仙台の銘菓がある。
この「萩の月」が発売された当初、話題になり「仙台土産=萩の月」というイメージさえ作られた感がある。
ところが「萩の月」の大ヒットにより、様々な地域の菓子店で「萩の月」の類似商品を作り始めたのは、ご存じだと思う。
もちろん、そっくりそのまま「萩の月」をマネしていては、地方のお土産としての魅力は無い。
そのため、それぞれの製菓企業が、オリジナルに近いお菓子を作り始めたのだ。
「萩の月もどきだけど、地域色が感じられる」という工夫を、後発の製菓企業はしている。
その結果、「萩の月」そのものの市場的価値は揺るがず、「カスタード入り蒸しケーキ」というお菓子は、全国各地へと広まっていったのだ。

このような傾向は、お菓子だけの事ではない。
自動車メーカーにしても、複数の企業があり、個々の企業が「自社らしさ」を求めながら、自動車という市場を拡大させていった。
生活者に対して「選択肢を与える」ということは、市場の活性化と拡大を導くものでもあるのだ。



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ジビエは、地域活性化につながるのか?

2016-11-30 19:30:56 | ビジネス

週明けには、名古屋へ戻っていたのですが・・・体調不良でお休みをしていました。

名古屋に戻るために、高速バスをよく利用する。
米子から大阪までの距離移動なのだが、その途中休憩となるのが兵庫県の上月Pだ。
上月Pの名物となっているのが、「シカコロッケ」で、遅い時間に到着すると完売している。
その意味では、「(私にとっての)幻のコロッケ」なのだが、今上月Pがある佐用町では「ビジエ料理」で、地域の活性化を目指しているようだ。
佐用ジビエグルメ:佐用町のジビエ料理店紹介

ここ数年、地方では「獣害」と呼ばれる猪やシカなどによる「食害」が、問題となっている。
そこで、地元猟友会と協力し合い、ある程度個体を減らそう、という動きが出ている。
問題は、殺した猪やシカの処分だ。
そこに目を付けたのが「ジビエ料理」だ。
欧州では、一般的(?)な「ジビエ料理」だと言われているが、日本では「牡丹鍋」程度の認知しかなかったと思う。
その「牡丹鍋」も、食べられる場所が限られていたり、「独特の臭みがあるので食べにくい」という話もあり、一般的な「鍋料理」とは、言えない(と感じている)。
本当は、新鮮な猪肉であれば、臭みもなく低カロリー・高たんぱくな食材らしいのだが、やはり「流通」という点や調理方法などが、紹介されていないため一般的とは言えない存在だ。

他にある日本的な「ビジエ料理」となると、佐用町のジビエ料理店のような「コロッケ」や「カツ」といった、メニューになってしまうのは、仕方ないのかもしれないのだが、せっかく「ジビエ料理」で町おこしをしよう!というのであれば、もっと積極的な提案があっても良いのでは?という、気がしている。

例えば、山形の庄内地方の素材を使ったイタリア料理店「アルケッチャーノ」のような、「わざわざその地域に行かなくては食べられない」というような、メニューやお店作りなどが必要のような気がする。
実際、島根県の邑南町では「A級グルメ」として、地域の酪農を活用したイタリアンレストランを作っていたり、通信販売を行っている。
素材香房ajikuea:里山イタリアンAJIKURAセレクト A級グルメ

アルケッチャーノや里山イタリアン「AJIKURA」は、ジビエ料理を提供しているわけではないのだが、コロッケやカツといったメニューだけでは、本格的な「ジビエ料理」を紹介するには力不足という気がするのだ。
地域内で、本格的な「ジビエ料理」を提供することが難しいのであれば、同じ兵庫県内である神戸の飲食店と協力をしあう、という方法もあるだろう。

「地域に人を呼ぶ」仕掛けとしての「ジビエ料理」なら、地元の料理店が作れる料理+αの魅力が必要だと思う。
その+αの部分が「本格的ジビエ料理」という、気がする。
「ジビエ料理」を通して、神戸の飲食店(の顧客)と佐用町の交流が、生まれればより魅力的な地域の活性化につながるような気がするのだ。

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もうしばらく、お休みをします

2016-11-26 16:43:54 | 徒然

しばらくお休みをしています。
実は、急遽母の十三回忌の法事が決まり、帰省をしております。
法事は今日終わりましたが、その後の独居老人の父の世話をして、名古屋へ帰る予定です。
後2日ほど、ブログをお休みいたします。
再開は、月曜日か火曜日の予定です。

良い週末をお過ごしください。

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「産後仕事を辞めない」のは、女性だけの変化か?

2016-11-23 10:24:50 | ライフスタイル

毎日新聞のWEBサイトに、「産後、仕事を辞めない女性が増えている」という、記事が掲載されていた。
毎日新聞:20代追跡調査 出産後は仕事をやめる 10年前の4分の1

この数字だけを見ると、「結婚後、仕事をするのは当たり前。出産後も継続的に仕事をする女性が増えている」ということになる。
本当に、彼女たちは「仕事を出産後も継続的に仕事をしたいのか?」という、視点で考えるとどうなのだろう?と、考えてしまったのだ。

というのも、私の周囲では「仕事を辞めない理由」の一つに、「子育てにお金がかかる心配」をしている女性が、少なからずいるからだ。
私とほぼ同じ世代は、「寿退社」が一番祝祝福される退職理由だった。
その後、「出産退職」に代わっていったのだが、その当時は「子育てにかかるお金の心配」というのは、今ほどではなかったような気がする。
「都市部」という条件付きだが、「お受験」という言葉が、一般化し始めたころから「子どもへの教育費」が跳ね上がったような、気がするのだ。
そのために、仕事を継続的にしていく必要がある、と考えている女性も少なくないのでは?という、ことなのだ。

もちろん、「仕事にやりがいを感じ、キャリアを継続させたい」という女性も、数多くいると思う。
だからと言って、日本の企業は「キャリアを継続」していると思っているのだろうか?
今話題のTBS系で放送されている「逃げるは恥だが役に立つ」の先週の放送で、以下のような場面があった(WEBで視聴できるので、テレビが無くても番組を見ることができたのだが)。
主人公・みくりの叔母土屋百合に、セクハラ+パワハラ疑惑の告発があり、担当部から呼び出しをされ疑惑が晴れた時、百合の同期の担当者が
「産休や育休で、キャリアから外れた私たちからすれば、希望の星なの。だからこんなこと(=セクハラ+パワハラ疑惑)で、ダメになってほしくないのよ」
という趣旨のことを、百合に言ったのだ。
百合の立場は、外資系化粧品会社の広報部副部長で、出産は当然。結婚もしていない(設定は「高齢処女」)。
いわゆる「キャリアウーマン」の典型(というか「ステレオタイプ化されたキャリアウーマン像」)だ。
コミックを原作としているにしても、リアリティーのある台詞だった。
様々なメディアには、「子育て経験のある女性役員」を紹介する記事が目に付く。
しかし、彼女たちが「普通ではない」からこそ、様々なメディアに登場しているのだ。


確かに20代女性は、出産後も継続的に仕事をしたい・・・と考えているだろう。
その彼女たちを本当に「仕事をし続けたい」と考え・実行できるような社会なのか?
「仕事をすることが当たり前」という、社会的雰囲気を作り出しているだけなのではないか?
今日の日経新聞に掲載されていた「東大首席の乙女心」を読むと、そんな気がしてくるのだ。
日経新聞:東大首席の乙女心 ヒラリー敗北に結婚観も大揺れ
そのような視点で、データを見る必要があるような気がする。






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専門外に興味を持つ

2016-11-21 16:38:08 | 徒然

土曜日の早朝、寝ぼけた状態でボンヤリと聞くFM番組がある(名古屋地区の放送が土曜日の早朝なだけで、局によって放送日・時間が違う)。
その番組を何気なく聞いていて、思い出したコトがあった。

今回の番組の内容は、現在東京上野にある国立科学博物館で開催されている「ラスコー展」を監修された、海部陽介さんのインタビュー。
TFM いのちの森:ラスコー展 海部陽介さんインタビュー(3)

ご存じの方も多いと思うのだが、ラスコーの壁画はクロマニオン人が洞窟に描いたと言われている。
躍動する牛などの絵が有名だが、そのクロマニオン人については、私の勉強不足なのか?あまり知らない。
海部さんは、洞窟の絵から「クロマニオン人の暮らし」が、ある程度見えてくるという。
登場する動物たちは、クロマニオン人にとって近しい動物たちであり、狩猟の対象であったという推察だ。

この話で思い出したのは、日清のカップヌードル「hungry?」のCMだ。
カップヌードル:hungry?
随分古いCMなので、ご存じのない方もいらっしゃるかもしれないのだが、このCMは「原始人が集団になって獲物であるマンモスなどの巨大な獣を狩る」という内容のCMだ。
残念ながら、このCMの原始人たちは獲物を狩ることができず、逆に巨大な獣にあしらわれてしまう。
一枚も二枚も、巨大な獣のほうが上手だった・・・という、オチがある。
だからだろう、見ている側はなんとなく、ほのぼのとしてしまう。

しかし、現実にこのような状況で巨大な獣たちが狩られ、絶滅してしまっているとしたら、どう感じるだろうか?
この「ラスコー展」からは、そのようなクロマニオン人たちの「暮らし」が見えてくる、という。
海部さんは、当時は「定住生活をしてない」ため、獲物を求めて移動する生活であっただろう、と推測している。
マンモスなどの大型動物の多くは、地球の気候変動によって絶滅した、と言われているがそれだけが、絶滅をした理由にはならないのでは?という、ことのようだ。

その一方、現在の私たちが目にすることができるアフリカなどの野生動物は、実は「人の暮らしと共に変化することができた動物である」という。
確かに「ホモサピエンスの始まりは、アフリカ大陸にある(「ミトコンドリア・イブ」と呼ばれる女性)」と、言われている。
だからこそ、アフリカの動物たちは道具を使い始めた、人と共存するために進化することができた、という発想だ。
原人からホモサピエンスへと進化していく過程で、ヒトはアフリカ大陸を出、ユーラシア大陸やヨーロッパへ、ベーリング海を渡り北米大陸や南米大陸へと移動していった。
その当時は、「狩りをしながら移動する生活」であったため、ヨーロッパ・ユーラシアなどの大陸にいた動物たちが狩られ、絶滅に至った・・・というのが、海部さんの説だ。

そう考えると、人の暮らしは移動から「(農作物や畜産をする)生産をする」ことを身につけた定住へと変化し、家族と生活をする、という「暮らし」を作り出したのだとすると、「(様々なものを)奪い合う」発想は、原始人からの名残なのかもしれない。
hungry?の原始人たちは、分け合うということを知っていただろうか?
そしてどんな社会だったのだろう?
そんなCMを見たくなった。

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「環境経済」という視点で考える

2016-11-19 21:07:30 | ビジネス

今日、某大学が年に1回くらいで開催している、「公開講演会」へ出かけてきた。
「環境経済学」という視点で、戦後の公害問題と経済、社会の関係について大阪市立大の宮本憲一先生の講演だった。
講演会を聴きながら、1960年代~70年代の日本の豊かさについて、考える部分が多くあった。

特に1960年代というのは、日本が第二次世界大戦後急激に発展を遂げた時代というだけではなく、日本が世界から注目された時代でもあった。
その多くは、華々しいものが多いという印象があるのだが、その陰に隠れるように「公害病」と言われる、経済発展がもたらした「人的社会問題」もクローズアップされた時代でもあった。

その代表は、やはり「水俣病」だろう。
熊本の水俣にある「チッソ」が八代海沿岸に垂れ流したメチル化水銀を原因とした、食物連鎖によって起きた公害病である、ということは今では知られているが、その当時は企業だけではなく経済政策を優先していた政府や行政などが隠ぺい策を取っていた、という話には驚きもあった。
「水俣病」をはじめとする「四大公害病(「水俣病・新潟水俣病・イタイタイ病・四日市喘息」)」は、その当時の経済政策が起因となっただけではなく、今のような「東京一極集中化」を作り出す要因でもあった、という内容には考えさせられるものがあった。

また、「日本版マーキーズ法」が日本の自動車産業の世界的進出に大きく関与した背景には、自動車メーカーの様々な思惑があり、トヨタや日産が乗る気ではなかったのに対し、自社での技術開発に手を上げたのはマツダとホンダであった、という事実に意外な気がした。
しかし考えてみれば、その当時、ホンダは四輪車の製造・販売の認可が下りた直後で、何としても四輪車の事業を発展させる必要があったはずだ。
四輪車事業に対して、人一倍思い入れがあった本田宗一郎からすれば、「日本版マーキーズ法」はピンチではなく、チャンスと考え、技術開発に投資をするコトを考えたのではないだろうか?
また、マツダにしても「ロータリー」の技術を活かすためのチャンスと、とらえていたのかもしれない(自動車のエンジンについて詳しくはないので、違っているかもしれないのだが、当時のテレビCMの印象から、このような背景があったのでは?と、考えている)。
マツダとホンダが、自社での技術開発に手を上げたことで、日本の自動車業界全体が「日本版マーキーズ法」の沿ったクルマを作るコトになり、それが日本の自動車産業全体を押し上げ、世界市場で受け入れられるようになった、というのは良かったことなのかもしれない。
そして、自社での技術開発に手をあげた2社の姿は、今現在の企業イメージと重なる部分があるような気がした。

高度成長期に起きた「公害病」は、決して企業だけの問題ではなく、その当時の経済政策や行政の思惑、何より社会全体が「公害に目をつぶっても、経済優先」という思考であった、という話は、今でも考えるべき問題だろう。
その一方で「環境ビジネス」と呼ばれる、ビジネスを聞くようになって久しいのに「環境ビジネス」の本質を考えなくては、それは「環境」という名がついただけの「金儲け」になってしまっているのでは?という、懸念も感じた。

余談だが「水俣病」そのものは、50年以上たってもいまだ解決をしていない「公害病」で、水質汚染による公害は時を経て拡散するコトはあっても、収束するには至らない・・・という事実は、「東京電力福島第一原子力発電所事故」の後始末の難しさを改めて教えられた気がする。

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「少し休もうよ」が、必要なのかも?

2016-11-18 21:58:08 | ライフスタイル

朝日新聞のWEBサイトに、外食産業の24時間営業の見直しが進んでいる、という趣旨の記事が掲載されている。
朝日新聞:ロイホもマックも・・・外食24時間営業、なぜ縮小

実は、このような「営業時間の縮小」という傾向は、外食産業に限ったことではない。
一部百貨店なども、営業時間を短縮したり定休日を復活させたり、初売りを遅らせるという動きが出てきている。
WWD:三越伊勢丹が3店舗で営業時間を短縮
ワールドビジネスサテライト:百貨店に休業日復活、脱「拡大」へ転換?

確かに、24時間営業していることはユーザー側にとって、便利なのかもしれない。
しかし、本当に「便利」なのだろうか?という、疑問を常々持っていた。
というのも、真夜中にファミリーレストランやファーストフード店で過ごす人、そのものは、昼間の利用者に比べれば圧倒的に少ないと思ったからだ。

「派遣切り」などが社会的問題となった頃、インターネットカフェや24時間営業のファーストフード店で一夜を過ごす人たちの姿が、テレビ等で度々報道された。
インターネットカフェやファーストフード店で一夜を過ごせない場合、駅の通路で段ボールにくるまり過ごし、そこからホームレスになっていく・・・という人の姿もあった。
その意味で、24時間営業のファーストフード店は、彼らの「生活の場」としての受け皿となっていたのかもしれない。
反面、そのために多くの非正規雇用の学生バイトなどが、本分の学業に支障をきたすということも問題になった。

そもそも、上述したような「生活の場所がない」という人達以外で、24時間営業のファミレスやファーストフード店を利用している人達は、どれほどいるのだろう?
「営業をする」ということは、それなりの「経費」が掛かるということだ。
「経費と利益」のバランスを考えた時、本当に24時間営業である必要があるのか?という点を、考え直す時が来たのではないだろうか?

百貨店の休業日の復活や初売り時期を遅らせる、ということにしても、休業日があった頃それほど不便なことがあったのだろうか?と、思うことが多い。
百貨店すべてが、一斉に同じ日に休むわけではないので、買い物に行くにしてもさほどの不便さはなかったはずなのだ。

バブルの頃の「24時間戦えますか」以降、バブルが崩壊しても「営業をしていれば、わずかでも利益が出る」という、「利益神話」のようなモノに、引っ張られ営業時間や休業日が廃止されてきただけなのでは、ないだろうか?
それがいつの間にか「サービスの充実」という、名目にすり替わり、私たち生活者も「サービスの充実」だと、思い込んでしまっていたような部分は、ないだろうか?

常に何かを追い求める生活(や暮らし)は、息がつまる。
「少しは休もうよ」・・・そんな社会的気運が、新しい何かを生み出すような気がするのだ。

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「本音=真実」なのか?トランプ氏の今後

2016-11-17 23:29:00 | アラカルト

米国の大統領選が終わって、約1週間が過ぎた。
今日の朝日新聞に、フランスの社会学者・エマニュエルトッド氏のインタビュー記事が、掲載されていてとても興味深く読んだ(有料記事のため、ブログ内では紹介できず)。

見出しには「真実を語っていたトランプ氏」とある。
確かに、トランプ氏の発言には「真実」があったのだろう。
それは、トランプ氏支持者の「不満」という点だ。
拙ブログでも何度か指摘させていただいたのだが、トランプ氏の中心的支持者というのは「ラストベルト(=さびついた地帯)諸州」の保守的な人たちだった。
それらの地帯は、破壊された古い製造業の地域でもある。
実際、トランプ氏の次期大統領が決まってから、古い製造業とは全く関係のない(と言っては変だが)カリフォルニア州では「独立運動(というべきか?)」が起きているという。
カリフォルニア州と言えば、シリコンバレーをはじめとするIT産業の中心地で、経済的にも恵まれた州だ。
もちろん、もともとカリフォルニア州は民主党が強い州で、リベラル派が多いとは言われているのだが、そのような産業構造の違いが、支持者の不満の違いということになるのかもしれない。

ただ、今回トランプ氏を支持層の不満の多くは、同じ共和党出身のレーガン氏の「レーガノミックス」が原因となっている部分も大きい。
産業構造そのものの転換ができなかったのは、確かに企業が時代を読み取る力がなかった、ということにはなるのだが、富裕層や企業を中心とした優遇政策を推し進めたのは、共和党だった。

話がそれてしまったが、トランプ氏が不満層の「真実を語った」ことが、トランプ氏への支持につながった、というのがエマニュエルトッド氏の考えである。
本当にそうなのだろうか?
むしろ、トランプ氏の「演技」だったのでは?という気がしているのだ。

トランプ氏の予備選からのスタイルは、「支持者の不満の多くの原因は、支持者に問題があるのではなく、奴ら(話の内容に合わせ、民主党や移民に代わる)のせいだ!奴らを野放しにしていることが間違っている。そうだろう!?」という、敵をつくりやり込める、という方法だった。
「自分たちは、悪くない」ということを、言ってきたような印象を持っている。
それは果たして「真実」なのだろうか?

本当は支持者は「不満を共有できる仲間が欲しく、その代表がトランプ氏」であった、「本音」ということなのでは?
それはトランプ氏自身がよくわかっているのだろう。
この1週間で、随分「現実路線」的な発言が、増えてきている。
問題は、この「現実路線」を打ち出すことで、支持者は「裏切られた」と感じるのでは?
トランプ氏は、予備選から大統領選に至るまで、首尾一貫「不満を共有できる仲間」として、戦ってきた。
それが方向転換しはじめた時、支持者はどうするのだろうか?

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AIが、人の代わりをするのは、まだまだ先?

2016-11-15 21:31:57 | 徒然

最近、新聞などで目にすることが多くなった気がする「東ロボくん」。
東大入学を目指す?AIロボットのことだ。
確か先日の「東ロボくん」のニュースでは、「東大合格はまだまだ」という内容だったと思う。
NHK:「東ロボくん」成績限界で東大合格諦める

実は、このニュースを知って、少し安心をした。
昨年だっただろうか?AIの技術の進歩により、「10年後、AIなどのロボットに取って代わられる職業」が話題になったコトがあった。
意外だったのは、「言葉を使う職業」がその中に含まれていたことだった。
確かに「文法上の間違い」等は、人よりもロボットのほうが正確だと思う。
でも「感性」とか「心のうち」や「想像する」ということになると、パターン化することができないため、いくらAIの技術が進歩しても無理だろう、と思っていた。
「思っていた」というよりも、「思いたかった」というほうが、正しいかもしれない。

そして今日、日経新聞のWEBサイトに「知識に比べ幼稚な知性」というタイトルで、「東ロボくん」のことが取り上げられていた。
日経新聞:知識に比べ幼稚な知性 アンバランスなAI
今度は、違うことで考えてしまったのだ。

それは「人の知性」という点だ。
「今現在のAIは、人の知性には追い付いていない」ということだが、「私たちの知性はどうなのか?」ということが気になったのだ。
例えば、「モンスター化する人達」は、どうなのだろうか?
彼らの主張は、「自分」の事しかない。
「自分の都合を相手に押しつけ、主張し、自己を正当化」することで、自分の非を認めようとはしない。「詭弁」ほどではなく、小さな駄々っ子と同じだ。
そのような人たちが、増えているのでは?という、気がしたからだ。
それは学歴や職業、肩書などとは、関係がない。

AIの技術が進歩すれば、様々なパターンから「推測をする」ということが、できるようになるだろう。
それが「知識の集積」という部分のAIの強みだろう。
だからこそ、人は「知性」という部分を磨いていく必要がある。
上述したような「モンスター化した社会」というのは、AIにとって代わられる社会なのでは?という、気がするのだ。

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