『ガラクタ鑑定団』で雁谷哲の問題作『黒鍵(くろのキー)』の1巻を発見しましたよ^^;
この問題作の問題作たるゆえんが1巻ではぜんぜん出てこないので、ただのバイオレンス劇画なんだよなー、がっかり・・
なぜ問題作なのか知りたい方は↓参照
『ガラクタ鑑定団』で雁谷哲の問題作『黒鍵(くろのキー)』の1巻を発見しましたよ^^;
この問題作の問題作たるゆえんが1巻ではぜんぜん出てこないので、ただのバイオレンス劇画なんだよなー、がっかり・・
なぜ問題作なのか知りたい方は↓参照
ゴマブックスから再犯・・もとい再版された『聖マッスル』(ふくしま 政美)を紀伊国屋で購入。
全体の雰囲気はBlack徒然草さんのテキストを読んでいただければつかめるかと・・・
私の読後感は「ウーン、北斗の拳?」って感じ・・・とにかく謎の主人公が、暴力が支配する世紀末で、ラオウみたいなカリスマリーダーと共闘しつつ反目しながら、一匹狼で民衆の自由のために闘う救世主・・みたいな・・・
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「北斗の拳」ってのはここらへんの70年代の名作を、洗練させて継承して完成したもので(ちなみに北斗の拳は雁屋哲の「男大空」や「野望の王国」からも影響受けてる・・)、まぁ悪く言えばパクリなんだけど、世紀末バイオレンスマンガ(というジャンルがあるのかはわからんけど)は「北斗の拳」で完成度しつくされたんだなぁという気はするのです。
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たけくま先生も「パクリはマンガの本質」と申されておりますとおり、パクリ(共有)の中から傑作が生まれればまぁそれでもいいんじゃないのかしら
ただ、実際におおっぴらにパクッてえらいことになった事例も・・・・・そういえば、サルまんのミレニアム復刻版も買ったのですが、巻末の、さるまんに関係した編集者の座談会で「たけくまさんの持ってきた図版で著作権的にやばいものがあって修正が大変だった云々」とかあったなぁ・・
まぁサルまんについてはいくらそこで真実が語られているとはいえ、話半分に・・真実がまかりとおりすぎると、世間が不安になります。
あっかんべェ一休 坂口尚 講談社マンガ文庫
ブックオフで文庫版を購入。
なるべく文庫版よりは、普通のコミックサイズのほうがいかったなぁ。最近目が悪くなったので、欄外の注釈がよみづらくなった・・
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宗教が信仰とはまったく関係なく組織化されて、政治とむすびついて庶民の上に君臨するにするというのは世の常。
今日の小泉の参拝にしたって、靖国神社やら神社本庁が政治とズブズブの関係だということを世に示すだけのことであったなぁ・・
麻生外相が提唱している、靖国の非宗教法人化、国有化構想なんてのは、宗教(宗教法人ではないが宗教行為を)を国家機構に組み込むという意味で、現状以上に問題点があると思うわけよ。
まぁ神道だけでなくて、ここで盛んに出てくる仏教も然り。隣の国に目を向ければ、アメリカのプロテスタント原理主義が一番そういう政治との結びつきという意味で成功しているのかもしれない。
まぁ、古代~中世にかけては、学問できるところというとお寺しかなぁったわけなんで、権力者の側で黒衣の宰相として使えるというのも病むをえないのかなぁあという気はするが・・
現代においては政治と宗教のかかわりなんて、庶民にとっては百害あって一理無しだと思うのですよ。
・・・と、まぁそういう「宗教と政治、批判」はわしのテーマではあっても、坂口さんのテーマではないのでここらへんで・・・
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このマンガでの一休さんの生き方を通じて思ったことは・・・
わしも自由になりたい自由に生きたいと思っている時点で、すでに自分を自由では無くしているのだなぁと思ったことかなぁ・・
むかし、空手をかじったときに「『稽古する』のではなくて『稽古する自分になるんだ』」と先生に指導されたことがありました。
無心になることでも無く、気負うのでもなく、さりとて他の参加者も含む稽古全体の雰囲気を調和のあるものにするという感覚ですね。拳禅一如という感覚なのかな?
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特に物語終盤、一休の周囲に集まる、遊女たちの色っぽさがすごい。マンガの表現力だなぁ・・
花の慶示・・・薫の秘話・・・
ウーンここらへんでギブアップかなぁ・・・ラストが薫の秘話だというのがちょっとイヤーンな感じが残るが・・
しかし、初期の山岡だったら、今回の狂騒を見て「たかがガキの玉遊びに大の大人が一喜一憂するなんて滑稽だねぇ」くらいの毒舌を吐いていただろうにねぇ・・
雄山も「なんという騒ぎようだ!馬鹿どもにテレビを与えるな!」くらいのことを言ってほしいものですが・・・結婚式以後はずいぶんとおとなしくなってしまったし・・・
まぁ皆さんがいろんなところで言及してますから、そちらに譲るとしましょう。
・・参考リンク・・
山岡士郎、それは餓えた狼! いまや牙の抜けた虎といったところ・
「変ドラ」のあらかじめ雑記のこの記事やこの記事、まんだらけの岩井の本棚(これとか)、では魅力的な雄山を紹介。
今の美味しんぼののだめっぷりについてはmitleidさんの「美味しんぼ」のセリフで語る「美味しんぼ」が核心を突いている。
いつもの悪い先輩が「今週の美味しんぼは遺憾だ!」というので、久しぶりにスピリッツ読んでみたら「ワールドカップには負けたけどがんばれニッポン!!」みたいな内容。
まぁ、たわいも無い内容だとは思うんですが、雁屋先生のような政治意識の高い漫画原作者が、無自覚にナショナリズムを礼賛するとは、どうしちゃったの?というのが率直な感想。
私もナショナリズムをまるごと否定するつもりは無いのです。帝国主義(あるいはスターリン主義)の支配構造を崩すためのたたかいに被支配化の国民が結束するためのナショナリズムは必要だと思う。
まぁただ先進国の日本ではナショナリズムといっても、せいぜい“劣等民族をバカにすれば、我々日本民族は優越感を得る”というレベルのものだしねぇ・・それも侵略戦争の正当化や先進国が途上国を搾取することの正当化につかわれるのがオチ。
雁屋先生にはワールドカップやらオリンピックやらでふりまかれるナショナリズムの欺瞞を書いてほしかったのですが、料理と関係ないから美味しんぼじゃ無理だろうけど、マンガ「日本人と天皇」のコンビでどうかな!?
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ナショナリズムとは関係ないけど、スピリッツには「対米従属をやめてアジアの連帯を!」と熱く語ってた漫画があったよね。いつの間にか終わってたなぁ・・・
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後で小熊英二の「民主と愛国」あたりを読み返そうかな。浅羽道明の「ナショナリズム」あたりも
部屋が本で埋もれてきましたので、整理しました。
〇整理の基準
「昔の雑誌は棄てる」「なんとなく読み返してしまうマンガは棄てる」「とはいえ、マニアックなマンガは残す」の3点
〇実際棄てたもの
・トミーフェブアリー表紙の「ふぁみぴあ」(何でこんな女が好きだったんだろう・・)
・昔の週刊アスキー(ただ、田中康夫ちゃんのインタビュー記事だけは保存することにした。)
・アゴストスーパーグラフィックス(何で買ったんだかわからん・・サブカルっぽかったからかなぁ)
・週刊少年マガジンH15.11.26号(これは汚れた弾丸のために買ったようなものだが、無事単行本化されたようだし)
・アカギ・カイジ(まぁこれ以上、福本の単行本をダラダラ買い続けるのには、決別したいと)
・男坂(車田正美) (読み返すたびに切なくなるので・・未完・・)
・俺の空(プレイボーイコミックス版) (これってプレミアついてるのかしら?でもまぁもうぼろぼろだし、揃っていないから)
・獅子たちの荒野 (これも旧版、がんばったが揃いませんでした。、新装版でたので改めて買います。)
・日出処の天子(これも好きだったんだけど、読みたくなったらマンガ喫茶行けばいいしね)
・村上龍の小説(飽きたし、なんか旧作はどれを読んでも、残るものが同じような気がしてきた・・)
・ライトノベル・ゲームブックの類(さすがに大人になったら。読めなくなってきた。)
・辞書・ポケット六法・イミダス(もはや古いので)
↑といっても変なトラバやコメントは送ってこないように!!
「あれが愛の日々ならもういらない」(眠れぬ夜/オフコース)と心底思ってるのですよ。
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今日、2時間ほど時間を潰さなければならないんで、マンガ喫茶に行って「ついでにとんちんかん」を読んできたんですよ。
したら11巻だったかで、珍平が海に行って「彼女がほしいぃ」と延々のたうちまわる話があったわけさ・・・・でもなんだか最後には予定調和というには唐突すぎるくらいに、同級生と会って「ぽんちゃん彼氏いないの?」「やだぁいないよ。珍平君BFになってくれる?」と会話を交わして、2コマでカップル成立・・・
ウーン現実もこんなに簡単だったら・・・と、いや現実もきっとこうに違いない。明日さっそく試して見よう!!
昔ビジネスジャンプに連載されていた「どきどき」(集英社 YJC-BJ 山崎浩)
「まんだらけ」の岩井の本棚で紹介いただいたのはまぁうれしいことなんだけど、どうしてもロリとかエロという言葉でまとめられて、その部分が強調されてしまうのが不満。
俺は、小川、岩が水を吸う音、河川敷、鉄橋の秘密基地、クーラーの無い木造の家、木造の校舎、駄菓子屋、路線バス、縁日、スズムシ、アケビ、藤棚、銭湯・・・といった
平成の世の中には無くなった、昭和の街並、田舎の自然の風景の、描写のリアルさ、美しさ、少年少女の躍動感、微妙な心の動きを表現する表情の豊かさが、魅力なんだと思うんだよね。
もちろん、山崎先生が、子どものころ誰もが通過する、大人への憧れや、異性に対してどきどきしたリアルな感覚を、気恥ずかしがらずに、表現してくれたからこそ、これが傑作になっているのは確かなんだけど、それをエロとかロリとかいう言葉すると、作品の魅力が誤解されて伝わってしまう。
まぁどういう読み方をするかは読み手に任されてると思うんだけど、ロリだとかエロだとか感じるのは、この作品の本質ではなく、読み手の受け止め方の問題だと思う。ようはエロを求める人には「エロだ」と感じるし、自分の子ども時代を省みずに「子どもは純真無垢であらねばならない」という幻想にとらわれている人にとっても逆の意味で「エロだ」と感じるんでしょう。
http://www.edip.jp/yamazaki/ 作者公認HP
http://blog.goo.ne.jp/fusigifusigi/ ブログ(現在、未発表作品を自費出版されているそうです。他のブログサイトでもたくさんありますがとりあえずgooブログを)
http://blog.goo.ne.jp/fusigifusigi/e/e8926b23bdb85ca61050545bcfc27ed0(ブログでも同様の議論があったようです)
「不謹慎じゃないか」「いや作品への愛があるから良い」と賛否の分かれるはだしのゲン公式サイトゲンプロとか昔書いたわけですが、俺もネタで書いただけだったのよ、このときは。
最近、2chではこんな議論(→はだしのゲン日記12月12日参照)もあったそうで、「あれー嘘から出たまことになってしまったなぁ」と、
以前、こうの史代さんの「夕凪の街 桜の国」をご紹介しました。ハンマーがふりおろされる、ような希ガス:夕凪の街 桜の国
で、私も布教に勤めているわけで、この本を、知り合いの女の子に贈ったのですよ、この感動を分かち合ってほしいと思いまして。しかし、なんとですよ、このプレゼントに対するリアクションは
「ありがとうでも私『マンガ』ってうまれてこの方読んだことが無いのよ・・・」
というものでして・・・・うーんまずマンガ読んだことが無いというのが信じられんのだが・・・
実際ぱらぱらめくりだして、「これってどっちからどっちに読んでいけばいいの?」とか、「セリフと絵はどっちを先に読めばいいの?」と彼女は言うので、アレこりゃ本当だなと思いました。
マンガを読みなれていないと、このマンガでのさまざまな手法とか(突然被爆直後の背景がフラッシュバックしたり、紙ふぶきが桜の花びらに変わる中で現在から過去に場面が推移したり、といった)わかりづらいだろうなぁ
「まぁ繰り返し3回くらい読めばわかるんじゃない?」とアドバイスしたんですが
うん、でもまぁ、しょうがない。でも、俺が感動したことと言うのを、身近な人と分かち合えないというのはちょっとツライ正直。
皆さんどう思われますか?(コメント求む・・)* * *
あ、あと「こっこさん」「長い道」も買いましたよ。自分は、ぶっちゃけ今まで「ほのぼのファミリーもの」ってバカにしていたんですよ。やはりマンガは非日常性のエンターテイメントだろうと(まぁ長い道も非日常的といえばそうなんだけど)。
いやでも特に「長い道」を読んで見ると、登場人物の心の機微を表現するさまざまな表現、実験的な手法ができるものだなぁと、あらためて見直しました。
ただ単に「道」にと言うキャラに萌えてるというわけではない。(「こっこさん」では「ちくりん」が萌えるんよ。と率直に言えるが・・)