東武鉄道の30代前半の運転士が息子を運転室に入れて乗務したことが発覚し、会社がこれに懲戒解雇の方針が示したことに対して、多くの同情論が集まりました。報道によれば、電話やメールなどで「解雇は厳し過ぎる」などの意見が約2000件寄せられたとか。それにもかかわらず、東武鉄道はこの15日に懲戒解雇を決定、通告したそうです。(メルマガ「労務屋の労働雑感」がうまくまとめていたのでここから引用。同ブログ「吐息の日々」も参照ください。)
「北関東最強の労組(だった?)私鉄総連東武労組が動いて何とかしてくれる」という展開を期待していたのですが、現状では難しいのだろう。この運転手さんに同情的な世論の後押しもあるというのに、彼を救えないというのはとても寂しい。
懲戒免職という極刑ですよ。労働者にとっては死刑判決そのものなわけで・・少なくとも情状を酌量すれば停職や減給という選択になってもまったく不自然ではない。
会社的には、マスコミに出ちゃったから、見せしめの効果もあるから懲戒免職にしておきましょう、とかそういうレベルの話だろうけど、見せしめのスケープゴートにされてしまった労働者にとっては全然納得いかない話で。
そもそも、この会社では、どういう過ちをおかしたら、処分をどの程度のものにするかということについて、特段の取り決めが無く、会社が恣意的に処分の重さを決められることになるのですが、
仮に、前に別の人が、同じ状況で同じミス、あるいはより深刻なミスをしたとして、そのときは軽く減給処分だったけど、今回は同じミスなのに懲戒免職です、というのでは、罰を受ける側も納得いかないし、またその職場で働くもの全体にとって不安と不信を招くわけです。
もちろん最初から「運転席に部外者を入れたら理由を問わず懲戒免職にする」という規則があったならやむをえない、あきらめもつくだろうけど、
だから、この事件で教訓になったのは、「どんな過ちをおかしたら、どんな罰を受けるかについて、一定の基準を設けておく(この基準は労使で決める。別に厳密ではなくても幅を持っていてもよい)」という形で当局が恣意的に処分を決めることを制限し、そうすれば労働者もいたずらに不安な思いを抱かずに済むわけです。
(うちの職場でも、同じ酒気帯び運転で捕まって処分を受けるのに、以前は停職3ヶ月、今回は「懲戒免職」を言い渡されたという事例がありました。その際、組合が「何で差があるんだ」と当局に確認したら、「今回はマスコミに出ちゃったから・・・」という答えで、「同じ罪ならば罰も同じじゃなければ納得が得られない」と懲戒免職を撤回させて停職処分にさせ、なおかつ事後に処分の基準をつくってきた例があります。)