居住の条件・・・・人はどこに住みだしたか

2006-10-15 18:09:02 | 居住環境
 
筑波山の麓には、古代から人が住み着いている。

上の地図は国土地理院発行5万分の1地形図「真壁」(1990年発行版の部分)の標高60mより上に網掛けをしたもの。航空写真(国土地理院撮影)もほぼ同じ範囲。

山麓には等高線に沿い、東から「六所」「立野」「中坪」「沼田」・・と、今でも集落が並ぶ。もちろん、今ある住居は、古くても明治初年の建設だが、居住地としての歴史は、はるか昔にさかのぼる。

図上、「つくば市」の「市」の字の右手、東側で、60mラインはU字型にカーブを描き、西に開いた狭間をつくっているが(北、東、南を山・丘陵で囲まれる)、その一帯は水田で、古代は条里制水田。
今は、銘柄米「北条米」の産地。水田を流れるのは、筑波山系から湧き出したばかりの水、それがうまい米をつくる。

地図を見ると、山麓の大半の住居は、60mラインから下の標高30~50メートルに並んでいる。そこから上にはほとんどない。
筑波山麓では、この高さあたりで、山に降った雨水:地下水が湧き出る、つまり良質な水が得られる。

人が暮らすには、「水と食べ物が不可欠」。山麓のこのあたりは東から西へ、湧き水があり、容易に井戸も掘れ、目の前は絶好の田んぼ。おまけに南向き。風もあたらない。人が住み着いて当然の場所。古代以来人が住み着いた形跡がうかがえる。
  
60mラインを越え、筑波山神社に向かい等高線に直交している住居の群れは、江戸時代に幕府が人工的につくった筑波詣の参詣路。今は普通の住居だが、もとは旅館街(なお、水田を南北に過ぎる道も参詣路で、南は筑波の中心北条の市街に至る)。
この斜面の参詣路沿いの宿屋街の人たちは、飲み水をどうしていたのか?
地図をよく見ると、この参詣路の東西に、中腹で湧く数少ない水が流れている。「男女川(みなのがわ)」。この水が飲み水に使われたのである。今でも水は清んでいる。この川も先の田んぼに流れ落ちる。

しかし、60mラインに並ぶ住居も、隙間なく並んでいるわけではない。とぎれとぎれに並ぶ。
付近を歩いてみると分かるのだが、住居のあるところは気持ちのよい場所。ないところは、無理しないと住めないような感じの場所。
つまり、水もあり食糧もあるが、しかし・・・というような場所には住居はない。もちろん、人口が増えてくれば、そこにも人が住むようになるのだが・・・(そういうところにある住居は、大体新しい)。
 
かつて、人はどこにでも住んだのではない。居住の条件、居住地の条件として、「必要条件(水と食べ物)」と「十分条件(暮す気になる雰囲気がある)」を兼ね備えていなければ、人は暮さなかったのだ。
 
また、他の場所でも検討してみようと思う。

この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 木材だけでつくった長さ30m... | トップ | 鋳鉄の柱と梁で建てた7階建... »
最新の画像もっと見る

居住環境」カテゴリの最新記事