日本の建物づくりを支えてきた技術-9・・・・寺院の屋根と軒-2

2008-09-27 17:32:48 | 日本の建物づくりを支えてきた技術

[出典 追加 19.24]

先回は、一番前面の柱列上での組物の紹介でしたが、今回は、「軒」を深く出すための細工を紹介します。
「垂木」を受ける最前列の「桁」:通称「丸桁(がんぎょう)」が柱列より前へ出れば、同じ断面の「垂木」を架けても、出た分「軒」が深く出る理屈です。
また、柱列上の「桁」:「側桁」の位置が高くなり、建物も立派に見えますから、この点も考えてのことだったのでしょう。

今回の図版は「奈良六大寺大観 東大寺 一」「同 唐招提寺 一」から転載させていただきました。スキャナーの関係で編集してあります。[追加 ]

◇ 「出組(でぐみ)」:「一手先(ひとてさき)」とも言います。

上図の「東大寺 法華堂(=三月堂)」が「出組」が代表例のようです。
これは、先に見た「平 三斗(ひら みつど)」の、「大斗」に架けられた「繋虹梁」の「大斗」から外に飛び出た部分を少し伸ばし、その先端に小さな「斗」:「巻斗」を据え、「肘木」:「秤 肘木(はかり ひじき)」を載せ、さらに三個の「巻斗」を置きもう一段「肘木」を載せ、「丸桁」を受ける方法です。
「秤 肘木」の名前は、多分、「斗:巻斗」の上に天秤状に載っているからでしょう。
きわめて手がこんでいて、たしかに見映えは「平 三斗」よりも数段格好よくなります。
この方式は、中国には例がないようですから、日本の工人たちが独自に考え出したのかもしれません。

このようにして軒を深く出す方法としては、今回は図を載せませんが、一般には「梁」を外に飛び出させ、その先端に「桁」を置く方法:通称「出桁」:「でげた」または「だしげた」と呼ぶ:が採られます。これを何段も重ねるやり方は各地の住宅にあり、現在でも農家住宅では使う例があります(もっとも、「形」だけの例が増えていますが・・・)。
言うなれば、この「出桁」の方法を「中国風の姿」にしてみたのが、「法華堂」の「組物」と考えればよいのかもしれません。

◇ 「三 手先(みてさき)」

これは、「組物」としては最上級とされるもので、古代以来、寺院の中心的建物に用いられています。
形は、中国の寺院の普通の形にきわめて類似してきます。
「一手先」「三手先」とは、柱列から何段「迫出し」を加えるか、その数を言います。前項の「出組」は、「迫出し」が一段なので「一手先」になります。

上掲の「三手先」の図・写真は、「唐招提寺 金堂」の例です。
現在の「唐招提寺 金堂」は改造が加えられた姿で、創建時のものではありません。上には、復元想定断面図と現在の断面図とを掲げてあります。


「三手先」は、図で分るように、二段目までは前項の「出組」と大差はありませんが、三段目は方式が変り、「尾 垂木(おだるき)」上に「斗」が組まれます。
「尾 垂木」は、堂内側の「身舎:上屋」柱列まで伸び、端部が固定されています。「軒」が下がるのを「梃子」の理屈を使って防止しているわけです。

   註 「図像中国建築史」では、「尾垂木」に相当する部材を
      「昂」と標記し、その先端:表に見える部分:下端を「昂嘴」
      反対側の上端部(堂内になる)を「昂尾」と記しています。
      「字通」によると
      「昂」とは、音が「カウ(コウ)」、意味は「上がる」「高ぶる」。
      「意気軒昂(いきけんこう)」の「昂」。
      日本語で言えば「登り」というような意味でしょう。

      「尾垂木」という名称がどこから来ているのかは不明です。
      「垂木」「たるき」は日本語ですから、ことによると
      「大きな垂木」「大垂木」なのかもしれません?
      また、「垂木」を一字で「棰」とも書きますが、この字は
      日本の「造字」だそうです。

なお、「組物」を正面から見た写真で分るように、「丸桁」は、「肘木」の上で継いでいることが分ります。「丸桁」は、「肘木」に植えられた「太枘(だぼ)」で「肘木」に固定されています。
「肘木」がいわば「添え木:副木」の役をしていて、継手としては最も単純な方法と言えるでしょう。しかし、地上から見る限り、「継手」がどこかは判然としません。

   註 「肘木」や「斗」は、古代ギリシャ建築の「柱頭:キャピタル」と
      同じ理屈と言えます。
      石造建築では、横材:梁を、柱と柱の中間で継ぐことは無理。
      そこで、柱の上に置いた面積の広い部材の上に横材を置き、
      そこで継がれていたのです。
      後に、「肘木」「斗」同様、「キャピタル」も形式化します。

先回も触れましたが、日本の場合、平安の頃から「桔木(はねぎ)」と呼ぶ材を屋根裏に仕込んで「軒」を保持する方法が生まれます。
この方法は、誰でも現場で思いつくやり方ですが、中国伝来の「昂」:「尾垂木」も、そのヒントになっているものと思われます。

「唐招提寺 金堂」でも、現状断面図で分るように、改造にあたっては「桔木」が使われています。

   註 トラスも使われていますが、これは明治期の修理によるものです。

この「桔木」は、一般の建物では、外から見えても何の問題はないのですが、寺院等では、「中国風」にこだわるかぎり見せるわけにはゆかず、したがって、寺院では、堂内に「天井」が張られ、「細工」を隠せるようになってから使われるようになります。

この「三手先」の方法は、最上級の見えがかりになるため、奈良時代の巨大建築物「東大寺 大仏殿」にも使われたと言います。いわば「唐招提寺 金堂」の拡大コピーのようなものであったようです。
しかし、その巨大な構築物は、建立直後から柱には副柱が添えられ、軒も下がっていたという記録が残っているそうです。
「長押」で軸組を補強する方法には、限界があったことになります。

次回へ続く

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