ケイの読書日記

個人が書く書評

芥川龍之介「秋」(大正9年初出)青空文庫

2024-01-29 13:17:33 | 芥川龍之介
 これが大正デモクラシー時代の知識階級の(特権階級ではない)恋愛事情か…としみじみ感じる作品。

 信子は女子大学(この時代に女子大学なんて!すごいなぁ)に在学中から才媛として有名で、本人も周囲も彼女が小説家として身を立てるだろうと思っていた。しかしこの時代、女は学校を出ればまず結婚するという、世間の習慣や母親の期待には逆らえなかった。

 信子には、俊吉という同じく作家志望の従兄弟がいて親しくしていた。信子の妹と3人で一緒に展覧会や音楽会に行くこともよくあった。が、妹が俊吉に好意を寄せていると知った信子は、身を引いて別の男と結婚し、大阪へ行ってしまう。
 残された妹と俊吉は、姉の目論見通り結婚し、山の手郊外へ新居を構える。

 この2組の夫婦は、それぞれ小さなケンカはあるが、仲が良いんだ。信子夫婦の方は、夫は妻が小説を書こうとすることに反対している訳ではない。なによりも身ぎれいで都会的な夫を信子が気に入っている。ただ最近は、もう少し家計を節約できないかと小言を言われる。(結婚した芥川の世帯でも、こうした話し合いがもたれただろうね)
 妹夫婦の方は、夫の俊吉は希望していた通り新進作家として活躍し、雑誌にも時々名前が載っている。
 信子夫婦が、社命を帯びた夫と一緒に東京に戻った時、信子は一人で妹夫婦の家を訪問する。あいにく、その時は妹とお手伝いの人は外出していて、俊吉だけが家にいた。お互いに昔のような懐かしさが蘇ってきたことを感じ…

 安心してください。これは大正時代の知識階級の話。現代のようなドロドロした状態にはなりません。でも、丁寧に二人の、そして妹さんの心の動きを追っているね。見事です。

 そうそう、信子は妹の挙式の時に式に出ていない。手紙に「何分、当方は無人故、式には不本意ながら参りかね候へども」と書いて妹や母親に送っているが「無人」って何のこと?お手伝いさんを雇っていないから、家が留守になるので式に出られないってこと?
 それに信子夫婦は自宅で長火鉢を使っているし(捕り物帳みたい)信子が、夫の襟飾の絽刺しをしているという描写もある。という事は旦那様は和服をお召しになっている?いくら大正時代でも会社勤めの時は背広だろう。つまり家では和服に着替えるのかな?うーーーん、大正時代の習慣がよくわからない。
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芥川龍之介「奉教人の死」  雑誌「三田文学」大正7年9月号に初出

2024-01-19 10:04:54 | 芥川龍之介
 文体が難しいので読みにくいが、短いので頑張って読む。とても悲しいお話です。キリスト教の聖徒たちのお話を集めた本があり、その中の一つのすじを借りているようだ。本来なら、こんな素晴らしい信徒がいた。皆さんも信仰に励むようにと伝道のために書かれているのだが、芥川の作品は全く違う意図があるように思われる。

 長崎の「さんた・るちあ」という教会に「ろおれんぞ」という美しい少年がいた。数年前のクリスマスの夜、教会の戸口に、行き倒れになっていた孤児で、教会内で養われることになった。「ろおれんぞ」は美しいばかりでなく、信仰心も厚く、長老たちも一目置いていた。そのうち、同じ信徒の傘張の娘と噂になるようになり、「ろおれんぞ」が親密な仲ではないと否定するも、娘が身ごもっていることが分かり、赤ちゃんの父親は「ろおれんぞ」だと告白したので、彼は破門される。
 教会を追い出され、町はずれの非人小屋に寝起きする乞食(差別用語だと思うが原文に書いてある)となって、糊口をしのいでいた。

 一年余りたって長崎に大火事が起き、傘張の娘の家を猛火が包む。そこに「ろおれんぞ」が現れ、赤ちゃんを助け出し自分は焼けただれて死ぬ。傘張の娘は大泣きし「赤ちゃんはろおれんぞの子どもではない。私が家隣の異教徒と密通して生まれた娘」と懺悔するではないか! その証拠に「ろおれんぞ」の焦げ破れた衣の間から、清らかな乳房が見え…

 あらすじは大体こんなふう。これを読むと、信徒たちの阿呆さ加減が分かる。そもそもどうして「ろおれんぞ」を女の子と見抜けないんだろうか? たぶん性被害を避けようと、本人が男の子だと偽っていたのだろうが、貧しいペラペラな衣服を着ているだろうに、なぜ分からない? トイレや風呂や生理の時などどうしていたんだろう。
 「ろおれんぞ」も悪い!自分は女だから、赤ちゃんの父親であるはずがないと自分の性別を明かせば、一発で疑いが晴れるのに、それをしないのは娘を庇っているから?
 周りの信徒も信徒だよ。この冤罪事件、どうするつもり!? 傘張の娘の言い分だけ聞いて、一方的に破門しちゃってさ。「ろおれんぞ」の死を「殉教」なんて持ち上げて、自分たちの責任を転嫁するんじゃない!!!
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芥川龍之介 「藪の中」 青空文庫

2024-01-10 10:12:23 | 芥川龍之介
 これは黒澤明監督が「羅生門」というタイトルで映画化した有名な短編で、前から読んでみたかった。

 盗人、その盗人に殺された男、その男の妻の3人の口から事件が語られる。しかし、三人が三様、まったく違う話をしており、何が真実なのか分からない。検非違使が出てくるから平安後期の話なんだろうか? 現代だったら、科学的な現場検証で、当事者たちが何を言おうと大体のことがわかるのだが、平安後期ではねぇ…。

 まず盗人の話。男とその妻を、宝が埋まっていると騙して、山の影の藪の中に連れ込んだ盗人は、不意打ちで男を襲い縛り上げ、妻を手籠めにする。立ち去ろうとした盗人に妻はすがりつき「夫か盗人か、どちらか死んでくれ。生き残った男に連れ添いたい」というので、盗人は卑怯な殺し方をせず、夫の縄を解き、堂々と戦い太刀で相手の胸を貫き勝利する。女の方を見ると、女はどこに逃げたか姿が見えず、誰か来たら大変だと、盗人もあわててその場を離れる。

 女の話。手籠めにされた女は、夫の目の中に蔑みの色を見る。自分は死ぬ覚悟だが自分の恥を見た夫も死んでほしいと言うと、夫が「殺せ」といったような気がして、小刀を夫の胸に突き立て殺してしまう。自分も死に場所をもとめ、あちこちさ迷ったが死にきれなかった。

 殺された男の話(巫女の口を借りた死霊の話)。妻の罪は、手籠めにされた盗人に「どこへでも連れて行ってください」と言い、夫である自分を指さして「あの人を殺してください。あの人が生きていては、あなたと一緒にはいられません」と叫びたてたことだ。盗人は、そんな妻を見て嫌悪したのか蹴り倒した。妻が逃げ、盗人も逃げ、取り残された自分は、小刀で自分の胸を刺した。

 最初に死体を見つけた木こりの話から、盗人の話が一番真実に近いと思われる。死体は胸もとにひと刀で大変な出血があり、凶器になったと思われる太刀は現場にはなく、現場は一面に踏み荒らされていたので、犯人と男は相当な大立ち回りをしたと推測される。

 生き残ってしまった女は、自分の名誉を守ろうと必死なのだろう。殺された男は、もののふの身でありながら盗賊に負けてしまったことを恥ずかしく思っているのでは?ただ、妻への怒りは大きく、自分を殺した盗人よりも憎んでいる。
 話がややこしくなるのは、それぞれが自分の話は事実だと信じ込んでいる事だよね。トランプ元大統領が「選挙は盗まれた」と信じ込んでいるみたいに。

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