ケイの読書日記

個人が書く書評

ポール・アルテ「虎の首」

2009-02-28 22:48:35 | Weblog
 フランスでの休暇から日焼けして戻ったツイスト博士は、バラバラ殺人事件の捜査で疲れきったハースト警部から出迎えられる。
 警部の依頼を待つまでも無く、事件に興味を持ったツイスト博士。
 しかし、自分のスーツケースを開いたとたん顔色が変わった!! こともあろうにツイスト博士のスーツケースの中に、バラバラに切断された女性の手足が入っていたのである。

 いやー、ここまでツイスト博士を挑発した犯人はいなかったですね。いままで。ツイスト博士じゃなかったら、事件の重要な容疑者になっちゃうよ。


 様々な犯人が、様々な動機で、様々な事件を起こしていく。それがロンドン郊外のレドンナム村で交錯するという展開。

 作者のアルテも、読者をミスリードしようと日時をバラバラに書いているから判りにくい。でも、それを自分の頭の中で整理してみると、一本の線が見えてくる。
 なるほど、手足だけで頭や胴体が無いスーツケース詰の死体には、こんな意味があったのか…ってね。

 それにインド帰りの元軍人が密室で撲殺された事件。犯人はインドから持ち帰った杖(これが虎の首と呼ばれている)に住む魔人だとしか考えられないような密室殺人。これにもきちんとした解答が用意されていて、さすがアルテと感心させられる。

 それにしてもツイスト博士っていつ頃の時代の人なんだろう? 私はずっと第二次世界大戦が終わってしばらく経ってからの話だろう、と思っていたが、この『虎の首』については「第一次と第二次世界大戦の間のつかの間の平和な時代」の話のようだ。
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山田風太郎「戦中派動乱日記(昭和24年~25年)

2009-02-23 09:45:15 | Weblog
 この頃(昭和24~25年)になると、山田風太郎の社会や政治に対する怒りとか不満が、あまり日記に書かれなくなる。
 敗戦直後のめちゃくちゃに荒んだ世の中から、だいぶ世情が安定してきた事もあるし、風太郎が流行作家になり収入も大幅に増え日記に心情を書き連ねるほどヒマではなくなったのだろう。
 昭和25年に朝鮮戦争が起こって、その特需で日本は景気が良くなったようだ。

 長文が少なく、覚書程度(何処に誰と行ったとか)が日記の大部分を占めるようになったので、日記としてはつまらなくなったが、戦後の探偵小説家たちの動向を知る資料と考えれば、別の意味で面白い。

 江戸川乱歩はすごく面倒見のいい人で、風太郎を引き立ててくれた。
 横溝正史が疎開先から東京に戻ってくるまでは、木々高太郎が色んな会でしゃしゃり出ていた。
 風太郎と高木彬光は、とっても仲が良かったんだね。まぁ両方とも理系のインテリだものね。
 この時代、作家と編集者って関係が密で、編集者の中には風太郎からお金を借りる人もいたようだ。
 山田風太郎は、酒癖も女癖も悪かったようだ。まぁ20歳代で売れっ子作家となり大金を掴んだのだ、仕方ないか。


 そうそう、女性の編集者が少数だけどあちこちの出版社にいるので驚いた。今でいうキャリアウーマンのはしり。縁故採用だろうね。一般に公開して就職試験をしたとは思えない。
 でも、この時代にすごいなぁ。どういう素性の人たちだろう。
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川上弘美「風花」

2009-02-18 14:25:31 | Weblog
 話題になっていたので図書館で予約したら、半年以上も待たされた。川上弘美って人気あるんだね。

 結婚7年目の主婦・のゆりが、愛人ができたダンナから別れ話を切り出される、というのが話の始まり。
 ここで、他の女流作家だったら、のゆりが亭主に愛想を尽かし家を出て紆余曲折があるにせよ仕事でも成功し、うんと年下の恋人が現れ…というストーリーになるのだろうが、そこは川上弘美。そんなご都合主義にはならない。
 のゆりに「私まだ卓ちゃん(ダンナの名前)の事が好きなの」と言わせている。また、ダンナからのゆりに「君にはプライドというものが無いのか!」と凄い言葉を投げつけさせている。

 別れ話のきっかけとなった愛人の他にも愛人がいて、さすがにのゆりも別居する。ところがダンナの方は愛人とギクシャクし出して、のゆりの元に戻って来たい様子。しかし今度は、のゆりの方から「別れよう、わたしたち」と口に出す。

 どうなるんだろうね、この夫婦は。架空の話だが考えちゃう。まぁ、別れないんじゃない?

 「男が本当に女を必要とする時、女は去ってしまっておらず、女が本当に男を必要とする時、男は去ってしまっていない」
 高校の時、先輩から教えてもらった言葉だけど、それを思い出しますね。
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綾辻行人「水車館の殺人」

2009-02-13 10:56:09 | Weblog
 後表紙に綾辻行人の昭和62年当時と思われる写真が載っていて、それがマッシュルームカットでかわいいのなんのって
 大学院生時代の写真だろうなぁ。とっても初々しいです。

 水車館とあるので、ヨーロッパの童話に出てくる水車小屋の少し大きいバージョンかしら、と思っていたら、お城のような広大なお屋敷。
 回廊でぐるりと長方形の中庭を取り囲んであり、4角にそれぞれ塔が建っている。その西回廊の西隣に3連の大型水車が回っており、水力発電で屋敷の電気をまかなっている。お約束の中村青司の設計。

 館の主人は10年ほど前の事故で顔に大怪我をしてからは、人前では常に仮面を付けている。「犬神家の一族」のような設定。だから、だいたいトリックはわかるが、意外性を狙ってないスタンダードな展開が、スッキリして好感が持てる。「ドンデン返し」の連続って疲れます。

 いつも感じるが、館シリーズって館の規模に対して使用人が少なすぎ。この広大な屋敷を執事1人と家政婦1人2人で切り盛りしていくのは無理。
 だいたいこのだだっ広い中庭をどうするんだろう。小規模小学校の運動場くらいありますよ。庭師が3人くらい必要です。
 それに執事に水力発電のメンテナンスをさせるなんて危険じゃない?
 もっと使用人を増やせばいいのに。書くのが面倒なのかな。
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山田風太郎「戦中派闇市日記(昭和22~23年)」

2009-02-08 12:33:16 | Weblog
 山田風太郎という人は、ユーモア小説の才能もあるのだろうか?

 山田風太郎の通っていた学校は東京医学専門学校だが、昭和22年ごろになると、学校制度を整理しようという試みがされるようになり、東京医専が大学昇格かあるいは廃校か、という選択を迫られる。

 もちろん選択の主導権を握っているのはマッカーサーとG.H.Q.(連合国軍最高司令官総司令部)文部省は全くの無力。
 あちこちにある専門学校を大学に昇格させるのがふさわしいかどうか、G.H.Q.が見学に来るというので、東京医専では教授も学生も一丸となって金を集め、戦争でボロボロになった校舎の外観を少しでも良くしようとペンキを塗り、ガラスを窓にはめ込み、キャバレエのようにキレイにしてG.H.Q.を待つ。
 その涙ぐましい努力を漢文の書き下し文調で格調高く記述しているものだから、滑稽というかホロ悲しいというか…。

 そうだよね。ここで廃校になったら、そこに通っていた学生さん達、今までの金と時間をどうしてくれる!!!と暴れちゃうだろう。
 幸いにも東京医専はもともと評判がよく、大学に昇格して東京医科大学になっている。

 
 それにしてもインフレのすざましいこと! 昭和21年の山田風太郎の原稿料が百円単位だったのに、昭和23年になると万単位になる。
 これは山田風太郎が売れっ子になり、原稿料が上がったという事もあるが、ハイパーインフレのためもあるだろう。

 この当時の物価は、今から考えるとずいぶん奇異に感じるものもある。例えば家賃。
 昭和22年ごろ、6畳6畳3畳のボロ平屋を高須さんという人が借りていて、そこに風太郎が居候していた。高須さんが大家さんに払う家賃1ヶ月36円。
 東京都内ですよ。シンジラレナイ!!だって風呂代が8円なんですよ。1回の風呂代の4.5倍のお金で、東京都内にボロとはいえ平屋一戸建てが借りれるなんて。


 山田風太郎の青春グラフティといった趣もあるが、混乱する戦後日本の優れたノンフィクションとして読んでも面白い。
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