ケイの読書日記

個人が書く書評

原田ひ香 「財布は踊る」 新潮社

2024-04-10 13:17:35 | 原田ひ香
 あまりにもリアルなお金事情で、身につまされる。お金のことで困った立場にいる人たちが、続々と登場するよ。自分が、彼ら彼女らの立場だったらどう行動するだろうと、真剣に考えてしまう1冊。

 特に、最初のリボ払いの話と、第5話の奨学金返済に苦労している話は、心に深く刺さった。
 私自身、リボ払いは利用したことないけど、カードの明細を見るたびにリボ払いを進める広告があるし、リボ払いってカード会社がすごく儲かるシステムなんだと思ってた。案の定、年利15%の手数料がかかるんだ。この低金利の時代に15%!!!! シンジラレナイ!!
 作中では、ハワイに旅行に行って楽しんだ若い夫婦が、現地でカードで支払ったのに、請求額が3万円ほど。おかしいと気づいた奥さんが調べて、とんでもない事実が発覚! 毎月払っている3万円は、ほとんどが利息で、元金は貯まりに貯まって228万円!!どっひゃー!!!
 ダンナはお金に関してずぼらな人で、その上、明細はスマホで見ることになっているけど見ておらず、サブスクみたいなもんだと思っていたらしい。手数料が少々かかっても、郵送で明細を送ってもらった方がいいよ。

 奨学金の話の方は、もっと深刻。裕福でない家庭の地方出身の女の子が、東京の私大に進学し、奨学金を月12万円借りて、バイトもせっせとして、やっとのことで卒業する。でも条件のいい就職先は見つからず、契約社員またはブラック企業の正社員として働く。返済額は600万円以上あり、月に3万円ずつ返済している。家賃が高いので、どんなに切り詰めても生活はカツカツ。貯金はない。30歳になった今、半分ほどは返したが、まだ半分の300万円ほど残っている。あーーーお先真っ暗!結婚も考えられない、という話。

 作中に、主人公の友人が、マックで飲んでいたコーヒーの残りをマイボトルに入れ持ち帰り、翌朝のむという場面があり、これを読んで驚愕した。ここまでしても貯金ができない?!
 
 ただキツイこと書くけど、親からの仕送りなしで東京の私大に通うなんて無謀だよ。それこそ風俗で働くことになっちゃうよ。親元を離れたい気持ちはわかるが、なんとか自宅から通える範囲で進学先を見つけたら? それか、高校の3年間、ひたすらバイトしてお金を貯めるとか。それか、医療関係とか介護職の資格の取れる大学にして、就職に困らないようにするとか。
 そうだ! 地域おこし協力隊になって、地方で頑張るのはどう?生活費を抑えられるし、なによりもこれからの自分の将来を考えるきっかけになるんじゃないかな?
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原田ひ香 「喫茶おじさん」 小学館

2024-04-05 15:28:02 | 原田ひ香
 うーーーん、原田ひ香さんらしからぬ、主人公の松尾純一郎この先大丈夫か!?と心配になる終わり方ですね。

 松尾は57歳。大手ゼネコンを早期退職して現在無職。実は、松尾は早期退職した時の割り増し退職金を元手に、喫茶店を始めたが失敗しているのだ。夫婦仲はこじれ、妻は大学生の娘が暮らすアパートへ移り住んで、現在は別居している。

 飲食店経営ってほんとうに難しいと思う。特にカフェなどで、成功している店なんて、ほんの一握り。あとは潰れるか趣味でやってるんだろう。だって私もお客として入店しモーニングセットを注文するが「よくこれで経営できてるな。オーナー店長、暇なときに何処かアルバイトに行ってるんじゃない?」って思うものね。仕入れや家賃や人件費、光熱費etc、これらを支払うため、どれだけの売り上げが必要なんだろうって他人のことながら心配になる。

 だから、家賃や人件費はできるだけ抑えなければ。松尾が喫茶店経営の夢が捨てきれず、再度トライするなら、自宅を手放さず、ちょっと手を入れて、自宅で喫茶店をやったら?そして一人で切り盛りする。
 平日の午前中、モーニングだけ。サラリーマンとか若い人はターゲットにせず、近所の高齢者に来てもらう。高齢者はムダに早起きだから、6時から11時まで。単身高齢者は朝ごはん作りたくないから、来るんじゃない?そして土日は、時給が高いバイトに行く。

 それなのに、親から受け継いだ自宅を売って、離婚した元妻と折半し、松尾は池袋のボロ店舗を6万円で借りることにする。そして、日中はこだわりコーヒーを出し、夜はそのボロ店舗のテーブルや椅子を片づけ、布団を敷いて寝る。大丈夫か、松尾! 身体を壊したら元も子もないぞ!

 やっぱり、こんな事してたら病気になるよ。思い切って移住者を募集している地方に行ったら? 家賃1万円くらいで、広い庭のある一軒家が借りられるって言うじゃない?仕事だって高給正社員の職はないだろうが、期間限定のバイトならあるよ。夏限定のキャンプ場の管理人とか、農繁期の時の農家の手伝いとか。
 そして時間のある時に、自宅の庭で、同じ移住者たちにコーヒーをふるまうの。コーヒー好きな人は絶対いるよ。
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芥川龍之介 「きりしとほろ上人伝」 青空文庫

2024-03-19 14:40:02 | 芥川龍之介
 最初は「ねずみの嫁入り」みたいな話だなという感想を持った。もともとはキリシタン向け説話集のなかの話を、芥川が潤色したもの。だから原本の話は、もっとスカスカの骨組みだけの話なんだろう。

 遠い昔「しりあ」の国の山奥に「れぷろぼす」という大男がいた。10メートルくらいというから本当に大きいね。「進撃の巨人」の巨人を思い描いてほしい。ただ、その大男はとても優しく力持ちで、皆に親切にしていたから、多くの人に慕われていた。
 その大男が「天下一の大将に仕えたい」という希望をもって町に出向き、戦で手柄を立てて大名に取り立てられ、願いがかなったように見えた。戦勝祝いの宴で、大酒を飲んでごきげんの「れぷろぼす」は、仕えている帝が事あるごとに十字を切るのが不思議でならない。近くの侍になぜかと尋ねると、侍は「帝も悪魔の害を払おうとして、十字の印を切って、御身を守るのだ」と答えた。
 それを聞いた「れぷろぼす」は、「帝より悪魔の方が強いのであれば、自分は悪魔に仕える」ととんでもないことを言い出し…

 より強いものに仕えようとする「れぷろぼす」は、自分の娘をより強い相手に嫁がせようとするネズミの両親と似ている。まあ、この「きりしとほろ上人伝」はキリシタン向けの説話集だから、最後にイエス・キリストが一番強く、イエス・キリストに仕えることになるのは容易に想像できるけど。

 西洋の話を、無理やり日本人向けの説話にしようとしているので、おかしな個所はいっぱいある。(芥川が悪いのではない。西洋独自のものを、日本にあるものに当てはめようと必死なのだ)
 特に最後の方の「れぷろぼす」が、大荒れの天候の中、子どもを肩に乗せ、荒れ狂う川を渡ろうとする時、小鳥のシジュウカラがたくさん彼の頭の周りを飛び交っているシーンなんて、なんでシジュウカラ?!ここは小さな天使様じゃないの?と思わずツッコミを入れたくなる。

 それにしてもどうして一神教の神様は、いつも信仰心を試すのかな?自信がないの?
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芥川龍之介 「南京の基督」 青空文庫

2024-03-12 10:12:36 | 芥川龍之介
 芥川の小説のレビューを書いていて、いつも思う事だが、彼のテーマみたいなものについて感想を書くという事はほとんどない。だって、あまりにも完璧だもの。この箇所はおかしいんじゃないか?とか、こうした方がもっと面白くなるんじゃないか?なんて事は与太話にしても書けない。だから短編の端っこの、ちょっと興味を持った部分を書く。

 この短編のおおまかな粗筋はこうだ。金花という貧しい私娼が客を取って糊口をしのぎ父親を養っていた。彼女は器量はさほどでもないが、気立てがよく、深くキリストを信仰していて、部屋には小さな十字架がかかっていた。
 客から「こんな稼業をしていたのでは天国に行かれないのではないか」と問われても、金花は「天国にいらっしゃるキリスト様は、きっと私の心持を汲み取ってくださると思います」と答えていた。
 そんな彼女は、客から梅毒をうつされ具合が悪くなってしまった。自分の病気を客にうつさないよう客を取らないでいたら、当たり前だがどんどん生活は逼迫していく。同輩の娼婦たちは、客に梅毒をうつせば自分は治るという俗説があるので、金花をさかんに唆す。でも金花は、それを拒んでいた。
 ある夜、泥酔した知らない客が来て、金花の部屋に居座る。その顔になんだか見覚えがある気がしていたが、どうも十字架に磔になっているキリスト様に似ているような…

 皆様、期待してもダメです。そんなファンタジックな終わり方はしません。現実は悲惨そのものです。結末を知りたい方は、本を読んでください。

 この短編は1920年(大正9年)に発表されたものだが、清朝が衰退し、外国人が押し寄せ中国の富をむしり取っている様子がよくわかる。中国人の金持ちはほんの一握りで、大部分の民衆は貧しさにあえぎ、貧しい若い女は体を売るしかない。私娼はこの時代どこにでもいたのだろうが、公娼に比べ性病のチェックがなされず、より悲惨だっただろう。
 それにしても客にうつせば自分は治る、なんて俗信があったんだね。第1期から2期のあいだに潜伏期があり、一時的に回復したように感じられたんだろう。
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芥川龍之介 「さまよえる猶太人」 青空文庫

2024-03-01 14:53:19 | 芥川龍之介
「猶太人」とかいて「ユダヤ人」と読むそうです。「さまよえるユダヤ人」の伝説みたいなものがある事は知っていたが、内容は知らなかった。こういう事らしい。

 ゴルゴダへひかれていくキリストが、ある男の家の戸口に立ち止まって息を整えようとしたら、男は大声で「さっさと行け」と怒鳴りつけ殴った。キリストは彼に「行けというなら行かぬでもないが、その代わり、その方はわしの帰るまで待っておれよ」と告げた。男はその後、洗礼を受けてクリスチャンとなったが、一度負った呪いは解かれない。最後の審判の来る日まで、永久に放浪を続けているらしい。

 キリスト教国には、どこにでもこの伝説が残っていて「さまよえるユダヤ人」が時々あらわれるようだ。
 そこで芥川は、その「さまよえるユダヤ人」が日本にも来てるんじゃないかと考え、調べだしたのだ。偏執的。そもそも天主教はこの国でそんなに一般的だったんだろうか? この短編の中に「14世紀の後半において日本の西南部は大抵、天主教を奉じていた」とあるが、本当だろうか? だってキリスト教が伝来したのは、フランシスコ・ザビエルが来日した1549年だよね。だから16世紀だろう。それになんといっても、まだまだ仏教が主流だったんじゃないの?
 でもキリシタン大名も沢山いたから、その領地民はキリスト教徒だっただろうね。

 とにかく芥川は、長崎の島々で古文書を漁っていたところ、偶然手に入れた文禄年間の古文書の中にそれはあった。伝聞を口語で書き留めた簡単な覚書。
 それによると「さまよえるユダヤ人」は、平戸から九州本土に渡る船の中で、フランシスコ・ザビエルと邂逅した。どうも普通の漂泊者とは違うのでフランシスコの方から声をかけ話し出したところ、インドや東南アジアの今昔にべらぼうに詳しい。「そなたは何処のものじゃ」と尋ねると「一所不住のゆだやびと」と答えたという。そしてキリストがゴルゴダで十字架を負った時の話になったという。

 どんな時代にも、どんな地域にも、自分を「さまよえるユダヤ人」と思い込んでしまう人はいるんだね。この極東の島国まで出張してくるとは。
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芥川龍之介 「黒衣聖母」 青空文庫

2024-02-19 10:35:57 | 芥川龍之介
 「マリア観音」という観音像を直接見たことはなかったが、話には聞いていた。キリスト教が禁止だった江戸時代、周囲にクリスチャンだとバレないように聖母マリアのかわりに、観音様に似せたこのマリア観音を礼拝したという。そのマリア観音についての、ちょっとしたホラーを芥川が短編にしている。

 田代という友人のコレクターが私の家に来て、一体のマリア観音を見せ、それにまつわる怪異を語りだした。この像は、新潟県のある町の素封家にあったものだが「禍を転じて福とする代わりに、福を転じて禍とする縁起の悪い聖母」らしい。実際、そういう事実が持ち主にあった。まあ、その禍が起こったのは江戸時代末期の話だし、医療技術がなかった時代の話だから、病が流行すればバタバタ人が死ぬのはよくあることだろう。怪異というほどの事でもないと思う。

 私が気にかかったのは、マリア観音が新潟にあったという事。長崎じゃなくて? この稲見の先祖は、長崎から新潟に流れてきて、そこでずっとひっそり信仰を続けてきたのだろうか?江戸時代の間ずっと?!
 それともキリスト教の宣教師は、新潟まで布教に行って、そこで信者を増やしていったんだろうか?うーーーーん、分からん!誰か教えてくれ!

 でも、どうやって信仰を伝えていったんだろうね。表向きは仏教徒のはず。キリスト教を信仰していると死罪になるから、我が子であっても子供のうちは知らせないだろう。事の重大さを認識できる年齢になってから伝えるだろう。ひょっとしたら、死の間際に伝えることになるかも。その時、伝えられた子どもは、どういう反応をする?うすうす知っている子供もいるだろうが、驚いて困惑する子もいるに違いない。それどころか、迷惑だ、聞かなかったことにする子供もいると思うよ。

 だって、この新潟の稲見という素封家に代々あったマリア観音を、持ち主は田代というコレクターに渡した訳だからね。200年以上も隠れ忍んで信仰していた先祖代々の守り神を。信仰心なんてものは、時間がたつにつれて薄れていくものだ。
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芥川龍之介「秋」(大正9年初出)青空文庫

2024-01-29 13:17:33 | 芥川龍之介
 これが大正デモクラシー時代の知識階級の(特権階級ではない)恋愛事情か…としみじみ感じる作品。

 信子は女子大学(この時代に女子大学なんて!すごいなぁ)に在学中から才媛として有名で、本人も周囲も彼女が小説家として身を立てるだろうと思っていた。しかしこの時代、女は学校を出ればまず結婚するという、世間の習慣や母親の期待には逆らえなかった。

 信子には、俊吉という同じく作家志望の従兄弟がいて親しくしていた。信子の妹と3人で一緒に展覧会や音楽会に行くこともよくあった。が、妹が俊吉に好意を寄せていると知った信子は、身を引いて別の男と結婚し、大阪へ行ってしまう。
 残された妹と俊吉は、姉の目論見通り結婚し、山の手郊外へ新居を構える。

 この2組の夫婦は、それぞれ小さなケンカはあるが、仲が良いんだ。信子夫婦の方は、夫は妻が小説を書こうとすることに反対している訳ではない。なによりも身ぎれいで都会的な夫を信子が気に入っている。ただ最近は、もう少し家計を節約できないかと小言を言われる。(結婚した芥川の世帯でも、こうした話し合いがもたれただろうね)
 妹夫婦の方は、夫の俊吉は希望していた通り新進作家として活躍し、雑誌にも時々名前が載っている。
 信子夫婦が、社命を帯びた夫と一緒に東京に戻った時、信子は一人で妹夫婦の家を訪問する。あいにく、その時は妹とお手伝いの人は外出していて、俊吉だけが家にいた。お互いに昔のような懐かしさが蘇ってきたことを感じ…

 安心してください。これは大正時代の知識階級の話。現代のようなドロドロした状態にはなりません。でも、丁寧に二人の、そして妹さんの心の動きを追っているね。見事です。

 そうそう、信子は妹の挙式の時に式に出ていない。手紙に「何分、当方は無人故、式には不本意ながら参りかね候へども」と書いて妹や母親に送っているが「無人」って何のこと?お手伝いさんを雇っていないから、家が留守になるので式に出られないってこと?
 それに信子夫婦は自宅で長火鉢を使っているし(捕り物帳みたい)信子が、夫の襟飾の絽刺しをしているという描写もある。という事は旦那様は和服をお召しになっている?いくら大正時代でも会社勤めの時は背広だろう。つまり家では和服に着替えるのかな?うーーーん、大正時代の習慣がよくわからない。
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芥川龍之介「奉教人の死」  雑誌「三田文学」大正7年9月号に初出

2024-01-19 10:04:54 | 芥川龍之介
 文体が難しいので読みにくいが、短いので頑張って読む。とても悲しいお話です。キリスト教の聖徒たちのお話を集めた本があり、その中の一つのすじを借りているようだ。本来なら、こんな素晴らしい信徒がいた。皆さんも信仰に励むようにと伝道のために書かれているのだが、芥川の作品は全く違う意図があるように思われる。

 長崎の「さんた・るちあ」という教会に「ろおれんぞ」という美しい少年がいた。数年前のクリスマスの夜、教会の戸口に、行き倒れになっていた孤児で、教会内で養われることになった。「ろおれんぞ」は美しいばかりでなく、信仰心も厚く、長老たちも一目置いていた。そのうち、同じ信徒の傘張の娘と噂になるようになり、「ろおれんぞ」が親密な仲ではないと否定するも、娘が身ごもっていることが分かり、赤ちゃんの父親は「ろおれんぞ」だと告白したので、彼は破門される。
 教会を追い出され、町はずれの非人小屋に寝起きする乞食(差別用語だと思うが原文に書いてある)となって、糊口をしのいでいた。

 一年余りたって長崎に大火事が起き、傘張の娘の家を猛火が包む。そこに「ろおれんぞ」が現れ、赤ちゃんを助け出し自分は焼けただれて死ぬ。傘張の娘は大泣きし「赤ちゃんはろおれんぞの子どもではない。私が家隣の異教徒と密通して生まれた娘」と懺悔するではないか! その証拠に「ろおれんぞ」の焦げ破れた衣の間から、清らかな乳房が見え…

 あらすじは大体こんなふう。これを読むと、信徒たちの阿呆さ加減が分かる。そもそもどうして「ろおれんぞ」を女の子と見抜けないんだろうか? たぶん性被害を避けようと、本人が男の子だと偽っていたのだろうが、貧しいペラペラな衣服を着ているだろうに、なぜ分からない? トイレや風呂や生理の時などどうしていたんだろう。
 「ろおれんぞ」も悪い!自分は女だから、赤ちゃんの父親であるはずがないと自分の性別を明かせば、一発で疑いが晴れるのに、それをしないのは娘を庇っているから?
 周りの信徒も信徒だよ。この冤罪事件、どうするつもり!? 傘張の娘の言い分だけ聞いて、一方的に破門しちゃってさ。「ろおれんぞ」の死を「殉教」なんて持ち上げて、自分たちの責任を転嫁するんじゃない!!!
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芥川龍之介 「藪の中」 青空文庫

2024-01-10 10:12:23 | 芥川龍之介
 これは黒澤明監督が「羅生門」というタイトルで映画化した有名な短編で、前から読んでみたかった。

 盗人、その盗人に殺された男、その男の妻の3人の口から事件が語られる。しかし、三人が三様、まったく違う話をしており、何が真実なのか分からない。検非違使が出てくるから平安後期の話なんだろうか? 現代だったら、科学的な現場検証で、当事者たちが何を言おうと大体のことがわかるのだが、平安後期ではねぇ…。

 まず盗人の話。男とその妻を、宝が埋まっていると騙して、山の影の藪の中に連れ込んだ盗人は、不意打ちで男を襲い縛り上げ、妻を手籠めにする。立ち去ろうとした盗人に妻はすがりつき「夫か盗人か、どちらか死んでくれ。生き残った男に連れ添いたい」というので、盗人は卑怯な殺し方をせず、夫の縄を解き、堂々と戦い太刀で相手の胸を貫き勝利する。女の方を見ると、女はどこに逃げたか姿が見えず、誰か来たら大変だと、盗人もあわててその場を離れる。

 女の話。手籠めにされた女は、夫の目の中に蔑みの色を見る。自分は死ぬ覚悟だが自分の恥を見た夫も死んでほしいと言うと、夫が「殺せ」といったような気がして、小刀を夫の胸に突き立て殺してしまう。自分も死に場所をもとめ、あちこちさ迷ったが死にきれなかった。

 殺された男の話(巫女の口を借りた死霊の話)。妻の罪は、手籠めにされた盗人に「どこへでも連れて行ってください」と言い、夫である自分を指さして「あの人を殺してください。あの人が生きていては、あなたと一緒にはいられません」と叫びたてたことだ。盗人は、そんな妻を見て嫌悪したのか蹴り倒した。妻が逃げ、盗人も逃げ、取り残された自分は、小刀で自分の胸を刺した。

 最初に死体を見つけた木こりの話から、盗人の話が一番真実に近いと思われる。死体は胸もとにひと刀で大変な出血があり、凶器になったと思われる太刀は現場にはなく、現場は一面に踏み荒らされていたので、犯人と男は相当な大立ち回りをしたと推測される。

 生き残ってしまった女は、自分の名誉を守ろうと必死なのだろう。殺された男は、もののふの身でありながら盗賊に負けてしまったことを恥ずかしく思っているのでは?ただ、妻への怒りは大きく、自分を殺した盗人よりも憎んでいる。
 話がややこしくなるのは、それぞれが自分の話は事実だと信じ込んでいる事だよね。トランプ元大統領が「選挙は盗まれた」と信じ込んでいるみたいに。

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芥川龍之介 「戯作三昧」(大正6年発表)青空文庫

2023-12-12 16:14:53 | 芥川龍之介
 江戸後期『里見八犬伝』が大人気の作家・滝沢馬琴を主人公とした歴史小説。
 馬琴もとっつきにくい偏屈な人物だったようだが、芥川が彼をリスペクトしていることがよくわかる。馬琴の口を借りて、芥川自身の芸術観・生死観を述べているのだろう。

 江戸後期でも現代でも、作家を取り巻く環境ってあまり変わってないんじゃないかな? もちろんあからさまな検閲みたいなものは今はないけど、無神経な読者、ずうずうしい出版元、無理な要求をしてくる作家志望だというファン(その要求を断ると、悪口雑言の手紙を送りつけてくる)などなど、作家にとっては創作活動する前から、グッタリすることばかり。それでも、馬琴や芥川は、自分の芸術的良心を突き詰めていこうとする。

 芥川25歳、まだまだ元気で、悩みはあるにせよ、生気に満ち溢れている時期の作品なので、読んでいる私も元気になります。
 この作品を読んでいると、江戸後期の市井の人々の教養の高さに感心する。例えば、小説の最初に馬琴が銭湯にいる場面がある。馬琴が湯船に入っていると気が付いた男が、彼に聞こえるように彼の作品の悪口を言っているのだ。「里見八犬伝が大人気といっても、あれは中国の水滸伝の焼き直しだ。独創性がない。それに比べ、京伝や一九や三馬は素晴らしい」というように。
 たいして教育をうけたとも思えない粗野な男でも、当時人気のあった本を読み、自分なりに批評するんだ。江戸時代の庶民ってすごい!!

 そうそう、浮世絵もすごい!! ゴッホを驚かせたような素晴らしい絵(版画)を、お蕎麦1杯の値段で、人々は手に入れることができたんだ。参勤交代で江戸に出てきた下級武士が、それをお土産に買って地元に帰っていったんだ。江戸時代ってすごい!!
 NHKの大河ドラマって、ほどんどがお侍の話だけど、江戸後期の馬琴や北斎を主人公にした話なんて、面白いんじゃない?
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