ケイの読書日記

個人が書く書評

道尾秀介 「鬼の跫音(あしおと)」

 | 道尾秀介
 道尾秀介さん、TVのバラエティクイズ番組のレギュラー解答者やってるんだ。ふーん、売れっ子ミステリ作家としての容姿を期待していたが…人気のない塾講師のような風貌。1975年生まれというから40歳を過ぎた頃ですか。

 
 初出は野生時代に掲載された中編6編を収録。その中で『悪意の顔』が印象に残っている。

 僕のクラスメートS。僕たちは今、小学4年生だが、Sは1年の頃から、皆に嫌われていた。もともと口数が少なく、話しかけても乗って来ないSは、避けられていた。ただ、男子にありがちな、叩いたり蹴ったりという身体的ないじめはなかった。
 このSという子は、道尾作品の重要なモチーフとして繰り返し登場する。『向日葵の咲かない夏』にも出てきた。
 
 Sのお母さんが死んだ時、僕はSが可哀想だと思った。自分もお父さんが死んでいなかったから。他のクラスメートがSに何の言葉も掛けなかったのに、僕はSに声をかけた。「僕も、お父さんがいないからわかるよ」
 翌日から、僕に対するSの攻撃が始まった。
 それが陰湿なんだ。それだけじゃない。暴力的なんだ。イスに瞬間接着剤を塗り僕が座るのを待つ。はがすのに手間取っている僕を押し倒して、皮膚をはがし激痛に悲鳴をあげさせる。
 こういう事ってあるよね。自分は純粋な善意でやったのに、相手の悪意のスイッチを入れてしまう事が。

 一度、担任の先生にSからの仕打ちを相談したら、その夜、バッタとカマキリとカナブンが足がもがれた状態で郵便受けに投げ込まれた。僕はSが恐ろしい。

 そんな時、僕は学校からの帰り道、知らない女の人から声を掛けられる。「うちに来れば…助けてあげる」

 この先に興味がある人は読んでください。ダークファンタジーっぽい作品。
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米原万里 「ヒトのオスは飼わないの?」 文春文庫

 | 米原万里
 ロシア語通訳・エッセイストの米原万里が、大学時代の恩師に「一昨年の猫2匹に続いて、昨年は仕事で出会った野良犬1匹を連れ帰ってしまいました」という年賀状を出したところ、恩師から元旦早々電話があり、「イヌ、ネコもいいけどねぇ、君、ヒトのオスを飼いなさい、ヒトのオスを!!」と言われたそうだ。
 結局、彼女はヒトのオスを飼う事なく、2006年に56歳で亡くなっている。
 
 ヒトのオスにはキビシイが、イヌやネコには惜しみない愛情を注ぐのだ。ペットショップで買うというより、ひょんな事で出会った捨て猫や野良犬に、どうしようもなく惹かれてしまうみたい。

 
 万里さんの自宅は、大田区馬込という所にあったらしいが、しかし、こんな街中で何匹もの犬や猫を飼って、しかも猫は放し飼いで、ご近所から苦情は出なかったんだろうか? 
 万里さんも近所迷惑な人なのだ。新しく仔猫を連れ帰ったら、古株の猫たちが怒って家出。3軒隣の家の屋根でハンガーストライキをしているので、万里さんがその家の屋根の方に、猫用の煮干しを投げてやったらしい。
 おトイレも、家の中のネコ砂トイレでは絶対しない。どこかの家の庭でササッと済ませるんだろう。そうすると住人はいい気はしない。特にガーデニングに凝っている人は、花壇を荒らされて。

 ご近所も、万里さんが昔からの住人なので、苦情が言いにくいんだろうね。
 万里さんの家の中も、大変なことになっている。オス猫は去勢してあるが、それでも家の中でマーキングをやりだし、あちこちにオシッコをスプレーする。強烈なニオイ。家人は鼻が慣れるだろうが、客は鼻をつまむしかない。
 いやーーー、うちにも猫が1匹いるが、私には多頭飼いはムリという事がよく分かる。


 それよりもわたしには、ソ連崩壊前後のロシアの様子が色々書かれてるのが興味深い。
 1995年、万里さんは、仕事で行ったモスクワで、2匹のブルーペルシャの赤ちゃん猫を譲り受け、アエロフロートで帰ることにした。破格に安いのでファーストクラスにしたが、そのファーストクラス内を、ちび猫たちは自由に飛び回れるのだ!うっそぉぉぉぉ!!!信じられない。
 アエロフロートのスチュワーデスさんたちは、皆、そろって猫好きで、人間より猫に親切。
 そうだ、アエロフロート、昔読んだ『エロイカより愛をこめて』の中で、ジェームズ君が「アエロフロートのコーヒーは泥水のようだ」って言う場面があったなぁ。懐かしいなぁ。
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南部さおり 「代理ミュンヒハウゼン症候群」 アスキー新書

 | その他
 日本で『代理ミュンヒハウゼン症候群』が広く知られるようになったのは、2008年に発覚した『点滴汚染水混入事件』からだと思う。
 母親が、大学病院に入院している自分の娘の点滴に、飲み残しのスポーツドリンク(室温で10日間放置してある!!!)を入れて、娘の血液中に真菌・異物を混入させ、傷害罪で起訴された。(殺人未遂じゃないんだ!)
 この娘さんは五女で、上の二女、三女、四女は同じような症状で死亡している。
 あまりにもショッキングな事件だったので、覚えている人も多いんじゃないだろうか?


 愛する我が子を、わざわざ重病にして死の危険にさらすなんて、信じられない!!!と驚く人が多いだろうが、この親の心理をぼんやりと理解する人もいるんじゃないか?
 我が子は可愛い。でもそれ以上に自分が可愛い。周囲から「病気がちな子どもを、献身的に看病する、素晴らしい母親」という称賛を得たくて、我が子には是非とも重病になってもらわなければ。その病気が珍しい希少な病気だと、自分のステイタスも上がる。高名なお医者さんと知り合いになれれば、さも親密なように周囲に吹聴できる。そういう心理って、誰でも少しくらいあるでしょう?

 
 そういう心理がありながらも、こういう事件が多くないのは、実行するには高いハードルがあるから。
 乳幼児が入院すると、本当に困る。大人だったら、面会時間にたまに面会に来て、あとは完全看護の病院に任せればいいけど、乳幼児の場合、極力付き添ってほしいと病院から言われるだろう。(ICUじゃない場合)
 でも、子どもがその子一人ならともかく、複数いたら、その面倒は誰がみる? 育児だけじゃない、その他の家事は誰がするの?
 上記の『点滴汚染水混入事件』の母親は、ダンナの両親と同居していて、その点は心配なかった。
 この母親も、最初から、こうしようと思ってたわけじゃない。たまたま次女が本当に病気になって入院した時に「子どもの看病に尽くす母親」とみられた事に心地よさを感じ、繰り返すようになった。


 それにしても次女が死亡したとき、これはやりすぎだと、激しく後悔しなかったのかなぁ。子どもは自分の一部だからいいんだ、という感覚だったかも。

 次女が亡くなったのは3歳9か月。悪意に満ちた見方だが、もう、点滴に異物を混入して病気に仕立てるのは難しい年齢かもしれない。おしゃべりできるようになった次女が、看護師さんに、母親が点滴に何か入れているとカタコトで喋るかもしれない。
 三女は2歳2か月、四女は8か月で死亡している。
 
 五女は1歳10か月の時に発熱で入院し、K大病院へ転院。そこて母親は捕まった。K大病院の担当医が、最初から「代理ミュンヒハウゼン症候群」を強く疑っていたからである。ICUで、それまで容態の安定していた五女が、母親と面談した直後に高熱を出し、容態が悪化するパターンを繰り返していた。
 しかし…母親と面談するたびに容態が悪化する幼い女の子って…もの悲しいです。

 結局、この母親には懲役10年の判決が下りて、服役しているようだが、問題は出所後にある。どんなに隠しても隠しきれるものじゃない。被害を受けた五女もすべてを知るだろう。母親が出所する頃には、難しい年齢になってるよ。
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湊かなえ 「Nのために」

 | 湊かなえ
 超高層マンションの一室で、そこに住む野口夫妻の惨殺死体が発見された。現場には、血まみれの燭台を手にした西崎という青年、野口夫婦の招待客で西崎とは同じ下宿の杉下希美、ケータリングサービスのため野口家を訪れた成瀬、野口家に遅れて到着した杉下の友人で野口の部下の安藤望がいた。
 西崎は殺人を自白し、他の3人の証言も、それを裏付けるものだった。
 しかし、そこには歪んだ真実が隠されていて…。


 章ごとに主人公を変え、それぞれの視点から主観を物語る。4人の眼から立体的に事件が描かれる。4人のなかでも、やっぱり一番主要な人物といえば、杉下希美だろう。
 瀬戸内海の小さな島出身で、島一番の名家だったが、婿養子に入った父親が愛人を作り、妻と子供たち(杉下希美とその弟)を家から追い出したので、大変苦労した。高校卒業後、東京の大学に入学、生活費を稼ぐため、バイトに明け暮れるが、強い上昇志向を持ち続ける。なかなかの策士。
 趣味の将棋を利用して、安藤を巻き込み、大手商社勤務の野口に取り入る。

 結局、この杉下希美が、良かれと思ってやった事が、野口夫妻が惨たらしく殺された遠因になっている。

 
 野口の美しい妻は、私の嫌いなキャラだが、でも同情すべき点はある。
 いくら、野口氏と杉下の間に、恋愛感情などなかったとしても、野口氏が妻を深く愛していることを妻自身が自覚していたとしても、何時間も将棋で一室にこもるというのは…妻の心中、穏やかではないはず。

 野口夫妻は、共依存関係なんだ。恋人をつくって逃げれば、それで解決というわけじゃない。


 もう一人、殺人を自白した西崎という青年。杉下の隣室の住人である彼は、純文学を目指していて、素晴らしく美しい顔の持ち主だが、身体には多数のアザや火傷の痕が残っていた。子供の頃、実母からひどい虐待を受けていたらしい。
 彼は、文学でその虐待を愛に昇華させようとしていた。

 うーん、この西崎が、イマイチ上手く書けていないような。西崎が杉下に「究極の愛とは?」と問う場面がある。「罪の共有」と杉下は答える。なるほどね。
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益田ミリ 「ふつうな私のゆるゆる作家生活」

 | 益田ミリ
 益田ミリさんのマンガもエッセイも好きでよく読むけど、この作品にはちょっとホロリときました。
 益田さんがどういう生い立ちで、どういう道筋を通って、人気コミックエッセイストとして成功したかが、書いてあるからです。

 1969年大阪に生まれた益田さんは、これといった特技のない子どもでした。お父さん・お母さん・妹さんの4人家族で、のんびり育ちました。高校3年生の時にゴッホの絵を見て感動し、画家を夢見て短大の油絵学科に進学。
 その短大生の時、読んでいた雑誌に、洋服のブランドの『キャッチコピーコンテスト』という企画があり、応募したら次々入賞し、ぞくぞくと賞品のTシャツが送られてきました。コピーライターに憧れるようになった益田さん。
 いろんなコンテストを探していたら、カップ麺のテレビコマーシャルを考える学生向けの企画があり、そこでグランプリを獲ったそうです。賞金20万円。賞品は約10万円分のカップ麺。東京の立派なホテルで表彰式。すごいなーーーー!!!

 就職は1か月遅れで、企業の宣伝部に入ったものの、広告の仕事は外注が多く、あまり忙しくなかったそうです。
 週末にイラスト教室に通うようになり、再び絵を描くように。200万円の貯金と100万円の退職金を持って、6年間勤めた会社を辞め、自分の才能を試すために上京。
 上京したことに舞い上がり、半年間、何もせず、アパートでゴロゴロ。本当に肝が据わってるなぁ。貯金が乏しくなってから、バイトしつつイラストの売り込みをして、徐々に仕事が増えていったようです。

 (話が大幅に変わりますが、6年間勤めて退職金100万円って、多くないですか? 別のエッセイでは、生理休暇も堂々と取れるって書いてあったので、良い勤め先だなぁと思います。)

 以前読んだ、たかぎなおこさんの『浮草ディズ』というマンガを思い出しました。たかぎさんは三重県出身で美術短大を出て、名古屋の広告代理店に入社。会社員時代に、あちこちのコンペに送った自分の作品が入賞したので自信を付け、思い切って会社を辞め上京。
 ただ、たかぎさんの場合、出版社に作品を売り込みに行っても、なかなか採用されず、大変だったみたいです。

 そうだよね。益田さん、本当に順調に仕事をゲットしてるなぁ。こういう人って珍しいだろうね。
 だいたい、出版社に電話して、すぐに担当者と会う事って出来るんだろうか?絵を仕事にしたい人ってドッサリいるから、門前払いってことにはならないの?
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群ようこ 「世間のドクダミ」

 | 群ようこ
 2006年に筑摩書房より刊行された本なので、今から10年前、群ようこ、50歳の時のエッセイ。

 友人たち3人で老後をくらそうと計画しているが、なかなか話が進まない事とか、最近の若いもんはなってない!と若い頃の群さんも言われたであろう小言を、エッセイ集の中で書きまくっている事とか、母親や弟の住む家のローンを早く払い終わりたい事とか、いつもの話題をいつもの調子で書き連ねている。
 その中で、いつもでない話題が一つ。『新聞はとらない』という章がある。
 群さんは、図書館をあまり利用しない。本は買うべき、という信念の持ち主なので、新聞をとらないのは意外だった。その理由だが、まず新聞を作っている人が好きではないそうだ。新聞社の体質は、出版社とは明らかに違うどす黒いものがあるそうだ。あくまで群さんの意見。

 一般的には、新聞社の方が公明正大・清く正しくのイメージがあり、週刊誌を発行する出版社の方が、ダーティなイメージがあると思う。まぁ、群さんが付き合ってるのは、文芸書部門の編集者だろうから、クリーンな人が多いんだろう。
 ただ、私の高校時代の社会科の先生は「新聞記者はヤクザと同じ」とたえず言ってたので、どす黒い面もあるだろうなと思う。

 群さんが、M新聞から依頼されエッセイを連載したら、一月ほどたってから、担当者から電話があり「読者から手紙が来て、エッセイを載せると不買運動を起こすと言われたので、書く内容を変えてほしい」と言われたそうだ。
 いやーーー、群ようこの毒にも薬にもならないエッセイのどこが気に障ったんだろう? その方が気になる。不買運動って、新聞社がそんな圧力に負けていいの? 読者からって本当? ひょっとしたら新聞社の上層部からじゃない?
 大学の教授とか、評論家とか、硬派と思われてる人にはへこへこして、柔らかい文章を書く人にはキビシイ人って、新聞社の管理職に多いんじゃないの?

 エッセイ内にも、こういう箇所がある。「だいたい新聞社の人間は傲慢である。自分が社会を動かしているような気になっているのではないか」
 これには深く同意する人も多いんじゃないだろうか?

 群さんは、新聞に投稿するようなおばちゃんも、勧誘員も嫌い、とにかく新聞には関わりたくないそうだ。立派な心掛けだと思う。
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島田裕巳 「もう親を捨てるしかない」 幻冬舎新書

 | その他
 あまりにも衝撃的なタイトルなので、おもわず借りてしまう。
 著者が言いたいことはタイトルどおり、日本の家はかつて永続的なもので、子孫を絶やさないように、先祖を粗末にしないようにしていた。しかし、現代の日本の家は脆くなっている。その家に住む親子・兄弟・親戚の関係も脆い。
 子どもに介護を期待すること自体、ありえない。子供はそんな義務を果たす必要はないし、親はそれを期待できない。
 まあ、当たり前のことだね、ふんふんと読み進めていくうちに、ハタと気づく。

 そういえば、この本の著者・島田裕巳さんって、あの島田裕巳さん? 1995年のオウム真理教地下鉄サリン事件が起こった時、TVのワイドショーにいっぱい出演し、「オウム真理教は素晴らしい教団」「オウム真理教の第7サティアンは、ただの宗教施設」とせっせと発言していた、どっかの有名大学の宗教学者が、たしか島田ナントカと言ったっけ?
 でも、筆者のプロフィールにも、まったくオウム真理教の事は書かれてないし(当たり前か)本書にも一切触れられていない。

 気になったので調べてみたら…やっぱり、あの島田先生だった。そういえば、お昼のTV番組バイキングでも、彼を見かけたような…。
 もう20年も経つんだもの、復活するのは当たり前か。
 別に、島田先生が人を殺したわけではない。オウム真理教にコロリと騙され、利用され広告塔になり、オウム真理教の実態が分かった後は、激しいバッシングにあい、職を失ったわけだから、一種の被害者と言えるかもしれないが…。
 でも、宗教を研究してる一流の研究者が、そんなにやすやす騙されていいの?とも思う。
 被害にあった人たちは、TVのコメンテーターをニコニコ勤めている島田先生を見て、穏やかじゃないだろうね。


 で、話は最初に戻るけど、捨てられた親は誰が面倒みるわけ? 姨捨山を作れって話なの?
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又吉直樹 「火花」

 | その他
 お笑い芸人は、売れるか売れないかがすべて。だから、徳永が師匠と崇め心酔している神谷は、才能が無かったんだと思う。こう書くとミもフタもないが、それ以外の尺度って、お笑いに必要なんだろうか?

 ゴッホは生前、1枚しか絵が売れなかったそうだが、死後、評価された。でも、お笑い芸人はDVDやビデオが残っているからと言って、再評価されるだろうか? その場でウケるかウケないかが全てではないの? だから、お笑いは尊い。
 だって、その時代の空気とか習慣とか雰囲気とか、その場の勢いとか、それらの条件にピタッとハマった旬の物だけが、爆発的な笑いを生むわけでしょ?(古典落語のような例外もあるけど)

 私は、お笑い番組を積極的に見ている訳じゃない。子どもが見ているのを、チラチラ横目で見るくらいだが、それでもお笑いコンビの真剣さは伝わってくる。お笑いって二世タレントが最も進出しにくい、そして生き残りにくい分野だと思う。親が売れたって、子どもが売れる保証はまったくない。むしろその逆。


 
 神谷は相変わらずサッパリだが、徳永たちコンビは徐々に売れ出し、TVやラジオにも出演。徳永は、安いぼろアパートから家賃11万円のマンションに引っ越す。しかしブームは去り、仕事が少しづつ減っていく中で、徳永の相方の同棲相手が妊娠し、相方は定職に就くため、芸人を辞める決断をする。それは、徳永にとっても、芸人を辞めることを意味した。


 この『火花』の最後の方で、自分たちの漫才に否定的な人たちに対して、徳永が、こう独白する部分がある。

 (舞台に上がってみて)世界の景色が一変することを体感して欲しいのだ。自分が考えたことで誰も笑わない恐怖を、自分で考えたことで誰かが笑う喜びを経験してほしいのだ。(中略)一度しかない人生において、結果が全く出ないかもしれないことに挑戦するのは怖いだろう。(中略)臆病でも、勘違いでも、救いようのない馬鹿でもいい、リスクだらけの舞台に立ち、常識を覆すことに全力で挑める者だけが、漫才師になれるのだ」

 めずらしく感動して、少し涙ぐんでしまいました。
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村田沙耶香 「きれいなシワの作り方~淑女の思春期病」

 | 村田沙耶香
 村田沙耶香のエッセイなんて珍しいなぁと思って借りたら、やっぱり初エッセイだった。
 『コンビニ人間』で、一躍、時の人になった村田沙耶香だけど、このエッセイ集は芥川賞をとる前の物。『アンアン』に連載されていたものに加筆・修正したらしい。『アンアン』かぁ。驚くなぁ。だって、全くイメージに合わないもの。
 私には、村田沙耶香はかたくなな文学少女という勝手な思い込みがあって、子供の頃や大学時代、教室内でポツンと一人で文庫本を読んでいる、という想像をしていたのだ。でも、この人、結構キャピキャピとした女子大生時代があったんだね。斬新なデザインの洋服を好み、彼の家に毎日通って、白いエプロンを身に着け、朝食と夕食を作って、彼が寝ている間そばにいて、優しくぽっぺたにキスして起こすなんて事、やってたんだ! すごいなーーー! 新婚さんでも、今時やらない。忙しいから。

 それに、お酒が好きで強いから、一人でバーにも行くし、アダルトショップにも一人で行っちゃう。海外旅行も好き。
 友人が少ないと書いてあるが、そんな事ない。「さやかちゃん、さやかちゃん」と呼び掛けてくれる友達がいっぱい。30代後半女性が〇〇ちゃんと呼ばれるのは、けっこう恥ずかしいと思うけど、OKの人もいる。

 世代的には、津村記久子と同じ、就職氷河期世代だけど、違うのは仕事観かなぁ。
 もちろん村田さんだって、ちゃんと仕事をしている。文章を書きながらコンビニでアルバイトを何年も続けている。ただ、津村記久子のような「どうしても正社員になりたい」「会社に入って、契約社員でもいいから、フルタイムで働くんだ」といった強迫観念みたいな強い意志は感じられない。
 ちょっと会社員を見下しているような…そんな雰囲気がある。(ご本人は否定するだろうけど)

 私が、村田沙耶香って本当にすごいなぁと感じたのは『しろいろの街の、その骨の体温の』を読んでから。その女子間のイジメのあまりのリアルさに驚いた。ちょっといないよね。こんなに書ける人って。
 この人も、女の子同士の修羅場をくぐりぬけてきた人なんだ。
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大久保純一「北斎の冨嶽三十六景」 小学館アートセレクションシリーズ

 | その他
 北斎の冨嶽三十六景の中でも、有名な「神奈川沖浪裏」とか「凱風快晴」はよく知ってるけど、他のはどうなんだろうと興味があったので借りてみた。三十六景というけど、実際は四十六枚あるんだね。人気が高かったので追加したようだ。

 北斎が、この代表作シリーズを描いたのは七十歳過ぎの事。この人は当時としては非常に長寿で、九十歳まで生きた。その直前まで現役の絵師だったというので、本当に驚く。というか勇気づけられる。
 この高齢化社会で、とっくに定年を過ぎ古希を迎えてもなお、自分の能力のピークか来るような人って…本当に少ないと思うよ。すごいなぁ。


 自分が絵画好きと思ったことはないが、それでも有名な画家の絵が地元に来れば見に行く。最近ではピカソ、藤田嗣治、ゴッホ、ゴーギャンなどなど。でも、油絵ってどうも好きになれないなぁ。ゴテゴテしていて。
 それより日本画、特に浮世絵は素晴らしいと思う。
 江戸後期、お蕎麦一杯の値段で、ゴッホが称賛したという素晴らしい版画が手に入った江戸の人は、なんて幸せなんだろう。
 そういえば、先日『世界ふしぎ発見!』で、初期のティファニーのデザインに「北斎漫画」が大きな影響を与えたと、伝えていたなぁ。すごいなぁ、北斎は!


 そうそう、この「北斎漫画」の初編を刊行したのは、尾張の永楽堂という版元なんだってね。いやーーー、名古屋市民として嬉しいです。ちなみに、「北斎漫画」はジャンプに載っているようなマンガではなく、絵手本。すごく売れて、明治11年、15編まで出版したらしい。
 そうだ! これは、なんとしても書いておかなければ! 「冨嶽三十六景」の中に、「尾州不二見原」という作品がある。職人が大きな樽を作っているその内側から富士が見えるという趣向。これは、現在の名古屋市中区富士見町のあたりから見たらしい。
 この富士見町のマンションに、私の古くからの友人がいて、何度も遊びに行ってるんだ。驚きました。北斎との縁を感じちゃう。
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