くりまんじゅうの日記

世間より少し いやだいぶん遅れている
老シーラカンスです。

思い出したこと。

2016-07-05 00:00:10 | 日記

バングラデシュの人質事件で 日本人が7人も犠牲になり
最初ニュースが流れた時から 無事でいてと  日本中が
祈りましたが 最悪の結果となりました。

途上国の発展のため テロの危険を十分知りつつ  JICAの
一員となって 活動を続けた尊い命が 一瞬で奪われました。

犠牲者の名前が発表され その中の一人が80歳と知ったとき
私たち夫婦の頭に Tさんの顔が浮かびました。

Tさんは今現在80歳 20年前定年退職したのち JICAの要請を
受け インドネシアに 2年間派遣されました。

現地で 機械設計を指導する仕事で もう子どもは巣立っており
妻を日本に残し 単身 インドネシアに渡りました。

Tさんから 聞いた話になります。

60歳で渡ったインドネシアで 運転手を雇うことになりました。

JICAの先輩の忠告は 雇った運転手が もし 金を貸してくれと
頼んできたら 即刻 クビにすること。

若く 気の利く運転手が見つかり 現地にも慣れ 順調に仕事も
進みだした 数ヵ月経過したある日 運転手がTさんに言いました。

家族が病気のため どうしても金が要る 貸してください

聞けば結構な額で 先輩の忠告が頭をよぎったものの わが息子と
変わらぬ歳の若者が困っている すぐに出せる額ではないが 少し
待ってくれ きっとなんとかするからと Tさんは約束しました。

そしてその日仕事が終わり 宿舎に戻りドアを開けた途端 唖然と
したそうで 電化製品 家財道具全てが 運転手と共に消えました。

いつの間にか運転手は Tさんの部屋の合い鍵を作っており 命まで
取られず良かったと 話を聞いた私たちは思いました。

そんなことがありながらも Tさんは立派に任務を終え 2年後には
帰国しました。

イスラム教徒が 純粋にアラーを信じ ISなどまだ存在しなかった
20年前の話です。

Tさんとは 今は年賀状のやり取りだけとなり 何年も会いませんが
今度のニュースを どんな気持ちで聞いたことでしょう。

telすると言う夫に Tさんの気持ちがもっと落ち着く 1週間後くらいに
したら?  と止めました。



 

コメント (20)
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