日々是チナヲチ。
素人による中国観察。web上で集めたニュースに出鱈目な解釈を加えます。「中国は、ちょっとオシャレな北朝鮮 」(・∀・)





 きょう10月22日は中共にとっては「紅軍長征勝利70周年」だそうで、北京で記念展示会が開かれています。

 大がかりな記念式典も開催されて胡錦涛が重要講話なるものを発表。江沢民以下先代及び現在の国家指導者が勢ぞろいですから相当な格式ですね。もしここに自爆テロが立て続けに突っ込めば中共指導部は壊滅。さすれば中国は即割拠状態に移行、てなことになるのでしょうか。ああでも朱鎔基だけは助けてあげたいです。

 さて、「長征」って何?と聞かれても答に窮するのですが、要するに国共内戦で国民党に連戦連敗し、気息奄々たる毛沢東以下中共の面々が、敗走に敗走を重ねて延安にたどりついたのが70年前の10月22日、ということでしょう(たぶん)。

 要するに老耄たる中共は、敗走また敗走という苦い思い出を歳のせいで美しい記憶に仕立て直してしまっているのでしょう。「反右派闘争」(1957年)、「大躍進」(1957年)、「三年困難」(1959-1961年)、「文化大革命」(1966-1976年)……などはまだ生々しいイタすぎる思い出なのでしょうか。

 それとも都合の悪いことは忘れてしまうとか?だから今年は文革発動40周年、四人組(文革という権力闘争の主導グループ)逮捕30周年記念なのですが、一切スルー。来年は「反右派闘争」と「大躍進」の50周年記念ですが、やっぱり無視されるのでしょうか。

 もちろん「天安門事件」(1989年)などは思い出というより昨日起きたばかりのような消し去りたい記憶な訳で、その証拠に中国の歴史教科書のどこにも出てきません。ちなみに中共の植民地になった香港の教科書もスルーしています。

 さて、この「長征」という名の敗走に次ぐ敗走の挙げ句たどりついたのが陝西省・延安市。現在では革命聖地とされています。この延安に行き損ねたのがいまでも悔いとなって私の中にあります。

 ――――

 昔話なのですが、上に書いた天安門事件が6月4日。当時私は上海に留学しており、事件のあおりで日本の大学から「帰国せよ」との強制命令。私は残っていたかったのですが強制命令とあらば仕方がありません。ブーブー文句たれながら日本に戻りました。

 9月の新学期前に再び上海に戻ったのですが、ここから帰国する3月までは民主化運動の反動でものすごい政治的引き締め策が敷かれました。その両方を実見できたことはいまでも貴重な体験です。

 それはともかく、本科生ではなく語学研修課程にいた私は新学期とともに困った事態に陥りました。6月までの前半期、私は当然ながらレベルの一番高い「高級班」に所属していました。これは自慢でも何でもありません。

 私にとって留学は、上海が改革・開放で古いカサブタをどう剥ぎ取り新たな何事かをどう建設するのか、それを眺めるのが本来の目的だったのです。当然ながら、中国語は留学以前に基本を仕上げていました。

 その私が中国人と会話しているのを見て、私より先に1年間留学して帰ってきた同級生たちが「どうして?」と驚いていましたが、技術としての語学修行などは別に現地に行かなくても、現地に行く以上にいくらでも磨き上げることができます。

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 それはともかく、問題はそれまで高級班を構成していたメンバーが6月で留学期間を修了してしまい、残ったのが私だけとなってしまったことです。学校側も苦慮した挙げ句、母国では中国語を教えているという外国人留学生6人だか7人を無理やり高級班に組み入れたのですが、この連中がこれまたお粗末で、中級班に入れるかどうかという実力。

「冗談じゃありませんよ。こちらはお金を払ってここに来ているのに、このひどい扱いはなんですか」

 と学校側(留学生弁公室)にねじ込んだところ、

「わかった。じゃあお前は特例。本科生の授業に出ていい」

 と願ったりかなったりの状況になりました。

 ところが、運悪く今度は私の方が体調を崩して授業に出られなくなってしまいました。

 ほどなく元気になったのですが、学校側が「授業に出ろ」と言ってこないのを幸い、1カ月ほど内陸部を回る旅行に出ました。旅行といっても私は大真面目で、天安門事件の戦跡めぐりや内陸の経済的疲弊ぶりを実感できるかどうか試みたかったのです。

 さらに、引き締め政策に一転した状況下での庶民の「ここだけの話」を聞きたいという思いもありました。

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 振り出しは上海から西安への寝台列車です。私は寝台車なら一度は「軟臥」(1等寝台:4人1部屋のコンパートメント)に乗ってみたくて、それなら旅慣れない最初がいいだろうということで、この西安行きの寝台列車だけ「軟臥」に乗りました。

 当時の中国人にとって「軟臥」はある程度の地位にある上に職場などに手配してもらえない限り切符が手に入らないものでした。私のコンパートメントも60歳くらいの大学教授と、母娘とおぼしき知識人という組み合わせでした。列車は午前中に上海を発って安徽省に入ったあたりで日が暮れ、熟睡しているころに黄河を越えてしまいました。

 驚いたのは翌朝です。通路の椅子に腰掛けて一服しようとコンパートメントから出てみたところ、風景が一変していました。乾燥した空気に乾いた赤土。灌木などありはしません。やせ細った牛を引く年老いた農民。この環境でどうやって生活していくのか、私には想像できませんでした。

「いや、ここはまだいいんだ。こうして線路が通っているのだから」

 と、面食らっている私に、やはり通路に出てきた大学教授が言いました。

「君は西安に行くそうだね」

「はい」

「もし時間があったら、延安まで足を伸ばしてみるといい。西安から長距離バスが出ているから。……延安を知っているね?」

「はい。あの……確か革命聖地だったのでは」

「そう。革命聖地だ。その聖地がどういう有様なのか、観に行くことは君にとって無駄にならない筈だ。あそこはひどい。長征のころから何も変わっていない」

 と、大学教授が教えてくれました。語気が憤慨の気配を帯びています。私にとってこの旅行で初めての「ここだけの話」でした。

 私は西安をひと回りしたあと、その延安へ行ってみようとしました。ところが、長距離バス乗り場まで行ってみたのですが都合のいい便がなく、結局あきらめて切符をとってあった成都行きの寝台列車に乗り込む破目となりました。

 その後、宿泊先では必ず民主化運動の落ち武者狩りで「査房」(お部屋改め……て古いか。警官による抜き打ちの室内チェック)に出くわしましたが、今度は「硬臥」(2等寝台)の列車を乗り継いでいくなかで、「ここだけの話」をたっぷりと仕入れることができました。最後は重慶から上海へと三峡下りの船旅です。この旅行記はいつか文章にまとめようと思いつつ、つい忙しさにまぎれて未だに手付かずになっています。

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 ああ「紅軍長征勝利70周年」の話から随分流れてしまいました。この展示イベントは中央の指導者や先代の国家指導者が見学に訪れ、何日か前に胡錦涛が訪問したことを新華社が報じていました。

 胡錦涛の写真が添えられていましたが、いつもの無表情からワンランクダウンのヤル気のなさそうな疲れたような顔つきが印象的でした。

 そのあとは江沢民以下の先代の指導者も久しぶりに揃って姿を現しました。上海閥の次世代有力者・陳良宇をバッサリと斬られ、上海そのものも胡錦涛サイドの手に落ちつつあることで注目された江沢民は、春に母校・上海交通大学を見学したときに比べると痩せて頬がこけた印象です。

 で、胡錦涛のときも江沢民一行のときも中央電視台(全国ネットのテレビ局)のニュースが報じました。ところが胡錦涛のときカメラは胡錦涛のみを追い続けたのに対し、江沢民一行は老人たちの群れを映すのみで、江沢民単独のカットはなかったそうです。

 ……とは、きょう(10月22日)の香港最大手紙『蘋果日報』の報道。この観察ぶりにはGJ!と言ってあげたいところです。

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 さて、標題の件です。胡錦涛率いる党中央は「七・七」「九・一八」といった抗日記念日をいつもよりサラリと流し、小泉首相による「八・一五」靖国参拝への反発も抑制されたトーン。

 そして3月には「日本の指導者が靖国参拝をしなければ」という前提条件がついていたのに、今回はその前言を翻し、すんなりと安倍首相との首脳会談を実施しています。この間、民間反日組織の活動は力づくで押さえ込まれました。

 陳良宇を血祭りに上られるだけの主導権を握ったこととも関係があるでしょうが、ともあれ胡錦涛が対日強硬派など敵対政治勢力からのくびきからようやく脱したことを示すものだと思います。

 こうなると、2004年9月に発足した胡錦涛政権がダメ出しをされて路線転換を余儀なくされるまでの3カ月間、つまり胡錦涛カラーが出ていた最初の3カ月を振り返っておく必要があると思います。

「おれは昔の歴史を言い立てたりはしない。未来志向で現実的に、実務的に、合理的にやろう。でも首相が大っぴらに靖国神社へ参拝するのには反対だし尖閣諸島はウチのものだし、あと沖ノ鳥島は島じゃないから、そこんとこよろしく」

 てなところでしょうか。今後「対日新思考」で話題を呼んだ馬立誠論文の線までハードルを低くするのかどうかはわかりませんが、江沢民のように「日本には絶えず歴史問題を言い立てろ」といったヒステリックさがないのは事実。

 政権発足と同時に反日サイトに鉄槌が下ったことも忘れてはなりません。最近では保釣運動(尖閣防衛運動)の記念イベントのため香港に入ろうとした活動家が入境拒否に遭っています。

 ……で、こういう胡錦涛スタイルが「愛国主義教育」にも出てくるのではないか、というのが私の見方です。

 ――――

 先代の江沢民がやった悪名高い「愛国主義教育」は反日風味が満点でしたが、あれは江沢民自身のヒステリックな(例えば彼女を日本人に寝取られた過去でもあるかのような)反日傾向に加え、天安門事件で中共の求心力が地に墜ち、またソ連や東欧の社会主義政権が次々に崩壊していった時期でもありました。

 このため社会主義の代わりに民族主義を持ち出して団結を訴え、同時に仇役(日本)を設定することで国民の中共に対する憎悪の視線を外に向けようとした、それが江沢民型「愛国主義教育」の背景です。

 ところが胡錦涛政権にはそういう切羽詰まった事情はなくて、でもその代わりにトウ小平と江沢民がやってきた20年余の「改革・開放」政策の負の遺産、様々な格差や汚職の蔓延といったより困難な課題に直面しています。

 これは胡錦涛政権発足当初から当ブログでは再三再四強調していますが、準戦時態勢ともいえる強権政治を敷いた上で構造改革を断行し、負の遺産を取っ払う荒療治を一気にやってしまおう、というのが胡錦涛政権のテーマなのではないかと思います。

 ――――

 だから胡錦涛型「愛国主義教育」では日本を殊更に仇役にする必要はないのです。むろん日本を悪者にすることが全くなくなる、ということはないでしょうが、軸足はむしろ国内に移されるでしょう。いわば
「鬼畜米英」ではなく「ぜいたくは敵だ」の方に重きを置くものです。

 その証拠、といえるかどうか、胡錦涛が愛国主義教育を語るときはまるで道徳の先生か生活委員長のようなもので、例えば大学生に対しては「風紀粛正」、党員に対しては「雷鋒に学べ」型の最近のケースをモデルに、わが身を犠牲にしても党と人民を守る精神が強調されています。

 それから子供にもわかりやすい「こういうことをやったらいけない」という「八栄八辱」つまり「社会主義栄辱観」などは道徳教育そのものです。春先には「紅色旅遊」といって、党の史跡をめぐる視察や旅行が奨励されたりもしましたね。

 そして今回の「紅軍長征勝利70周年」。これも「鬼畜米英」ではなく「ぜいたくは敵だ」の系譜に連なるものと捉えていいかと思います。「偉大なる先輩たちの克己心に学べ」といったところでしょうか。

 今後の「愛国主義教育」はそういう胡錦涛路線にシフトしていくだろうというのが私の見方です。「愛国主義教育」が報じられたとき、その内容が「鬼畜米英」なのか「ぜいたくは敵だ」なのか、注意してみると面白いかと思います。




コメント ( 15 ) | Trackback ( 0 )



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コメント
 
 
 
Unknown (take)
2006-10-22 18:27:19
「贅沢は敵だ!」の次が気になりますね。

それがどの方向に向かうか?

「日本のせいだ」となるのではないでしょうか?

心に刻まれた反日の精神がそう簡単になくなるとは思えません。

その感情がひっくり返るには結局「政府に騙された」と言う認識が必要でしょう。

ちょうど日本の戦後教育で「全て日本が悪い」と教えられたのが事実を知る事によりひっくり返るように・・・。

(韓国も似たようなものだと思いますが韓国には期待しませんw。)

 
 
 
Unknown (Kawai Oyaji)
2006-10-22 19:52:47
>国共内戦で国民党に連戦連敗し、気息奄々たる毛沢東以下中共の面々が、敗走に敗走を重ねて延安にたどりついた

ttp://en.wikipedia.org/wiki/Image:Ww2_allied_axis.gif



(英語のできる中朝人の活躍で何かと話題の)Wikipedia から、第二次世界大戦の連合国(西側)=緑、連合国(東側)=赤、中立国=灰、枢軸国=黒で塗り分けされたアニメーション地図です。



あれがその延安でしょうか。

中共、戦ってないよなぁ。

朝鮮、戦ってないよなぁ。
 
 
 
「ぜいたくは敵だ」 (Baatarism)
2006-10-22 20:40:07
今の中国は、田沼意次が批判されて失脚し、松平定信が「改革」を始めたようなものなんでしょうね。w

ただ、この手の「改革」は得てして需要を低迷させて不況を呼び寄せるものなので、胡錦涛不況をきっかけに中国は混迷の時代を迎えるのかもしれませんね。
 
 
 
保釣が尖閣に (正成)
2006-10-22 21:08:41
行くそうですが、直前で当局に駄目だしされるのでしょうか?興味深いです。
 
 
 
muruneko (The Long March)
2006-10-22 22:39:17
"The Long March" by Edgar Snow.,



私も学生の頃、むさぼるように読みましたよ、この本。英語覚えたてで、感動した覚えが有ります。時は NHK でシルクロードの風景流れ、中国人は貧しいけれど良い人ばかり、日本は昔悪い事してごめんちゃい、の頃でした。



そもそも、この本の中身自体がかなりのでっち上げ(八呂軍デマゴーグの受け売り)、Edgar Snow も左に巻き切っている人物と知ったのは、かなり大人になってからでした。



それにしても御家人さん、紀行文も読ませますなー。暫く中共が静かな内は、ぼちぼちと此方を書き始められては如何でしょうか?

 
 
 
昔聞いた話 (90)
2006-10-22 23:05:51
御家人さんは天安門事件の頃内陸へご旅行されたそうですが、私の大学の中国語の先生も似たようなお話をされていました。



その先生の生徒さんの一人が外国人立ち入り禁止地域ばかり入り、少数民族が漢民族に圧迫されている状況を見て、すっかりシナ嫌いになって戻ったそうです。

法律で禁止されている地域に入るのはどうかと思いますが、彼らが作り出した矛盾を日本に向けるのは許せません。漢民族も日本に対する矛先を政府に向ければいいのですけど。
 
 
 
寛政の改革ですか? (さぬきうどん)
2006-10-23 02:03:52
>Baatarismさん

発想は面白いのですが、対外関係とか内政と絡めてもう少し論を展開していただければと思います。

胡錦濤「不況」というか、現状で北京オリンピックとか上海万博なんてできるんでしょうか。北京と上海という辺りも微妙ですね。仲が極めて悪いのは有名です。
 
 
 
邱暁華の件 見立てとのギャップ (katze)
2006-10-23 04:33:27
邱暁華の国家統計局局長職免職について、以前、無能だからクビとされていましたが、その後の同局の発表では、上海社会保障資金事件(陳良宇事件)に連座したとされています。

この隙間をいかが読まれますか。

 
 
 
ぷ・・・ (でんすけ)
2006-10-23 08:23:48
今回の記事『だけ』読んでると、

胡錦涛が割とマトモな政治家に見えてくるのが笑えます。(笑)

でもなぁ・・・

今まで色々と染み付いたドス黒い何かは、やっぱりねぇ。(笑)



親中マスゴミと中国無関心日本人がコロっと騙されそうでヤですね…。

(媚中マスゴミは承知の上でプッシュしそうですが)
 
 
 
おっとっと (でんすけ)
2006-10-23 08:27:06
>親中マスゴミと中国無関心日本人がコロっと騙されそうで

誤解を招きそうなので”御家人さんの記事でさえ・・・ですから”を付け加えて起きます。

 
 
 
Re:邱暁華の件 見立てとのギャップ (御家人)
2006-10-23 10:10:20
>>katzeさん

 見立てとのギャップですか?所詮は素人ですからこんなもんです。ただ同じ時期の香港メディアはいずれも「胡錦涛の意に沿わない」「上海閥に同情的」「統計にごまかし」といった理由を挙げていました。親中紙の『香港文匯報』(2006/10/13、2006/10/14)でさえ香港紙『東方日報』の観測を転載していたりしたほどです。



 中央規律検査委員会が乗り出したと聞いて私も驚いていますが、香港メディアも同様のようで、『香港文匯報』(2006/10/20)にしてもプレスリリースをそのまま記事にしたような内容になっています。



 持論にこだわる訳ではありませんが、汚職容疑とされる一方で、私はまだ「見立て」の線を「ああそうですか」と捨ててはいけないように思います。国家統計局の記者会見では「見立て」の内容は今回の解任とは無関係としていますがが、その国家統計局が「緑色GDP」に「数字で表現するのは無理」と匙を投げた時期があったことは事実です。また、陳良宇の一件と具体的にどこでつながっていたかが現時点では明らかにされていません。



 実際に癒着していたというなら、これは中央政府から初めて嫌疑者が出ることになり、刑事事件ながら政治色の濃いものとなります。「中央の人間もやられる」ということで、今後胡錦涛サイドによる掃討戦がより拡大されることを示唆するための見せしめ、という可能性もあります。



 という訳で、私はこの件については中央紀律検査委員会の調査結果を待つ一方、他に中央でひっくくられる高官が出るかどうか眺めているところです。

 
 
 
>「ぜいたくは敵だ」 (いとのこ)
2006-10-23 10:48:44
・・・から、

「贅沢するやつは敵だ!」

になって、

「金持ちはやっつけろ!」

になったら・・・いいなあ。



結局繰り返す、と。
 
 
 
胡錦涛 (鴨洛斎)
2006-10-23 12:00:11
江沢民より、現実的で、したたかであり、むしろ日本の外交当局にとっては手強いのではないでしょうか。あからさまな愛国(反日)できてくれた方が外交上は逆にやりやすいように思います。

彼の前任地での経歴を考えると、本質的に共産党一党独裁政治体制は不変であり、中央に逆らうものは容赦しない、一見、対日融和策を取るが、日本から得るもの(投資、省エネ技術など)は得る、渡すべきものは渡さない作戦でありましょう。

 
 
 
さぬきうどんさんへ (Baatarism)
2006-10-23 14:40:05
寛政の改革に例えたのは、経済的なバブルを「不健全」だと考え、倫理的な理由でバブル潰しを図ろうという姿勢を胡錦涛政権が持っているのではないかと思ったからです。

最近の日本でも「平成の鬼平」こと三重野康日銀総裁が、反バブルの世論に推されてバブル潰しをやりすぎて、「失われた15年」の引き金を引きましたよね。胡錦涛政権の政策は、下手するとそのような事態を招くのではないかと思うんですよ。

まあ、北京五輪と上海万博は意地でも実施するでしょうが、その後の中国は「失われた○○年」となって、高度成長のために今まで表面化しなかった問題が一気に噴出するんじゃないかと思うんですよね。そしてそれに対処するためのサプライサイド的な「改革」が、さらに不況を悪化させて問題を深刻化させる、というスパイラルに陥るんじゃないかと心配しています。

確かにすでに問題はいろいろ噴出してるのですが、僕はこれでもまだマシな状況だと考えています。本当に高度成長が終わったときに何が出てくるか、ちょっと怖いですね。
 
 
 
Unknown (motton)
2006-10-23 20:58:03
日本などの先進国は、100年くらいかけて都市部の成長の一部を地方へ

「ばらまく」ことで農家の現役世代を保護し次世代に教育を受けさせる

ことで他の職業へ転換させました。



中国も「和諧社会」の実現のため、これを行いたいのではないのでしょうか。

ただ、現代の中国で 10億の農民に「ばらまき政策」をとると底無し沼

になりそうで、先進国並の権利意識に目覚めつつある都市部の住民が

「ぜいたくは敵だ」の精神で耐えられるのか疑問です。

 
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