日々是チナヲチ。
素人による中国観察。web上で集めたニュースに出鱈目な解釈を加えます。「中国は、ちょっとオシャレな北朝鮮 」(・∀・)





 前回、学生のことを俎に乗っけたついでに、ちょっと昔話をさせてもらいます。

 前にも書いたかも知れませんが、私は天安門事件に象徴される1989年の学生運動をはさんで1年間(89年~90年)、中国の某都市に留学生として滞在していました。

「例えば1989年の民主化運動、あれは突発したものではなくて、その前年である1988年後半には政治・経済・社会の各面において、そういう運動が起きるための条件がほぼ揃っていました。」(「何をしている大学生」2004/10/29

 と、私は思っています。

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 88年から89年初めに至る状況を思い付くままに並べてみると、

 ●改革推進の経済政策が失敗して夏にスーパーインフレが発生。
 ●官僚の汚職が蔓延。
 ●利益再分配における不公平。例えば大学教授の月収が、大学の門前のワンタン売りの日収に等しい、など。
 ●秋に開かれた党中央委総会で、経済政策の引き締め転換を決定。改革派の趙紫陽総書記から保守派の李鵬首相へと主導権が移る。
 ●さらなる改革を求めるメッセージの詰まったテレビドキュメンタリー『河殤』が放映禁止に。
 ●民主化活動により逮捕された政治犯・魏京生氏の釈放を求める公開書簡を改革派知識人が連名で政府に提出。

 要するに、当時はまだ市場経済システムが穴だらけだったために、改革を進める中で経済が混乱して物価高や様々な「不公平」を生み、一方でシステムの穴を突いた党官僚の汚職がはびこる。そのために民衆には怨嗟の声が満ち、経済の引き締め転換で改革の流れが止まるのを恐れた知識人たちは思い切った行動に出て、経済の混乱に端を発した改革派と保守派の争いが政策論争の形で活発化していた――ということです。

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 日本を発つ前にすでにこういう状況でしたから、何か起こるかも知れないという予測は当然していましたし、何かあるかも知れないから気をつけるように、と私の性質を危ぶむ大学の恩師や中国人留学生の友人たちからも言われました。

 言うなれば、当時の中国は部屋中にガソリンをまき散らした状態でした。

 あとは、点火するだけだったんです。それだけが、足りなかった。つまり、「きっかけ」です。点火力を持つだけの、インパクトを伴う出来事です。

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 さて、スタートした私の留学生活はいたって平穏で、街を歩いても不穏な空気はどこにもありませんでした。

 そういう中で、「きっかけ」は何になるんだろう、と私は考えていました。

 とりあえず5月4日がある、と思いました。その年は中国の学生運動のルーツともいえる「五四運動」の70周年に当たっていました。

 でもその前に「四五運動」があります。これは1976年4月5日の第一次天安門事件のことです。

 御存知の方も多いでしょうが、清明節という日本でいえばお彼岸のような節句に、同年1月に死去した周恩来を悼んで、民衆が自発的に天安門広場へと集まり、人民英雄記念碑に献花し、自作の詩を捧げ、そうすることで当時政権を牛耳っていた江青ら「四人組」に対する無言の批判を行ったのです。

 当時の四人組政権はこれを反革命活動とみて、公安を大挙動員して天安門広場に突入させ、暴力を以て市民を鎮圧しました。「五四運動」が学生運動のはしりなら、余り知られていない「四五運動」は民主化運動のはしりと言えるでしょう。

 だから4月5日が臭いぞ、ということで、その日私は授業をサボって市内の有名大学をいくつか回ってみました。何か「大字報」(壁新聞)が出ているのではないか、もしかしたら学生デモがあるかも知れないぞ、と思ったのです。なるほど、恩師や友人が危ぶむ筈です(笑)。

 ……が、その日はどの大学も平穏で「大字報」もなく、私はよその大学をただ見物して回ったような格好になりました。


「その2」に続く)



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