中国は毎年恒例である政治の季節に突入しました。まず3月3日に全国政協(全国政治協商会議、形骸化した党外チェック機関)が開幕。続いて今日5日から「なんちゃって国会」である全人代(全国人民代表大会=立法機関)がスタートです。
2003年にはこの2つの政治イベントの会期中、北京で中国肺炎(SARS)が流行していることを当局が隠蔽したほど重要な……といっても一党独裁体制である中国において全国政協はもちろん、政府系の催し物なんて実質的にはさほど重要ではありません。
まあ一応縁起物ですし、国際社会に対し中共政権がこの場を引き立てることで「一党独裁色」が薄まりつつあるとアピールしたいという中国当局の思惑もあります。例えば5年に1度開かれる党大会などと比べれば全人代なんて屁のようなもの。ですからこういう縁起物に過ぎないイベントを海外メディアにどんどん開放して取材させて「政治的透明度」の向上を印象づけようというものです。
また、国営通信社・新華社に「全国政協がこんなに仕事をしています」という記事をどんどん配信させて「中共独裁」ではないという拙い印象操作を試みたりもします。これは国内向けの宣伝活動でもあり、日本や欧米からみれば幼稚に思えるプロパガンダでも愚民教育を施している中国国内相手には結構通用したりするものです。「多党制」とはさすがに言わないものの「多党政治」なんて言ってみたりもします。テラワロスw
さて、基本的にはどうでもいい全人代ではありますけど、とはいえ、政府の所信表明や年間指標、経済運営方針、対台湾政策など観るべき価値が全くない訳ではありません。もちろん党中央の意思を追認しているだけなんですけど。
それから5年に1度、政府主要閣僚の任期満了に伴う世代交代がこの場で正式に発表されるので、これは注目点となります。そして今年2008年の全人代がその「5年に1度」の番。国家主席、国家副主席、首相、副首相などの交代・続投に興味が集まるところです。
とはいえ全人代でその人事の可否が審議される訳ではなく、前もって準備された名簿に対し信任投票を行うという手続きが行われるだけ。全人代が古くから「ゴム印」(党の決定事項にハンコを押すだけの機関)と揶揄される所以です。
もちろんひとつのポストに複数の候補者を立てて、全人代で当選者・落選者を決めるなんてことは行われません。ただ信任投票ですから、反対票・棄権票の多寡で「候補者」に対する実質的な評判をみてとることができるのは面白いところです。
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それではこの新人事、全人代で討議されないのなら一体どこで決まるのかといえば、そこは一党独裁ですから中国共産党の重要会議に他なりません。今回の場合はまず昨年秋に開催された「十七大」(第17回党大会)で基本路線が定まり、全人代開催直前である2月下旬に開かれた「二中全会」(党第17期中央委員会第二次全体会議)で名簿に対し最終決定がなされます。……いや、なされました。
その「二中全会」は2月25日~27日に北京で開かれました。この「二中全会」開催日程は事前に公表されていましたが、私が香港で「昔の観察日記」を記していたころは事前予告がなく、閉会後に会議のコミュニケ(公報)が突然中国国内紙に出ることで「おお、やっていたのか」と思ったものです。そういう細々とした点においては確かに中共政権もオープンになってきています。
それはともかく。毒餃子事件など色々あったため、また会議での決定事項が比較的地味だったため当ブログではついつい後回しになっていたこの「二中全会」について、全人代に突入する前に一応言及しておこうというのが今回の主題です。
「二中全会」公報によると、会議では全人代で選出される新人事名簿提案(形式的には全人代で選出されるため「提案」となっているのです)、それに今後5年間の政局にある程度影響を与えるであろう政府機構改革案(省庁の統廃合など)などがまとめられたようです。
以前、香港紙『明報』が一面トップという自信満々の勢いで「習近平が二中全会で中央軍事委員会副主席に選出される」という消息筋情報をスクープしましたが、現時点までは何の発表も行われていないので、この人事は実現しなかったようです。
一般的に、中央軍事委のように党と政府に同じ名前の組織がある場合、そのメンバーは原則的に同じ顔ぶれであり、なおかつ慣例に照らせば党部門より政府部門の顔ぶれが先に改まる(例えばまだ党中央軍事委副主席でない習近平が今回の全人代で国務院中央軍事委副主席に先に選出される)ことはないので、習近平の就任は見送られたということでしょう。
就任するとすれば次の「三中全会」以降かと思われます。なぜ今回は就任に至らなかったのか、といった点が気になりますが、詳報している香港紙は目下のところありません。
……という訳で人事が行われず地味になってしまった観のある二中全会ですが、見所が全くなかった訳ではありません。
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ここからは私の邪推モード。大味でない公報の方が読みがいがあるというものです。……で、タイトルの通り「サヨナラ和諧社会」ということを、「二中全会」の公報を通じて私は再確認することができました。
「和諧社会」=調和のとれた社会、というのは2005年秋の第16期五中全会あたりで華々しく打ち上げられた大花火。改革開放政策を30年近くやってみたら一人当たり平均収入は劇的な向上をみたものの「みんなが豊かになった」のではなく、実情は貧富の差が著しい超格差社会になってしまっていた。……ということで、この格差を改善しようというものです。
格差は残っても許容範囲内に抑え込まれた社会=「和諧社会」とし、胡錦涛の指導理論である「科学的発展観」を全面的に貫徹させることで実現できる、とされていました。「和諧社会の構築を」というスローガンが事あるごとに叫ばれたものです。
ところがこの「和諧社会」という名詞の影が少しずつ薄くなり、存在感を失っていきます。2007年3月、つまり前回の全人代での温家宝・首相による「政府活動報告」では「和諧社会の構築」が前面に押し出されていましたが、10月の「十七大」における胡錦涛の総書記報告では、
「和諧社会の構築を」
「社会の和諧を促進する」
という2通りの表現となり、むしろ「和諧追求」の度合いが弱い「社会の和解を促進する」の方に力点が置かれている印象でした。これが旧正月直前の現指導部による引退した国家指導者など「老同志」への御機嫌伺いの会では何とこの2通りの表現とも消えてしまいました。
●胡錦涛報告は「控えめな宣戦布告」@十七大02(2007/10/15)
●「和諧社会」が消滅!……歳末恒例の指導部イベント。 (2008/02/06)
「和諧」というキーワードが消滅?という訳ではないでしょう。御機嫌伺いの会では党の基本方針が簡潔に示されます。記事でいえば短文でまとめあげなければならず、そこに「和諧」が入らなかったということかと思います。格差改善は中共政権を根本から揺るがしかねないテーマですから、胡錦涛政権がこれをキャンセルすることはまずありません。
ただし、「御機嫌伺いの会で登場しなかった=簡潔に示された党の基本方針のひとつとして挙げられなかった」ということになるので、優先順位が下がったということはいえるかと思います。
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で、この御機嫌伺いの会に続く政治イベントである「二中全会」の公報において、「和諧」はどう扱われているか、というのが私の関心事でした。……その公報には「和諧」が5回登場します。果たせるかな、キーワードとして消滅した訳ではなかったのです。……ただし、
「安定和諧的政治局面」(安定し調和のとれた政治局面」)×1回
「促進社會和諧」(社會の調和を促進する)×4回
……と、「和諧社会の構築」はとうとう姿を消してしまいました。「和諧」というキーワードは健在ではあるものの、その言葉からは従来の重みが失われているということです。「和諧社会」という名詞は、もはや使われなくなっています。
それはなぜか、ということを考えなければなりません。まず「和諧社会」というのは現在の超格差社会に異を唱え、基本的に格差改善を主題としたものです。ところが改革開放政策の恩恵を受けて「富める2割」を形成する既得権益層にとって、超格差社会からの脱却は自らの利権を脅かされることになりまから、唯々諾々と大人しく従ったりすることはありません。
例えば貧富の格差改善策として累進課税制を打ち出して、金持ちにはたくさん税金を払わせるようにするとします。金持ちは当然ながら面白くないでしょう。……要するに構造改革に対する抵抗勢力の反発が強く、胡錦涛政権は「和諧社会の構築」を引っ込めざるを得なかった、という可能性があります。これが第一点。
もうひとつ考えられるのは、「和諧社会」の実現自体が画餅に終わりそうだ、ということを胡錦涛政権が自ら認識し、「無理な目標掲げて達成できなかったら叩かれるかも」と自分から「和諧社会の構築」を引っ込めてしまった、という可能性です。
もともと「和諧社会」の格差の部分に関する具体的な定義は行われていないのですが、新華社系の金融紙「上海証券報」によると、
◆数字による「十一五」展望(新華網 2005/10/12/07:12)
http://news.xinhuanet.com/stock/2005-10/12/content_3606994.htm
●ジニ係数は現在のレベルを維持
ジニ係数でわが国の収入格差をみてみると、1990年には「0.34」前後だったが、現在はすでに「0.45」に迫っており、総人口のうち最も貧しい 20%が収入あるいは消費において全体に占める割合はわずか4.7%。逆に最も豊かな20%が収入または消費に占める比率は50%にも達する。収入格差が過大になるのを抑制するのが「和諧社会」を建設する上での重要な条件である。努力することによって、わが国は2010年のジニ係数を「0.45」という現在の水準で維持することが望めるだろう。
とされています。つまり第11次五カ年計画期(2006~2010年)においては、「頑張りに頑張って超格差社会の現状をこれ以上悪化させないようにする」のが「和諧社会」の実現に向けた取り組みなのです。格差改善は無理。努力しても現状維持が精一杯、というのが2010年までの「和諧社会構築」に関する目標値です。
2010年の後はどうなるのか、ということはわかりませんが、ジニ係数でいうと目標達成は困難になりつつあります。「0.40」を越えると警戒水域だと国際的にみられているジニ係数が2005年時点ですでに「0.45」。これが翌2006年には早くも「0.47」に到達してしまっており、上海市の一人当たり平均収入は実に貴州省の13倍にも達しています。
●「新浪網」(2008/02/28/17:39)
http://finance.sina.com.cn/g/20080228/17394560377.shtml
ちなみにこのジニ係数でいうと、中国は1984年に「0.24」だったものが1995年には「0.39」となり、2005年が「0.45」、そして2006年が「0.47」へと格差は拡大する一方なのです。最新統計である2007年についてはまだ数字が出ていませんが、格差が改善されているという形跡は特にありません。良くて「0.47」の維持、「0.45」への改善は無理な相談、といったところではないでしょうか。
指導部において「和諧社会」に対する数字による定義づけが行われていたかどうかはわかりませんが、格差拡大の流れを押しとどめることが困難な上に既得権益層によるあの手この手の反発があります。そうしたなか、胡錦涛政権が「無理な約束はしない方が無難」という方向に傾いたとしても不思議ではありません。「和諧社会」を引っ込める代わりに、
「民生の重視」
「社会福祉の充実」
といった聞こえの良い旗印を掲げ(農村部の問題が都市部にまで拡大という状況悪化への対応策、というのが実情でしょうが)、一方では、
「民主の推進」
というこれまた甘美なスローガンなれど、具体的には時間をかけて取り組まねばならないため実質的には「ポーズだけ政策」を空虚ながらも鳴り物入りで打ち出している、というのが現状であるように思います。
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さて今回の全人代における温家宝の「政府活動報告」(原案)が先ほど明らかになりましたが、ざっと目を通したところ、「和諧」という単語が登場するのは4~5カ所、それも、
「社会の和諧を促進する」
というのが主でした。「和諧世界」という言葉が出てきておやっと思ったら、
「平和と共同繁栄が持続する和諧世界の建設を推進する」
と、これは外交政策のくだりで出てくる言葉で、ここでいう「和諧世界」とは国際社会のことです。
……まあ物価高だ雪害だインフレ懸念だ台湾問題だ五輪の準備だ政府の機構改革だ……と焦眉の急がいくつも出てきているので理想論(画餅)は引っ込まざるを得ないのでしょうが、「和諧社会」というキーワードを放棄したことで、胡錦涛政権のある部分が変質した、ということになるのかも知れません。
そもそも「和諧」という言葉自体、優先順位が下がって存在感を失っています。いまや腰を据えて格差改善に取り組む余裕すらなくなりつつある、と形容すべきなのでしょうか。
そうでなければ党と人民軍から組織全体としての支持を得られなかったのか?と邪推モードになったりします。
あと、胡主席は本当に桜が咲く頃に日本に来るんでしょうか?。
なんちゃって新幹線の「和諧号」の方もこっそり名称変更してたりして。
格差解消といえば、こんな記事がありましたが、本気ですかね?
中国政府、戸籍制度の抜本改革を検討か、都市と農村の格差解消も狙い―中国
http://www.recordchina.co.jp/group/g16363.html
無戸籍者の救済の方が先だと思うのですが。
私は今後も軍事費が伸びるなら突出しすぎて破綻、というのを希望しますが、その前に暴発する可能性もあるので困ります。
しょーもない突っ込み失礼しました。
でも、やってる事は中学生以下。
生徒会なら選挙で民主的に選ばれますけど、中共は言ってみればチト昔のノリだとバンチョーグループの制圧政権みたいなもんかなーとか思ったり。
それでも昔は全部を束ねる大バンチョ-の下、貧しい(貧しくしたのも大バンチョー)ながらも楽しい(トップにとっては)我が家だったものが、頭が去って子分が引き継ぐたびにその器が縮んで下への縛りは緩み放題。
一般人の中でも貧富で上下の層が出来、どっちかに傾けばもう一方から突き上げられる。
………って、なかなか楽しそうなお話が出来そうですね。
なんとなく共産党自身が被害妄想に陥って、自分からあることないことをまくしたてて無実を証明しようとするも、かえって墓穴を掘ってしまったというパターンに見えなくもない気がします。
唐家璇とフフンの話し合いでは、毒ギョーザの件は日本の問題であって中国は関係ないと一方的に言われたのを、フフンはただ聞いてただけで抗議もしなかったらしいい、ご破算になりそうな最大原因はここにあるとか、他にも中国に対しての積もりに積もった鬱憤が親中派以外の議員や官僚からここに来て噴出きているみたいだ。
今回のこの時期を逃すと、胡錦涛も日程が一杯だろうから当分来日は無いでしょう、ま~別に来てもらう必要もないけどね。
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