ひまわり博士のウンチク

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沖縄1 チビチリガマとシムクガマ

2009年05月19日 | 旅行記
 15日から18日まで、沖縄に行ってきた。
 もちろん観光旅行ではないので、シュノーケルも水着も持っていかない。
 
 初日は知花昌一さんの案内で、象の檻(米軍通信施設)跡地やチビチリガマ、シムクガマを見て回った。
 知花さんは反戦地主として10年間、象の檻の所有地返還を求めて闘って来た。
 また、チビチリガマの「集団自決」犠牲者の遺族でもある。
 
Chibichiri5

 チビチリガマは今から30年前、絵本作家の下嶋哲朗さんによって発見された。それまでは、この場所にガマ(洞窟)があることすら、知られていなかった。
 *参考=下嶋哲朗『チビチリガマの集団自決』凱風社
 
Chibichiri2
 
 通常は入ることの出来ないガマの中に、知花さんの案内で特別に入れてもらった。
 散乱した遺骨は、後世に事実を伝えるためにそのままこの場所に残されている。
 入れ歯があった。
 成人男子は戦争にとられ、「自決」したのが年寄りと女性子どもばかりだったことが、残された遺品でわかる。
 
Chibichiri3
 
 これは櫛とコンパクトだ。きっと若い女性のものだったのだろう。
 
Chibichiri4
 
 飲料水をためておいたのか、空き瓶が一カ所にまとめられていた。
 これらの写真にあり、茶褐色の燃えさしのように見えるのは、皆遺骨だ。
 心ない訪問者の靴から守るために、近年立ち入り禁止になった。
 
Chibichiri6
 
 「ここでは85人の人が『自決』しています。他に言葉が見つからないので『自決』といいますが、最年少は生後4カ月です。そんな子どもが自決しますか?」
 入り口で、知花さんが初めて来た人にもわかるように、やさしく説明する。
 慰霊塔の上に、大きなオーブが現れた。(上方の丸い透明な浮遊物)
 
Shimuku1
 
 シムクガマは巨大なガマで、ここには約1000人が避難していたが、一人の「自決」者も出ていない。
 チビチリガマでは約140人が避難して、85名が「自決」して亡くなった。
 「鬼畜米英の捕虜になれば、女は強姦され、男は戦車でひき殺される」
 日本軍によってそう教え込まれた住民は、残虐に殺されることを怖れ、次々に命を絶った。
 
Shimuku2
 
 シムクガマには、ハワイ帰りの二人の日本人がいた。彼らは、米軍は国際法に従っているから捕虜を虐待などしないと説得し、投降することを薦めたのだ。
 
 このガマの中を流れる川は、洞窟の中を2000メートル以上も流れ、海にそそいでいる。
 
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2 コメント

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知花さんの読谷の宿に泊まられたのですか?(私は... (齊藤)
2009-05-20 19:07:18
知花さんの読谷の宿に泊まられたのですか?(私はそのうちに機会があれば、と思っているのですが)
チビチリガマでは多数の難死の場で感じるところがあったのか、ツマが外で気分をわるくしてしまいました。
返信する
齋藤さん (ひまわり博士)
2009-05-20 19:22:40
齋藤さん
宿には泊まらず、車だけ拝借しました。
こういういい方はいささかはばかられますが、チビチリガマには何かがたまってますね。
返信する

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