G.G.の徒然山遊録

岐阜各務原市周辺の低山の山行記録、折々の雑感、書評などの雑文を記し、山に関する情報を提供します。

横山(312m)~茶臼山(148m)縦走周回 ~石田三成ゆかりの観音寺から横山城跡と古墳群をめぐる歴史探訪の山旅~

2018-01-11 | 山行

山行年月日:2018年1月7日(日)、快晴無風、暖か
参加者:G.G.他9名
アクセス:各務原16BK 9:00→(R21)→(R365)→10:20観音寺駐車場/約53 km(片道)
歩行データ:距離≒8.2  km/所要時間≒3:55(昼食、休憩時間などを含む)/累積標高≒520 m
コースタイム:
駐車場10:33→10:40観音寺→11:09南城跡→11:25北城跡(横山)、昼食12:15→13:23茶臼山→
13:47息長陵→14:28駐車場
GPSトラック:
■観音寺駐車場から時計回りに周回した。横山から北進する道が一部であるが笹に覆われ分かり難い所があるが特段問題でない。復路の茶臼山から駐車場までの約4kmは集落を通る一般道である。

                      (目盛約300m)
GPSトラック標高図:
横山からの下りで数か所急坂で滑りやすい所あり転倒しないよう注意が必要であるが、特段、危険箇所はない。全体的には遊歩道感覚で歩ける。

 山行リポート:
観音寺(大原観音寺)は伊吹山4ヶ寺のひとつで、伊吹山中にあったのを1,260年頃に現在地へ移築
した古刹である。西国33ヶ所12番札所でもある。シーズンオフで参拝客は我らだけであった。
白いのは数日前に降った雪の名残である。

 本堂右に登山口がある。南城までの道は西国33ヶ所巡拝路で、路傍には色々な表情をした石仏安置されていて、ハイカーの心を和ませてくれる。

南城跡には平成26年建立の鐘楼があり、何人かが鐘を鳴らした。暫し休憩し、横山(北城跡)に向かう。林を抜けるといきなり伊吹山の大展望が眼に飛び込んできて、思わず快哉を叫ぶ。
眼下は織田と浅井が死闘を演じた姉川の合戦地である。

■眼を西に転ずると、眼下に近江平野、琵琶湖、遥か彼方には冠雪の比良山系が一望である。
以前に登った山本山~賤ヶ岳、虎御前山、小谷山などが旧友のようで懐かしい。

 ■陽気はこの時期としては異常な程、穏やかであり、絶景を堪能し、昼食で50分余を過ごす。
記念撮影をして次に向かう。背景に伊吹山が入っていないが、銘々が記念撮影をしたのでご容赦下さい。

 横山から下って行くとやがて次から次へと古墳が現れる。こんもりと土盛してあるだけで、看板がなければ見落としてしまおう。写真は最初にあらわれた堂の前古墳(一号)である。
因みに、本山塊の北端にある茶臼山古墳は湖北地方で最古・最大規模だそうである。

 ■古墳群の中、西側斜面に2個の岩石があり、看板があった。
ひとつは船岩と標記されていたがその由緒は不明である。もうひとつは天神岩で神がこの岩に降り立ちその足跡が残っていると記されていた。

 愈々、横山山塊北端の茶臼山古墳である。湖北地方で最大・最古の古墳と看板に記されていた。ここからは七尾山の全景が見え、その名の由来である7本の尾根が良く同定できる。標高は690mで横山よりも大分高いので、どんな風景が見られるか登ってみたいものである。

 ■帰途、村居田集落にある息長陵を見物する。30代敏達天皇のお妃、広姫を祀った宮内庁管理の古墳である。

 ■村居田集落の民家の屋根と伊吹山のコントラストが面白く写真を撮る。幼き日のノスタルジーが蘇る原風景的な景色である。

雑 感:
本年第1回目の山行であったが、幸先良いスタートが切れ、今後の山行が楽しみである。
■“山高きが故に貴からず”と言うがそのとおりである。横山のように無名の低山でも展望が良く、歴史を秘めていれば、名山に匹敵した山旅が味わえる事を再認識した。
■観音寺の三成と秀吉の出合の故事、横山城に陣取った織田軍と浅井軍が死闘を繰り広げた姉川の合戦、誰かは定かでないが多数の古墳群、第30代敏達天皇の后を祀った息長陵など多くの史跡を巡り心身共に大いにリフレッシュした山旅であった。