この前、戦後小学生のころ、戸河内で過ごされた方から、そのころ、神之瀬川は、橋がなく、神之瀬川を船で渡ったことがあると聞きました。それには、少し、驚きでした。というのも、旧出雲街道では、荷物などを神之瀬の渡しを使っていたと書いてあることは知ってはいました。しかし、明治時代には、橋があったのばかり思っていました。私が、小学生のころ、吊り橋を見ましたが、もう相当古そうでしたから。
吊り橋は、昭和30年前半につくられたのでしょうか。?
それにしても、江戸時代までは、橋がなかったのでしょう。旧出雲街道も布野では、現在の町上大橋しかなかったのだと思います。
河戸の神明橋や宇遠木橋などいつにできたことやら。日山橋は、あったのでしょうか。やはり、渡しだったのかもしれません。