うさこさんと映画

映画のノートです。
目標の五百本に到達、少し休憩。
ありがとうございました。
筋や結末を記していることがあります。

0397. ファウスト (2011)

2013年04月26日 | ヴェネチア映画祭金獅子賞

ファウスト / アレクサンドル・ソクーロフ
140 min Russia, Language: German

Faust (2011)
Directed by Aleksandr Sokurov, 1951-. Book by Yuri Arabov. Screenplay by Marina Koreneva and Aleksandr Sokurov. Cinematography by Bruno Delbonnel. Music by Andrey Sigle. Production Design by Elena Zhukova. Costume Design by Lidiya Kryukova. Performed by Johannes Zeiler (Heinrich Faust), Anton Adasinsky (Moneylender), Isolda Dychauk (Margarete), Georg Friedrich (Wagner).



ひさびさにほんもののアートフィルムに遭遇した。19世紀的な絵画性を追究しつつ挑戦的な露光。詩的なダイアローグ。文句なしに第一級の大作で、宇宙的な広がりを獲得している。こういう映画を撮るひとがまだいたなんて。監督はアレクサンドル・ソクーロフ。脚本はユーリ・アラボフほか。

街や自宅周辺はいくつものオープンセットを組んだのだそう。どうりで、どのアングルにも必然性を感じた。とくに屋内の撮影で、あちこちに短く挿入される細部のカットがじつに鋭い。

いくども耳をよぎる幻聴のような音楽、幻視さながらにまつわる錯誤的な装束の女性、高利貸しの尻にはえている豚のしっぽ、ガラスの破片にまみれてうごめくホモンクルス。超自然と思えるできごとに直面してひとが感じるためらいのなかにこそ幻想があるとトドロフはいうけれど、そこには逆説もある。優れた幻想作品はそのためらいをまるごとかかえて未知のヘテロトピアへ超越してしまうからだ。今回の作品はそうだと思う。

魂はどこにあるのだと問いかけてファウストが人体解剖をつづける冒頭場面から140分。最終の帰結は空中に投げ出される。それでいい。そこまで充分に語り抜いた作り手の権利である――あるいは最後の数分でゲーテの原作第二部を凝縮的に喚起させていると考えればいい(笑)。

ただ、あの画像の歪み処理は作品を損なうと思う。観る者を物語の内部から放り出して疎外する。フレーミングそのものは縦三・横四くらいの絵画的な比率なのだけれど(1対1.37)、そのことではなくて、斜めに画像をひきつらせたカットが何度も現れる。もちろん詩学としての多重虚構の技法というものはある。虚構の枠をひとたび措定しておきながら、その枠を内側から侵犯していく。ジャンルの安定性を揺るがせ、異化することをつうじて作品と芸術そのものについての自己批評性を示唆する。でもここでは成功していない。むしろ映像という表現の衰退を感じさせてしまう。

制作はロシア、言語はドイツ語。ヴェネチア映画祭金獅子賞。審査員長ダーレン・アロノフスキー。受賞は審査員の全員一致だったと読んで、心から共感した。代表的な映画祭でも、受賞作が毎年すばらしいわけではない。ではこの年はと訊かれたら、大当たりの金獅子賞ですと申し上げたい。



メモリータグ■噴き上がる間歇泉の荒々しいエネルギーを、主題と深く連結させている。マリックの『生命樹』に欠けていたものがここにはあると気づいた。


 


0396. 4ヶ月、3週と2日 (2007)

2013年04月20日 | カンヌ映画祭パルムドール

4ヶ月、3週と2日 / クリスティアン・ムンジウ
113 min  Romania | Belgium

 4 luni, 3 saptamâni si 2 zile (2007)
Written and directed by Cristian Mungiu, Romania 1968-. Cinematography by Oleg Mutu. Script-consulted by Razvan Radulescu. Performed by Anamaria Marinca (Otilia), Laura Vasiliu (Gabriela 'Gabita' Dragut), Vlad Ivanov (Viarel 'Domnu' Bebe). Estimated Budget: 600,000 euro.


ハンディカメラをかまえて被写体について歩く。ドキュメンタリーに近い演出で、映像としての美しさを追究しているわけではない。むしろ映し出される光景は汚ない。粗末な女子寮、醜いホテル、尊大なフロント係。それが逆に「非合法の妊娠中絶手術を受ける、追いつめられた女子学生」という主題の、ぞっとするなまなましさをささえていた。1987年当時のルーマニア、チャウシェスク政権社会という歴史的証言性とともに、題材の普遍性が支持をえたに違いない。

はい、しんどいです。でもそぎ落とされつくした脚本で、むだなことは言っていない。大学の女子寮生ガビタの手術につきそって、おそらく生涯でも指折りの酷い一日を耐え抜くことになるルームメイト、オティリアの当日に観客はつき合う。観終わると深い疲労感でぐったりするけれど、二つの点で、観る価値はある。一つは女性史という点で。もう一つは最小限のコンパクトな題材描写という技術の点で。IMDBによれば推定予算は60万ユーロ(約7000万円)。

妊娠四か月三週で娩出された胎児はどう処理されたか、闇中絶を請け負う男はなにを要求したか、とてもここには書けない――ほとんど吐き気のする展開なので。この中絶請負人の悪辣な人格設定が決め手になっている。ただ、医学的にも社会的にも、もっとひどいことにもなり得た。この作品はそこまでは手を広げない。医学的な考証も完全ではないかもしれない。それでも、手術を受ける困窮した本人ではなく、そのルームメイトを主人公にしたことで異質の深さが出ていた。ここにあるのは「困窮者の隣人は誰か」という問いなのだ。(ここでいう隣人とは良きサマリア人、すなわち無償の支援者をさす。)

人工妊娠中絶手術はしばしば女性の社会的・身体的生命を守るぎりぎりの措置として機能する、だから合法化して安全性を確保しておかなければならない。そのうえで使わずにすむならそれにこしたことはないのだけれど、この問題は過去のことではない。だから証言はなされつづけられなければならない。2007年カンヌ映画祭パルムドール。脚本・監督クリスティアン・ムンジウ。次席にあたる審査員特別グランプリは『殯の森』、審査員長はスティーヴン・フリアーズだった。



メモリータグ■ボーイフレンドの母親の誕生パーティー。盛り上がる会話のリズム、知識層としての自己満足感。排他的な内輪の陽気さという演出がよく効いていた。ここでは一転「正規の医者たち」が談笑している。だが彼らの誰も助けてはくれないだろう。俳優たちもうまい。


追記■ムンジウはこのあと『汚れなき祈り』(2012)などを撮っている。2000年代にルーマニアの修道院で起きた悪魔祓いの事件をもとにした作品らしい。

 

 


0395. ジャンバー (2008)

2013年04月13日 | 2000s

ジャンバー / ダグ・リーマン
88 min USA | Canada


Jumper (2008)
Directed by Doug Liman. Written by David S. Goyer, Jim Uhls and Simon Kinberg based on a novel by Steven Gould. Cinematography by Barry Peterson. Performed by Hayden Christensen (David Rice (Jamie Bell (Griffin), Rachel Bilson (Millie), Diane Lane (Mary Rice), Samuel L. Jackson (Roland). Estimated Budget: $85,000,000. USA Gross: $80,170,146 (4 July 2008)

監督はダグ・リーマンなのだけれど、脚本がよくない。空間移動者という題材そのものについては、詩的な表現がいくらでも追究できたろう。CGの背景をつぎつぎに差し替えただけのような表層的な移動表現をつうじて伝えられたものは、「どこにでも瞬時に移れる」は「結局どこも同じ」という驚くべき逆説のほう。移動のプロセスという身体的文脈が消滅し、さらに現地ごとの人的多様性も割愛されると、空間の記号的差異性などあらかた消滅してしまうらしい。

主人公は空間移動力を使って銀行から現金を盗み出し、遊んで暮らしている。この無目的な描写にくわえて、事情を知らないガールフレンドとはくり返し口論して騒ぐだけ。仲間とはひたすらもめるだけ。「ジャンパー狩り」という明確な敵対者が設定されていながら進行感が出せなかったのは、こうした停滞要素のくり返しに時間を浪費したせいもある。上映時間は88分。主観的には140分くらい。しかたない、そういうこともある。次作に期待しましょう。



メモリータグ■なし
 

 

 

 


0394. E.T. (1982)

2013年04月06日 | 1980s

E.T. / スティーヴン・スピルバーグ
115 or 120 min USA

E.T. the Extra-Terrestrial (1982)
Written by Melissa Mathison. Directed by Steven Spielberg. Cinematography by Allen Daviau. Film Editing by Carol Littleton. Production Design by James D. Bissell. Music by John Williams. Performed by Henry Thomas (Elliott), Robert MacNaughton (Michael), Drew Barrymore (Gertie). Estimated budget: $10,500,000. US Gross: $35,144,920 (10 May 2002)


http://www.fanpop.com/clubs/et-the-extra-terrestrial/images/

 

いくつかの場面をべつとして、ほぼきれいに忘れていた。いまからみると撮影手段は牧歌的、でも愉しかった記憶は裏切られない。ETという概念そのものが、この作品以降ファンタスティックなキャラクターの記号に変容してしまった。いまリーダーズ英和辞典で E.T. と引くと「Steven Spielberg監督のSFファンタジー映画 E.T., The Extra-Terrestrial (1982) に登場する地球外生物」と書かれている。すごい。

いまも観るひとがいるかなあ。物語を牽引していくアイデアと演出技術がぎっしり詰まった宝箱、まさにシュピールベルク。

しかしここに現れるETの人格設定には、じつは古典的な神性がおびただしく流入している。その超常性、未知性としての神秘、人智をこえた理性と不死性、復活性。完全な善性。そして生命をあたえ傷を癒す奇蹟。卓越した力をもつその相手が弱者として人間のまえに現れ、無償の主人公と友情を築き、人びとに愛を満たして天空に去る。異種聖性遭遇譚の定型そのものといっていい。これは神話なのだ。作者はそれをどこまで意識していたろう?

なんであれ、ファンタジーにはこの定型がいまも生きている。『デルフィニア戦記』だってそう。上の要素が全部共通している。



メモリータグ■最初は一人で月に飛び、つぎは五人で太陽に飛ぶ自転車の飛翔。