ファウスト / アレクサンドル・ソクーロフ
140 min Russia, Language: German
Faust (2011)
Directed by Aleksandr Sokurov, 1951-. Book by Yuri Arabov. Screenplay by Marina Koreneva and Aleksandr Sokurov. Cinematography by Bruno Delbonnel. Music by Andrey Sigle. Production Design by Elena Zhukova. Costume Design by Lidiya Kryukova. Performed by Johannes Zeiler (Heinrich Faust), Anton Adasinsky (Moneylender), Isolda Dychauk (Margarete), Georg Friedrich (Wagner).
ひさびさにほんもののアートフィルムに遭遇した。19世紀的な絵画性を追究しつつ挑戦的な露光。詩的なダイアローグ。文句なしに第一級の大作で、宇宙的な広がりを獲得している。こういう映画を撮るひとがまだいたなんて。監督はアレクサンドル・ソクーロフ。脚本はユーリ・アラボフほか。
街や自宅周辺はいくつものオープンセットを組んだのだそう。どうりで、どのアングルにも必然性を感じた。とくに屋内の撮影で、あちこちに短く挿入される細部のカットがじつに鋭い。
いくども耳をよぎる幻聴のような音楽、幻視さながらにまつわる錯誤的な装束の女性、高利貸しの尻にはえている豚のしっぽ、ガラスの破片にまみれてうごめくホモンクルス。超自然と思えるできごとに直面してひとが感じるためらいのなかにこそ幻想があるとトドロフはいうけれど、そこには逆説もある。優れた幻想作品はそのためらいをまるごとかかえて未知のヘテロトピアへ超越してしまうからだ。今回の作品はそうだと思う。
魂はどこにあるのだと問いかけてファウストが人体解剖をつづける冒頭場面から140分。最終の帰結は空中に投げ出される。それでいい。そこまで充分に語り抜いた作り手の権利である――あるいは最後の数分でゲーテの原作第二部を凝縮的に喚起させていると考えればいい(笑)。
ただ、あの画像の歪み処理は作品を損なうと思う。観る者を物語の内部から放り出して疎外する。フレーミングそのものは縦三・横四くらいの絵画的な比率なのだけれど(1対1.37)、そのことではなくて、斜めに画像をひきつらせたカットが何度も現れる。もちろん詩学としての多重虚構の技法というものはある。虚構の枠をひとたび措定しておきながら、その枠を内側から侵犯していく。ジャンルの安定性を揺るがせ、異化することをつうじて作品と芸術そのものについての自己批評性を示唆する。でもここでは成功していない。むしろ映像という表現の衰退を感じさせてしまう。
制作はロシア、言語はドイツ語。ヴェネチア映画祭金獅子賞。審査員長ダーレン・アロノフスキー。受賞は審査員の全員一致だったと読んで、心から共感した。代表的な映画祭でも、受賞作が毎年すばらしいわけではない。ではこの年はと訊かれたら、大当たりの金獅子賞ですと申し上げたい。
メモリータグ■噴き上がる間歇泉の荒々しいエネルギーを、主題と深く連結させている。マリックの『生命樹』に欠けていたものがここにはあると気づいた。