うさこさんと映画

映画のノートです。
目標の五百本に到達、少し休憩。
ありがとうございました。
筋や結末を記していることがあります。

0368. アバター (2009)

2012年06月28日 | 2000s

アバター / ジェームズ・キャメロン
162 or 171 min (special edition)  USA | UK

Avatar (2009)
Written, directed and produced by James Cameron. Music by James Horner. Cinematography by Mauro Fiore. Performed by Sam Worthington (Jake), Zoe Saldana (Neytiri), Sigourney Weaver (Grace), Stephen Lang (Colonel), Giovanni Ribisi (Parker Selfridge). Estimated budget:$237,000,000.

 

物語の展開は説明的でくり返しが多い。デザインや創造世界としての独創性もない。それでも立体映像の臨場感という唯一最大の目標はおそらく達成され、怪鳥に乗って飛ぶ擬似体験感覚をたのしんだかたも多いことだろう。脚本家としても映像演出家としてもむしろ凡庸でありながら圧倒的な興行成績をおさめつづけてきたキャメロンらしい作品の一つで、映像技術への嗜好を商業性と結びつける彼の天才的な嗅覚をよくあらわしている。推定予算はだいたい237億円(2億3700万ドル)。

かつてこのひとの『ターミネーター2』が一流のCGアーティストたちからも賞賛を得たように、映画に対するキャメロンの貢献はコンピューターグラフィックスの最新技術を推進し、市場で成功させてきた豪腕にある。今回も多くのアーティストやデザイナーに新しいこころみの場を提供したことは評価したい。このひとの本質はプロデューサーだと思う。この作品も撮影・視覚効果・美術の3部門で2010年の米国アカデミー賞を得た。妥当な評価に思える。

映画として折衷的なことはしかたがない。どの場面も「どうすれば立体映像らしさが味わえるか」という身体性を目的として設計されている。たとえば異星の密林で野獣から襲われる、滝から落ちる、空を飛ぶ、獣に乗る、樹上を歩く。逆にいえばキャメロンの「迫力」は単純な運動性の域を出ない。脚本の仕上げを優れた脚本家にゆだねていればまたちがったかもしれないが、それをするには貪欲すぎるひとだろう。

着想はベトナム戦争映画とモヒカン族ともののけ姫とラピュタをまぜてガンダムとエヴァンゲリオンを合わせ、世界造形にフランスのCG作品『ケイナ(Kaena: The Prophecy)』2003を加えればできあがる。バーチャル密林ツアー、コンバットゲーム、ディズニーランドの乗り物を組み合わせたようなまぜこぜの既視感がつづく。えんえんと終わらない上映時間162分も、このライドやバーチャルツアーを「何度も味わう」ためなのだろう。いやはや、うさこはとても疲れました。

筋をすこし:主人公は地球人の兵士。希少な資源をもつ惑星に派遣され、現地の先住民族と接触して情報を収集することを命じられる。この任務のために人間のDNAと彼らのDNAを組み合わせた人工生命体が用意されており、このアバター(仮身体)に「意識をリンクさせて」乗り移る。そしてすみやかに先住民から受け入れられる。地球の科学者は知識でいっぱいで新しいことを吸収しないのに主人公は(頭が)からっぽなのがいいのだそう。やがて族長の娘と恋に落ちる。いっぽう地球人の上司は聖なる森を破壊して先住民の駆逐に乗り出す。主人公は先住民を率いて抗戦し、地球人は撤退していく。

 

メモリータグ■冒頭では車椅子に乗っている主人公が、人工生命の身体(アヴァター)に意識結合を果たすことで走れるようになる。身体を乗り物と考える着想は理性的だった。インスピレーションより合理にまさる製作者だとわかる。

 

 

 

 


0367. ソーラー・ストライク セカンド・メルトダウン (2006)

2012年06月21日 | 2000s

ソーラー・ストライク セカンド・メルトダウン / J.P. ハウエル
TV Movie 90 min  USA, Canada

Meltdown – Days of Destruction (2006)
Directed by J.P. Howell, written by Rick Drew (based on ideas by John Carpenter). Cinematography by Adam Sliwinski. Performed by Casper Van Dien (Tom), Vincent Gale (Nathan), Stefanie von Pfetten (Carly, TV Caster), Venus Terzo (Bonnie), Amanda Crew (Kimberly), Ryan McDonell (C.J). Estimated budget:$2,000,000.

 

低予算のSFという「メジャー(多数派)作品」。冒頭、小惑星を破砕しようと地球から核ミサイルを発射して爆破したところ、大きく割れて逆に地球に高速で接近してくる。さいわい引力圏でコースが変わって隕石としての衝突はまぬがれるものの、巨大な質量が急接近した影響で地球の軌道が微妙にずれて太陽側にそれ、気温が上昇。世界は混乱に陥る(いわゆるパニック系)。

この設定はあくまできっかけで、ここから主人公たち一行は小型機で北極圏へ逃避しようと飛行場へ向かい、行く手をはばむ暴漢たちと戦う対抗暴力の物語になる(いわゆるアクション系)。この逃避行のなかで崩壊家族の絆も再生していく(いわゆるファミリー系)。いかにもテレビらしい折衷的な方針による「みなさまの娯楽作」。とがったB級がお好きなかたには向かないかもしれません。

俳優は弱い。演出も「科学性」もシンプルで、おもなディテールは三つ。第一:気温の上昇により自然発火があいつぎ、車もつぎつぎに引火して爆発する。第二:大型車を改造して強力な冷房を装備し、発火を防ぐ。第三:惑星間の引力による軌道修正がはたらいて地球の公転位置が原状に復すと、雨雲が発生するほど大気が冷える。したがって雨が降れば問題が解決したしるし。

クライマックスというほどの設計はない。結局、脱出用の飛行機も発火して墜落してしまったところへ、雨が降ってきてハッピーエンドになる。推定予算は約2億円。カナダの文化予算で助成されている。こうした身近な規模の作品は、「どうしたらもっとよくなるか」を考える貴重なドリルを提供してくれる。

 

 

メモリータグ■冒頭の小惑星。1950年代のモノクロ映画のような素朴さにちょっと微笑。

 


 


0366. トータル・フィアーズ (2002)

2012年06月14日 | 2000s

トータル・フィアーズ / フィル・アルデン・ロビンソン
124 minUSA

The Sum of All Fears (2002)
Directed by Phil Alden Robinson, screenplay by Paul Attanasio and Daniel Pyne on a novel by  Tom Clancy. Cinematography by John Lindley. Music by Jerry Goldsmith. Ben Affleck (Jack Ryan), Morgan Freeman (DCI William Cabot), James Cromwell (President Robert 'Bob' Fowler), Ken Jenkins (Admiral Pollack), Bridget Moynahan (Dr. Cathy Muller) Ciaran Hinds (President Nemerov).


パラマウントの九十周年記念作品だそうで、いわゆるハリウッドの大作。まずまず。アメリカとソヴィエトがあわや核戦争に入りかけるという危機を扱っていて、主人公はCIAのジャック・ライアン。トム・クランシーの有名な原作シリーズだと思う。たしかハリソン・フォードなどが担当していた役ですね。ここではベン・アフレックが演じていた。全体四分の三くらいまで進行した時点で、小型の核爆弾がスーパーボールの試合中に爆発する。ロシアの行為であるかのように偽装したテロなのだけれど、これをきっかけに米ソは空母撃沈など初期戦闘態勢に入ってしまう。核攻撃のスイッチが入れられたり中止されたり。もちろん最後はぎりぎりで回避されます。

と書くと、なーんだいつもの話でしょう、という枠組みですが、そこへいくまでが凝っていた。1960年代の中東戦争で墜落したイスラエル爆撃機の残骸から採掘された古い核爆弾を、ソヴィエト内部の核施設で作りなおす。それがアメリカでテロに使われる。爆発後にサンプリングした試料をもとに判断すると、爆弾そのものはアメリカ製。したがってソヴィエトの核ではないことがわかる。核爆発の爆風の描写も非常に激しくてリアルだった。音楽は、ソヴィエト国内の場面のたびにおなじテーマが流れてちょっと使いすぎ(ちいさなことです)。

演出や展開は、核爆発あたりから突然駆け足になった印象をうけた。冒頭からそこまではとてもていねいだったのですが。粗つなぎをみたプロデューサーが「だめだ、もっと話をわかりやすくしろ。どんどん展開させて派手なアクションも入れなきゃだめじゃないか」などと叱責をいれたような感じ(笑)。(おかげで?)大統領一行はテロ現場から観客を置き去りにして逃げてしまうし、核爆発をしかけた行為者も確定しないまま攻撃に入るし、冷戦期でもないのに米ソのトップは直接話し合わない。でもまあ、この作品はそこまでが勝負ということで。原作者のトム・クランシーが上級プロデューサーを兼ねている。監督はフィル・アルデン・ロビンソン(1950-)。Field of Dreams (フィールド・オヴ・ドリームズ) 1989などの脚本を書いたのち、監督に場を広げた。

 

メモリータグ■急な任務でデートをキャンセルしなければならなくなった主人公に、CIA長官は「ほんとうの理由をいえばいい」と助言する。主人公はガールフレンドに電話で正直に告げる。「CIAの仕事で動いてるんだ。いま飛行機の機内にいる。長官とソヴィエトに核協定の査察にいくところだから」。もちろんガールフレンドは激怒する。「うそもいいかげんにしろ~」。横で聞いていた長官はくくく、と笑い出す。じょうずに演じているのはモーガン・フリーマンです。

 

 

 


0365. 地球の静止する日 (1951)

2012年06月07日 | 1950s

地球の静止する日 / ロバート・ワイズ
92 min  USA

The Day the Earth Stood Still (1951)
Directed by Robert Wise. Produced by Julian Blaustein, screenplay by Edmund H. North based on "Farewell to the Master" by Harry Bates. Cinematography by Leo Tover. Estimated budget: $1,200,000. Performed by Michael Rennie (Klaatu), Patricia Neal (Helen Benson), Hugh Marlowe (Tom Stevens) and Lock Martin  (Gort).



この作品は、むしろ原作がひそかな名作だと思う。"Farewell to the Master”(あるじへの告別)という短編で、作者はハリー・ベイツ。1940年のシンプルなSFなのに、悲劇的な美しい宇宙人像や、その宇宙人より優位にある英明なロボットという像がいちはやくえがかれている。アシモフやクラークやディックに大きく先んじる独創性だった。同じ人物の遺体が二つ出てくる謎などはほとんどレムを連想する。なによりタッチがいい。人物の奥行き、知性、ある種の不透明な優しさや配慮の感じがすばらしかった。

映像のほうは――残念ながらあまり感銘はない。SF映画史上では古典のひとつで、たぶんよくできているのだろう。制作された1951年当時の米国の文化的コードに違和感が漂うのはしかたがないとして、手堅く演出されている。原作とは別に独自の筋が立てられ、これはこれでコンパクトにまとまっていた。原作が一人の書き手の柔らかなイマジネーションを刻んでいるとすれば、脚本は複数のプロの合理的判断を示している。有名な「反核SF」映画でもあるそうで、「科学倫理のメッセージ」によって成功したSFかもしれない。

絶大な科学力をもつ宇宙人クラートゥがロボットを伴って地球を訪れ、平和的な警告をしようとする。“地球は最近原子力を獲得したようだが、いずれ宇宙でそれを使うだろう、だが汚染や暴力はゆるされない。多くの星の協定で、重大な逸脱に対してはその星を破壊することも定められている。それをあらかじめ告げにきた”という。いわば宇宙連合大使である。大使さま、どうか東京電力へもご訪問ください。

ところが地球の(つまりアメリカの)軍はただちにこの大使を射撃して負傷させてしまう。アメリカ市民は地球侵略の風説や脅威論に傾き、政治家と軍事関係者は力によってしか思考できない。この状況下で宇宙からの警告の重要性を理性的にうけとめたのは唯一、科学者たちでした(笑)というのが物語の核になる。

クラートゥは宇宙連合の科学力を証明するために地球上の動力を30分間停止してみせたのち、彼を助けた一人の女性に挨拶をして平和に去っていく。この照れたような挨拶のカットを一枚はさんだのはよかった。

人物設定はスーパーマンの系列である。科学の論理的側面についての細部はなく、映像や特殊効果も歴史的な範囲にある。けれど第二次世界大戦時の核攻撃に多くの科学者が衝撃を受けていた時期にはタイムリーな企画だったろう。

いかなる破壊のこころみにも耐えるほど硬いというロボット――名前はゴート――はふにゃっとしたかわいいお人形。うーむ、どうみてもゴムだわ。周囲にたく さんのピアノ線が映ってしまったカットもある。ピアノ線を隠すのはたいへんで、一本ずつ刷毛やモップでつや消しを塗っていたらしい(汗)。多くの「特撮」 は、ほんとうに涙ぐましい奮闘の結果だった。

 

メモリータグ■それにしてもヒロインのパトリシア・ニールのややこしい巻き髪のヘアスタイルや襟元のボンボンはすごい。1950年代のアメリカのモードの古風さが伝わってきた。このあと1960年代に入るとモダニズムが席捲することになる。とても斬新だったろうとわかる。