うさこさんと映画

映画のノートです。
目標の五百本に到達、少し休憩。
ありがとうございました。
筋や結末を記していることがあります。

0364. 或る犯罪の物語 / アリババと四十人の盗賊 (1901)

2012年05月31日 | ~1910s

或る犯罪の物語 / アリババと四十人の盗賊 / フェルディナン・ゼッカ

Histoire d'un crime (1901)
Ali Baba et les quarante voleurs (1902)
Directed by Ferdinand Zecca, 1864 - 1947, France.

 

やはり映像創世記の制作者の一人、フェルディナン・ゼッカを二作。『ある犯罪の物語』(1901年)は上映時間5分の作品。男が捕らえられ、ギロチン室に連れて行かれて終わる。『アリババと四十人の盗賊』(1902年)はもうすこし複雑な構成で、アラビア風の踊り――というかオリエンタリズムの踊り――が挿入されたりして、場面数が多い。

屋内なので、光はリュミエールの繊細な自然光に遠く及ばない。着想も舞台演劇の範囲を出ない。劇場内でステージのまえにカメラを固定した状態で、モーションも水平的。ひとの動きの多くが左右に限定されている。舞台の上手・下手(かみて・しもて)という空間認識なのだろう。奥行きを使った動線がない。新しい技術に過去の内容を流し込んだ単純な例で、この文脈におくと、同時代のメリエスのずば抜けた異常さがわかる。そしてリュミエールの卓越も。

それでもゼッカは、共同制作もふくめIMDBにリストされているだけで158本もの作品をのこしている。もとはパリのカフェで娯楽音楽を演奏していた人だったらしい。映画のプロデュースを手がけていたシャルル・パテ(Charles Pathe)に雇われ、1900年のパリ博覧会で展示館のセットアップをしたことがきっかけで映像制作に転じた(Ref. IMDB, Wikipedia)。技法や表現の斬新さはなくても、多くのひとを愉しませ、映画が広がっていくことに貢献した一人だろう。

さまざまな制作者の手でちいさな作品が作られていったこの二十世紀初頭をへて、第一次世界大戦期に入るといきなり超大作『イントレランス』が出る(Intolerance, 1916)。うーん。その発展の急激さには、やはり圧倒される。そこまでの、どこか牧歌的な手づくりの映像水準に対してある種の「二十世紀性」が爆発的に押し寄せてくるのだ。単純化していえば、最初の四半世紀に数人の天才がばたばたと飛躍的な仕事をして映像の語法はだいたい完成してしまったらしい――大戦前のリュミエールとメリエス、大戦後のグリフィスとエイゼンシュテイン。

 

メモリータグ■小型の室内ギロチン。ひとを縛り、テーブルのうえにうつぶせに滑らせて、刃の下に首を出させる。よく似たものが『白バラの祈り』で使われていた。ドイツ軍を批判したドイツ人の少女が処刑される場面だった。

 

 

 


0363. 月世界旅行 / 不可能な世界への旅行 (1902)

2012年05月24日 | ~1910s

月世界旅行 / 不可能な世界への旅行 / ジョルジュ・メリエス
14 min, 24 min, France

Le Voyage dans la lune, 1902.
Le Voyage a travers l'impossible, 1904.
Written, shot, edited and directed by Georges Melies, 1861 - 1938. Melies himself performed Professor Barbenfouillis in "Le Voyage dans la lune".


ジョルジュ・メリエスを二作。この過剰さ、小児的なしつこさ、それを支える奇妙に冷静な知性、そして大胆な実行力。天才の条件である。メリエスは史上初の職業的映画監督といわれる創世期の映像作家で、『月世界旅行』はジュール・ヴェルヌの原作を1902年に映像化した14分の「長編」。ぎっしり詰まった“スペシャルエフェクト”は模型の月ロケットからペイントのお月さままで、どれも感動的に愉しい。

この天才――メリエス――はヴェルヌが創出した "熱狂的な科学者" のどたばたをよくとらえている。巨大な大砲で月に弾丸ロケットを打ち上げて、ぼとん、と落ちて戻ってくるといったコミカルな味がとてもよく出ていた。巨大な歯車や工場など、メカを大きく配した画面にもわくわくする。(ヴェルヌの原作は、南北戦争が終わって大砲が使われなくなってしまったことを嘆く大砲クラブの科学者のみなさんが、資金と社会の支持を再獲得するために月に砲弾を撃ち込むプロジェクトを立ち上げるというマッドなお話だった。のちの軍事科学産業への風刺としてその未来性が高く評価されてきた)。

映画のほうは舞台が設定された「お芝居」になっており、脚本が用意されたことじたいブレークスルーであったのはよく知られている。同時代の監督、ゼッカなどが舞台空間をそのまま映していたのにくらべると、はるかにダイナミックな連続空間が表現されている。なにしろ場面をつないでいるのです――編集の誕生。まだアップショットはないけれど、ペイントで大写しになる天体は事実上、アップの効果を上げている。のちのグリフィスが彼を絶賛したのもわかる。

さらに『不可能な世界への旅行』(1904)は20分の大長編、こちらはさらに凝っている。天体に行き、地底にも行く。その垂直性も新鮮だった。異世界にむかう自動車(?)が山岳地帯で崩壊転落してしまうショットなど、独創的な工夫がこらされている。汽車が陸橋をわたるカットはミニチュアらしく、ここは事実上のロングショットになっている。さらには星に行く汽車という、いわば銀河鉄道の原型があらわれて夢のよう。お日さまは汽車を飲み込んで爆発し、汽車は到着の衝撃でまたしても壊れちゃう。このあたりでうさこはもう爆笑してしまいました。YouTubeでもご覧になれます、ぜひどうぞ。

リュミエールたちが知的で静かな科学志向の人びとであったことと対照的に、メリエスはもとマジシャンだったという。まさにそうだろう。この熱さ、妄想力。この半世紀後の人間が実際に月に行ったことを考えると「科学力」と「科学ファンタジー」との間に巨大な乖離があることはわかる。でも人間には両方必要だろう。ひとに選択肢をあたえるのは理論と技術かもしれないけれど、ひとを駆り立てるのは飛躍とファンタジーのほうなのだ。誰かが理論に興奮するとき、ひとはその理論のなかにファンタジーをみている(じっさい、のちの宇宙飛行工学のパイオニアの一人ツィオルコフスキーは、ヴェルヌの小説にあらわれる逆噴射着陸の発想に導かれたと語っている。ヴェルヌってすごいですね)。

このメリエスの作品を観て、昔、フランスの知人が話してくれたことを思い出した。アポロ宇宙船が月から戻ったころ、フランスの片田舎で彼が農夫のおじいさんと話していたら、あんな宇宙船なんて嘘っぱちだ、お話だとおじいさんが言うのだそう。「月なんて、あんな毎日かたちの変わるものに行けるわけねえ」。言われたほうは絶句したとか。「だってあのじいさん、本気で言ってるんだ。信じられる? ガリレー以前の認識だよ!」と自国の科学教育水準をなげく知識人の憤慨がもう、おかしいのなんの。あはは。

年代を逆算すると、そのおじいさんが生まれたのは、だいたいこのメリエスの作品が創られた当時ではないかしらと思うのです。おじいさん、子供のころにこれ観たかなあ。愉しかったろうなあ。うん、じっさいに落ちて戻ってきたんですよ。アポロ宇宙船。ぼとんって(笑)。なにしろヴェルヌが予告した位置から二マイル半も離れていなかったというのだから、農夫のおじいさんとかぎらず本格的なフェーク説が出たのもむりはない。

授業のテクストで初めて知ったのだけれど、メリエスはやがて零落して失意の晩年にいたったという。でも再評価されて1931年にはレジョン・ドヌールを受章している。うれしい。もちろん賞がなかったとしても、このひとの名前はいつまでも残るだろう。うさこも大好きです。

 

メモリータグ■お月さまにロケットささっちゃうの。

 

 


0362. リヨンのリュミエール工場の出口 (1895)

2012年05月17日 | ~1910s

リヨンのリュミエール工場の出口 / オーギュスト・リュミエール、ルイ・リュミエール

La sortie des usines Lumiere (1895)
Par Auguste Marie Louis Lumiere (1862/10/19 – 1954/04/10) et Louis Jean Lumiere (1864/10/05 – 1948/06/06).

 

シネマトグラフによるリュミエールの短編映像12編。いずれも一分間から三分間程度のもので、戸外の光が息をのむほど美しい。すべてはここからはじまった。もちろんまだカメラは固定しているし、編集も構成もない。けれどリュミエール兄弟の映像のすばらしさは、その透明感と品のよさ。一流の写真家の静かな目を感じる。のちにあたえた影響をかんがえても、この科学性と芸術性はかけがえのない宝ものだった。

リストは今回観た作品一覧。発表年記録は資料によって微妙に異なり、1986, 1897と記されたものもある。けれど最も初期の映像であることはまちがいない。日本語の題名は資料に添えられていたものです。

La sortie des usines Lumiere リヨンのリュミエール工場の出口(1895)
La mer 海水浴(1895)
Querelle enfantine 赤ちゃんの口喧嘩(1895)
Arrivee d'un train a Perrache 列車の到着(1895)
Partie de cartes エカルテ遊び(1895)
Demolition d'un mur 壁の破壊(1895)
Repas de bebe 赤ちゃんの食事(1895)
Barque sortant du port 海岸を離れる小舟(1895)
Bataille de neige 雪合戦(1895)
Arroseur et arrose 水をかけられた水撒き人(1895)
Neuville-sur-Saone: Debarquement du congres des photographes a Lyon 写真会議委員の上陸(1895)
Pompiers a Lyon リヨンの消防隊(1896)

内容は当時の風俗をシンプルに記録したものが多く、現代の視点で分類すればそれらはドキュメンタリーにあたる。「リュミエール工場の出口」は第一作とされる有名なもの。大学の講義などで見たというかたも多いかもしれない。工場から人びとがつぎつぎに歩き出てくるさまが撮影されている。「赤ちゃんの口喧嘩」は題材の勝利、並んで食事をするはずの赤ちゃん二人が近距離で映される。一人がもう一人にちょっかいを出す出す、とうとう怒り出してしまって……(笑)。被写体のすばらしさが出ている。

「リヨンの消防隊」は二頭だての消防馬車がつぎつぎに疾駆してくるみごとな動的映像。どの馬もじつに逞しい体をしていて、馬が動力の主力をになっていた時代を伝える奇蹟的な記録にもなっている。これこそ元祖 deux chevaux(ドゥシュヴォ、二馬力)。無蓋の二馬力はまさしく駆動力の高いスポーツカーなのだとわかります。

絵画の構図を模したものもあり、ちいさな演出をこころみているものもある。たとえば近距離で映された登場人物たちはカメラをみない。あるいは水撒きをしているところにいたずらをして、怒った相手から水をかけられるといった、ささやかなお芝居になっていたりもする。これは初のコメディーとされている。雪合戦では画面中央まで自転車がきて、きちんとアクションが入る。この構図は画面の奥行きを使った非凡なものです。

 

メモリータグ■列車の到着は、活気のあるすばらしい光景。扉がひらき、人びとが降りてくる。視点が固定しているからこそ、いまそこに自分がたたずんでいるような臨場感がわく。

 

 


0361. カリートの道 (1993)

2012年05月10日 | 1990s

カリートの道 / ブライアン・デ・パルマ
144 min  USA

Carlito's Way (1993)
Directed by Brian De Palma. Written by Edwin Torres (novel "Carlito's Way" and "After Hours") and David Koepp (screenplay). Cinematography by Stephen H. Burum. Performed by Al Pacino (Carlito 'Charlie' Brigante), Sean Penn (David Kleinfeld). Penelope Ann Miller (Gail), Viggo Mortensen (Lalin). 


ハリウッドの不滅のレパートリー、ゆるゆるのやくざ映画。編集が間延びしているせいもあって、ちいさな不整合がいろいろ出ている。絵あわせも雑(たとえば登場人物の服の襟元が直前のカットとずれているとか、よくあるでしょう?) カメラワークもどちらかといえばだらしがないし、脚本は焼き直しの羅列。総合的に「まあ今日はここまで。メシにしよう、メシ」というルーティンな現場の空気を胸いっぱいに吸い込むことができる(笑)。監督はブライアン・デ・パルマ。終わりなきハリウッドの日常がいまここに。

とはいえ、エイゼンシュテインの直後に観たこちらもいけない。あの鬼気迫る大突破のあとでは、なにを観てもそう思う。この娯楽作品は「まともに観られる」ほうなのです。上映時間の144分も、いまだったら120分におさめているはず。もちろんパチーノのファンは愉しめるだろうし、共演しているショーン・ペンは「薬物中毒のいかれた弁護士」という異色の役回りで楽しませてくれる。でろでろに落ちぶれた「元やくざ」で一場面だけ登場するヴィゴ・モーテンセンも愉快。 "G.I. Jane" 『GIジェーン』1997 や "The Road of the Ring" 『ロード・オブ・ザ・リング』2001 で注目される前です。

ヒロインのペネロペ・アン・ミラーは、強い印象はないけれどすなおな表情に好感がもてた。ブロンドのカーリーヘアで、かつてのジェシカ・ラングのような系列。衣装はちょっとかわいそうだったかなあ。柔らかいシルエットの同じような服ばかりで、なんとなくしまりのない体型にみえる。実際はそんなことはない。

 

メモリータグ■パチーノとミラーがベッドで会話をする。ミラーの台詞の間、パチーノは画面に入らないようちゃんと背後で頭を下げて隠れている。でも変なところでショットをつなぐので、隠れている姿勢から身を起こしかけるのがフレームインしてしまった。

 

 

 


0360. 戦艦ポチョムキン (1925)

2012年05月03日 | 1920s

戦艦ポチョムキン / セルゲイ・エイゼンシュテイン aka. エイゼンシュタイン
75 min USSR

Bronenosets Potyomkin (1925)
Directed by Sergei M. Eisenstein. Written by Nina Agadzhanova and Sergei M. Eisenstein. Cinematography by Eduard Tisse. Performed by Aleksandr Antonov (Grigory Vakulinchuk - Bolshevik Sailor), Vladimir Barsky (Commander Golikov) and Sergei M. Eisenstein (Odessa Citizen). 



みたびエイゼンシュテイン。『ストライキ』につづく長編第二作がこの『ポチョムキン』で、しかし結末をぜんぜんおぼえていませんでした。あの有名なオデッサの虐殺階段――乳母車――からあとは、感動しすぎてもう記憶がない(笑)。でもあのあと、これもすばらしい戦艦シーンの連続なのです。三つの砲台がぐーっとせり上がっていくあの臨場感。大きなスクリーンでみたらぞっとするほど怖かったろう。刻々と臨戦態勢に入っていく戦艦の描写がどんなに凄いか。しかも実際の砲撃や破壊や炎はない。破壊がなくても破壊の恐怖は描ける。

例によって画面はつねに動いている。冒頭のハンモック群の複雑な動線、誰もいない昼食の吊りテーブルがばらばらに揺れるありさま、とにかく細部までリズムと動きが徹底している。アニメーション(動画)の魂。いっぽうで、ほんの少しだけ挿まれる場面転換の静かな海、その朝の光、あのまばゆさ。ううむ。このあと二十世紀のハリウッド映像はながらくこのひとの「相続遺産」で暮らしてきたようなものかもしれない(火薬を使いすぎですが)。なんであれ第一作でエイゼンシュテインはもう完璧にできあがっている――いともあっさり。

音楽はどうみてもショスタコーヴィッチ。仮にほかに書き手が入っているとしても、クライマックスなんてあきらかにのちの五番です。作曲者名は資料によってまちまちだけれど、おそらくショスタコーヴィッチが失脚して書き換えられていた時期があるのかもしれない。このあたりは調べていません。でも『ショスタコーヴィッチの証言』をお読みになったことがありますか? 自分ではかなりのところまで忘れているにもかかわらず言ってしまうと(笑)――めちゃめちゃにおもしろいです!

エイゼンシュテインも失脚してパリに逃れた時期がある。大国はいつも異様な天才という宝石に恵まれる。けれど大国は泣きわめく幼児のように、その宝石を蹴り棄ててしまう。

 

メモリータグ■オデッサ市民として、エイゼンシュテインも登場人物にクレジットされている。神父と記されている資料もあって、そうだとすると船のなかに出てくるモーゼみたいなあやしい司祭ということになる――あの演出だけはちょっとやりすぎではと思ったのだけれど、そういうことだったの? ユーモアがあってすごくおかしいです。