25時間目  日々を哲学する

著者 本木周一 小説、詩、音楽 映画、ドラマ、経済、日々を哲学する

腹立つ

2019年02月16日 | 社会・経済・政治
 花粉症に悩む人が多い。この時期になると、必ず花粉の飛散予想が当然のように報じられる。主に人工植林の杉、桧の花粉である。この杉、桧を所有する山林主がいるのに、彼らは迷惑代も払わない。国民が薬代だのマスク代などを払っている。またこの被害に憤らないのも「オカミ」意識なもだろうか。杉と桧を植林するのが国のせいさくで、植林に関与しているなら、政府も補償の一部を負うべきである。ところがいっこうにこの種の話が大きなテーマとならない。一体どうなっているのだ。
 ぼくは一度花粉症になったときがある。ところが翌年の花粉の時期に45日オーストラリアにいた。それでその年は花粉症にならず、その後ずっと花粉症から免れている。花粉症はたいへんである。鼻が痒く、くしゃみ、鼻水がでる。目が痒い。薬対策をしなければならない。
 それでもぼくらは森林税払わなければならない。杉や桧がどこで使われるか知らないが、間伐もせず、すてられた山林も多いにが目に映る。
 この頃はバイオマスで間伐材にも値がついているという。
 日本では花粉症の人は一年12ヶ月の内1ヶ月が不快な日々を送らざるを得ない。また1ヶ月は台風や大雨に気をつけなければならない。地震への警告も頻繁であり、ぼくの住む尾鷲などは南海トラフの被害予想地域なので、毎日ネットのニュースでお知らせがくる。自信があればとにかく逃げるからおの毎日のお知らせはやめてほしいものだ。
 いわばこれが日本列島である。これを住みよい国だとか美しい国と言えるだろうか。
 子供の頃はこんなことは思いもしなかった。花粉症はなかった。大きな台風は来たが、幼心では恐怖みなく、逆にワクワクしたものだった。今は違う。過剰な情報が無理やりにでも入ってくる。
 人が起こす事件には責任をすべて個人に帰することができないような現実の社会という背景があると思える。

 あっ、そうそう。昨日テレビで解説委員が「孤独死」という言葉を使い、それがいかにも可哀想で、悪いことのように言っていた。「孤独死」の何が悪い? どこがいけない? 死なんて経験できないのだ。
 


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