25時間目  日々を哲学する

著者 本木周一 小説、詩、音楽 映画、ドラマ、経済、日々を哲学する

共同幻想論を深化させねば

2019年02月18日 | 文学 思想
 ネトウヨのおじちゃんたちは今韓国問題で忙しいことだろう。このような問題は観念が起こす問題でいわゆる共同幻想の解かれねばならない問題だ。なぜ人間は集団を組むと、他の集団と区別し、敵だ味方と意識し、内部に裏切り者がでれば排除しようとするのか。

 宗教集団がよい例である。自分たちの宗教こそが正しいと思う。宗教のためには身を捧げることさえするし、人を殺しさえしてきた。宗教を否定するものではないが、独りで祈り、仲間とユートピアを作り、決して奢らず、自分たちを批判する緋とがや集団をも赦し、闘わず、出入りは自由なくらいの緩やかな集団が作れれば宗教は生き残る最後の姿ではないだろうか。現在はキリスト教やイスラム教、仏教そのた多数の宗教はあるが、宗教らしくなく宗教であるのは国民国家という宗教である。天皇を頂点とした大日本帝国は滅んだ。その時にアメリカは割合と日本の改造をしたが、天皇は残した。次いで戦争犯罪人も刑務所から出てきた。「日本的なもの」が守られることになってきた。相撲も武道も復活した。
 日本的なものを取り戻す運動は戦後も脈々と続いた。
 ドイツのように元ナチス幹部を地球の果てまで追い、徹底した反省がのち近隣との友好関係を構築するうえで大きな精神的信頼となった。

 日本は戦争を全く反省し、謝罪する人たちと、戦争もしかたがなかったと謝罪を避ける方向に分かれ、慰安婦問題も徴用工問題にも徹底した謝罪がないから韓国国民の共同幻想が吠えたててくる。南京での虐殺についても、問題を残す格好となっている。

 尖閣諸島と中国の船となると猛り狂ってくる人々がいる。共同統治権がいいではないかと思うがそんなことが通じるような世の雰囲気ではない。

 韓国や中国と仲良くしていくという態度が必要である。近隣の国民国家は戦争などするべきではない。国民国家というのは犠牲者が多いのが特徴である。EUは2回の世界大戦を経て生まれた。二度とヨーロッパでは戦争しないようにと、願ってできた国を越えた連合体である。

 共同幻想はときに閉じることがある。絶えず共同幻想には光が差し込むような窓がついていなければならないのだが、まだこの方法論が極められていない。
 時代を分析し、テクノロジーの進化から社会を見る、経済の指標から社会を見ることも必要なのだろうが、ぼくは根本はこの「観念の領域の謎」が特に問題であり、この克服がない限り、人間は未来を描きにくいのだと思う。世界でゲノム解読がものすごい速さで行われたように、世界規模で「共同幻想」と「個人幻想」と「対幻想」の研究解析がなされればよい。日本では吉本隆明がこの観念領域を提唱sじて、基礎は築いた。ただし日本語である。これが世界のいろいろな言語に替われば、ひとつ人類は進むと思う。
 
 


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