青葉台教会礼拝 後藤献一 21Sep2014
☆『ジャーナルのすゝめ』
☆出エジプト記33:7-11
世界で有名なスキットを観ていただこうと思います。
Statue(スタチュー・像) Drama <川上君&モニカ神学生>
先ほどのドラマの中に、突っ立っている人がいましたが、命のない像が出てきました。
いろんなことをトライして命を与えようとしましたが、動きませんでした。
でも、最後どうしたら動きましたか?
聖書を読んだら、神の言葉を読んだら、動き始めました。
神の言葉の中に、命があるんです。
人は聖書を読む時に、そこに神に出会い、人生の目的や意味、喜びを見つけ出します。
「真理はあなたがたを自由にする(ヨハネ8:32)」という聖書の言葉がありますが、
この人は今までの罪や痛みのあらゆる捕われの中に生きていましたが、神の言葉がこの人に命を与え、人として動き始めました。
この短いドラマには3つの大切なメッセージがあります。
1、人にはモノではなく、神の言葉によって生きる。
2、祈りは聴かれる。
3、誰か彼に、神の言葉を伝える人が必要。宣教ですね。
これは子どもでも観たらすぐに意味が理解できるということで、言葉の通じない場所でも、世界宣教で用いられるドラマです。
今日のメッセージタイトル、「ジャーナルのすゝめ」。
このタイトル、明らかに明治時代、サムライの時代から、明治維新・新政府になって、今までは身分や階級・出身に縛られていたけれども、これからは民衆に学問が必要であるといって、当時 大流行した福沢諭吉の「学問のすゝめ」を意識しています。:D
「ジャーナルのすゝめ」。皆さん、「ジャーナリスト」という言葉をよく聴くと思いますが、現地に行って取材して、声を聴き取り、ニュースを書く人ですよね。
「ジャーナル」とは、「書き留める」という意味があります。名詞では「ジャーナリング」(霊的日記・スピリチュアル・ジャーニー)。
神の言葉・聖書を、毎日読み、あなたの心に、ノートに書き留めることが、あなたにとって、神と共に歩む新時代を切り開く鍵になるということをお伝えしたいと思っています。
新時代とは何でしょうか。
それは今まで神の言葉なしの人生を過ごしていた。
大事な決定(恋愛・結婚・就職など)する時に、自分の知識と思いだけで判断していた。
神様に聴くよりは、世間の常識と周りの目を優先して来たという生き方から、
>聖書に記されている人たちのように、神と共に歩んだ人生に変えられていく、かけがえのないやり直しのきかない、誰にも真似できない、あなたしか生きることの出来ない人生を、豊かに歩むための人生のスタートに立つということです。
聖書にたくさんの登場人物が出てきます。そのすべてで共通していることは、神様の言葉を聴いて歩むかどうかというところが出来事となっています。
神の言葉が人生に入ってくるならば、個人の歴史に、イスラエルの民族に大変化をもたらしたんです。
Ex. たとえば、一つ私の家に、あるモノが来て、大変革が起こった出来事をご紹介致しましょう。
みなさん、私はここだけの話し、12人兄弟の長男です。
この平均家族に1.2人の時代に、約10倍近くの子どもがいました。
この後藤家だけにあるルールがありました。
まず第一に、家に入ったら、靴を並べて、すぐに手を洗う。うちは一人が水疱瘡やはしか、風疹になると、続いて全員がなったんです。感染症防止の意味がありました。ただ子どもには面倒くさかったんですね。終いには、父は玄関に洗面所を作ってしまいました。
第二に、トイレットペーパーの長さは、一人1キュビトまで。子どもたち、放っておいたら、どれだけでも、ぐるぐるとトイレットペーパーを使って、すぐ失くなってしまうんです。
小さな子ほど、トイレットペーパーを使いました。だから父が、一人1キュビトまでって、手の指先からひじまで、これはノアの方舟を造る時に使われた単位です。
第三に、家族の人数が多いので、仕事が決ってました。私は朝の新聞取りです。弟は井戸水のタンクに水を満たし、次亜塩素酸ソーダーを適量入れることです。土曜日の教会掃除、庭掃除など、女の子はカレー作り、部屋そうじなど、いろいろありました。
一番きつかったのが、洗い物です。長女は朝食の食器洗い、次女は昼食、夜は私。意味わかりますか?朝は平日学校があるので、すぐ学校行ってしまうんです。昼家みんなが揃うのは土曜日くらい。日曜日は教会のカレーがあります。夜だけ確実に毎日やってきました。
私は、前びしょ濡れになりながら、6年生最後まではやりました。一人2・3個あったら、軽く30枚くらいあったんです。
それで海外へ行って帰って来て、すぐしたことがあったんです。西欧では、全自動食器洗い機当たり前。食べ終わったらみんなそこに置いておくだけ。ピッとボタン押したら全部きれいにしてくれたんです。
なんで今までこの機械が日本になかったんやー。これさえあったら、毎日もめなくても、平穏な小学校生活が送れたのにと思いました。
なので、帰って、すぐに母にプレゼントしました。もうその頃、献三以外ほとんど家を出ていましたが。
でもその全自動食器洗い機がショックなことに、革命的でした。人が洗うよりも、きれい。殺菌効果。水の節約になる。経済的。時間の節約になる。
後藤家に、食器洗い機が入ったのは、革命的で、生活を変えてしまったんです。
何が言いたいか。
神の言葉が皆さんの生活に入ると、革命が起こってしまうんです。
日常生活の中に、家族の間に、あなたの心の中に、神の言葉がひとたび入ると、
今まで、自分だけの力で頑張って来たかもしれない、争いがあったかもしれない、すぐに限界が見えていたかもしれない、
しかし、今まで自分の考えしか、アイデアしかなかったところに、信仰の世界が見えるようになり、神の知恵が流れ込むのです。
今まで、太平洋を手こぎボートで渡っていたのが、急にジェット機で行くようなものです。
イザヤ 55:9「天が地よりも高いように、 わたしの道は、あなたがたの道よりも高く、わたしの思いは、あなたがたの思いよりも 高い。」
私が小さい時、父が何度も教えてくれたことがありました。
聖書を読むと、4000年の知恵が詰まっている。それをあなたの人生にプラスして歩んでいることと同じだと。
人生は一回しかなく、自分で体験できることは限られており、学習した頃には歳を取ってしまいます。
しかし聖書は、神があなたの人生を導こうと、祝福しようと、父なる神が自分の最愛の子ども・あなたに向けて贈られた愛の書・遺言書なのです。
なので、時代を超えても、国やバックグラウンドや、身分や立場が違っても、どの人にも、希望と喜びと生きる意味を与えるベストセラーなんです。
どれくらい読まれているか、どうぞこの表を観て下さい。
2011年には3億6000万冊
2012年には4億3763万冊
今までで推定3880億冊。図>
また日本ではクリスチャンの数少ないかもしれませんが、
世界人口の33%の23億人はクリスチャンで、旧・新約 聖書を読んでいるんです。
そしてユダヤ教・イスラム教を入れると、
世界70億の半数の人は、旧約聖書を読んでいるのです。図>
>皆さんは、芸能界のあのスターと、スポーツ選手とお友達だったらいいなと思ったことはありますか。香川選手とか、メッシ選手とかね。
それも素晴らしいですよ。
もし、天皇陛下やアメリカ大統領がお友達だったら、どうですか。
普通は会うチャンスもない。その方と会えるとしたら、皆さん他のスケジュールを全部キャンセルして会いに招待を受けるでしょう。
そして、会える自分のことも特別と思うでしょう。
でも今日読んでくださった箇所に、もっとすごい、特別なことがあるんです。
神の友だちです。
この天地万物を創造され、あなたを造られ、歴史を宇宙すべてを支配しておられる神の友だちです。
その天皇も、大統領も、私たちも同様に造られた、すべての上に立ち、はじめから生きておられ、終わることのない永遠に生きておられる方です。
モーセは、この神と、友だちとして話したと、驚くべきことが書いてあるのが今日の聖書箇所です。
出エジプト記33:11「主は人がその友と語るように、顔と顔を合わせてモーセに語られた。」
聖書には、神の心の友として、3人の人が知られています。
アブラハム、ダビデ、このモーセです。
また新約の時代に入っては、イエスキリストは弟子たちを、しもべとしてではなく、友としてお呼びになりました。
街中から嫌われていたザアカイの家にも、友人として、イエス様は彼の家にお訪ねになったのでした。
モーセはどのようにしてこの神と語る機会を得たでしょう。
余興を観ながら、みんなと雑談していたら、ダンスしていたら、神様が直接語ってくださったと書いてあるでしょうか。
いいえ、
出33:7「モーセは一つの天幕を取って、宿営の外の、宿営から遠く離れた所に張り、それを臨在の幕屋と名付けた。主に伺いを立てる者はだれでも、宿営の外にある臨在の幕屋に行くのであった。」
モーセとイスラエルの民は、約束の地を目指して砂漠を旅していました。モーセが創造主から導きを聴く時は、みんなの移動式のテントが集まるガヤガヤした集落から、少しではないですよ、遠く離れた所に、神様と会うための会見のテントを作り、幕屋と名付けました。
私たちも日常生活の中で、雑踏から離れて、神様と会うための時と空間を作りたいですね。
この33章前後を見ていくと、32章・34章では、モーセは創造主からイスラエルの法律をもらうために、シナイ山に40日間ずつ2回登っています。
しかし日常生活の中では、モーセは毎日シナイ山に登ったのではなく、別のテントへ、この会見の幕屋に、神様に会いに行ったのです。
33:9「モーセが幕屋に入ると、雲の柱が降りて来て幕屋の入り口に立ち、主はモーセと語られた。
11 主は人がその友と語るように、顔と顔を合わせてモーセに語られた。」
なんと羨ましいことでしょうか。モーセがその場所に行くと、神様も降りて来て、その場所で、モーセに語ってくださった。しかも、友だちのように、楽しく、親しく、リラックスして、
本音で神はモーセに語られたというんです。
皆さん、私たちの人生に、モーセがあって、私たちがないものとすれば、このことではないでしょうか。
スマートフォンはあるかもしれない、車はあるかもしれない、現代・三種の神器はあるかもしれない、快適な家はあるかもしれない。仕事も、多忙なスケジュールもあるかもしれない。
しかし「主は人がその友と語るように、顔と顔を合わせてモーセに語られた。」
もし私たちがないとするならば、この神様との顔と顔を合わせた、神様と友だちの時間、神と対面する機会ではないでしょうか。
モーセがした奇跡、紅海を2つに分ける、ファラオの前で10の奇跡の方がすごいし真似たいと思うかもしれませんが、その前に、モーセとイスラエルの民の力の源が、この神様と会うことだったんです。本陣はここです。
聖書の中で、神との語り合いなくして、何か達成した人は出てこないんです。
隠れていますが、みなに共通しているのが、「神との時間」が命の源でした。
もしクリスチャン生活で力がない、もう毎日のスケジュールでいっぱいだ、喜びがない、誘惑に流される、自分のことしか考えられない・・・信仰も教会も忘れがちだ・・・。
私たちはモーセがしたように、日常の喧噪から離れて、神様と会う聖なる空間と時を作りたいと思うんです。
あの離れた幕屋こそが、イスラエル民族がイスラエルであるための秘密であり、モーセと神様が語らう場所でした。
>先ほどジャーナルというものをお伝え致しました。
神の言葉を聴いて、霊的に日誌を付けていく、あなたと神様との会見の幕屋での記録ですね。
当時は、まだモーセが十戒をもらう時でしたから、聖書もなく、民も直接、神から聴くことはありませんでした。
しかし今、感謝なことに、私たちには自由があり、製本された聖書66巻があり、イエスキリストによって、神様の言葉を自由にいただけるという、恵みの中にあります。
荒野の中でモーセが神を聴いたように、人生の荒野で、旅の途中こそ、神の言葉を聴く必要があるので。
34:29bには、モーセはジャーナルが終った後、神のエネルギーで、喜びで満ちていたとありますよ。「モーセは、山から下ったとき、自分が神と語っている間に、自分の顔の肌が光を放っているのを知らなかった。」神との面会の後、モーセは超美白であった。(献一訳ですが、笑)
30 イスラエルの民は (あまりにも美白すぎて)、恐れて近づけなかった。
35 モーセの顔の肌は光を放っていた。
とあるほど、これはシャカイナ・グローリー、神様の栄光ですよ。
主の臨在と時間を過ごして出て来たモーセは輝いていた。
あまりにも眩しくて、顔を隠さなければならないほどだったんですよ。
神様の声を聴いて個人的に励ましをもらったら、あなたも同じように元気になることでしょう。
さあ、ここで、あなたも実践出来る、ジャーナルの具体的なやり方をお伝えしたいと思います。
日々の生活の中で、神様とのクオリティータイムを作るのです。
毎日聖書を読んでる方もすでに多いと思いますが、今日私は、聖書を単に読むだけではなく、ジャーナルする・心とノートに書き留めるということをおすゝめしたいんです。
なぜ書き留めることが重要か。
人は72時間後、平均95%聴いたことを忘れるそうです。
つまり今から3日後の水曜日の今頃、今日の私のメッセージを書き起こして下さいと言ったら、95%忘れているんです。
聖霊様が語ってくださったことも書き留めないと、忘れてしまうんですね。
なので毎週の礼拝メッセージも書き留めた方がいいんです。
ジャーナルには、いろんな書き方がありますが、今日ご紹介するのが、一つの分かりやくて長続きするやり方です。
用意するものは、3つです。
1, 聖書と先ほどお配りした通読表
2, ジャーナル用の専用ノート を1冊作ってください。
3, 3色ほどのペンです。語られた所、アンダーラインを引きましょう。
またノートをカラフルにしましょう。全部、黒で書くと後で読みにくいからです。
聖書ない人は、後でプレゼントしますので、ぜひ声をかけてくださいね。
モーセも神の言葉をもらうために、ジャーナルノートを持って来なさいと、
出34:1のところで言われたんですね。
「主はモーセに言われた。『前と同じ石の板を二枚切りなさい。わたしは、あながた砕いた、前の板に書かれていた言葉を、その板に記そう。』」
ここに神様は十戒を書いてくださるんですよ。
当時は石の板ですが、その後の時代では、聖書の著者たちは、神様の言葉を受けて、羊の羊皮紙、パピルスに書き留めました。神の言葉を受けとめるにはノートが必須ですね。
皆さんはちょっと素敵なノートを用意して下さいね。iPadでも大丈夫です。
☆ジャーナルのやり方☆
1、日付と今日の箇所を書く
2、短く祈る
- サムエルのように「しもべは聞きます。主よ、語ってください。」Iサムエル3:9
- 私の父はクリスチャンになる前、「貝になりたい」という言葉が好きでしたが、そのように心を閉ざすと、なかなか入りにくいですね。
- 諺のように「人の心はパラシュートと似ている。開いてなければ意味がない。」
3、目標の場所まで(1章でも3章でも) or 教えられるまで読んで、
その中で最も教えられた一節を書く
4、観察 or 出来事 or 感想を書く
Good News(福音・約束), 神様のキャラクター(性質)を発見出来るはずです!
5、「タイトル」をつける
6、「今日、何をするか」を書く (私はしばしば「ひざで祈る. #5(回目)」書きます)
Or ・Start 今日から何を始めるべきか
・Stop 今日から何をやめるべきか
・Keep 何を続けてすべきか.
Or [今日の優先順位]を書いてもいいです: → → →
7、「祈りの課題」を書いて、祈る (Prayer of 3)
☆いつやったらいいでしょうか?☆
一日の自分がベストの時間
週1回2時間よりも、1日15分毎日の方がはるかに良い!!
→そのうち、週に出来る回数が増えてくる!
お奨めは朝! 寝る前だと、今日何をするか?の質問が、寝るしかかけなくなる(笑)
アブラハム、ヤコブ、モーセ、ハンナ、ヨブ、ヒゼキヤ、ダビデ、ダニエル、イエス様も朝さました。
「さて、イエスは、朝早くまだ暗いうちに起きて、寂しい所へ 出て行き、そこで祈っておられた。」 (マルコ1:35)
☆どれくらい読んだらいいでしょうか?☆
>3、目標の場所まで or 教えられるまで読む
一日20分、あるいは 3.3章が 理想♪
旧約 39巻 929章
新約 27巻 260章
合計 66巻 1189章 ÷ 365日= 3.3章、週に23章
毎日、旧約2章・新約1章 (土日のみ旧約は3章)
これで、一年に一度読み切れる!
一日10章だと、年に3回通読できる!
何歳ですか? 歳の数だけ読めるといいね☆
一日1章でもいい。5分でもいい。続けることが大事!
私の祖父は、クリスチャンになってから、「一書の人」になったんです。
晩年は、白内障と糖尿病を患ってたんですが、大きな聖書を虫眼鏡の上に虫眼鏡を重ねて一生懸命、祖母と聖書を読んでいました。
ジャーナリングが人生を変える!
20/20の法則 (20分聖書朗読・20分ジャーナリング)
神様との15分
忙しい日でも5分は作れる
>習慣化する
新しい仕事や作業に慣れるのに3週間
↓
習慣となり、快適だと感じるまで3週間
計6週間続けることが、一つの壁。 (リック・ウオレン牧師)
壁を乗り越えよう!
そして皆さん、祈祷会やスモールグループで、神様から語られたことを、ぜひシェアしてください。ランチの時間でも、同じテーブルで近くの人とシェアしてください。
「今週、神様何を語ってくださった?」と。
神様が語られて、それを実行した。そしてこんな結果が来た、ぜひお聴きしたいじゃないですか。
ヤコブ1:22「みことばを実行する人になりなさい。自分を欺いて、ただ聞くだけの者であってはいけません。」
その時、注意することは、7日ジャーナルをしても、その中でもハイライトとなる1日分だけを友だちにシェアしてください。
そして一人3分以上、話さないようにトレーニングしてください。
3分間ドリルやったことありますか。人は3分以上、集中力を保つのが難しいんです。
これからもあなたの話しを聴きたくなるために、短めにシャープに話してください。
最後にイエス様があなたにしてくださったこと、そのイラストレーションをお見せして終りたいと思います。What Jesus did for us.
Ex. ここに7つのコップがあります。(きれいな水が入っている)
あなたの友だち、兄弟、親、牧師先生、首相(大統領)、あなた、イエスキリスト
あなたの友だちは、罪を犯しますか?
(1つずつ聞きながら、インクを入れる。黒に染まっていく)
ここにもう一つ、小さなコップがあります。
宗教です。この世の教育、仕事、慈善活動と言ってもいい(その水を5つのコップに入れていく)
一生懸命やったら、きれいになりますか。(7つのコップは何も変化しない)
ではこれはどうですか。(キリストのコップの水を他6つに注いでいく)
(すると6つの黒に染まった水が、全部 透明に変えられていく)
私たちには一人ひとり罪がある。
でもキリストがしたかったことは、あなたの中から、この暗闇を取り去りたかった。
ご自身(コップの中)を空っぽにして、十字架の上で、このように神の聖さを届けたかったんです。
Iヨハネ1:7「もし神が光の中におられるように、私たちも光の中を歩んでいるなら、私たちは互いに 交わりを保ち、御子イエスの血はすべての罪から私たちをきよめます。」
イエス様にあったら、消せない罪は、赦されない罪はないんですね。
マタイ11:28 「すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。 わたしがあなたがたを休ませてあげます。」
イエスキリストは罪人を裁くために来たのではなくて、救うために来られました。
あなたを救うために、命を与えるために、希望を与えるために、生きるために、
私たちにはこのキリストが必要です。
今日、まだ私というコップの中に、ああ今まで手をふさいで覆っていた、
神様の言葉が、聖さが、充分に私の日常の中に訪れていなかった、
主よ、どうぞ私を聖めてください、人生の中に入って来て下さいと願う方は、
ぜひ後で私に話しに来て下さい。
神の言葉を人生の中に入れる、神の聖さを私の毎日に注ぐ、
受け取ろうじゃないですか、主はあなたの友となるために、あたなと食事をするために、心の戸をノックしておられます。