江上環礼拝説教

日本ナザレン教団青葉台教会礼拝説教

日曜礼拝(2014年3月30日)

2014-03-30 16:48:31 | Weblog

日曜礼拝(受難節第四)      2014.3.30

神は私のために悲しまれた」 マルコ14:32~33

 Ⅰ導入部

おはようございます。3月第5日曜日になりました。2013年度の最後の礼拝です。私たちは、2013年度の1年間を、礼拝で始め、礼拝で終わろうとしています。この1年間の礼拝を通して、私たちは神様によって守られ、支えられ、励まされてきたのだと思います。私は、青葉台教会に遣わされて、今日をもって13年間を終えます。そして、来週から14年目の歩みをさせていただくことになります。

 皆さんの暖かいお祈りとお励まし、支えを心から感謝致します。

 昨日、この場所で三浦綾子文学読書会の特別集会が行われ、水野源三さんの映像、そこに出演しておられた清水瑞希姉の証、中村啓子姉の朗読、飯塚兄の賛美、市原典子姉が伴奏をして下さいました。そして、三浦綾子読書会の運営委員の土屋兄のお話と盛り沢山の内容でした。

 特に水野賢三さんの映像は、瞬きの詩人と言われ、アイウエオと瞬きで言葉を作るその作業を実際見させていただき、一つの言葉を生み出すためのご苦労と言いますか、大変さを思いながら、その言葉の重みを感じました。

 水野源三さんは、9歳の時、になり、高熱のため、見ることと、聞くことと、そいsて、自分で動かせるのは瞬きだけという状態になられました。言葉が発することが出来た時には、死ぬという言葉ばかりを言っていたということです。自分の人生は絶望しかない、そんな人生を神様は見捨てませんでした。

 当時の水野源三さんのお母さんは、パンの委託販売をなさっており、源三さんは奥の間で暮らしており、ある牧師が奥の部屋に誰かいる気配がして、2回目にパンを買いに行った時に、聖書を置いていかれたそうです。宗教の勧誘にうんざりしていた家族は、聖書には見向きもしませんでしたが、源三さんはその聖書をむさぼるように読まれました。この聖書と牧師との出会いが、水野源三さんの悲しみの人生から喜びの人生、そして神様に用いられる人生と変わる出会いとなったのです。

 私たちも聖書との出会い、クリスチャンとの出会い、牧師との出会い、教会との出会いと通して、あなたの人生に神様にある変化が起こるのです。神様はあなたを見捨てていません。誰も見捨てません。神様はあなたを愛しておられるのです。

 受難節第四日曜日に選ばれた聖書の箇所は、マルコによる福音書14章32節から42節です。今日はこの箇所を通して、「神は私のために悲しまれた」と題してお話したいと思います。

 Ⅱ本論部

 一、いつもの場所でいつものように

 イエス様は、弟子たちとの最後の食事を終えて、弟子たちと共にゲッセマネの園に行かれました。この場所は、イエス様が弟子たちとよく行かれた場所、いつもの場所だったのでしょう。私たちは、誰かとの待合の場所は、決まっていていつもの場所と言えばわかるということがあるでしょうか。渋谷ではハチ公前というように決まった場所があることでしょう。イエス様は弟子たちとこのゲッセマネの園へよく来られて、そこで祈りをささげられたのだと思うのです。ですから、ゲッセマネの園へ行こうと言えば、弟子たちは、「先生は祈られるのだ」とすぐ分かったことでしょう。

 ユダがイエス様を裏切り、祭司長たちに引き渡す場所として選んだのは、やはりゲッセマネの園であり、他のどの場所よりも確実な場所であったに違いないのです。

 「江上先生がいないけど、どこにいるのでしょう。」と聞かれ、いつもの場所と言えば、お風呂ということになりますが、イエス様が見当たらなくて、見当がつくのがゲッセマネの園、そこでよく祈っておられたのです。まさに、イエス様の生涯は祈りの生涯であり、朝早く祈られた場所であったかも知れないし、祈る為によく訪れたのが、ゲッセマネの園でした。

 皆さんにもいつもの場所があることでしょう。そこが、憩いの場所であり、好きな場所でもあり、落ち着く場所、リラックスできる場所、そして、神様との交わりの場所、自分が自分らしくいられる場所があることでしょう。まさに、そこが大切な場所だと思います。

そこでこそ、自分との交わり、自分自身を反省し、あるいは自分を褒める、大切にする場所、神様を見ることのできる場所です。

 私は、火曜日の夜から神戸へ車で行って帰ってきました。少し仮眠して、一度の休みで神戸に6時間で到着しました。その日は、お風呂で休息、次の日も風呂で休息、帰りは渋滞でちょっと疲れましたが、刈谷サービスエリアの風呂で休息、結局毎日大好きなお風呂に入ることが出来ました。そこが私のいる場所でした。そして、風呂が私にとって神様の前に名実共に、心も体も裸になれる場所、憩いの場所、元気をいただく場所です。時には、炭酸線の風呂で、皆さん名前をあげて祈ります。リラックスして神様とかかわれる場所です。

 イエス様のいつもの場所はゲッセマネの園、そこイエス様はご自分が十字架につくことの苦しみの祈りをささげるのです。

 二、いつもの場所が苦しみの場所

 弟子たちと共にゲッセマネの園に行かれました。そして、そこで「「わたしが祈っている間、ここに座っていなさい」と言われた。」(32節)のです。特にペトロ、ヤコブ、ヨハネだけを連れて、さらに奥に入って行かれました。

 皆さんと共に34節、35節を共に読みましょう。「そして、ペトロ、ヤコブ、ヨハネを伴われたが、イエスはひどく恐れてもだえ始め、彼らに言われた。「わたしは死ぬばかりに悲しい。ここを離れず、目を覚ましていなさい。」

 ここには、あまり見ないイエス様の姿があります。大祭司や祭司長、ファリサイ派の人々との対決においても権威ある言葉、威厳のある態度のイエス様、大胆に癒しの業をなさったイエス様とは、ちょっと違ったイエス様を見るように思います。

 弟子たち全員に座ること、祈る事を求められ、ひどく恐れもだえ始め、「わたしは死ぬばかりに悲しい。ここを離れず、目を覚ましていなさい。」と言われたのです。リビングバイブルでは、「恐れと絶望に襲われて、・・・「わたしは悲しみのあまり、今にも死にそうだ。お願いだから、ここを離れず、わたしといっしょに目を覚ましていてくれ。」」とあります。

 イエス様の心の痛み、悲しみ、苦しみを弟子たちは到底理解することはできませんでした。弟子たちにとっての主イエス様は、英雄であり、弱さなど微塵(みじん)もあってはならないのです。

 35節には、「この苦しみの時が自分から過ぎ去るようにと祈り」とあります。サタンを追い出し、病を癒し、風も波も一言で鎮めてしまうイエス様ではなく、苦しみの時を自分から過ぎ去らせてほしいと願うのです。リビングバイブルには、「自分を待ちかまえている恐ろしい時が来ないようにと、切に祈られた。」とあります。

 36節を共に読みましょう。「こう言われた。「アッバ、父よ、あなたは何でもおできになります。この杯をわたしから取りのけてください。しかし、わたしが願うことではなく、御心に適うことが行われますように。」

 この祈りは、「この杯をわたしから取りのけてください。」というのが主ではなく、「御心に適うことが行われますように。」というのが主なのです。

 私たちも避けたい現実があるでしょう。取り除けたい事実があることでしょう。勿論、それらの困難や悲しみが取り除けられるように祈ることは大切なことですが、それと同時に、いやそれ以上に、そのことが神様の御心にかなうことが行われることを願い祈りたいと思うのです。

  三、悲しみの場所が神に用いられる場所となる

 イエス様の緊迫した、悲しみの祈り、苦しみの祈りではありましたが、目を覚まして祈ってほしいというイエス様の願いに反して、彼らは眠っていたのです。疲れていたのでしょう。

 金曜日による神戸から奈良、奈良から横浜に車で帰るのですが、神戸から奈良に行くまでに阪神高速の渋滞、奈良から横浜に行くまでに西名阪や伊勢自動車道では渋滞で本当に疲れました。私は運転手で眠るわけにはいかないのですが、睡魔に襲われます。いろいろな努力をして眠気を覚まそうとしますが、ウトウトとしてしまうのです。そして、道路側道の白い線の上に乗るとブーッと音がしてハッとしてハンドルを切る。それが何度か続き、これでは事故を起こすということで、足柄サービスエリアで、2時間ほど仮眠をしました。そして、土曜日の午前6時に自宅に到着しました。奈良を出たのは、午後6時でした。

 疲れていると眠らないでいようと思っても、ついウトウトしてしまうのです。弟子たちは、そうでした。イエス様は3度祈られ、弟子たちは3度居眠りをしていたのです。

そして、ユダがイエス様を引き渡す為に大勢の者達を引き連れてきたのでした。

 イエス様はユダが裏切ることはご存知でした。ですから、何度も悔い改めの機会を与えられました。いつもの場所であるゲッセマネの園にいるとすぐわかる。捕まるということは目に見えていました。ですから、イエス様は逃げることもできたでしょう。この杯を取り除けてくださいと祈られましたが、逃げるという選択肢もあったでしょう。けれども、イエス様は逃げませんでした。苦しみの場所、悲しみの場所、辛い場所から逃げなかったのです。

 旧約聖書の創世記16章には、アブラハムの妻サライの女奴隷ハガルの記事があります。アブラハムとサライの間に子どもができないので、サライは自分の女奴隷ハガルをアブラハムの妻として与え、ハガルによって子どもを得ようとしました。しかし、ハガルは妊娠すると自分の主人サライを軽んじたのです。子どもを妊娠できない主人より、自分の方がえらいと感じたのでしょう。今までとは態度が違いました。それで、サライがアブラハムに文句と言うと、自分の好きなようにしたら、ということで、サライはハガルに辛く当りました。ですから、ハガルはサライから逃げていきました。

 逃げている時、神様はハガルに「何処から来て何処に行くのか」と語りかけ、「女主人サライのもとから逃げているところです」と答えると、主の御使いを通して神様は次のように語られたのです。「女主人のもとに帰り、従順に仕えなさい。」と。

 「それは大変だねえ。ここから逃げなさい。私が守るから支えるから」ではないのです。

奴隷であるハガルの居場所は、女主人サライのもと以外にはないのです。ハガルにとっては、針のむしろです。辛い場所です。苦しい場所です。そんな場所からは逃げ延びたい。避けたい。誰もがそう願います。でも、神様は違うのです。

 その苦しみの場所に帰れ。その問題の人のもとへ行け、なのです。神様は血も涙もないお方なのでしょうか。そうではありません。本当の解決を知っておられるお方なのです。

今回逃げてうまくいったとしても、また同じように嫌な人や問題のある人と出会います。なら、また逃げる。また逃げる。本当の解決はそこにはないのです。その苦しみの場所こそ、あなたの場所であると神様は言われるのです。そして、その苦しみの場所、問題の場所、痛みの場所が、辛い場所が、神様の栄光のあらわれる場所となるのです。マイナスが問題なのではありません。神のみ業が現れるため、というのがイエス様のお答えでした。

 私たち、誰にでも辛い所、苦しい場所、いたくない場所があるでしょう。できたら行きたくない場所があるでしょう。でも、そここそが、神様の恵みであふれる場所となるというのが神様の約束なのです。

 イエス様にとって、ゲッセマアネの園は苦しみの場所でした。精神的に霊的に、痛み、苦しまれた場所でした。そして、捕縛された場所ともなりました。しかし、そここそが、イエス様のおられる場所、全人類の罪のために十字架につくために、肉体的痛みではなくて、人として、神として苦しみ、悩まれ、悲しまれた場所だったのです。またそこにこそ、神様のみこころがあったのです。ここを通らなければ、十字架はありませんでした。この苦しみを通して、イエス様は父なる神様のみこころがご自分の十字架の死であることを確信されたのです。

 Ⅲ結論部

 イエス様のゲッセマネの園での苦しみは、十字架の苦しみと同じように私たちのためでした。私たちを愛するがゆえの苦しみを受けられたのです。そして、その苦しみを通して神様の栄光が現れたのです。

 水野源三さんは、9歳で赤痢のため高熱により体が不自由になりました。その苦しみは、その悲しみは大きなものでした。死ぬことしか考えられない自分、体が不自由で死ぬことすら出来ない。一部屋のただ中で、悲しみの中にあった。けれども、聖書を通して、ある牧師を通して、イエス様の十字架の愛を知った。自分のような者のために命を投げ出して死んで下さった方がいる。私のために苦しまれた。

 水野源三少年の心に神様の愛がともった。そして、自分のいる狭い部屋で、身動きできない状態で、瞬きを通して神様の愛を歌った。

 「もしも私が苦しまなかったら神様の愛を知らなかった。もしも多くの兄弟姉妹が苦しまなかったら神様の愛は伝えられなかった。もしも主なるイエス様が苦しまなかったら、神様の愛はあらわれなかった。」 (苦しまなかったら)

 

 私たちの人生には苦しみがあります。悲しみもあります。辛いことがたくさんあります。けれども、それらの、苦しみや悲しみ、痛みを通して、私たちは神様の愛を知ることができるのです。

 今、どのような場所にいようとも、大丈夫。逃げることはない。私はあなたと共にいる。私があなたのために悲しんだ。苦しくても悲しくても大丈夫。必ず神の栄光が現れるから。

そう語られるイエス様とこの週も歩み、新しい年度2014年度を歩んでまいりましょう。

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日曜礼拝(2014年3月23日)

2014-03-23 13:29:24 | Weblog

日曜礼拝(受難節第三)      2014.3.23

歴史に残る愛の行為」 マルコ14:3~9

 

 Ⅰ導入部

おはようございます。3月第4日曜日になりました。3月の第二日曜日は渡辺神学生がメッセージして下さり、第三日曜日は後藤神学生がメッセージして下さいました。久しぶりのメッセージです。

 今日、皆さんと共に礼拝をささげることのできる恵みを感謝致します。

 青葉台教会創立45周年トルコ旅行のために、お祈りを感謝致します。10名無事に、多くの恵みをいただいて帰ってまいりました。3月9日は、トルコで、午前3時45分から私も共にユーストリームを通して、青葉台教会の礼拝にあずかることができました。世界のどこにいても、青葉台教会の礼拝を共に守ることができるということは本当に幸いなことです。

 3月6日の木曜日から13日の木曜日まで、8日間の旅でありました。山田兄の西遊旅行会社を通しての旅行で、山田兄がいろいろとご配慮下さり、気を配って下さいました。普通のツアーでは絶対に体験できない有意義な旅行でした。

 今回は、ヨハネの黙示録に見る7つの教会を見るツアーでした。ヨハネの黙示録に7つの教会が出てきます。エフェソにある教会、スミルナにある教会、ペルガモンにある教会、ティアティラにある教会、サルディスにある教会、フィラデルフィアにある教会、ラオディキアにある教会の7つの教会です。

 それぞれに教会の跡や神殿の跡等があり、そこに歴史を感じました。7つの教会の中で、ティアテラの教会の跡は、ただの山と言うか特別な神殿跡や教会跡などが何も残っておりませんでしたが、何もないということが、私にはまた、歴史を感じさせられました。確かにかつては、大きな神殿や教会があり、そこで神様を礼拝した。礼拝してきた事実がある。しかし、神を礼拝するとは建物ではないということを実感させられた次第です。

 エフェソでは、アルテミス神殿があり、豊穣の神として祭られ、使徒言行録でもパウロが、エフェソに行き、アルテミス信仰の故に、暴動に巻き込まれるという記事があり、当時のアルテミス信仰の繁栄や大きさを、その遺跡等で垣間見ることができました。

 パウロは、エフェソに伝道の基点を置いて伝道しました。また、ヨハネもエフエソで晩年を過ごしたようです。十字架の上からイエス様に母マリアを母としてよろしくと言われ、ヨハネはマリアを母親として仕え、エフェソでマリアの面倒を見たようです。このエフエソには、聖ヨハネの教会、そして、聖マリアの教会がありました。また、聖マリアの家は、山の上にあり、ひっそりと晩年を暮らしたようです。ヨセフとイエス様、マリアの家族はイスラエルのナザレの町で生活をしましたが、エフエソにあるマリアの家も、ナザレの町と同じように、山の上にありました。マリアの家に行く上り道を登りながら、「ああ、マリアアはナザレ町と同じ、山の上を選んだのかなあ」とも感じました。マリアの家にも多くの人々が訪れていました。

 ヨハネの黙示録にある7つの教会を巡り、最後はローマのバチカンに行きました。山田兄に、どうしてもバチカンに行きたいので、ローマもお願いしますと無理を言って計画していただきました。レオナルド・ダビンチ空港に降り立ち、バスでローマの市内へ。町全体が芸術で飾られているような町、美術館にあるような絵画が、家の壁に描かれていたり、いろいろな彫刻があちらこちらにあり、ローマの町に魅せられてしまいました。

 また、バチカンは本当にローマカトリックの総本山、ミケランジェロが絵描いたシスティーナ礼拝堂の壁画等やサンピエトロ(聖ペトロ)大聖堂は、キリスト今日の歴史を強く感じさせられました。絵画や彫刻に描かれたイエス様や母マリア、弟子たちの姿が信仰を示し、エルサレムへと思いが募りました。大聖堂の中で、何度か十字を切り、カトリック信者になってしまいしそうな、そんな感じがするほどの体験でした。

 半日のローマでも感激の連続でしたので、今度はローマだけの旅行があってもいいかなあ、と感じました。

 また、イースターの愛餐会の時、トルコ旅行の証の時を持たせていただきたいと思っています。また、月報に参加された方々の感想文も記載されると思いますので、ご覧いただければと思います。また、旅行のお話しは、少しずつさせていただきたいと思います。皆さんのお祈りに心から感謝致します。

 さて、受難節第三日曜日に備えられた聖書の個所は、マルコによる福音書14章3節から9節です。「歴史に残る愛の行為」と題してお話し致します。

 

 Ⅱ本論部

 一、あなたの所にもイエス様は来る

 3節には、イエス様がベタニアの重い皮膚病の人シモンの家にいた、と記されています。

重い皮膚病とは伝染病であり、普通の人々とは共に生活できない人々でした。ですから、シモンの家には、おそらく同じように思い皮膚病をわずらう人々やそれに似た症状の方々がおられたのではないかと思うのです。

 普通なら、常識人なら、そのような場所には絶対に行かない場所です。その場所にイエス様は行かれるということです。その場所が、一般の人、常識人、普通の人が行かないと思われる場所、困難や痛みや悲しみのある場所、そこにイエス様は来て下さるのです。

 私たちは、自分と違うものを持つ人々とはあまりかかわらないような気がします。特に、クリスチャンの人々は、相手がクリスチャンであると安心し、そうでないと警戒すると言った感じです。クリスチャンの医者や看護士、クリスチャンの弁護士や会計士等、クリスチャンの介護士なら心許せるというようなものがあるように思います。しかし、それはこの日本では少ないです。そして、クリスチャンでなくても、いい人はたくさんいますし、クリスチャンより良い人はたくさんいるのです。

 日本ではクリスチャンは少ないですから、どこかでクリスチャンに出会うと安心感があるのは間違いないですが、クリスチャンでないからとがっかりすることはありません。私たちは、クリスチャンである私を通してイエス様を証したいと思います。

 竹内みゑ子姉は、お体の都合で礼拝に来ることはできません。礼拝の説教の原稿は読んでおられます。竹内姉のところには、介護の方が2名来られるようです。その方々に、姉妹は、「教会はいいですよ。聖書はいいですよ」と、証しておられる。また、いろいろな読み物を紹介したり読んでいただいたりしていて、その介護の方々が、キリスト教の文章に感動したり、教会に行って見たいという思いになられているとお聞きしました。素晴しいですね。自分の生きる生活の場で、本当にイエス様を信じてよかったと輝いて、語る姉妹の言葉に力があるのだと思うのです。イエス様がそこにも共におられることを信じます。

 私たちの生活の場、そこにはいろいろな困難があるかも知れない。罪や弱さがあるかも知れない。しかし、そこにもイエス様はおいでになるのです。共におられるのです。

 

 二、人の評価とイエス様の評価

 シモンの家にいたイエス様に、ある女性が純粋で高価なナルドの香油の入った石膏の壺を壊し、香油を全部イエス様の頭に注ぎかけたのです。

 当時は、客人が家に到着した時や食事の席についた時、数滴香油をかける習慣があったようです。ナルドの香油は、特にインドから来た珍しい植物から作られる非常に高価な香油であったようです。

 当時の習慣の中には、死んだ人の体は水浴させ、それから油を塗り、香油のはいっていた壺が割られ、墓の中に死体と共にその壺の破片が残されたということがあったようです。

 この女性が、香油の壺を割ったということは、そのような事柄を意識しての事だったのかも知れません。

 普段は、数滴しか使用しない香油を、特に高価なナルドの香油を惜しげもなく、壺を割り、全部をイエス様の頭に注ぎかけたということは、彼女の大きな愛の行為でした。

 その愛の行為に、いちゃもん、文句をつけた人々がいたのです。

 4節、5節を共に読みましょう。「そこにいた人の何人かが、憤慨して互いに言った。「なぜ、こんなに香油を無駄遣いしたのか。この香油は三百デナリオン以上に売って、貧しい人々に施すことができたのに。」そして、彼女を厳しくとがめた。」

 彼女の大判振る舞いに、あまりの贅沢さというか、後先を考えない香油注ぎにあきれてものが言えなかったのでしょう。なんともったいないことをするのかという彼女を責める気持ちでいっぱいになったのでした。憤慨したのです。怒り心頭なのです。

 イエス様の頭に香油を全部注いだことに、無駄使いと言いました。リビングバイブルには、「なんてもったいないことをする女だ。」とあります。なぜ、もったいないかと言うと、この香油は300デナリオン以上の価値があったからです。1デナリオンが1日の賃金と言われていますから、1日1万円をとして300万円以上の価値があったというのです。

1年分の給料分ということです。

 トルコ旅行をして、参加された方々もいろいろなおみあげを買われたと思います。そんな時も、やはり手持ちのお金と相談しながらの買い物になると思います。いいなあと思ったトルコ石も、その値段の故にあきらめるということが私には多くありました。

 300万円もした香油なら、最低1年間は使わないと、と計算して、ちびちび使うというのが私たちではないでしょうか。ですから、この憤慨した人々と同感という感じではないでしょうか。

しかし、イエス様の評価はまったく違うものでした。

三、無駄こそ最大の愛

 6節を共に読みましょう。「イエスは言われた。「するままにさせておきなさい。なぜ、この人を困らせるのか。わたしに良いことをしてくれたのだ。

 こんな無駄使い、もったいないという人々に対して、イエス様は私に良いことをしてくれた、と言われたのです。良いこととは、8節のことです。「この人はできるかぎりのことをした。つまり、前もってわたしの体に香油を注ぎ、埋葬の準備をしてくれた。

 今日の箇所である平行箇所にヨハネによる福音書12章1節から8節には、この香油を注いだのは、マルタの姉妹のマリアであることが記されています。マリアであるとするならば、マリアはいつもイエス様のおそば近くで、イエス様のお話しを熱心に聴いていた人物です。ですから、マリアは何が大切なことであるかはよくわかっていたでしょう。

 だから、300デナリオンの価値も当然分かって上で、そのような貴重な香油をそのように全部使ってしまうのが非常識とは承知の上で、あえて、彼女は全てをイエス様に注ぎかけたのでした。

 その表面の香油の高価さや金額を人々は見ていました。平行箇所のマタイによる福音書には、憤慨したのは、弟子たちとあり、ヨハネの福音書には、イエスを裏切るイスカリオテのユダとなっています。「貧しい人々に施すことができた」とありますが、弟子たちもユダも貧しい人々のことなんか、これっぽっちも考えていない。ただ、そんな高価なものを一度に使用してもったいない。そんなことするぐらいなら、私がもらってあげる的な、自己中心的な思いがそこにはあったのだと思うのです。

 私たちも表面的な言葉や行動だけを見て、その心や真実を見ないで自己中心的な考えで物事を判断してしまうことがあるのかも知れません。

 イエス様は、彼女の行いを出来る限りのことをしたと言われました。その精一杯の思いや心を理解して下さるのです。また、前もってわたしの体に香油を注ぎ、埋葬の準備をしてくれた、とも言われました。

 イエス様が苦しめられることや十字架の話をしても、一向に理解しない弟子たち、イエス様の十字架を前にしての苦しみよりも、自分がいかにイエス様の側近になれるかどうかしか考えない弟子たちと違い、イエス様の十字架の話しをマリアも聞いていたでしょう。それがいつかは分からないけれども、その事を覚え、自分のできる時に、自分の精一杯のことをしたのでした。それが、結果的にイエス様の葬りの準備となったのです。そして、彼女の香油の注ぎかけは、世界中で記念として語り伝えられると約束されたのです。そして、それが実現しているのです。

 愛とは無駄であると言えます。神様は私たちを愛するが故に、イエス様をこの地上に送り、私たちの身代わりに十字架にかけて、私たちの身代わりのあがないとされました。私たち罪深い人間のために、聖なるお方、罪のないお方、そのお方が犠牲になられたのです。こんな無駄なことはありません。私のような者のためにイエス様が苦しまれる。尊い血を流される。命をささげて下さった。それは最大の無駄であると思います。しかし、それがまさに愛なのです。愛ゆえの無駄であったのです。

 彼女のした事は、無駄に見えました。もったいないことだと責められました。しかし、その行為こそが、彼女の精一杯の行為であり、愛から出たことなのです。だからこそ、イエス様は、その行為を受け入れ、喜び、賞賛されたのだと思うのです。

 

 Ⅲ結論部

 トルコ旅行を通して、かつて栄えた時代の跡を見ました。繁栄し多くの建物や絵画や石造が作られた。しかし、それはやがて衰退し、時代の流れで変化していきました。その遺跡や残されたものが、その時代を見せてくれました。

 イエス様が、十字架にかかる前、弟子の誰もがそんな事は気に求めず、ユダにおいては、裏切りを計画し、弟子としての責任を果たせなかった時、一人の女性の精一杯の愛の行為が、イエス様の死を前にしてタイムリーな出来事となったのです。

 弟子たちの中に誰もイエス様の心を理解しない中で、ベタニアで、一人の女性、マリアが愛の行為、高価な香油をささげた。まさにイエス様の葬りの備えとなったのです。

 いつでもできること、今しか出来ないことがあります。そのことをマリアは知っていたのでしょう。私たちも、イエス様にお聞きしながら、聖霊様に導かれて、いつでもできることと今しかできない事を知り、愛を持って実行していきたいと思うのです。

 私たちは、自分のしていること、してきたことが無駄に思えることがあるかも知れません。でも、イエス様はその無駄の中にも、無駄に見える事柄の中にこそ、大切なものがあることを示しておられるのだと思います。

 私たちは愛する者のために、最大の無駄となられたイエス様の十字架を思い、死で終わることなく復活されたイエス様の恵みに立って、この週も歩ませていただきたいと思います。大丈夫。私はあなたと共にいる。私はあなたを愛している。私の愛で押し出されて、愛の行為を実践しなさい、と言われる主のことばに従い、今しかできない愛の行為をさせていただきたいと思うのです。

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日曜礼拝(2013年3月16日)

2014-03-16 17:27:25 | Weblog

日本ナザレン教団青葉台教会 礼拝説教★中高科合同       2014年3月16日

聖書箇所:ヨハネ19章32-42                   ナザレン神学校1年

説教題「イエスの死に触れた信仰」                       後藤モニカ

 ―挨拶―

みなさん、おはようございます。初めにお祈りをさせていただきます。

―導入―

受難週の第2聖日となりました。今日は、ヨハネによる福音書19章32節―42節を通して、御言葉から見ていきたいと思います。

 ―本論― 

・イエスだけ早く死なれた

 イエス様は生前、弟子たちに「人の子は必ず多くの苦しみを受け、長老、祭司長、律法学者たちに捨てられ、殺され、三日目によみがえらなければならない。」と3度言われました。そして、その通りイエス様は十字架につけられ、午後3時に「28節。完了した」と言われると、息を引き取られました。

ユダヤ人は、死後24時間以内に埋葬するのが習慣です。埋葬は、家族や友人が総出で行わなければなりません、遺体を埋葬しないままにすることは大変不名誉なことです。イエス様が十字架で死なれた日は、準備の日で翌日は過ぎ越しの中の安息日という特別な安息日でありました。過ぎ越しの日没は6時ごろ。ルカの福音書には「もう安息日が始まろうとしていた。」と書かれています。ですから今日が、安息日の前日であるため埋葬を急がなければならなかったのです。

「32節.そこで、兵士たちが来て、イエスと一緒に十字架につけられた最初の男と、もう一人の男との足を折った。イエスのところに来てみると、既に死んでおられたので、その足は折らなかった。」十字架刑が執行された夕方、ユダヤ人たちは、総督ピラトに安息日に3人の死体を十字架上に残しておかないように「3人の死体のすねを折って十字架から取りのける」願いをしました。彼らはなぜ急いでいるのか。「申命記21:22-23死体を次の日まで木に残してはいけない。」と書かれてあります。ユダヤの法には、木にかけられた者は「日が暮れる前に」取り降ろさなくてはならなかったのです。総督ピラトは兵士を送り、兵士はイエスと一緒に十字架にかけられた2人の男の足のすねを折ります。そしてイエスのところにもいくとイエスは既に死んでいた。だから、イエスのすねを折らなかった。と、著者ヨハネは、この一部始終を目撃し証言しているのです。(リビングバイブルには、「私は確かにこの目で見ました。それをありのままに報告しています。皆さんにも信じていただきたいからです」と書いてあります。このヨハネはイエス様が十字架につけられた時、その場に最後までいた12弟子の中の唯一の人物です。またイエスからイエスの母を託された人でありました。)このすねを折るのは、死を早めるためです。2人の男たちはこの時点ではまだかろうじて生きていました。だから、すねを折り、ここで死んだのです。しかし、イエスの場合、この時既に死んでおられました。だから、すねは折らなかったのです。

以前、考古学者であり、牧師であった菊池先生という方が十字架刑で使用されていた釘を見せてくださいました。その鉄釘の長さは18cmもあり、机やタンスなど家具に使用する釘とははるかに異なり、1本がとても重かったのを思い出します。私は手で受け取り、釘の先を手のひらに当てると、心が張り裂けてしまうほどでした。「イエス様の十字架の苦しみを思うと恐ろしくて、全身が身震いしました。

「イエスは既に死んでおられた」。十字架につけられた2人の男はかろうじて生きていましたが、イエスは6時間で亡くなられました。早かったのです。人となられ、あらゆる奇跡や業を行い、いつも人々に神の国について教えて下さった。けれども最後は、人々に裏切られ殺される。両手両足を鉄釘で打たれ、弟子たちにも見捨てられ、人々からさげすまれ、あざけられた、苦しみながら、殺されるのです。神の御子として、私達の罪を背負い、身代わりになるという神の御心を行われることがイエスの死を早めたのかもしれません。

 

・アリマタヤのヨセフとニコデモ

「38節.その後、イエスの弟子でありながら、ユダヤ人を恐れて、そのことを隠していたアリマタヤ出身のヨセフが、イエスの遺体を取降ろしたいと、ピラトに願い出た。ピラトが許したのでヨセフは行って遺体を取降ろした。」「39節.そこへ、かつて夜、イエスのもとに来たことのあるニコデモも、没薬と沈香を混ぜたものを百リトラばかり持ってきた。」            

38節以下は、イエス様の埋葬の記録でありますが、2人の人物が登場します。ひとりは、アリマタヤのヨセフ、もう一人はユダヤ人指導者のニコデモです。アリマタヤのヨセフは、身分のある議員で、神の国を待ち望んでいました。別の箇所には立派でまじめな人だとも書かれてあります。彼もイエスの死に触れる前は、「ユダヤ人たちを恐れ、イエスの弟子あることを隠していた」のです。

他方、もう一人のニコデモは、どうでしょうか。ヨハネは「かつてある夜、イエスのもとに来たことのある人物」として紹介しています。かつて、あの夜とは、3章で、ニコデモは夜、人目を避けてイエスのもとに来ていました。けれども、イエスに「はっきり言っておく。人は、新しく生まれなければ神の国をみることはできません。」と言われます。ニコデモは「年とった者が、どうして生まれることができますか。もう一度母の胎内に入って生まれることができるのでしょう」言います。それに対し、イエスは「神の国に入るには新しく生まれなければならない。」と言われました。が、この時のニコデモには言われている意味がまだ理解できませんでした。
 なぜアリマタヤのヨセフとニコデモはユダヤ人を恐れていたのでしょうか。なぜ公然とイエスの弟子になることができなかったのでしょうか。その理由は、「9:22ユダヤ人たちは既に、イエスをメシヤであると公に言い表す者がいれば、会堂から追放すると決めていた」会堂から追放される。これはユダヤの社会から抹消されると同じことです。だから、アリマタヤのヨセフとニコデモはユダヤ人を恐れていたのです。今まではそうでした。しかし、今回からは違うのです。安息日まで時間がない。アリマタヤのヨセフは、「イエスの遺体を取り降ろしたい」と総督ピラトへ思い切って願い出たのです。いくら身分が高いとはいえ、直ピラトへ願い出るということは「自分がイエスの弟子である」と伝えたのかもしれません。先ほども言いましたように、「イエスをメシヤだと言い表す者は会堂から追放される。」=ユダヤ社会から抹消されるということです。身分の高い議員だからこそ、どれほど勇気がいったでしょうか。リビングバイブルには「勇気を奮い起こし」と書かれています。自分がもう終りかもしれないのに、アリマタヤのヨセフは、総督の前に出たのです。ピラトの許しを得て、急いで亜麻布を買い、イエスの体を引き取ります。

 彼らの何がすごいのでしょうか。マタイによる福音書には、アリマタヤのヨセフは「自分の新しい墓に納めた」と書かれています。

アリマタヤのヨセフは身分の高い議員であり、金持ちであったので、エルサレムに自分の大きな新しい墓を持っていました。もちろん、自分が入るためでしょう。当時のユダヤ人はエルサレムで埋葬するのが人々の夢でありました。それは、メシヤが到来する場所だと思っていたからです。ヨセフは、まだ誰も葬られたことのないこの新しい自分の墓に人々から十字架刑で殺されたイエス様の体を葬ったのです。エルサレムで埋葬されることを誰もが夢としていた。自分が安心して埋葬できる。けれども、ヨセフはイエスの遺体を自分の墓に埋葬したのです。これほど大きな犠牲、献身をささげたのです。

他方、ニコデモが持ってきた没薬と沈香。沈香はアロエで遺体の腐敗を消すための香料と一般的に言われています。イエス様の体に塗った香料の量は、33kgという異常な量です。この量を塗るとは、当時身分の高い者、王であるか、財産豊かな者の葬儀にしばしば行われることでした。ニコデモは、イエス様の体に没薬と沈香を塗り、王の体に塗るようにイエスの体に塗ったのです。12弟子ではなく、この2人がイエスの埋葬に携わったのです。

 ここにいる私たちは、イエス様の十字架の死によって罪赦されています。神の一方的な愛と恵みによるものです。日々の生活において、私たちはイエスの弟子として歩んでいるでしょうか。皆さんは家、学校、職場といった教会以外の場所で、恐れず私はイエス様を信じていると言えていますか。イエス様の弟子であるという行動をとっていますか。イエスキリストを信じている、弟子である。けれども人の目を気にしている、一歩踏み出せない状態の時はないでしょうか。私もあります。言いたくても言えない時、勇気が必要な時、このアリマタヤのヨセフとニコデモを思い出して下さい。

イエスキリストの十字架の死に触れ、アリマタヤのヨセフとニコデモは以前とは異なり新しく生きています。私たちと共におられる主がここに集われている弟子である一人一人を励まし、勇気づけてくださいますので、共に神の家族を築いていきたいともいます。今週も私たちも生活の中で恐れず、信仰もって歩み、日々新しく生きていきたいと思います。

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日曜礼拝(2014年3月9日)

2014-03-14 22:42:33 | Weblog

2014/03/09 受難節 第一主日

  奨励「弟子としての歩み」 マルコ福音書 8:31-9:1

                        ナザレン神学校2年 渡邉洋子

  主の御名を賛美します。

 今日は、イエス様の弟子たちについて、聖書の御言葉に聴いてゆきたいと思います。

ガリラヤでの宣教活動を通して、イエス様と弟子達の間には、温かい関係が生まれました。弟子達は、イエス様のすぐ側で、知恵に満ちた力強い言葉を聞きました。不思議な御業を数多く見てきました。

 イエス様によって多くの人が癒やされました。たくさんの群衆がイエス様の周りに集まってきました。イエス様の行く手は、ガリラヤの春のように輝いて見えた事でしょう。ですから、「あなた方は、私の事を何ものかと思うか」というイエス様の問いかけに、ペテロは迷うことなく答えたのです。「あなたはメシアです」

 今日の箇所のすぐ前のお話です。素晴らしい教えを宣べ伝え、数々の奇跡を行われるイエス様。イエス様は、ローマの軍隊を打ち破り、イスラエルの人々を救って下さるに違いない・・ペテロをはじめ弟子達はそう信じていました。「イエス様の弟子グループは、今は小さな無名の集まりかもしれない。だけど、きっと大きくなって、イスラエル全土にその名前が響き渡るだろう」期待に胸を膨らませていたはずです。

 しかし、イエス様は、ガリラヤでの穏やかな日々に別れを告げ、エルサレムへと旅立とうとしています。 その最初に、イエス様は、この旅の目的がなんであるかを、弟子たちに告げます。それが、31節です。「人の子は必ず多くの苦しみを受け、長老、祭司長、律法学者達から排斥されて殺され、三日の後に復活 する事になっている」 「排斥される」というふうにある所は、「不要品のように投げ捨てられ殺される」という、とても強烈な言葉をイエス様は使っています。長老、祭司長、律法学者達というのは、当時のイスラエルの最高法院(サンヘドリン)の 議員達を指します。現代の日本で言えば、国会議員のようなものです。しかも、長老・祭司長・律法学者達は、宗教的にも権威があります。この人達が、神さまについての事を決めていたのです。その人達に排斥され るというのは、「ナザレのイエスは、神様にとって不要な男、神様にとって有害な男」と権威ある偉い人達からそう判断されて、棄てられ、殺される・・・という意味です。 

 これを聞いたペトロをはじめ弟子達はあまりの意外さに言葉を失います。力強い救世主の姿を弟子達は思い描いていました。不用品のように投げ捨てられる救世主がどこにいるでしょうか。しかし、イエス様は、はっきりと、明言されたのです。32節です。

“しかも、その事をはっきりとお話になった” この“はっきりと”というのは、明確な口調でかつぜつよくお話になら れた・・というのではありません。惨めな死を遂げる・・その事を曖昧にする事なく、包み隠さずに、あからさまに、弟子たちに告げました。

 弟子達の間に動揺が広がります。不安な顔色になる仲間を見ていたペテロは「これはまずい!」と思ったに 違いありません。イエス様を弟子達の所から少し離れた所、脇へと連れてゆきます。このペトロの様子、まるで、なにかやらかした生徒を叱るために、学校の先生が職員室に呼び出すようでもあります。「ちょっと、○○、後 で職員室まで来なさい」と言う姿のようです。実際、この「いさめ始めた」というのは、“叱り始めた”という意味 です。マタイの福音書では、ペテロはこう言ったと書かれています。「そんな事があってはなりません」-“あなた は、私たちが全生活を投げうって従った人です。あなたは力強く勝利をおさめ、イスラエルを救わなくてはなりません。そのあなたが、最高法院のお偉方から否定され棄てられ、殺されてしまうなんて、そんな事、あってはなりません。皆のやる気をなくすようなとんでもない事言わないでください”。

弟子達は、イエス様をいさめるペテロの姿を少し離れた所で聞いています。どうなる事かと耳をそばだてています。その時、びっくりするほど激しい言葉が聞こえてきました。「サタン、引き下がれ」・・この“引き下がれ”は、直訳すると、「私の後ろに回れ」という意味です。「サタン、私の前ではなく、私の後ろに回れ。あなたは、今、神の事を思わず、人間の事を思っている」「神の事を思わず、人間の事を思っている」-これは私たちが度々陥る過ちです。神様の事を思い行動している・・自分ではそのつもりでも、気づかぬうちに「自分に都合のよい神様」を思い描き、自分の思いを神様 の御旨だと思いこむような事を人間はたびたびしいます。イエス様の後に従うのではなくて、イエス様の前に周り、イエス様の進む道を自分が決められるような錯覚に陥ってしまうのです。イエス様は、そのような私たちの姿を 「サタン」と呼びます。 人間の弱さにつけ入り、神様から離そうとするものを、ペトロの中に、そして私たちの中に見ておられるのです。だから、この叱責は、ペトロだけに向けられたものではありませんでした。“弟子達を見ながら”と聖書にある通り です。この「あなたは、神の事を思わず、人間の事を思っている」というのは、イエス様の弟子のふりをしながら、イエス様の前を歩こうとする私たち一人一人に対するイエス様の叱責の声なのです。

イエス様と弟子達から離れた所に大勢の人がいました。群衆は、イエス様の話が何か聞けるだろうか、癒やしの御業を行って頂けるだろうか・・と期待して待っていたのかもしれません。その人々をイエス様はわざわざ、自分の近くに呼び寄せ、弟子と共に次の言葉を仰います。

「わたしの後に従いたい者は、自分を捨て、自分の十字架を背負って、私に従いなさい」この言葉は、群衆 ―イエス様の直接の弟子だけでなく、全ての人に聞かせたい事でした。

いったいどういう意味があるのでしょうか。

 十字架は、現代ではよく見るデザインです。キリスト教の象徴となったせいか、十字架のアクセサリーもたくさんあります。私もクリスチャンになる前から十字架のアクセサリーを持っていました。しかし、古代世界ではそんなのんびりしたものではありません。死刑の道具です。イエス様の時代、イスラエルはローマ帝国に武力で支配されていました。多くの税金が課せられ、民衆は苦しんでいました。これに反対して、多くのユダヤ人がローマ帝国に対して反乱を企て、武力蜂起しました。しかし、成功した者はいません。ことごとくローマ軍に制圧され、蹴散らされました。捕えられた反乱の首謀者達は、民衆の前で、十字架に磔られ殺されました。しかも、彼ら死刑囚達は、十字架の横木を担って刑場まで歩かされたのです。「ローマに逆らった、こんなひどい目にあう」・・見せしめのためでした。横木は大きくて重く40キロはあったと言われ ています。死刑囚は肩に食い込むような十字架の横木を担い、自分が死刑となる場所に向かいます。ローマ兵が鞭で追い立てます。当時のユダヤの人達は、十字架の横木を担っていく惨めで恐ろしい死 刑囚の姿をいやという程見ていました。

 ですから、「十字架を担う」とは、現代の私たちが考えるほどに、抽象的なものではありませんでした。「十字架を担う」とは、「自分は死刑になる程の罪びとと認める」という事にほかならないのです。人間のうち、誰が、好き好んで自分を罪びと、しかも死刑に値するような罪びとだと、自分から認める事が出来るでしょうか。わたしは死刑になるような罪は犯していない、誰でも犯すようなレベルの罪だ、人間なんてそんなものじゃないのか?と思ってしまします。“いくら神様の基準だっていっても、私が死刑って事はない んじゃない?鞭うち位なんじゃないかな”とか“イエス様は私たちの罪の為に十字架にかかった・・って信じ てるけど、それは、人類全員の罪を全部足したものであって、私一人の罪はそんなに大きくはないんじゃないの?”・・と思ってしまいます。

 私自身、イエス・キリストを十字架に釘づけたのは自分である・・と気づかされたから、洗礼を受ける事が出来ました。でも、この箇所が「あなたは十字架刑にかからなくてはならないほどに罪深いものだ」とイエス様から言われているのだと気づいた時、すぐに素直に認める事は出来ませんでした。「いや、違うんじゃないだろうか」と思いました。心の底から、自分の罪は十字架にかからねばならぬほど深い・・と悔い改める事は出来なかったのです。

 おそらく、ペトロや他の弟子達もそうだったでしょう。多くの人が、十字架の言葉に躓き、離れてゆきました。そして、主イエスが十字架にかかった時、一人の弟子も残っていなかった・・と福音書は語っています。イエス様の十字架と復活の出来事の前に、弟子達は、自分の十字架を見つめる事は出来ませんでした。

 では、弟子たちはいつ、どのようにして、自分の十字架を見つめたのでしょうか。弟子達の代表であるペトロについて、考えていきましょう。

 ペトロが自分の十字架を見つめる事が出来た時、 それは、イエス様が十字架にかけられる日の朝が 明ける前、鶏が2度鳴いた後ではないかと私は思います。

ペトロは、イエス様が逮捕される前に、「わたしはたとえ死なねばならなくなっても決してイエス様とは離れません」と誓いました。しかし、イエス様が捕まえられた後に、「あのナザレのイエスの仲間じゃないか」と追求されると怖くなります。そして、イエス様を否定しました。徹底的に3度も否定しました。“呪いの言葉さえ口 にした”と福音書にあります。恐怖にとらえられ、無我夢中で、「そんな奴の事は知らない」と何度も口走 るペトロ。そんなペトロの耳に2度目の鶏の声が聞こえてきました。すると、イエス様が「あなたは、明日、鶏が2度なくまでに三度私の事を知らないという」仰る姿が鮮やかに浮かびあがってきました。その時、ペト ロは自分を包みこむイエス様の眼差しに気づいたのです。そして、自分の罪がいかに深いかを見つめる事ができました。 イエス様の眼差しの中で、深い御声の響きの中、愛の中で、溢れ出る涙にも拘わらず、ペトロは自分の 十字架をはっきりと見つめたのでした。そして、イエス様の言葉の意味を知ったのでした。「自分の十字架を背負って、私に従いなさい」

 わたし達、人間の罪とは何か?それは、イエス様が教えて下さった愛の掟を守れない事だと思います。 「心と精神と思いと力を尽くして神を愛する」、「隣人を自分のように愛する」この二つの掟を、人間は自然に守る事が出来ません。この世は、差別や貧困や暴力が満ちている不条理な世界です。病や事故、 困難・・様々な試練の中に立たされた時、私たちはこの掟を守る事はできません。

あなたは敵を愛せるか?-愛せません。愛せません。わたしの中にはそのような愛はありません。敵どころ か、自分の人生をかけて従って行こうとしたイエス様をペトロは見捨てたのです。あぁ、わたしの中には愛はなかった。イエス様の中にしか愛はなかった・・ペトロは、それを、十字架の朝が明ける前、暗い闇が覆う エルサレムの片隅で思い知ったのです。

 私たちもペトロ以上の者ではありません。イエス様の眼差しの中、イエス様の御声の響く所、イエス様の愛の中でのみ、自分の十字架を見つめ、自分を捨てて、十字架を担う力が与えられるのです。そして、イエス様の愛にとどまってこそ、気づくのです。自分の傍らにあるのは、実はイエス様の十字架であり、私自身の罪を贖う十字架はどこにあるのか、それは、前を行くイエス様が担っていて下さる・・と。

 イエス様の中にしか、愛はありません。ですが、「人間には出来ないからそれでいい」とイエス様は仰いません。イエス様の十字架を担い、後ろを従いゆく事で、愛の掟を守る細い道を歩む事を教えて下さる・・とそうおっしゃいます。

 34節から37節 “自分の命を救いたいと思う者は、それを失うが、私のため、また福音のために命を失う者はそれを救うのである。 “人は、たとえ全世界を手に入れても、自分の命を失ったら、何の得があろう か。自分の命を買い戻すのにどんな対価を支払えようか” ここで4回出てくる“命”という言葉。この単語にはもともと“息”という意味があります。創世記2:7にこうあり ます。「主なる神は、土の塵で人を形つくり、その鼻に命の息をふきいれた」。ですから、ここの「命」とは、私たちを生かす神の息吹きを意味しています。神の息吹きを吹きいれられた私たちは、全世界の財産を 集めても買い戻す事が出来ないほど、貴重な一人一人だ・・とイエス様は言っています。そんな私たちの命、神の息吹きは、イエス様のため、福音の為に使われた時に初めて本来の意味を取り戻す事が出来 るのです。自分勝手に自分の為に生きるのではなく、神のため、自分のため、そして隣人の為に心を尽くして生きなさい。その時こそ、本当に生かされた命―イエス様の弟子になるのだと優しく仰います。

 それは、信仰の先輩方が証されるように、確実な事です。早いもので青葉台教会でお世話になった一年が終わろうとしています。楽しいことがいっぱいあって感謝の一年でした。一番心に残った事、それは、梶原眞兄弟の“感謝の集い”と告別式でした。私は直接梶原眞兄弟との面識はありません。しかし、感謝の会や告別式で、イエス・キリストの弟子としての歩みを見せて頂いたように思います。その梶原兄弟の前夜式―感謝の会に謳われた愛唱聖歌に「キリストには 代えられません」という讃美歌があります。 「人間的な地位や名誉や称賛も、この世のなにものもキリストには代えられない」という讃美歌に、励まされ、梶原真兄弟は、この世の日々を歩み続けてこられたのだなぁとイエス様に感 謝しました。イエス・キリストの愛に包まれて、イエス・キリストの愛に応えて生きる事に徹底したい・・そのような者とさせてください・・そんな祈りを胸に弟子として歩んだ、歩まれている方達が、教会にはいるのです。

 弟子としての歩みに徹する、それは簡単にできる事ではありません。しかし、イエス・キリストが共にあって下さるのです。私たちがイエス様の後をついて行きたいと願えば、必ずできるようにしてくださいます。

 受難節が始まりました。主イエス・キリストの十字架への旅が始まりました。砂時計の砂が落ちるように、一刻一刻と「その時」が近づいています。私たちのため、全ての人間の罪を贖う為の惨めで孤独な死の時が迫っています。受難節の今こそ、主の十字架で表された神の愛を思いましょう。自分の思いを主に明け渡し、先を歩むイエス様の背中をひたすら見つめていきましょう。イエス様の足音に耳を澄ましていきましょう。必ず、イエス様が私たちの歩みを導き、豊かな者としてくださいます。今日がどんなに暗くとも、キリストの福音は光輝きます。さぁ、出て行きましょう。神の愛のうちに、イエス・キリストの弟子として歩んでまいりましょう

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日曜礼拝(2014年3月2日)

2014-03-02 23:00:21 | Weblog

         日曜礼拝(公現後第八)      2014.3.2

問題を越えた神の世界」 創世記32:23~33

 

 Ⅰ導入部

おはようございます。3月第一日曜日になりました。2月のひと月も神様の守りと導きの中にありました。2回の大雪のために礼拝に出席できなかった方々もたくさんおられました。今日は、こうして共に集い、礼拝をささげることのできる恵みを感謝します。

2月はソチでの冬季オリンピックで盛り上がりましたね。日本人選手はがんばりました。多くの感動を与えてくれました。フィギアスケート男子の羽生君は歴代最高点をとるなど、あのプレッシャーの中でみごと金メダルを取りました。宮城県出身の彼は、特に被災地の方々に大きな励ましを与えたと思います。

また、レジェンド葛西選手、年齢的にはオリンピックには出ることも大変という状況で、20代を中心とする選手の中で、40代の彼が見事銀メダルを取りました。また、10代の2人も銀と銅をとりましたね。

しかし、一番感動を与えたのはフィギアスケート女子の浅田真央選手だったと思います。金メダルも、銀メダルも、銅メダルも取れませんでした。けれども、日本中に、いや世界中に感動を与えてくれたのだと思います。ショートで、まさかの16位、日本中が沈んだ状況になりました。本人は、誰よりも自分の状況を強く感じていたはずです。次の日の、フリーでは、日本中が世界中が浅田真央選手の演技に注目しました。最初のジャンプで見事成功、みんな胸をなでおろしたのではないでしょうか。その後は、全てのジャンプも完璧で、その表情やその他の演技もとてもよかった。そして、自分自身の自己最高得点を取りました。地獄から天国へと言いましょうか。苦しみと悲しみの中から自分のスケート人生の全てを出し切った演技でした。オリンピックとしては、メダルを取れなかったので残念な結果でした。けれども、浅田真央選手のスケート人生にとっては、金メダルでした。

 メダルを取ってよかったでは終わってしまう感動ではなくて、絶体絶命、もうだめだという状況で、自分が今まで行ってきたスケート人生の集大成で、最高の演技をすることができた。まさしく、それが金メダルでした。

 人生には、苦しいことも悲しいこともあります。間違いないと言われていたのに、失敗したり、倒れたりすることがあります。でも、大丈夫。私たちには、私たちを愛するが故に、ご自分の命を差し出し、その血を流されたイエス様が共におられます。十字架で死なれたお方は、よみがえられて勝利されたのです。私たちの人生も、浅田真央選手ではありまあせんが。成功しなくても、がんばれなくても、結果が出せなくても、問題があり、悲しみや痛みがあっても、そのままでは終わらない人生、イエス様にある勝利の人生があることを覚えたいと思うのです。

 今日は、創世記32章23節から32節を通して、「問題を越えた神の世界」と題して、お話ししたいと思います。

 Ⅱ本論部

 一、あなたには赦しが必要です

ヤコブは、その出産の時、「その手がエサウのかかと(アケブ)をつかんでいたので、ヤコブと名付けた。」(25:26)とあるように、 ヤコブの名前の由来は、彼が兄のかかとをつかんでいたから、かかと(ヤコブ)と名付けられたのでした。兄を押しのけようとした、それがヤコブでした。ですから、ヤコブは押しのけるの意味もあるようです。

 そのヤコブは、兄の空腹をよいことに、エサウから長子の特権を奪いました。また、父イサクから兄エサウに変装して、アブラハム、イサクと続く長男の祝福を自分のものとしてしまったのです。ですから、兄エサウは父イサクが死んだら、ヤコブを暗殺しようと考えますが、その事が母リベカに知られ、ヤコブは母リベカの兄、ヤコブのおじさんに当たるラバンの所に身を寄せます。そこで20年間仕えることになります。

そして、そこでラバンの娘のレアとラケルを嫁とするのですが、ヤコブは姉のレアよりも妹のラケル愛していたので、神様はレアを顧み4人の子どもが与えられます。ラケルは自分には子どもができないので、自分の召使いビルハを側女として、2人の男の子が与えられました。レアも負けてはいません。自分の召使いジルパをヤコブに側女として与え2人の男の子が与えらました。その後、レアはまた2人の男の子を産みます。そして、神はラケルを顧み、2人の男の子を与えました。ヤコブには12人の男の子が与えられます。

 多くの子どもや財産が与えられ、おじのラバンとの関係も悪くなり、神様はヤコブに自分の故郷に帰るように語られました。そして、ヤコブは自分の故郷に帰ることにしたのです。故郷から遠く離れている時は、兄エサウのことを考える暇はありませんでしたが、いざ故郷に帰るとなると、兄エサウのことがとても気になりました。兄を押しのけ、兄から長子の権利を奪い、祝福をだまし取り、兄エサウから恨まれていることをひしひしと感じていたのです。20年も前の事だから、忘れたというようなことは絶対にない。あの時の恨みが熟成して、もう大変な恨みとなり、兄は自分の命を狙うに違いないと、ヤコブは兄エサウを恐れたのです。20年たって、その事が思い起こされました。

 神様はヤコブのその問題を解決されようとするのです。同じように、私たちにも弱さや失敗や罪があります。そのことを解決せずに放置してしまっていることはないでしょうか。

それは自然に時が経てば、消えてしまうもの、なくなってしまうものではありません。赦しが絶対に必要なのです。そして、それは自分の努力や力では解決できないのです。神様はそのように放置している罪の問題や失敗、弱さに解決を与えて下さるのです。

 イエス様の十字架と復活は、私たちの罪の全ての問題に解決を与えて下さいます。私たちの罪は、イエス様の十字架と復活ですでに解決されているのですから、ただ神様にごめんなさい。ありがとうございますと祈ればいいのです。もうすでに赦されていることを自覚し、感謝すればいいのです。あなたはもう、救われているのです。安心して下さい。

 

二、主の前にひとり立つ

 恐れ、旅を続けているヤコブに神の御使いが現れて励まします。けれども、ヤコブは神様の励ましだけでは満足がいかず、自分の思いで、自分の考えでエサウの心をなだめるために画策するのです。エサウが400人のお供を連れてヤコブを迎えるために準備していると聞いて、ヤコブは非常に恐れ悩みます。そして、財産や人を二組に分けます。攻撃されても1組は助かると言う考えでした。あくまでも、兄エサウが攻撃してくると言う前提でのことです。そして、神様に祈るのです。神様が今まで導いて下さったこと、多くの恵みをいただいたこと、そして神様の祝福の約束を確認したのです。

 ヤコブは兄エサウのために、多くの贈り物を準備します。贈り物を3つに分け、エサウの心を静め、自分のことを許してもらおうと計画するのでした。

 23節には、家族全員ヤボクの渡しを渡らせます。けれども、ヤコブはひとり残りました。心配で、心配でたまらなかったのでしょう。兄エサウに会う事が恐ろしく何をしても満足できなかったのです。恐れで満たされたのです。このひとりになったということが、神様に取り扱われることになるのです。

 私たちは、神様を信じる者として、ひとりでディボーションを持つ、聖書を読み祈ると言うことが大切な事がわかります。そこで、私たちは神の言葉と聖霊によって取り扱われるのです。

 25節を共に読みましょう。「ヤコブは独り後に残った。そのとき、何者かが夜明けまでヤコブと格闘した。」 何者かというのは、神様の使いでしょう。ですから、神の代理、神ご自身と言ってもいいかも知れません。神様はヤコブに格闘を求めたのです。日本的に言うならば、相撲をとったでしょうか。今日の説教題は、「決まり手、腿(もも)の関節はずし」というのがいいかも知れません。

 なかなか勝負がつかなくて、ややヤコブが優勢になったようです。だから、ヤコブの腿の関節を打ったので関節がはずれたのです。反則ですね。反則技を使ったわけですが、ヤコブはしがみついていたのでしょう。神の使いは言います。

 27節を共に読みましょう。「「もう去らせてくれ。夜が明けてしまうから」とその人は言ったが、ヤコブは答えた。「いいえ、祝福してくださるまでは離しません。」

 ヤコブは兄エサウに会う前日で必死でした。なんとしても神様の祝福、その祝福の約束がほしかったのです。

 神様は、ヤコブが生まれる前からヤコブを選び、兄エサウの上に立てられました。そして、彼に何度も現れ祝福を約束されました。でも、やはり、今一番神の励ましが必要な時、兄エサウとの会見の前にこそ祝福がほしかったのです。

 私たちも、日々いろいろな問題が起こります。けれども、神様はみ言葉と聖霊により私たちをいつでも励まし、支えて下さるのです。日々、み言葉に触れ続け、聖霊の助けをいただきたいと思うのです。

 

 三、勝利者とされる

 「いいえ、祝福してくださるまでは離しません。」というヤコブの必死な思い、その熱心さに神の使いは語ります。28節、29節を共に読みましょう。「「お前の名は何というのか」とその人が尋ね、「ヤコブです」と答えると、その人は言った。「お前の名はもうヤコブではなく、これからはイスラエルと呼ばれる。お前は神と人と闘って勝ったからだ。」

 ヤコブとは、かかとをつかむ、押しのける者の意味がありました。自分の思いを達成するためには、手段を選ばない。自分の思いを、欲を押し通す者、その通りに生きて来たヤコブでしたが、神の使いはヤコブ、押しのける者ではなく、イスラエル、神は争われる、の意味があるようですが、リビングバイブルには、神と戦い、強さを示したとイスラエルを訳しています。

 神様は、兄エサウと会う事を恐れ、悩んでいるヤコブと争い、押しのける者という名前を通りに突っ走って来た彼に、イスラエルと言う名前を与えたのです。

 彼が、努力して、真面目になって、整えられた者になったから、あなたの名前はイスラエルと言ったのではなくて、今も押しのける者という名前の通りの彼、神様の励ましの言葉があっても、そのことだけでは安心できないで、いろいろと人間的な画策を推し進めるヤコブを見捨てるのでもなく、叱責するのでもなく、神様の方から彼を励まし、支え、イスラエルであると宣言されたのです。

 自我に死にきれていないヤコブの腿のつがいを神の使いは打ちました。ヤコブ自身の自我を打ち砕いたということでしょうか。兄エサウに会う前に、自分の力や考えや策略ではどうにもならないことヤコブは知っていたのです。

 「これからはイスラエルと呼ばれる。お前は神と人と闘って勝ったからだ。」とありますが、ヤコブが神に勝って、ヤコブの自我が神に勝ったと言う意味ではなく、むしろ、ヤコブ自身が砕かれることによって、神が勝利し、神が勝利することにより、ヤコブが霊的な勝利を得たということだと思うのです。

 「いいえ、祝福してくださるまでは離しません。」とヤコブは、神様のみに信頼したのです。この格闘によって、ヤコブはイスラエルとなったのです。それは、ただ名前が変わったということではなく、ヤコブ自身の生き方が、根本的に変わった瞬間だったのです。

 私たちも、ヤコブに劣らず自我の強い者、自己中心な者です。しかし、そんな者を駄目だと見捨てるのでもなく、切り捨てるのでもなく、イエス様の十字架と復活の故に、私たちの罪と自我を十字架で処理し、きよめ、私たちがイエス様にあって、生き方を変えて下さったのです。

 

 Ⅲ結論部

 私たちは、ヤコブと同じように恐れや不安があります。生きていく中でいろいろな辛い経験をします。それを神様はご存知です。いつ誰に会うのか。どんな事をしなければならないのか。神様は全て御存じなのです。そして、私たちが心配する以上に神様は私たちのことを思い、愛していて下さるのです。だから、何も心配いりません。ヤコブの名前と共に、彼の信仰も生き方も造り変えて下さった神様が、私たちの人生にも責任を持っていて下さるのです。

 あの浅田真央選手が、どん底からはい上がって自己最高の演技をしたように、倒れても、転んでも、失敗しても、罪を犯しても、問題があっても、私たちを支え、励まし、最高の生き方、イエス様のある信仰生活に導いて下さるのです。その世界を私たちは生きるのです。

 大丈夫。私があなたといつも共にいる。あなたを支え励ます。そう言って私たちを強めて下さるイエス様と共に、この週も歩んでまいりましょう。

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