超級龍熱

香港功夫映画と共に

今日は“世紀の闘神”ブルース・リーの43回目の命日です。

2016-07-20 11:27:11 | 闘神伝説~李小龍
さて、今年もこの日がやって来ました。43回目の7月20日です。
ここ一週間、我が「超級龍熱」では「2016~李小龍追悼WEEK特別企画」と題して3つの特別企画をお届けして来ました。
その第1弾が78版「死亡遊戯」の日本人出演者であるA氏への直撃インタビュー、第2弾が“死の宮殿”の番人ルイスことロイ・ホラン教授への独占インタビューにより明かされた「死亡の塔」最後の真実、そして第3弾が私こと龍熱の「活字死亡遊戯」の集大成である「死亡遊戯之旅・最終章~ラフカット96分の真実」です。
改めて私と殆ど面識のなかったA氏、そして全く面識のないホラン教授がよくぞこのような素晴らしく内容が充実したインタビューに応じて下さった、と只々感謝の一言です。
もしかしたらお2人ともが私こと龍熱の「死亡遊戯」と「死亡の塔」に対する飽くなき探求心と情熱を肌で感じ取ってくれたからこそのインタビュー快諾だったとしたら、私自身これほど嬉しい事はありません。
特にホラン教授の独占インタビューは、ホラン教授とのインタビュー交渉、インタビューの質問内容の作成、ホラン教授からのインタビュー回答の英文翻訳、ホラン教授とのインタビュー内容の細かい確認など全ての作業を私1人で行いました。勿論ホラン教授との会話は全て英語のみでした。
恐らく日本人でここまで「死亡の塔」という作品の謎に包まれた真実をひたすら追い求め、そして最終的な“究極の真実”に辿り着く事が出来た人間は私1人でしょう。
そしてそれも「死亡の塔」と「死亡遊戯」という長年に渡って私たちリーさん信者の“夢と希望”を繋ぎ続けてくれた2作品の検証作業に快く手を差し伸べてくれたA氏とホラン教授のおかげです。本当にありがとうございます(^_^)。

今この瞬間、世界中の何処かで多くのリーさん信者たちが“世紀の闘神”への追悼の意を表している事でしょう。
そして我が「超級龍熱」も、こうして私なりの、私だけにしか出来ない形でリーさんに対する追悼特別企画を最後までやり遂げる事が出来た事に深い達成感と幸せを感じると同時に、今回の一週間に渡る「2016~李小龍追悼WEEK特別企画」を最後まで読んで下さった皆さんに心から感謝します。皆さん、本当にありがとうございました。
さあ、皆さん、どうか最後にご唱和下さい。心からの親愛と敬意を込めてご唱和頂ければ幸いです。誠意献給一代巨星、李小龍!!

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「死亡遊戯之旅・最終章~ラフカット96分の真実」 ⑤ 2001~Present

2016-07-20 10:58:52 | 闘神伝説~李小龍
ここまで「死亡遊戯」の約96分間のラフカットの約30年以上に渡る道程を検証して来ましたが、その「死亡遊戯之旅・最終章~ラフカット96分の真実」の大結局となる今回は、いよいよラフカットを巡る検証の舞台が日本へと移ります。
私が「死亡遊戯」の(ほぼ)全てのテイクをテイク順に並べた映像、要するにラフカットの存在を知ったのは、皆さんと同じく「BRUCE LEE in G.O.D/死亡的遊戯」公開前の1998年7月に香港で開催された「ラフカット上映会」ツアーの前後だったと思います。
この98年7月と00年3月の2度に渡って開催された香港上映会ツアーは、私も行きたかったのですが、当時は後に私の代表著作となる「香港功夫映画激闘史」の準備、及び執筆作業に入っていたり等の諸事情でどうしても行く事が出来ませんでした。
ただ「~激闘史」の執筆の過程で、担当編集者に「この本の取材も兼ねて上映会に行く事は出来ないか?」と打診した記憶がありますが、残念ながら担当編集者からは色良い返事は貰えませんでした。
それでも上映会から帰国した友人たちが一様に興奮した様子で上映会の詳細を報告してくれる中で「いや~龍熱さんが「ブルース・リーと101匹ドラゴン大行進!」の「闇の中に誰も知らない「死亡遊戯」を観た!」で考察している展開と全く同じでした!やっぱり龍熱さんは凄いです!」と多くの賞賛の言葉を贈ってくれた事はとても嬉しく思いました。
そして「~死亡的遊戯」が劇場で公開され、全国のリーさん信者にこれまで誰も観た事が無い“幻の40分間の塔内ファイト”に衝撃と感動を与えた事で、改めて“世紀の闘神”李小龍と「死亡遊戯」が再評価された事は私も本当に万感迫る思いでした。
でも私の心の片隅にはどうしても心残りだった事、不完全燃焼のままの事柄がありました。そう、この「~死亡的遊戯」制作の元素材となったラフカットの存在です。
確かに「~死亡的遊戯」の約40分の塔内ファイトは素晴らしかった。私の想像を超えるほどのインパクトでした。それでも、その元素材となったラフカットを観ない事には、私にとっての“死亡遊戯探しの旅”は終わるに終われない!との強い思いがあったのです。
ただその“死亡遊戯探しの旅”の終着駅となるラフカットの入手は、香港功夫映画映像コレクターとして30年以上のキャリアを誇る私にとっても想像を絶するハードルの高さでした。
まず当たり前ですが、ラフカットが市販されている映像ソフトではない事。さらに作品を制作する過程で関係者が編集作業に使用する映像素材のため、外部に出回る事が無いアイテムである事、などがその理由でした。
それまで自分が追い求めるクンフー映画の映像はどんなにレアな作品でも必ず入手して来た私でしたが、ラフカット探索の過程では「これはちょっと厳しいかな」と心が折れそうになった事も正直ありました。
しかしそんな袋小路状態の私の周りで奇跡が起きました。それは私と同じくリーさんこと李小龍を心から愛する友人の好意、つまり熱き友情が生んだ奇跡だったのです。
ここで私に「死亡遊戯」の96分間のラフカットを譲ってくれた友人の名前を明かす事はどうかご容赦頂きたいと思います。
その友人を仮にA君としますが、そのA君からはまず約40分の塔内ファイトを粗編集した映像を収めたテープ(まだDVD素材ではなくVHSの時代でした)が来ました。
この粗編集した塔内ファイトは「~死亡的遊戯」の制作関係者が試験的に編集した映像のようで、リーさんがイノサントの首をヌンチャクで締めるフィニッシュが何故か2テイク並べて入っていたり、エンディング・ロールでは公開版とは違うNGテイクが使用されていました。
そして忘れもしない“あの日”がとうとうやって来たのです!!!
その日、私は待ちに待ったVHSが手許に届くと、そのVHSを荒々しくビデオデッキに押し込み・・・そのまま時が経つのを忘れたかのようにジッと画面に見入っていました。
何度も何度も納得するまでテイクを繰り返し撮るリーさん。撮影合間にスタッフと笑顔で談笑するリーさん。どうしても納得するアクションが出来ずに自分に対して怒りをぶつけるリーさん。相手がミスをしても、それを明るく励ますリーさん。
塔内セットで映し出されるこれら96分間の映像全てがまるで夢のような風景として私の目に次々と飛び込んで来ました・・・!!
その時の私は目の前で自分が観たくて観たくて観たくて堪らなかった「死亡遊戯」の(ほぼ)全てが映し出される中、まだ十代だった自分がBFCの会報に「死亡遊戯」のノベライズを夢中で書いていた頃、2台のビデオデッキを並べて「死亡遊戯」の市販VHSを駆使して何度も何度もダビングを繰り返しながら、限られた情報だけを頼りに“本当の死亡遊戯”を懸命に模索していた二十代の頃を走馬灯のように思い出していました。
そしてそんな「死亡遊戯」に全ての情熱を注ぎ込んでいた“龍熱少年”の時代にタイムスリップした私の部屋の窓の外からは、燃えるような真っ赤な夕日が私の部屋に優しく、そして力強く差し込んでいたのを今でもハッキリと覚えています。
それこそ30年前の私には、私の大好きな「死亡遊戯」の塔内ファイトの映像を自宅で何時でも好きな時に繰り返し観れる時代が本当に来るとは全く想像も出来ませんでした。
もしもこの世の中に“奇跡”があるとしたら、これこそが真の意味での“奇跡”でしょう。
1972年に香港で李小龍によって生み出された「死亡遊戯」の映像は、西本正氏、林正英、洪金寶、ラッセル・カウソン、ベイ・ローガン、ウォルト・ミシンガム、ジョン・リトル、アートポートなど多くの人間の間を巡り巡った果てに、遂に私たち日本の李小龍信者の許に辿り着きました。
繰り返しになりますが、ラフカットが日本に上陸するまでの約30年間の年月の間には幾つもの信じられないような“奇跡”が起きた事で、この“世界遺産的映像素材”が現在まで生き残る事が出来ました。
それは李小龍が急逝した後、嘉禾影業が未完成状態の「死亡遊戯」を完成させる事を最後まで諦めなかった“奇跡”であり、78版「死亡遊戯」が完成した後もラフカットが破棄処分されなかった“奇跡”であり、人知れずメディア・アジアに譲渡されたベータカム・テープに収められたラフカットを再生してみようと試みた人間がいた“奇跡”でした。
それは「死亡遊戯」の制作半ばで天国に旅立たねばならなかった李小龍の深い無念さと強い執念がまるでラフカットに乗り移ったかのような凄まじい生命力という名の“猛龍魂”だったのかも知れません。
そして私の部屋のテープラックに「死亡遊戯ラフカット(96分)」とラベルに書き記されたVHSが納まった事で、私こと龍熱の長きに渡った“死亡遊戯探しの旅”は静かに幕を降ろす事となったのでした。
ところが・・・!?

07年7月。私は都内は六本木で開催されたIUMAのイベント会場にいました。会場での私はゲストとして来日したシャノン・リーとベニー・ユキーデの話をしたり、中村頼永さんと対面を果たしたりと楽しい一時を過ごしていました、
そんな私の横を香港影星で大のリーさん信者のスティーブン・アウこと歐錦棠さんが通りかかり、私はアウさんとは以前にリーさん信者の飲み会で面識があった事もあり、自然とお互いに立ち話になりました。ところが、挨拶もそこそこにアウさんがその場で私に向かって英語で口にした言葉に私は思わず息を呑みました!!

アウさん「I finally found Game of Death missing footages!!」
龍熱「What footages?You mean missing log fight scenes?」
アウさん「Yes log fight scenes.Very good condition!!」
龍熱「Really!? I thought they are lost.How long are they!?」
アウさん「Not so long.Maybe around 10 minutes?」
龍熱「10 minutes....include out-takes right?」
アウさん「Yes include out-takes.Inosanto vs Gai Yuen with log!!」
龍熱「Wow....that`s really great news!!」

アウさんと挨拶を交わし別れてからの私はその後にイベントが終了し、帰途に着くまで周りの友人たちの声が殆ど耳に入らない状態でした。「そうか、そうだったのか!96分のラフカットは78版「死亡遊戯」で編集に使用された後に残っていた編集素材だったんだ。そのラフカットとは別に既に破棄されたと思われていた「死亡遊戯」の丸太戦も含めた完全なマスタープリントがメディア・アジアからフォーチュン・スターに譲渡された映像ライブラリーにシッカリと保管されていたんだ!」
そう、終わったと思っていた私の“死亡遊戯探しの旅”は終わってはいないどころか、まだほんの“旅の途中”だったのです。
それはまるで五重塔での最後の試練である“闇の番人”を倒した主人公ハイ・ティエンが1度は階段を下り地上に降りるも、再び意を決して塔の最上階に隠された“秘宝”を追い求めて五重塔の階段を頂点目指し駆け上がる、まさに終わりなき“エンドレス・デスゲーム”。
さあ、私と一緒にここまで「死亡遊戯之旅・最終章~ラフカット96分の真実」という名の“エンドレス・デスゲーム”を旅して来た皆さん。
何時の日か必ず、今度こそ本当の意味での最強最後の“知識を探求する人間物語”の到達点である「死亡遊戯之旅・最終章~マスタープリント108分の真実」でもう1度お会いしましょう!!
そう、私たちはまだ本当の“死亡遊戯”を知らない!We don`t know the ultimate truth of Game of Death yet !!

最後になりましたが、今回の特集では古山宏明さんに「死亡遊戯特輯」の公開時期、Masa Tanakaさんに「死亡遊戯」ラフカット上映会の開催時期の情報を提供して頂きました。
お2人のご協力に厚く感謝します。ありがとうございました。
コメント (2)
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