永野宏三のデザイン館&童画館  アート日和のできごと

イスラエル国立美術館、ミュンヘン国立応用美術館、国立国会図書館、武蔵野美術大学美術館図書館他に永野宏三の主な作品が収蔵。

無くなってしまう。

2008-05-29 09:14:30 | 日記・エッセイ・コラム
歯医者さんに行く道すがら近所の商店街(商店街という名前すら風化していくようなご時勢だが)を歩いていたら、あれっ、ついこの前まであった本屋さんが店終いしていた。その本屋さんは15坪もほどの小さなお店だったのだが、僕は結構便利に利用していた。時間を持て余していた時などは暇つぶしに文庫本や紀行本などを、ちょいと購入していた。閉じたシャッターには「30年間のご愛顧を誠にありがとうございました。この度は…」と閉店挨拶の貼紙がしてあった。その商店街には歴史を持った市場もあつたのだが、ほとんど歯抜け状態。現在僅か4店舗しか営業していない。僕が好きだったケーキ屋の真珠堂も去年閉店してしまった。町からお店が無くなっていく分岐点は20年前のバブルだつたような気がする。今に至って商売の形態が変り、大型スーパーマーケットが、いわゆるマニュアル化した形態になってしまつた。平成の時代になって、町の形態がすっかり変ってしまつて、昭和の時代の人情みたいなものが無くなったような気がする。世代交代もあるのだろうが、人情の心意気みたいなものまで変ることはないと思うのだが。無くなったものと言えば、御用聞き。ソロバン。屋根の甍。半ドンなど。生活の場面に心の繋ぎとしての親密な形態が無くなってしまったような気がする。僕は絵を描くので、紙の上にそれらを残していく。そうそうある歴史本を読んでいたら、江戸末期幕末時代の日本は世の中が大不況だったそうだ。その時代の30年前からの不況だつたそうで、町からは大衆の芸能や商いの場は閑散状態だったそうである。特に大阪の街はかなりの不況だったそうで、あらゆるコネを使ってでも江戸へ行きたがる人が多かったそうだ(庶民は居住地を変えることは時代としては不可能だつたと思われる)。そこに、アメリカやイギリスなどの国が開国を求めてくるし、国自体がてんやわんやの政治状況だったことが伺える。何だか今の不安定な日本に似ているような気がする。