永野宏三のデザイン館&童画館  アート日和のできごと

イスラエル国立美術館、ミュンヘン国立応用美術館、国立国会図書館、武蔵野美術大学美術館図書館他に永野宏三の主な作品が収蔵。

大里宿の人。

2008-05-31 11:18:06 | 日記・エッセイ・コラム
梅雨入りだが天気がいいので、門司駅北の大里宿を散歩する。街道沿いの宿の歴史を解説した記念碑を読んでいたら、地元の方70歳くらいの男性から声をかけられる。「歴史を勉強しているんかね」。「ああ、この町のことに興味があったので」と僕。僕と同じ名前の“永野脇本陣跡”の前でその方と親しく会話することになった。気さくな方である。「このあたりに最近グループで宿めぐりする人がふえてきたんよ。何か宿のガイドみたいな人が説明するんやけど、この町には地のことを知り尽したお年寄りがいるけん、その人たちに聞けばいいもんやけどね」。「代々、江戸時代からの末裔の人も何人か居るよ」。「ワシが子どもの頃、サッポロビール工場横には海岸砂浜近くまでビールの大麦がいっぱい植えてあつたよ。夏なんか、そこから海に行きよったけ」。「今じゃナントカ赤煉瓦プレイスとか町を作りかえよるけど、俺の町はこんな町じゃないもんね」と言う。「あんた、どこから来たんね」。「はい、馬寄から来ました」。「ああ、あそこは田舎やつたもんね。なんもなか、原野だったけん。鉄道学校やら門鉄官舎ができたけん人が増えた町。ここはその昔から町やけん」と、自慢する風に話す。なるほど、この町に住んでいる人の言葉だ。「俺はこの歳やけど、この町でまだ若い方よ。俺にこの町のことをを聞いてくれんね。俺、この町のこと知っとんけん」。ほんとうにこの町が好きだという人の言葉が次から次に出てくる。こんな方がもっと表に出て町の自慢話しをしてくれたら、ほんとうの活きた街づくりにつながると思う。えんえんとお話を聞いて帰りについた。


フラワーチルドレン。

2008-05-30 16:08:25 | 日記・エッセイ・コラム
梅雨入りで湿気を感じはじめた。ムシムシして嫌な気分になってきたので、気分転換に昔、友人のDr.SCOOPからもらったCDを聴く。ヴェンチャーズの“10番街の殺人”。スコット・マッケンジーの“花のサンフランシスコ”。ショッキンク・ブルーの“ヴィーナス”などが入った懐かしいポップスだ。60年代の曲ばかりで懐かしさもあってか、ロックほどいかないゆっくりしたビートに気分が晴れる。特に“花のサンフランシスコ”は当時、ヒッピー文化が台頭してきたころの曲だ。当時、アメリカのイラストレーターのピーター・マックスも花をあしらったポップな絵を描いていた。いわゆるフラワーチルドレン文化が西海岸を中心に、ベトナム戦争で閉塞感を感じていたアメリカの若い世代が音楽や絵でアンチアメリカを唱えていたころだ。


無くなってしまう。

2008-05-29 09:14:30 | 日記・エッセイ・コラム
歯医者さんに行く道すがら近所の商店街(商店街という名前すら風化していくようなご時勢だが)を歩いていたら、あれっ、ついこの前まであった本屋さんが店終いしていた。その本屋さんは15坪もほどの小さなお店だったのだが、僕は結構便利に利用していた。時間を持て余していた時などは暇つぶしに文庫本や紀行本などを、ちょいと購入していた。閉じたシャッターには「30年間のご愛顧を誠にありがとうございました。この度は…」と閉店挨拶の貼紙がしてあった。その商店街には歴史を持った市場もあつたのだが、ほとんど歯抜け状態。現在僅か4店舗しか営業していない。僕が好きだったケーキ屋の真珠堂も去年閉店してしまった。町からお店が無くなっていく分岐点は20年前のバブルだつたような気がする。今に至って商売の形態が変り、大型スーパーマーケットが、いわゆるマニュアル化した形態になってしまつた。平成の時代になって、町の形態がすっかり変ってしまつて、昭和の時代の人情みたいなものが無くなったような気がする。世代交代もあるのだろうが、人情の心意気みたいなものまで変ることはないと思うのだが。無くなったものと言えば、御用聞き。ソロバン。屋根の甍。半ドンなど。生活の場面に心の繋ぎとしての親密な形態が無くなってしまったような気がする。僕は絵を描くので、紙の上にそれらを残していく。そうそうある歴史本を読んでいたら、江戸末期幕末時代の日本は世の中が大不況だったそうだ。その時代の30年前からの不況だつたそうで、町からは大衆の芸能や商いの場は閑散状態だったそうである。特に大阪の街はかなりの不況だったそうで、あらゆるコネを使ってでも江戸へ行きたがる人が多かったそうだ(庶民は居住地を変えることは時代としては不可能だつたと思われる)。そこに、アメリカやイギリスなどの国が開国を求めてくるし、国自体がてんやわんやの政治状況だったことが伺える。何だか今の不安定な日本に似ているような気がする。


話し。歯無し。

2008-05-27 13:48:53 | 日記・エッセイ・コラム
傷んでいた奥歯を抜く。以前通っていた病院を変えて新しく違う病院にお世話になる。精密調べてもらったら、歯茎から口の土台までが傷んでいたそうだ。歯と口全体の治療が必要なのだそうだ。僕は歯はちゃんと磨くのだが歯磨きの仕方そのものがが子どものころからヘタで、結果的に奥歯がガタガタだ。僕の母親は98歳になるが虫歯が一本もない。母はいわゆる間食(菓子類をいっさい口にしない)をしない。朝昼晩丁寧に歯磨きをする。長い人生上での努力のたまものである。その息子はあまりにも情けない。この歳?になって反省しても遅い。せめて残っている歯を大事にするしかない。


つい、ひとむかし。

2008-05-26 14:05:02 | 日記・エッセイ・コラム
このところ整理していない新聞、一週間分を改めて読む。日常生活の2日前くらいの行動はだいたい憶えているが、3、4日前となると何をしていたかといえば、とっさには思い浮かばない。まして新聞となると2日前の記事を読みかえしてみると、えっ、この記事は随分前のことだったような気がすることは度々だ。大相撲5月場所もついこの前に始まったと思っていたのだが、昨日がもう千秋楽だ。ましてや、新聞記事はい事件やいろんな情報の2、3日前のできごとが随分昔のことの報道だったと思うことがある。人と会ってもついこの間に会ったと思っていたのが、何ヶ月前だったりする。凄いスピードで過日しているのがよくわかる。