永野宏三のデザイン館&童画館  アート日和のできごと

イスラエル国立美術館、ミュンヘン国立応用美術館、国立国会図書館、武蔵野美術大学美術館図書館他に永野宏三の主な作品が収蔵。

海面の角度が写す関門海峡。

2012-08-29 18:43:41 | アート・文化
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絵・海峡の町。〈C〉永野宏三


海峡と山に挟まれ東西に細長く門司の街はなりたっている。だから海峡と山手間の距離はそんなに遠くはない。駅を基点に山手に向って歩いてみても15分程度。ゆっくりと穏やかな坂道になっている。
ほどほどに勾配のある高さに着くとだいたいどの通りからも海峡が見える。目の映る角度は、ちょうど目の上に海面が見える感じ。ぼくが住んでいるところもそうで、通りに出ると目の高さの上に海峡が見える。視覚的には海面が土地より上に見えるという感じ。だからぼくが海峡の絵を描くときには、無意識にどうしても目の位置よりも海面が上になってしまう。そんな海峡がぼくの頭の中にそう焼き付いてしまっている。







アートは自由に躍動する。『柳瀬正夢』の夢を追う。

2012-08-25 18:45:24 | アート・文化
戦前・戦中の作家(画家・デザイナー・イラストレーター・フォトグラファー・演劇舞台設計など多面的に美術活動した〈今でいうマルチアーテイスト〉)『柳瀬正夢(やなせまさむ)』を紹介した展示を北九州市立美術館・本館コレクション展で観ました。貴重な柳瀬資料です。ぼくは30年来の自称柳瀬アートフリークであります。とは云っても柳瀬というアーティストの存在は世間ではあまり知られていなく、現代では知る人ぞ知ると云ったカリスマ的なアーティストです。
四国愛媛生れで幼くして両親が他界の後、11歳の少年のころ門司港に移住してきました。この門司港で美術に目覚め、その後14歳のころ上京、東京で活躍した作家です。ドイツのバウハウス・デザイン運動よりも先鋭的な日本のデザインアート先駆者と云っても過言ではないとぼくは思います。タイポグラフィックは現代デザインを予兆させるグラフィズムで迫ってきます。
戦前の門司は日本でも有数の近代国際港湾都市。この町で必然的にアートの洗礼を受け、そしてアートを運命的に背負い美術に生涯を託した柳瀬は45歳と云う若さで東京・新宿の空襲に命を奪われアートの灯を閉じました。戦争がもうすぐ終ろうと云うころです。
絵画はもちろんですが、特にグラフィックデザインに柳瀬アートの真骨頂を観ることができます。現代のアートを予感させる柳瀬作品はパワーに溢れ自由で縦横無尽です。既成にとらわれません。
この展覧会には柳瀬の描いた絵本もありました。ぼくは初めて観ましたが、やさしく慈愛にみちた絵本でした。小さな展覧会でしたがこんな一面も観れる見ごたえありの展覧会でした。



夏もよう、陽は気まぐれ、実はみのる。

2012-08-24 04:56:35 | 日記・エッセイ・コラム
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15年前に植えた栗の木に実がはじめてつきました。桃栗三年、柿八年と云いますが、あまりあてになりません。収穫の季節が楽しみですが、おなじ庭にある柿の木には毎年実がついていたのですが、ことしはさっぱりなりきません。