永野宏三のデザイン館&童画館  アート日和のできごと

イスラエル国立美術館、ミュンヘン国立応用美術館、国立国会図書館、武蔵野美術大学美術館図書館他に永野宏三の主な作品が収蔵。

行ったり来たりの頭の中。

2013-05-30 19:42:03 | 日記・エッセイ・コラム
Sさんから珍しく電話がかかってくる。「どげんしとう。そっちはどげんね」。博多弁丸出し。Sさんヒマなので電話したとのこと、ぼくは昨夜からのお腹の調子がトラボルタになっていて、みぞおちから下腹にかけてくるくるシクシク泣いていて憂鬱になっている。しかも外はどんよりの梅雨空、適当に「うん、ぼちぼちよ」と応える。Sさんの近況話しに「うんうん」とあわせて電話を終らせる。昨夜なにか食べあわせが悪かったのか原因の元を探るのに頭の中を行ったり来たり。早く健常に戻るべく水をがぶ飲みの一日で終る。


わたしの構想。

2013-05-29 15:07:37 | 日記・エッセイ・コラム
最近、長いこと籍を置いていた(27年間)あるビジュツ団体から身を抜きました。都合が悪くとか何も理由はなかったのですが、組織に長く浸かっていると、何事も多数結論で無難に終らせてしまいます。要は人と折り合いをつけると云うことであり、何事も無難に進行する変化のない団体ビジュツの世界に面倒くさくなり飽きてしまったと云うことです。
団体や組織は社会への啓蒙や提言という役目があり、それはそれでいいのですが、個人的に人生三分の二を生きてきたので、残りアート人生の三毛作を自由にアートを創って行こうと云うわけです。もともとアート表現は組織でするものではなく、個人の思いを形にする個人的行為ですから、アートの原点にかえってみようと新たな気持ちになりたかったと云うことです。



巡る季節と時の刻み。

2013-05-28 09:25:44 | 日記・エッセイ・コラム
大雨になりました。それに強風の荒れた天気になりました。海峡から吹き上げる風と山から吹き下ろす風の振幅で荒しです。
門司は二日前から台風のような風が吹き荒れています。
巡る季節のスピードは早く、5月も終りになろうとしています。一日、時間の刻みが早くて何だかあせってしまうような感じです。先日ご近所と季節の話しをしていたら、ご近所さんは一日の時間が経つのが長くて嫌になるらしいです。時間のながれは人によって感覚的に違うものかなと考えてしまいました。考えるほどのものでないのでしょうが、一日一日があっと云う間に過ぎ去っていきます。振り返ってみると、あの日、あの時、何をしたかなとメモリーを起こしてみますが、意外と正確に記憶の記録していません。いい加減な自分に気付きました。



エレガントなスタイルブック。

2013-05-20 11:02:17 | アート・文化
久しぶりのレトロブックシリーズです。中原淳一さんの絵になる雑誌『ひまわり』です。叔母が所有していたのを絵の好きなぼくにくれました。すごくノスタルジックですが、今みてもおしゃれな絵です。目が大きく描かれているのがそう感じさせるのでしょうか。


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シニアノミクス。

2013-05-16 09:21:42 | 日記・エッセイ・コラム
春眠暁をおぼえずといいますが、この季節、眠りが誘います。朝までぐっすりです。ぼくがなかなかおきないので、猫がお腹がすいて催促するのか、寝ているぼくの額をこんこん叩きます。爪をたてて頭や額が傷だらけです。起きれない年寄りのぼくにとって目覚まし変りのネコノミクス効果かと思ったりしています。
長いこと生きていると、世の中いろいろと変化があってシニアには飽きることはないのですが、昨今、なんとか効果で日本が明るくなってきたなんて、マスコミでは云っていますが、なにか実感がありません。高石友也さんの歌ではないですが「砂を噛むよな味気ないぼくの話を聞いとくれ」と、云った感じです。明るく踊っているのは金融、証券会社、投資家の人たちの世界だけのような気がします。飽きることのない世の中の動きに、なかなか眼が覚めないジジ(時事についていけない)イです。