元電脳下田黒船学校管理人のページ

1999年から2016年まで活動してきた「電脳下田黒船学校」も諸事情により活動を停止。しかし管理人の独り言は継続中!

秋バラ

2022-10-31 16:01:01 | 自然


義母の気分転換、お散歩にと秋バラが見頃の河津バガテル公園へ
(雷音さんも行ってきたようで写真館から情報も)




優しい香りに包まれて・・・・と思ったのですが、
義母にとっては、あまり楽しい時間ではないようでした。
介護、難しい?


50数年ぶりの万蔵山(武山)

2022-10-31 14:13:02 | 自然

子どもの頃、お弁当を持っては遊びに行っていた万蔵山。
長九郎山の登山道の変容に驚いたので、こちらの方はどうだろうと登ってみました。
子どもの頃は、武ガ浜の清水横や武山荘の横、黒船ホテル横などからも山道がありました。
今回(10月26日)は赤間方面の登り口から


道もしっかりしていて、迷うことはないようです。
でも役行者さんは?(ここを右に行けば・・・)


道はがはっきりしないところにはピンクのテープがルートを示してくれます。
そのまま登っていきましたが、役行者さんには行き会えませんでした。

途中には

ロープで落ちるのを防いでいる巨岩があちらこちらに


この岩の上には行きません。

昔テレビ用のアンテナが立っていた場所?


富士山の頭が見えた場所も木が大きくなり眺望がきかなくなっていました。
そしてロープウェイ頂上駅方向に下って見たところ
駅への道は木に覆われて???
尾根づたいに柿崎方面へと思っていたら、しっかりした作業道ができていました。

ここを歩いていてもつまらないと寝姿山方面へ
そしてスマホを頼りに下山へ
途中、沢から水を引いていたと思われるパイプがあったので、それをたどって行くと






無事柿崎に到着。


登ってきた山を見上げながら、役行者さんは?

もしかして武山荘跡の階段を上っていったら?

最初上ってきた道につながると思ったのに
残念ながら行き止まり
再度スタート地点に戻り、再度登り途中で分かれていた道を右側へ

ありました。
昔は武山荘から登れたはずなのに・・・

この季節

この方々が多く、ベタベタでした。

木が大きくなり眺望のきく場所がほとんどなく、昔との大きな変容にちょっとガッカリ(;_;)なハイキングでした。


超苦労→超楽→待つ咲き

2022-10-25 19:00:24 | 自然

宝蔵院→超九郎山→十郎左衛門が雨予報で流れて、短縮コース・宝蔵院→超九郎山を実施するとのお話が。
十郎さんまではきついかなと思っていたので、これはチャンスと参加表明。
ところが林道パトロールを実施するとの情報も。
乗せていただくことにしました。
ゲートパスをして林道パトロール。


そしてカンヌ林道から長九郎へ、
登り口から荒れています。
伊豆の山、こんなところが増えています。
万年うり坊の私は、単独ではとてもとても!



きつい登りも短くて頂上へ


久々の展望台

ここも荒れています。
修理?
再建?
撤去?
この展望台がないと、長九郎の魅力がなくなってしまいます。



展望台からの景色動画(富士山が見えていないのが残念)
下田富士わかるかな?

山頂から八瀬峠へ
ここはシャクナゲ(西洋シャクナゲも含む)が多い道です。

今年の落花跡?


来年へ向けての花芽もチラホラ。
少し少ないかな?

きれいなキノコさん

八瀬峠からの眺め

30年以上前にこちらから山頂に登っているはずですが、
あまりの変わりように、記憶が追いついていきません。


タマアジサイ?

超楽コースでしたが、あそこまで登ってきたのですね。
早お昼を食べてきたのに、自宅についたのはお昼前。
あまりに早い帰宅に、では隣町までお買い物に
ついでに町歩きも!







こちらに動画も

 


なんとも贅沢な1日でした。
ななんとKawaさんも同じ午後を過ごしたようでした。


1冊の本から

2022-10-15 20:09:57 | 読書


進学をする気もなく、遊びまくっていた高校時代。
進路を決める段階になり就職に傾いていた高3、公務員試験のお勉強をしていました。
1次試験もうかり、2次試験の面接にいっても、どうもすっきりせず、
なんと面接の場で辞退宣言。
それから勉強したって、大学進学なんて無理。
親に頭を下げ、浪人生活へ
そんな余裕のない家だったので新聞奨学生生活。
しかし思っていた以上に勉強時間がとれない。
2ヶ月後、再び頭を下げ、受験専科生活に。
進路は失礼ながらあんな先生でも先生になれるなら、俺でもなれるかも?と
教育学部。
その夏休みに今はなき育英堂書店で手にした「わんぱく大作戦」
一気に読んでしまいました。
こんなことが学校でできたら面白いだろうな!
学校の実情を知らない素人は、単純に教員になる気持ちが明確に!

個人情報にうるさくない時代のこと、出版社に問い合わせたところ
著者の宮脇和(チーフ)の電話番号を教えたくれた。

そしてずうずうしくも自宅訪問させていただくことに。
「メンバーに入れてください。」
「年齢制限で×」
「ではスタッフに!」
「大学に受かったら、また連絡して、考えるから。」
後日談(こんなやつ大学受からないだろうからと断ったつもりだったとのこと。)

ところが翌年の3月末朝9時
「受かりました。」
まだチーフの頭の中は夜だったようで
「今何時だと思っているんだ・・・・・」
しかし押しかけスタッフ誕生。
そこから田舎者のスタッフは都会の子どもたちに笑われながら
チーフに怒られながら
月100円(3年生から寮が建て変わり寮費が30倍ほどになりましたが)の寮費の寮から4年間。
週末はスタッフ家業を続けることができました。
この4年間、普通の学生では経験できない様々な経験をさせていただきました。
それが実際に教員になったときの自信にもなったことは間違いありません。
現場では先輩たちから生意気なやつだと思われていたことも間違いありません。
何度「表に出ろ」と言われたことか。
管理職から何度お説教を食らったことか?
「謝れ。」「謝る必要はありません。」
しかし無事37年の教職生活を楽しく終わり、+2年の担任生活。
このベースを作ったのは「グループ・おりじ」での4年間の経験があったから!
卒業後も交流があったチーフ。





道路拡張計画により、自宅の半分が道路にとられてしまうことに。
しかしアトリエにある荷物の量、貴重な資料、工具類、文房具類。
尋常な量であるわけがない。
作業が遅々と進まない状況が送られてくる。
元メンバーなども手伝いに行っているようだが、人手がもっと必要な様子。
これは行くしかないなと、久々のお上り。


3泊4日間のお手伝いだったけど少しは力になったかな?

私がスタッフになったとき、私よりスタッフ的な存在だったメンバーのT君も会いに来てくれたりして
50年近い昔の話に花が咲き、楽しい時間でもありました。
しかし食後になると互いに薬を飲んだり、目薬をさしたり。
10代後半や20代前半だった時代からの落差。
笑ってしまいました。

最後の夜、ネットを見ていると、まもるさんの展覧会を東京でやっていることが判明。
帰る時間を変更して、重い鞄をゴロゴロさせながら、地下鉄を乗りついで
神保町へ

駅のすぐ近くでラッキー!


絵が展示されている部屋でお茶を飲める!
ラッキー!
と思っているとお店の方が何かプラカードを
「すみません。この部屋は4時から貸し切りになりますので、お飲み物は外のテーブルで。」
アンラッキー!!
今3時45分。
やむを得ず、お茶をこの部屋で飲むのは諦めて、絵の鑑賞のみに。


描き足したという絵を探したけど、時間切れで探せませんでした。

この書店、子どもの本がたくさんあってよいのですが、
大人が子どもの本を探すための書店ですね。

ロンドンのこんな書店のように、子どもが本屋さんで楽しい!
と感じられるような本屋さん、そんな本屋さんないかな?