田の神様のつぶやき

歳とともに憂国の情深まり、日本の将来を政治経済の在り方から見つめていきたい。

昨日(7月4日)の日経新聞、憲法学者は“改憲の自己目的化避けよ”と叫ぶだけで良いのか

2017-07-05 21:58:34 | 日記

 北海道大学准教授の西村裕一氏は、押しつけ憲法論やお試し改憲論など極端な例を挙げ、改憲論が自己目的化していると苦言を呈している。そして、こうした言説空間の下では、解散権の制約や参議院の在り方などに関する真摯な改憲提案も、まっとうに受け止められることは期待できまい、と述べている。

 “改憲の自己目的化避けよ”のタイトル、見たことがあるとファイルを繰ると、昨年6月10日の日経新聞で、東京大学教授の宍戸常寿氏が、憲法改正の是非を個別の条文や提言から離れて議論するのは生産的でない。「何のために」を忘れ、憲法を改選するかしないかで熱を上げているようでは、国民不在の議論になっていないか、と投げている。そして憲法9条について、外交・防衛の課題を冷静に議論し、必要な争点について熟議と対決を経て国民的合意を形成すると言う政治プロセスの質を高めるべき、と述べている。

 以前、田の神様は「かつて衆参ねじれたとき、小沢さんの揺さぶりで福田康夫さんが『泣きたくなるほど頑張っているのに』と言いながら総理を辞した。」そして「日本は議院内閣制をとっているが衆院で選ばれた総理大臣が参院で潰されることもあるような不完全な制度だ。」と述べた。(2016-11-03) そしてこの時、日本の憲法学者は総理大臣を突き落した日本国憲法の議院内閣制について、大学でどうあるべきか、また学生にどう思うか議論しているのだろうか、と思ったものだ。まして憲法9条、朝日新聞が言うように憲法学者の半数以上が自衛隊は憲法違反とみているようだが、高校の教科書と同様、自衛隊は憲法違反とする学者もいます、と説明しているだけなのだろうか。

 西村氏は昨日述べたように、授業で「憲法条文と変化する社会現象(国際情勢も含め)との間の乖離の存在を話しているのだろうか、そして憲法はどうあるべきか学生に問うているのだろうか。あるいは、日本国憲法は国民主権・基本的人権・平和主義という“人類普遍の原理”で構成されていると、教義扱いをしているのではないだろうな。宍戸氏が昨年述べたように「憲法改正の是非を個々の条文や提案から離れて議論するのは生産的でない」は、その通りだが、少なくとも宍戸氏が例示した憲法9条や西村氏が例示した解散権の制約や参議院の在り方などについて、憲法学者は提言あれば受け止めるが、自ら改正案は作らなくてもいいとしているのだろうか。

 多くの憲法学者から、憲法改正は時期尚早とか今は(安倍首相の間は)改正すべきでない、との声を聴くが、どうしても“飯の種である憲法はいらわないでほしい、あるいは自らいらう必要はない”と聞こえてくるのだが。

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