安倍首相への問責決議案を参院運営委員会に提出したのは、生活の党、みどりの風、社民党の3党、本会議では民主党やみんな、維新も乗った。
私は2月3日のブログで、野田元首相の最大の功績は消費税を改定し、小沢氏を政界の中枢から遠ざけたことと書いた。政局のみで国政を揺さぶり続けた小沢氏(野党にとって、政策論は政局・選挙に勝つための『手段』であるとの思想)は、もう過去の人と思っていた。何のことはない、風前のともしびの3党(直近の政党支持率合わせて0,5%)に多くの国民が支持している安倍首相(内閣支持率60数%)へ常套手段の問責案を出させ可決させた。そして多くの重要法案を頓挫させた。
それにしても民主党、会期末のこの時に、追い出した小沢氏の生活の党に乗るとは何を考えているのか。民主党はもう政権を取り戻す気もなく、反対だけを叫ぶ本格野党を続けるつもりなのか。
次にみんなの党、維新の会、首相公選制とか一院制を唱えながら首相問責決議に乗るとは考えられない。政局の府・参院の在り方は統治機構改革の一丁目一番地であることが分からないのか。
一方自民党、どうせ次の参院選では自民党が勝って“ねじれ”は解消するとみていることから、問責決議も気にならないようだ。しかし、今の自民党のことより将来の国政のことを考えるなら、与党が衆参ともに強力な時こそ参院の在りようを真剣に検討すべきと考える。
6月21日に共同通信は“参院存在意義・いまだ模索”と書き、25日には“首相問責・政権交代は2度実現”と書いている。記事にはこの6年の政治に7人(安倍氏2回)の首相が入れ替わった表が載っている。この表は、本来衆院優越規定で選ばれる首相が参院の何らかの揺さぶりで交代していったことを示している。憲法の抱える日本の不完全な議院内閣制を物語っている。
とはいえ、参院の改革は不可能に近いのかもしれない。前回のブログで、斎藤元参院議長が「参議員(役者)がしっかりしないと、参議院(舞台)を変えても良くならない(共同通信インタビュー)。」と言われているのは、議長の経験(参議院の将来像を考える懇談会頓挫)から、“参院を変えることなど出来っこないよ”と言われているようにも感じると書いた。
多くの国民はこのたびの参院のドタバタ劇を見て、参院は何をやっているのかと思ったに違いない。メディアも今回の問責決議は何だったのかと問い、朝日と日経は“こんな参院ならいらない”と評している。私から言えば、参院はいらないということは、憲法を変えよということになる。単に不満をぶちまけるだけでなく(国民もメディアも)、真剣に参院の在り方、憲法改正に繋がらない限り、参院は最強の既得権益集団のままである。