田の神様のつぶやき

歳とともに憂国の情深まり、日本の将来を政治経済の在り方から見つめていきたい。

首相への問責決議・国民は何?憲法に守られた我が国最強の既得権益集団・参院をなんとかしろ

2013-06-27 21:00:00 | 日記

安倍首相への問責決議案を参院運営委員会に提出したのは、生活の党、みどりの風、社民党の3党、本会議では民主党やみんな、維新も乗った。

私は2月3日のブログで、野田元首相の最大の功績は消費税を改定し、小沢氏を政界の中枢から遠ざけたことと書いた。政局のみで国政を揺さぶり続けた小沢氏(野党にとって、政策論は政局・選挙に勝つための『手段』であるとの思想)は、もう過去の人と思っていた。何のことはない、風前のともしびの3党(直近の政党支持率合わせて0,5%)に多くの国民が支持している安倍首相(内閣支持率60数%)へ常套手段の問責案を出させ可決させた。そして多くの重要法案を頓挫させた。

それにしても民主党、会期末のこの時に、追い出した小沢氏の生活の党に乗るとは何を考えているのか。民主党はもう政権を取り戻す気もなく、反対だけを叫ぶ本格野党を続けるつもりなのか。

次にみんなの党、維新の会、首相公選制とか一院制を唱えながら首相問責決議に乗るとは考えられない。政局の府・参院の在り方は統治機構改革の一丁目一番地であることが分からないのか。

一方自民党、どうせ次の参院選では自民党が勝って“ねじれ”は解消するとみていることから、問責決議も気にならないようだ。しかし、今の自民党のことより将来の国政のことを考えるなら、与党が衆参ともに強力な時こそ参院の在りようを真剣に検討すべきと考える。

6月21日に共同通信は“参院存在意義・いまだ模索”と書き、25日には“首相問責・政権交代は2度実現”と書いている。記事にはこの6年の政治に7人(安倍氏2回)の首相が入れ替わった表が載っている。この表は、本来衆院優越規定で選ばれる首相が参院の何らかの揺さぶりで交代していったことを示している。憲法の抱える日本の不完全な議院内閣制を物語っている。

とはいえ、参院の改革は不可能に近いのかもしれない。前回のブログで、斎藤元参院議長が「参議員(役者)がしっかりしないと、参議院(舞台)を変えても良くならない(共同通信インタビュー)。」と言われているのは、議長の経験(参議院の将来像を考える懇談会頓挫)から、“参院を変えることなど出来っこないよ”と言われているようにも感じると書いた。

多くの国民はこのたびの参院のドタバタ劇を見て、参院は何をやっているのかと思ったに違いない。メディアも今回の問責決議は何だったのかと問い、朝日と日経は“こんな参院ならいらない”と評している。私から言えば、参院はいらないということは、憲法を変えよということになる。単に不満をぶちまけるだけでなく(国民もメディアも)、真剣に参院の在り方、憲法改正に繋がらない限り、参院は最強の既得権益集団のままである。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

共同通信“参院存在意義・いまだ模索”の記事 永遠に模索か!

2013-06-21 21:30:00 | 日記

今日6月21日の地方紙(共同通信発)に“参院存在意義・いまだ模索”と題する特集記事が出ている。まえがきに「フランス革命期の政治家シエイエスは、第二院について『第一院に一致するならば無用であり、反対するなら有害である』と評した。」との有名な言葉を引用し、参院選を前に「良識の府」の実態に迫るとある。

チェック機能に疑義--不要論再燃

繰り返される不同意--強い権限

政党間の“綱引き”優先--進まぬ先議

この標題を見てもわかるように、参院の実態は「良識の府」どころか、日本国政に立ちはだかる「問題の府」(問題児)のようだ。

実態説明の後に、元参院議長の斎藤十朗氏にあるべき参院像を聞いている。斎藤氏は「(民主党が《これはおかしい自民党も同罪》参院を政局の府にしてしまった。」 「『舞台』をいくら改革しても、『役者』の参院議員がちゃんと踊らなければ駄目だ。」と言っている。

斎藤氏は議長のとき「参議院の将来像を考える有識者懇談会」を設置し、参院の在り方を議論させている(政局の府は民主党の責任ではなく参院の潜在特質)。懇談会は憲法改正(59条等)の必要性も提言したが参院自民党執行部の猛反発にあって挫折している。

斎藤氏は、今は現職を退かれているから、穏便な表現をされていると思いたいところだが、そうではないようだ。59条改正など言っても国会では通らないよ、そのことは私が一番知っている、と言われているようだ。

私は前のブログで、憲法改正は統治機構の一部、まず59条からと述べた。おそらく多くの方は、参院選挙の前に参院の在り方を言う馬鹿がどこに居るのか、と思われたことだろう。それどころか、参議員が参院の権限を弱める改正案に「いいよ」と言うはずがないのかもしれない。

共同通信は、昨日まで“岐路の憲法・わたしの視点”で、各層の方々から憲法に対する意見をいただき、それとなく憲法は変えるべきでないとのキャンペーンを張ってきた。ところが今日、8回にわたる憲法シリーズには出なかった参院の在り方を取り上げている。

今日の憲法特集で、参院の実態に多くの問題が認められるとするのであるならば、斎藤氏に意見を求めるだけでなく、参院の在り方についてオピニオンリーダーとしての論調を展開すべきである。憲法制定66年が経つ現在、標題“参院存在意義・いまだ模索”はいただけない。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

安倍首相、自民党憲法改正草案にない統治機構を持ち出す意味はどこにあるのか

2013-06-08 23:30:00 | 日記

安倍首相は明日10日発行の月刊誌「Voice」で、「国会の憲法改正の発議要件に絡んで、統治機構に関する条文については、人権や9条よりゆるくするなど議論すればいい」と語っているそうだ(6月5日の読売新聞)。自民党の憲法改正草案は統治機構に触れていないのに、ここにきて首相が統治機構を持ち出してきたのは何を意味するのか。

私は2月3日のブログで、「憲法問題は9条でなく統治機構が先とか、政局の府・参議院をどうする」と述べた。何も参議院を悪く言うつもりはないが、衆参「ねじれ」の今日、参議院は政権与党を揺さぶる場合にその機能を発揮しているように見える。

多くの学者は日本の国政で、政策立案・実施が困難になっているのは、強い参議院が問題であるとしている。全国5紙は、衆参「ねじれ」解消策として、59条は最も切実な憲法改正の論点の一つである(5月4日の毎日新聞)と見ている。私も、日本の統治機構全体や参議院をどうするかの議論は残るとしても、まずは59条改正を急ぐべしと考えている。

ところが、なぜ自民党は憲法改正草案で統治機構には一切触れていないのか(国会の諸条項変更なし)。一方、96条改正では、一院制を取り上げているみんなの党(最近トーンダウン)や日本維新の会とどうして共同歩調がとれると言えるのか、理解に苦しむ。

まさか自民党は、学者もメディアもさらには国民にも賛同の得やすい59条改正が自民党草案の他の条文改正の邪魔になると考えているのではないだろうな。安倍首相のVoiceでの発言は、2大政党時代において統治機構の改革の必要性は十分認めながら、自民党草案になくても(今後検討したうえで)出すタイミングをはかっていると見たい。

私は5月12日のブログで、憲法(解釈)学者と言う造語を作り、あえて憲法学者と区別した。歳とともに、平和憲法とか参議院を良識の府など、憲法を教義ように見ている方々とはくみ出来なくなっている。したがって、一部のメディアの心配する96条改正が立憲主義を壊すとか、96条改正が即9条改正に繋がり平和が崩れるとも思っていない。

一方、憲法改正で誰もが認めうる統治機構の一部の修正さえ出さず、9条、96条とともに、天皇元首、家族の尊重まで含めた自民党草案を「どやこれで(関西弁)」と言われても、ちょっと待ってくれと言わざるを得ない。

私は、憲法改正は自民党案にしろ各党の出してくる案で賛否を問うべきではないと考えている。国民が憲法のこの条文は変える必要があると認め、条文ごとに国民多数の賛同の中で必要なところを改正すれば良いのではないだろうか。皆さんは如何に。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする