田の神様のつぶやき

歳とともに憂国の情深まり、日本の将来を政治経済の在り方から見つめていきたい。

日経新聞の“私見卓見”で佐々木教授「“廃県置州”で日本に活力を」と。その通りで、府県にかつての仕事はない。

2018-06-20 19:27:24 | 歴史に生きる

 中央大学行政学の佐々木信夫名誉教授は、今年は明治維新から150年になるが、明治の「廃藩置県」が人口拡大期に対して、現在の人口縮小期は「廃県置州」だと述べられている。まさにその通りで、各県とも今年は150周年記念事業をやろうとしているが、いま都道府県にかつてのような仕事がなくなってきている。

 特に戦後、国が国民から3分の2の税を取り、地方・県、市町に補助金とか地方交付税(第2の補助金にもなり得た)を流し3分の2の事業をさせてきた。地方の税の使い道の多くは、国の骨格事業、公共事業と言う名のハード事業だった。トンネルを掘り、橋を架け、まがった小さい田を大きくしてきた。大きな府県では、ニュータウンや工業、流通団地を作ってきた。

 数年前、ある県会議員が政務調査費をプライベートな旅行費に使ったと袋叩きに合い、泣きながら辞職の記者会見を開いた(その後、政務調査費は政務活動費と何でもアリ?となっている。)。あれは、県議がバカだとか悪い人と言われたが、その実、県のやるべき仕事、選挙区に持っていく仕事がなくなっていたからだ。基盤整備は県の存在意義があったとともに議員さんの存在意義もあったことになる。いや、県全体を見ても、かつての県行政の中身と現在とでは全く様変わりをしている。

 現在の府県行政は少子高齢化対策、地方創生事業など住民対応ソフト事業が中心となっている。確かに、県警察や県立病院は県でこそやれる事業だが、その他の住民との対話の中で考えるソフト事業はまさに市町の取り組むべきものが多くなっている。私は県職OBの74歳。6月は各種の県職OB会で知事や出先幹部の挨拶をいただくが、言外に少子化対策や地域興しなど市町行政のお手伝いのような業務が県の仕事になっていると聞こえてくる。

 県で仕事をしてきた者から言うのもおこがましいが、戦後70年がたち、国と市町の中間に位置する府県の存立意味が問われているように感ずる。日本の政治学者や行政学者にお願いしたいのは、いま各府県がどのような仕事をしているのかを徹底的に調べ、府県事業としてふさわしいのかを議論してほしい。佐々木先生が言われるように道州制議論が低調なのは、住民に府県行政の中身が知られていないおかげかもしれない。

 蛇足ですが、府県行政の児童相談所に対する“私見卓見”です。

 先の5歳児の虐待殺人事件に絡んで、児童相談所は府県でなく市町行政とすべきと考えます。私は養育里親をしてきましたが、県の児童相談所とともに地元市の家庭・教育相談員の方にいつも相談に乗ってもらいました。児童相談業務は国の戦災孤児対策として府県にさせてきましたが、今では家庭問題そのものの対応事象であり、県事業では無理があります。しかし、国は今回の事件で児童相談所の在り方を徹底的に見直すと言っていますが、府県から市町に移譲する気はないでしょう。児童相談業務を市町業務にしないのなら、せめて福祉事務所(市福祉事務所か郡部の府県福祉事務所)の業務とすべきです。

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