かまくらdeたんか   鹿取 未放

「かりん」鎌倉支部による渡辺松男の歌・馬場あき子の外国詠などの鑑賞

 

馬場あき子の外国詠 161(スペイン)

2014年03月30日 | 短歌一首鑑賞
   【西班牙 4 葡萄牙まで】『青い夜のことば』(1999年刊)P67
                             参加者:T・K、T・S、崎尾廣子、藤本満須子、T・H、渡部慧子、鹿取未放
                             レポーター:T・S
                               まとめ:鹿取未放

 ◆ものを書くことや鑑賞に不慣れな会員がレポーターをつとめています。不備が多々ありますがご容赦ください。

117 コルドバの町の樹下に椅子ひとつ置かれてセネカ忘れられたり

        (まとめ)(2008年11月)
 セネカの像はコルドバのメスキータの西門脇にあるという。おそらくここはそれとは違う何でもない街角か小さな公園の風景ではなかろうか。よって目の前にはセネカの像は無い。樹下には憩うための椅子が一つ置かれている。そして町の人々は遠くセネカを忘れた日常生活を送っているのだ。考えてみればセネカは2000年ほど前の人である。しかし、彼はたくさんの悲劇と哲学についての随筆などを遺した。『幸福な人生について』『心の平静について』『人生の短さについて』などの書名を眺め、現代の人々の忙しい日常を思うと、なかなか感慨深いものがある。(鹿取)

     
      (レポート)(2008年11月)
 コルドバにはイスラム教とともに古代ギリシャ・ローマの多くの文献がアラビア語によって伝えられ、これらを学ぼうとする人たちがヨーロッパ各地からあつまり、やがてここで開花した多くの学問がラテン語に翻訳され、アリストテレスやプトレマイオスの業績を後世に伝えたのだった。そんな町の樹木の下に椅子一つ置かれてある。作者はセネカを重ねたのである。樹木の下が異様な広い空間を感じた中に椅子ひとつが置かれている。完結で深閑な空想。そこには不思議さはない。   (T・S)


      (発言)(2008年11月)
★レポートは全体に何を言いたいのかよく分かりませんでした。前半部分の町の説明は、この歌と
 ほとんど関係ないよう思えます。後半の「完結で深閑な空想」の「完結で」はたぶん「簡潔で」
 のまちがいでしょう。「深閑な空想」とも思えませんが、もしかしたら「深閑な」も別の漢字で
 しょうか?それから、この空想はレポート文中の「樹下に椅子ひとつ置かれ」を指しているので
 しょうか?ここが空想だと「セネカ忘れられたり」の説得力がなくなってしまいます。私は「樹
 下に椅子ひとつ置かれ」ているのは実景、あるいは実景でなくても実景として歌の上では設定 
 していると思います。次に「異様な広い空間」ってどういうものか分かりません。「異様」も別
 の漢字の間違いでしょうか?「異様」なのに椅子がひとつ置かれている光景には「不思議さはな
 い」というのではよく繋がらない気がします。レポートはなるべくテキストの歌の言葉にそって、
 誰にでも分かるように書いてください。(鹿取)