かまくらdeたんか   鹿取 未放

「かりん」鎌倉支部による渡辺松男の歌・馬場あき子の外国詠などの鑑賞

 

馬場あき子の外国詠333(ネパール)

2014年10月31日 | 短歌一首鑑賞

馬場あき子の旅の歌【ムスタン】『ゆふがほの家』(2006年刊)88頁
                          参加者:N・I、曽我亮子、藤本満須子、T・H、鹿取未放
                          レポーター:T・H
                          司会とまとめ:鹿取 未放


142 近藤亨翁知る人ぞ知る新潟のこしひかりムスタンに根づかせしひと

      (レポート)(2009年4月)
 近藤亨氏の業績は、同氏のご著書『ムスタンへの旅立ち』に詳しい。農業の専門家ではないので、そのご苦労の内容は分からないが、今少し内容が知りたいと思う。「新潟日報」あたりに報道されているのであろうか。「新潟のこしひかり」は美味しいお米の代表であるのみならず、栽培技術は本来非常に難しい品種と聞く。寒冷地によくぞ根づかせられたと、その根性に心から敬意を表すと同時に、それらが現在でも毎年、繰り返し豊作であるのか、知りたいと思う。(T・H) 


      (意見)(2009年4月)
★稲作は最初は失敗続きで、たしか4年目にやっと実らせたそうです。2750メートルのティニとい
 う村に稲田があるそうです。ダメになった話を聞かないので、きっとずっと稔り続けていると思いま
 すよ。(鹿取)
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馬場あき子の外国詠332(ネパール)

2014年10月30日 | 短歌一首鑑賞

馬場あき子の旅の歌【ムスタン】『ゆふがほの家』(2006年刊)88頁
                          参加者:N・I、曽我亮子、藤本満須子、T・H、鹿取未放
                          レポーター:T・H
                          司会とまとめ:鹿取 未放


141 ムスタンの林檎は大きみのりぞと人ほむる近藤亨翁の林檎

     (レポート)(2009年4月)
 「ムスタンの林檎は大きみのり」と人が褒めているのは、その林檎の現実の大きさを褒めているのか、それとも近藤氏のご苦労の多大さに対し、敬意を表しているのか、たぶん、その双方であろうとは思うが。ここに「近藤亨翁」と敬語を使っておられる点に、その尊敬の気持ちが表れている。しかしなぜここに「人ほむる」と他人の評価を持ってこられたのであろうか。林檎の大きさとともに、それを高地で実らせた近藤氏の業績への敬意を「大きみのり」と「人ほむる」に、その客観性を持たせているのであろうか。(T・H) 


      (意見)(2009年4月)
★先の歌で言ったように、ここの林檎はこぶりなので、「大きみのり」はその業績に対する言葉ですよ
 ね。2700メートルの高地に美味しい林檎を実らせるのはたいへん難しいことだったようですから。
「人ほむる」はレポーターの言っているとおりで、もちろん自分も褒めているのですけれど、土地の
 人がまず感謝を込めて褒め、日本でも近藤氏を知る人はみんな褒めるわけです。ところで、この林檎、
 大変な人気で、カトマンズの高級スーパーで「ムスタンの林檎」としてブランドになっているそうで
 す。ジャムとか干し林檎も作られ、現金収入源にもなっているようです。(鹿取)
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馬場あき子の外国詠331(ネパール)

2014年10月29日 | 短歌一首鑑賞

馬場あき子の旅の歌【ムスタン】『ゆふがほの家』(2006年刊)87頁
                            参加者:N・I、曽我亮子、藤本満須子、T・H、鹿取未放
                            レポーター:T・H
                            司会とまとめ:鹿取 未放

140 わが馬のよごれゐたれば悲しきに馬は隊列を出でんときほふ

     (まとめ)(2009年4月)
 139番歌の解説に書いたように、ジョムソンでの移動は主に馬を使った。一泊した翌朝、中腹に建つホテルの途中まで馬たちが迎えに来た。私(たち)は青くなった。馬に乗るのは初めてな上、つづらおりの急坂である。さらに片方は下の街道まで何もない断崖絶壁である。あまつさえ登りならまだしも下りである。馬の背中に乗っただけで前につんのめりそうになる。それだけではない、道幅は狭く馬二頭は並んで歩けない。それなのに当日寄せ集めの馬十数頭はまったく統制が取れていないため、それぞれの馬が断崖絶壁側をまわって前の馬を追い抜こうとする。「馬は隊列を出でんときほふ」はそういう状況を詠んでいる。今にも絶壁を転げ落ちるようで恐い。
 「追い抜かなくていいよ、このまま行こうね」と私は手綱を引いて自分の馬を必死で宥めた。先生はそういう馬たちや仲間の行動を面白がっていらしたのかもしれない。歌は馬の汚れの悲しさ、ひいては土地の貧しさのかなしさとしての視点に収められた。馬は農家からかり出されたもので、日頃の手入れが十分ではなかったのだろう。特に先生は白い馬に乗られていたのでよけいに汚れが目立ったのだろう。(鹿取)


    (レポート)(2009年4月)
 残念ながら、このお歌の状況は私には分からない。馬場先生を乗せてきた馬が今、糞をしたいと、隊列から離れたがっているのだろうか。それとも長い道中で、汚れてしまった馬を洗おうと、馬丁が近くの川に馬を引き入れんとして、馬たちが先を争って隊列を崩しているのだろうか。なぜその時に「悲しきに」という文言が入るのだろうか。諸賢のご解釈を乞う。(T・H)


   (意見)(2009年4月)
★現地の人々の生活の苦しさが馬に出ていて、それが悲しい。(N・I)
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馬場あき子の外国詠330(ネパール)

2014年10月28日 | 短歌一首鑑賞
馬場あき子の旅の歌【ムスタン】『ゆふがほの家』(2006年刊)87頁
                          参加者:N・I、曽我亮子、藤本満須子、T・H、鹿取未放
                          レポーター:T・H
                          司会とまとめ:鹿取 未放


139 馬なければ歩みきれざりき高地ムスタンゆきゆきて四本(よもと)の柳植ゑきつ

     (まとめ)(2009年4月)
 行動半径を広げようとすれば、この土地では馬に乗るしかない。林檎を食べた農場の向かい側に、鱒の養殖場などがあった。そこに行くにはカルガンダキ川(幅70~80メートルといったところか)を渡らないといけないのだが、もう浅瀬ではなく、馬の腹くらいまで水かさがあった。素人はとてもそんな川を馬で渡ることが出来ないので、何人かの馬子さんたちが馬だけを向こう岸へ渡してくれた。われわれは材木を一本渡しただけの橋を幾つか渡り継いで向こう岸にたどり着いた。鱒の養殖場などを見学した後、更に河原を遡行して、広大な河川敷のような所に植樹をした。そのうちの幾本かは背丈ほどに育っていたと10年後にこの地を再訪した友人が教えてくれた。
 「ゆきゆきて」は「伊勢物語」の東下りを連想するが、旅のあてどないさびしさがにじんでいる。


     (レポート)(2009年4月)
 今、馬場先生は、ようやく高地ムスタンの地にたどり着き、4本の柳を植えて来られた。これは今回のネパールへの旅のメイン・イベントであったろう。1本ではなく4本の柳というところがいい。それも柳である。近くに川が流れているのだろうか。風に靡く柳の姿を思い浮かべるだけで、気持ちが和らぐ。そのムスタンの地へは、馬がなければ来れなかった。馬が唯一の交通手段である。「ゆきゆきて」の語句にそれまでの道程のご苦労が偲ばれる。(T・H) 
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馬場あき子の外国詠329(ネパール)

2014年10月27日 | 短歌一首鑑賞

馬場あき子の旅の歌【ムスタン】『ゆふがほの家』(2006年刊)87頁
                         参加者:N・I、曽我亮子、藤本満須子、T・H、鹿取未放
                         レポーター:T・H
                         司会とまとめ:鹿取 未放


138 ヒマールと呼べば何だか土地びとのやうなりムスタンの林檎はうまし

     (レポート)(2009年4月)
 今、馬場先生達は、難路を無事踏破され、ムスタンの農場に到着された。そしてそこで近藤亨氏が苦労して実らせた林檎を召し上がった。美味しかった。「ヒマール」とは、その林檎に付けられた名前だろうか。それともその地の名称なのだろうか。「ヒマール」と口に出して発音してみると、何か土地の人になったような親しみが湧き、また林檎のおいしさは近藤氏のご苦労を思ってのおいしさであろう。また、よくぞこの難路を、この高地まで苦労して登ってきたものだ、との感慨を込めてのおいしさでもあろうか、双方の感慨を込めての「林檎はうまし」であったろう。「ヒマール」を私も一口囓ってみたい。(T・H) 


     (意見)(2009年4月)
★「ヒマール」は、ヒマラヤを呼ぶ土地の人のことばです。それから林檎を食べた農場はジョムソンに ありました。飛行場からホテルまで歩いて50分、農場は飛行場と反対方向で、歩いたら30~40 分くらいでしょうか、そこを馬で移動しました。ホテルから下の隊商が通る広い平坦な道まで、15 0メートルくらいでしょうか、急坂でしたが、その先は平坦な道でした。ただ整備されていないので 石ころごろごろですし、橋のないカリガンダキ川の浅瀬をそうっと渡りました。農場には林檎のほか 鍛冶屋のような設備があったり、鶏が放し飼いになったりしていました。研修に来る人たちの為の平 屋建ての宿泊施設もありました。リンゴは紅玉より少し小さめで、とても芳香があり、むちっと果肉 が締まっていて果汁たっぷり、リンゴ本来の甘酸っぱい味で、ほんとうに美味しかったです。(鹿取)
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馬場あき子の外国詠328(ネパール)

2014年10月26日 | 短歌一首鑑賞

馬場あき子の旅の歌【ムスタン】『ゆふがほの家』(2006年刊)86頁
                         参加者:N・I、曽我亮子、藤本満須子、T・H、鹿取未放
                         レポーター:T・H
                         司会とまとめ:鹿取 未放


137 乾燥のはなはだしければ馬糞さへ臭はず馬上快晴の青

     (レポート)(2009年4月)
 標高3千メートル以上の山道であれば、年間雨量は乏しい。その乾燥した山道には、馬に乗るしかない。今、馬場先生は、馬の背に揺られてその山道を辿っておられる。そこには馬糞が転々と転がっている。しかし、その馬糞も、その地域の乾燥した地面では、臭いもたたない。抜けるような青空の下、今、馬場先生は馬の背で揺れておられる。(T・H) 


     (意見)(2009年4月)
★これも先の137番歌に対するのと同じ勘違いがあると思います。この旅ではジョムソンより高地に
 は行っていないので馬に乗ったのは2700メートルの標高でした。旅の事情がわからないと難しい
 ですね。ジョムソンは年間雨量200ミリという乾燥地帯ですから、馬の糞もすぐ干涸らびて臭わな
 い。雲一つ無い青空の下を馬で移動する爽快さを詠んでいるのでしょう。(鹿取)
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馬場あき子の外国327(ネパール)

2014年10月25日 | 短歌一首鑑賞

馬場あき子の旅の歌【ムスタン】『ゆふがほの家』(2006年刊)86頁
                            参加者:N・I、曽我亮子、藤本満須子、T・H、鹿取未放
                            レポーター:T・H
                            司会とまとめ:鹿取 未放


136 ムスタンをいづこといはん未踏峰ニルギリを仰ぐ灯のとぼしけれ

     (まとめ)(2009年4月)
 ムスタンという土地を人に説明するにはどこにあると言えばよいのだろうか。未踏峰であるニルギリを仰ぐ貧しく小さな村で、見える灯も乏しいものだよ、とでも言おうか。(鹿取)


    (レポート)(2009年4月)
 今、馬場先生はムスタンを目指して、これからの遠路に思いを巡らしておられる。ムスタンは今、ニルギリを仰ぐ宿より、さらに北方だ。これからの難路を思い、今、未踏峰ニルギリを再度仰いで見る。そこにはもちろん灯火など見えない。「灯の乏しけれ」これからの旅路にも灯は乏しい。(T・H) 


     (意見)(2009年4月)
★レポーターは「ムスタンは今、ニルギリを仰ぐ宿より、さらに北方だ。」と書かれていますが、アッ
 パームスタンと勘違いされたようです。前章「ニルギリ」全体にかかる詞書きにも「アッパームスタ
 ン」という語が出てきましたし、128番歌には「ムスタンの満月ただにしろじろとニルギリを照ら
 す一夜ありたり」と詠われています。だから前にも書きましたが、ムスタンは広域名称ですから、ジ
 ョムソンも含まれます。ムスタンを南北に分けると北がアッパームスタン、南がアンダームスタンで、
 ニルギリの麓にある地はジョムソンで、アンダームスタンの中心地です。ついでに言うと近藤亨氏 
 が「こしひかり」を実らせたのはアッパームスタンで、ジョムソンから更に馬で2日かかるという高
 地です。(鹿取)
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馬場あき子の外国詠326(ネパール)

2014年10月24日 | 短歌一首鑑賞
馬場あき子の旅の歌【ニルギリ】『ゆふがほの家』(2006年刊)84頁
                    参加者:K・I、N・I、T・K、T・S、N・T、藤本満須子、T・H、渡部慧子、鹿取未放
                    レポーター:T・H
                    司会とまとめ:鹿取 未放


135 眠りゐしをとめ醒むると声をのむほのかなりニルギリの初(う)ひのくれなゐ

      (まとめ)(2009年1月)
 山のいちばん高いところ、針のような一点に紅色が射す。そして徐々にその紅色が広がり山を覆っていく。初めて朝の陽光が射した瞬間の紅色の美しさ、それを眠っていた処女が目覚めたととらえた。(鹿取)
  


     (レポート)(2009年1月)
 夜のとばりに包まれていたニルギリが、仄かな朝日に照らされて、目を覚ますと(光が当たってくると)、全く息を呑む美しさである。その紅の色は。(T・H)
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馬場あき子の外国詠325(ネパール)

2014年10月23日 | 短歌一首鑑賞

馬場あき子の旅の歌【ニルギリ】『ゆふがほの家』(2006年刊)84頁
                     参加者:K・I、N・I、T・K、T・S、N・T、藤本満須子、T・H、渡部慧子、鹿取未放
                    レポーター:T・H
                    司会とまとめ:鹿取 未放


134 暮れ残るニルギリ山頂一点のひかりとなりてわれあるがごと

      (まとめ)(2009年1月)
 暮れてゆくニルギリを眺めている。だんだんと光がその山肌から消えてゆき、今や山頂に一点のひかりとなって残っているだけだ。もう、まるで自分が一点の光となって暮れ残る山頂にいるようだ。それほどに、暮れてゆく山を見つめつづけているのである。(鹿取)

 
    (レポート)(2009年1月)
 自分の存在は、今、暮れようとして、山頂に一点の光が残っているが、顧みると、私はその一点の光のようだなあ、との馬場先生の自省のお言葉。(T・H)
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馬場あき子の外国詠324(ネパール)

2014年10月22日 | 短歌一首鑑賞
馬場あき子の旅の歌【ニルギリ】『ゆふがほの家』(2006年刊)84頁
         参加者:K・I、N・I、T・K、T・S、N・T、藤本満須子、T・H、渡部慧子、鹿取未放
                    レポーター:T・H
                    司会とまとめ:鹿取 未放


133 東より陽のけはひありまほに見るニルギリに向けば卑しきかわれ

      (まとめ)(2009年1月)
 明け方、東の方角から陽が昇ってくる気配がある。ニルギリの背後がほのかに明るみを増していく様子だろう。「まほに」は、「真秀」あるいは「真面」でしょうか。「源氏物語」には「正面から充分に見極める」意味で使われています。そんな明け方のニルギリと真正面から向き合っていると、と言うのだからもちろん位置関係のみであなく、心の傾け方を言っている。原初のままの姿に向き合っているといかにも自分は卑小な存在に思えるという。結句の「か」は疑問ではなく、詠嘆だろう。(鹿取)

 
     (レポート)(2009年1月)
 東から太陽が昇ってくるようだ。真っ正面からニルギリに向き合えば、ますます自分の小ささが思われ、謙虚に頭が下がる。日本人は太陽に対して特別な感情を持つ(太陽神信仰、初日を拝む)そのお気持ちを馬場先生は、率直に述べられた。(T・H)
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