かまくらdeたんか   鹿取 未放

「かりん」鎌倉支部による渡辺松男の歌・馬場あき子の外国詠などの鑑賞

 

ブログ版 渡辺松男の一首鑑賞 2の93

2018年08月31日 | 短歌一首鑑賞
  渡辺松男研究2の13(2018年7月実施)
    【すこし哲学】『泡宇宙の蛙』(1999年)P65~
     参加者:K・O、A・K、T・S、曽我亮子、渡部慧子、鹿取未放
      レポーター:渡部慧子 司会と記録:鹿取未放


93 このごろの配偶者すこしいらいらし配偶者のなかに群衆がいる

     (レポート)
 配偶者はこの頃少しいらいらしていて、その原因は「配偶者のなかに群衆がいる」からだろうと作者は思ったようだ。一家の主婦として、また世間のこまごました交際などを担って、何か雑念にとらわれ、未整理の状態なのかもしれない。それを下句のように表現して面白い。(慧子)


      (当日意見)
★配偶者という個をとても大事に思っていらっしゃる。妻を愛情をもって見ながら
 その個の向こうに普遍的なものを見ている。渡辺さんのものを見る目のものすご
 さを感じます。「配偶者のなかに群衆がいる」って、ああっと思います。そうよ
 ねっと思う。人間の多面性というか、自分では意識しないものが自分の中にいっ
 ぱいあって個を作っている。そしてその向こうに普遍がある。渡辺さんの歌、難
 しい、難しいっていうけど、この辺りは全然難しくない。(A・K)
★私はもっと単純に考えて、誰だって自分の頭の中にごじゃごじゃごじゃごじゃと
 他人がいるじゃないですか。A・Kさんが配偶者の向こうに普遍的なものを見て
 るっておっしゃって、鑑賞が豊かなものになったと思います。いらいらしている
 のは作者に対してかなって思って。配偶者の中に群衆がいるって見てるのは作者
 ですから。「彼女」の中に群衆がいるとは言っていないので、よく考えると深い
 のではまっていってしまう。(K・O)
★配偶者にいらいらが向けられているとなると意味が違ってきますね。それだと群
 衆も配偶者と一緒になって作者を批判していることになる。世間的にいらいらし
 ているのなら慧子さんの解釈でいいのですが。(T・S)
★私は配偶者が自分自身で苛立っているととったんですけどね、いらいらの対象が
 他に向けられているとは思えません。いろんな取り方があるってことで次に行き
 ます。(鹿取)



ブログ版 渡辺松男の一首鑑賞 2の92

2018年08月30日 | 短歌一首鑑賞
  渡辺松男研究2の13(2018年7月実施)
    【すこし哲学】『泡宇宙の蛙』(1999年)P65~
     参加者:K・O、A・K、T・S、曽我亮子、渡部慧子、鹿取未放
      レポーター:渡部慧子 司会と記録:鹿取未放


92 紙やぶる音びっとして冬ふかし配偶者すこし哲学をする

     (レポート)
 紙を破る音が響いて冬が深しという。冬の空気の中で音は澄み、遠くまでよく見えることなど思うと、冬深しという観念的なとらえを納得できる。しかし直観的な納得ではなく深さと音の関連づけを配偶者は「どうしてかしら」というような感じで少し考えていたのかもしれない。(慧子)


      (当日意見)
★これ、上の句で俳句になりますね。この人俳句もやってらっしゃるから。「冬ふ
 かし」って季語かしら?感覚として文句なく分かる歌ですね。冬の澄んだ空気の
 中で、配偶者がふっと何かを思った、それを「すこし哲学をする」と表現した。
 この歌はだからあまりややこしいことを言わない方がよいと思う。すーと入って
 くる。渡辺さんの歌と知らなくても読める歌。(A・K)
★理屈を言ってはいけないのでしょうが、これは誰が紙を破っているのでしょう?
   (鹿取)
★そういうことは聞いちゃいけないんです、きっと(笑)どこかから聞こえてくるん
 です。(A・K)
★そうですね、子どもが破ったりしたらこの世界が壊れてしまいますね。配偶者で
 も〈われ〉でもまずいんでしょうね。(鹿取)
★どこかから紙を破る音がして、ああ冬が深いんだなあと思ったとたん、今自分は
 実存しているってことじゃないかなあ。そういうことってありますよね。それで
 哲学をするに結びついた。(A・K)
★それって、充分ややこしいことのような(笑)(鹿取)
★これが「ぴっと」だったら非凡な感じがある。「びっと」だとかわいらしい配偶
 者のスケッチのようでいい感じ。(K・O)


          (後日意見)(鹿取)
 「冬深し」は「冬の真っ盛り。寒さも絶頂期で、自然も人の暮らしもすっかり冬一色である。」と「合本 俳句歳時記 第一版」には出ている。
  冬深し藪へ入り込む川の砂  大峯あきら 

    

ブログ版 渡辺松男の一首鑑賞 2の91

2018年08月29日 | 短歌一首鑑賞
  ブログ版渡辺松男研究2の13(2018年7月実施)
    【すこし哲学】『泡宇宙の蛙』(1999年)P65~
     参加者:K・O、A・K、T・S、曽我亮子、渡部慧子、鹿取未放
     レポーター:渡部慧子 司会と記録:鹿取未放


91 さらさらと数学好きな配偶者さかなの骨をきれいにのこす

     (レポート)
 さらさらとと詠い起こして、いろんなことがきれいに流れていることを想像する。そこには数学好きな配偶者がいて、魚を食べるにしてもきれいに骨だけを残すらしい。たとえば因数分解をするとして、共通項をくくって式を整理する。また、魚を食べるにも前述のようで掲出歌の上句、下句はどことなくつながる気がする。起きて寝るまでひとつひとつの行為、思考が迷路に入りこまないでさらさら美しいのだろう。(慧子)


         (当日意見)
★「さらさらと」が全てに掛かっているような気がする。妻と言わずに配偶者といっていますが、
 この「さらさらと」で性格からありよう、生き方まで表している。(A・K)
★平明な言葉で歌われていますが深いですね。数学と哲学って似ていることころがありますね。渡
 辺さんの歌って全てが原始の生命に繋がっているように思うのですが、この魚も人間がずっと昔
 には魚だったかもしれない、その骨をきれいに残す配偶者は何か精神のきれいさとかにも繋がっ
 ているようだ。妻というとどうしても従属的な感じが出てくるのですが、配偶者と言っても愛は
 感じられます。韻を踏んでいて、かろやかで魚の骨にも繋がるし、時間、歴史、全ての思想が一
 首に統合されている。どこで切るのかな、切れないですよね。(K・O)
★松男さんに魚の歌はけっこうたくさんありますね。「女の子は鮠」とか魚の骨を捨てに行く歌も
 あったような。ところで、「妻」という語が出てくる歌は第一歌集にも一首くらいしかありませ
 んでした。どこで知り合ってどういう人か、哲学をやったのか数学をやったのか、専業主婦だっ
 たのか、働いていたのか全く知らないです。知る必要もないと思っていたし。これまでもいわゆ
 る人間関係としての妻の歌は無かったと思います。この歌もリアルな妻をうたおうとしているの
 ではないですね。しかし「さらさらと」という初句のオノマトペで、「配偶者」と設定された人
 のひととなりから全てを表していますね。(鹿取)
★この配偶者は「虚」として出している。妻という関係性の中の歌とは読みが全く違ってきますね。
 現実を一つの手段とはしているけれど、夫婦としての関係性の中の妻ではなくて個としてみてい
 る。私という個があって配偶者という個があって、そしてその個が魚の骨をきれいに残す。
    (A・K)
★前回のミトコンドリア・イブのおばあちゃんだと、畦に坐って紅梅より遠くの満州を見ていると
 かってありましたが、あれはそういう設定をしているだけで、別に目の前におばあちゃんがいる
 わけではないですよね。ここは、目の前に妻はいるかもしれないけど、別に妻その人を写そうと
 している訳ではないと。どこまでが設定か分かりませんが。(鹿取)
★これ、数学好きの妻とか女房って詠んだら全然つまらない歌ですよね。配偶者っていうところに、
 DNAレベルで、人類が存在しなかった時代の感触が出てくる。作者の中ではそれが矛盾無くあ
 るんだろうと思います。「少し哲学」というのも見過ごしそうだけど、深い哲学と純粋数学は響
 きあうところがある。それをさらさらっとしたリズムで詠んでいる。混み合った感じで詠んでい
 なくて、何か幸福感のようなものがあって、未来の希望が見えてくるような気がします。
   (K・O)
★この人はいつでもダイレクトにそういう命の根源に繋がっているのですね。余談ですが、松男さ
 んは高校時代「数学の渡辺」って呼ばれていたほど得意だったそうです。もともと数学の美しさ
 に惹かれている人なんですね。(鹿取)


ブログ版 馬場あき子の外国詠81(スペイン)

2018年08月28日 | 短歌一首鑑賞
 ブログ版馬場あき子の外国詠9(2008年6月実施)
   【西班牙 2 西班牙の青】『青い夜のことば』(1999年刊)P52~
    参加者:N・I、M・S、崎尾廣子、藤本満須子、T・H、渡部慧子、鹿取未放
   レポーター:藤本満須子    司会とまとめ:鹿取 未放

  ※この項、『戦国乱世から太平の世へ』(シリーズ日本近世史①藤井譲治)・『ザビエルとヤジ
   ロウの旅』(大住広人)・講談社『日本全史』等を参照した。


81 ジパングの国より来たる感情の溺れさうなる西班牙の空

      (まとめ)(2015年改訂)
 80(海と空のあをさほのけさヤジローとふ日本最初の切支丹帰る)の歌に見られるような日本のあいまいな情緒的な空ではない、きっぱりとしたスペインの空を仰いでの感慨。かつてジパングと呼ばれたはるか東洋の小国から来てみると何もかもがあまりにも違う。日本的情緒を纏ったアイデンティティーが異国で見失われるような不安を詠んでいるのではないだろうか。
 また、ジパングといった時、ザビエルはじめさまざまな宣教師たちがスペインから派遣されて来ていた両国の交流の歴史にも当然思いを馳せている。(ザビエルはポルトガル人だが、スペインから派遣されて来日している。)つまり布教だけでなくその後のキリスト教禁止令や処刑なども含めた両国の関わり合いである。だから「ジパングの国より来たる感情」とはそういうもろもろの複雑な背景にもっているのだろう。(鹿取)


ブログ版 馬場あき子の外国詠80(スペイン)

2018年08月27日 | 短歌一首鑑賞
 ブログ版馬場あき子の外国詠9(2008年6月実施)
  【西班牙 2 西班牙の青】『青い夜のことば』(1999年刊)P52~
    参加者:N・I、M・S、崎尾廣子、藤本満須子、T・H、渡部慧子、鹿取未放
   レポーター:藤本満須子    司会とまとめ:鹿取 未放

  ※この項、『戦国乱世から太平の世へ』(シリーズ日本近世史①藤井譲治)・『ザビエルとヤジ
   ロウの旅』(大住広人)・講談社『日本全史』等を参照した。


80 海と空のあをさほのけさヤジローとふ日本最初の切支丹帰る

     (まとめ)
 切支丹となったヤジローがザビエルに伴われて帰国した日本は、しかし西洋とは全く違う考え方をもつ国だった。あいまいさを好む日本的情趣を海と空の境界も定かではない「あをさほのけさ」という情景によって示している。犯罪者ヤジローが帰国することに身の危険は伴わなかったのであろうか。日本的情緒に布教する難しさを、ザビエルたちは考えたであろうか。(鹿取)


      (後日意見)(2015年10月)
 ザビエルは、マラッカの長官の手配した中国のジャンク船に乗って1549年4月15日マラッカを出発している。一行はヤジローも入れて8人で、インド総督やゴアの司教の親書を携えていた。帆船であるから風頼みで、各国に自由に寄り道しながらなど悠長なことは考えられない旅だったようだ。一行が鹿児島に着いたのはちょうど4ヶ月後の8月15日である。
 ザビエルは日本に来る前に出来る限りの情報収集をしたようだ。ヤジローにもゴアの神学校時代にその長に命じて日本についての聞き取りをさせている。しかし、いざ日本で布教活動をしてみると思ったほどたやすくなく、程なく仏教界とも領主とも摩擦がひどくなったようだ。さまざまな事情が重なって、ザビエルは来日わずか2年余の1551年11月日本を去っている。(鹿取)


ブログ版 馬場あき子の外国詠79(スペイン)

2018年08月26日 | 短歌一首鑑賞
 ブログ版馬場あき子の外国詠9(2008年6月実施)
  【西班牙 2 西班牙の青】『青い夜のことば』(1999年刊)P52~
    参加者:N・I、M・S、崎尾廣子、藤本満須子、T・H、渡部慧子、鹿取未放
   レポーター:藤本満須子    司会とまとめ:鹿取 未放

  ※この項、『戦国乱世から太平の世へ』(シリーズ日本近世史①藤井譲治)・『ザビエルとヤジ
   ロウの旅』(大住広人)・講談社『日本全史』等を参照した。


79 逃亡者ヤジローの海灼けるほど熱き黙秘の塩したたらす

     (まとめ)
 ヤジローは殺人を犯したというが、それはどういう事情からだったのだろうか。敵討ちのような肉親の情か、金銭のトラブルか。分からないが、ストーリーとしてはささいなことで激情にかられて殺人を犯し逃げていた人間が、ザビエルという偉大な思想家に魅せられキリスト教の深淵に触れ、改心をして洗礼を受け、以後敬虔な信者になって生涯を貫き通したと考える方が面白い。
 「黙秘」という言葉から推察するとやはりキリスト教信仰と関係があるように思われるが、海外で殺人や不法入国の罪をとがめられて「黙秘の塩したたらす」場面というのはどうも考えにくい。ただ「海灼けるほど熱き」はマレーシアなど南洋の海を思わせられるので、ザビエルに従って帰国した後の場面とは考えにくい。もっともザビエル在日中に大伴氏から禁教される場面もあり、邪教を説く者達として行く先々で白眼視されたことはあったかもしれないが、まだ拷問にかけるというところまではいっていないだろう。政治の中心にあった幕府や朝廷でも、キリスト教をどうこうという段階ではまだなかった。(家康が全国にキリスト教禁止令を出したのは、ザビエル来日のおよそ70年後、支倉常長が帰国したちょうどその年、1620年のことである。)
 それにしても、灼けるほど熱い海と対比された黙秘、じりじりと全身から塩をしたたらせて耐えているヤジローの意地の強い人格を見せられるようだ。(鹿取)


     (後日意見)(2015年10月)
 ヤジローについて書かれた本を何冊か読んでいるところだが、事実にそってその足跡を記しているものではない。ヤジローに対する文献が非常に少ないため、誰もがある時点から空想に頼らざるをえないようだ。「人を殺して逃亡した」点は、ヤジローが書いたポルトガル語の書簡の写しが残っているので事実である。また、海外に逃亡する前からポルトガル人の知り合いがいてポルトガル語が少しは話せたらしい。日本からマラッカに渡ったときもポルトガル人である商船主への紹介状をもらっており、交渉して載せて貰ったことが船主への聞き書きとして残っているという。また、時代背景が違うので殺人というのも今日考える凶悪な人間が犯すというイメージとはかなり違う見方もあるようだ。ともかく彼の生業は何だったのか、なぜ人を殺したのか、なぜザビエルと共に帰国したとき罪に問われなかったのかなど今までの本では解明されていない。(鹿取)


ブログ版 馬場あき子の外国詠78(スペイン)

2018年08月25日 | 短歌一首鑑賞
 ブログ版馬場あき子の外国詠9(2008年6月実施)
   【西班牙 2 西班牙の青】『青い夜のことば』(1999年刊)P52~
    参加者:N・I、M・S、崎尾廣子、藤本満須子、T・H、渡部慧子、鹿取未放
   レポーター:藤本満須子    司会とまとめ:鹿取 未放

  ※この項、『戦国乱世から太平の世へ』(シリーズ日本近世史①藤井譲治)・『ザビエルとヤジ
   ロウの旅』(大住広人)・講談社『日本全史』等を参照した。


78 西班牙より見ればヤジローとザビエルの対座の秋の無月邃(ふか)しも

      (レポート)
 下の句に作者の深い感慨が込められている歌と思う。ザビエルとヤジロー、互いに孤独な二人が対座している。キリスト者としてのザビエルの生き方に強く惹かれ、罪人として逃亡していたヤジローは受洗し、ザビエルを案内して日本に帰るというのである。日本は安土桃山時代、小田信長が天下を取ろうとしていた頃である。(藤本)


     (後日意見)(2015年12月)
 東洋の一犯罪者であるヤジローとキリスト教国の最高の知性であり情熱を秘めた神父との魂と魂のぶつかり合いを扱って緊張感があり、かつ奥深い味わいがある。「ザビエルとヤジロー」ではなく、「ヤジローとザビエル」である点は、ヤジローへの心寄せの深さであろうか。それはともかく、ザビエルがヤジローを伴って薩摩に上陸したのは八月十五日、中秋の名月その日であった。無月とは中秋の名月に月が見えないことをいうが、無月の深いふかい闇の中で二人はいのちがけの鋭い議論を交わしたであろうか。ヤジローがポルトガル語を学んだのは二年弱、日常会話には不自由しなくても微妙な教義内容に立ち入ってザビエルと互角に議論できるほどの語学力は持ち合わせていなかっただろう。また、スペイン生まれのザビエルもポルトガル語がそれほど達者ではなかったらしいから、ここでの対座は孤独な魂同士の触れあいを感受すればいいのだろう。もちろん無月も対座も馬場が創造したドラマである。無月という設定によって個としてのザビエルとヤジローがより屹立し、かつふたりの関係の濃さが浮き彫りにされている。(鹿取)


ブログ版 馬場あき子の外国詠77(スペイン)

2018年08月24日 | 短歌一首鑑賞
 ブログ版馬場あき子の外国詠9(2008年6月実施)
   【西班牙 2 西班牙の青】『青い夜のことば』(1999年刊)P52~
    参加者:N・I、M・S、崎尾廣子、藤本満須子、T・H、渡部慧子、鹿取未放
   レポーター:藤本満須子    司会とまとめ:鹿取 未放

  ※この項、『戦国乱世から太平の世へ』(シリーズ日本近世史①藤井譲治)・『ザビエルとヤジ
   ロウの旅』(大住広人)・講談社『日本全史』等を参照した。


77 日本史の粛然とせる失念に影のごとザビエルに添ひしヤジロー

     (レポート)
 ヤジロー=アンシロー(弥次郎):生没不詳、薩摩の人。殺人の罪を犯しマラッカに渡りそこでザビエルの教えを受け受洗。1549年、ザビエルを案内し鹿児島に上陸、各地を伝道、のち迫害を受け行方不明。
 作者はスペイン、マドリッドに降り立ち、そこでまず歌った内容ははるか16世紀に遡る。ザビエル、そして日本人のヤジローである。この歌の「日本史の粛然とせる失念」の主語は誰だろうか。主語がないときは作者であるという決まりから思うと失念しているのは作者に違いない。ヤジローとザビエルの出会いを考えた時、この歌の主眼は上の句の「日本史の粛然とせる失念」にあるのではないか。作者はスペインの旅で初めてヤジローという人物に思い至ったのである。その作者の感慨を「粛然とせる失念」とうたったように思うのである。犯罪者であるヤジローはザビエルに洗礼を受けキリスト者として再び日本に戻る。そしてザビエルに従って各国を巡礼したのであろうと想像する。(藤本)


     (まとめ)(2015年12月改訂)
 ヤジローは生没年もつまびらかでないが、修験道系の陰陽師だったという説や海賊だったという説もある。若い頃に人を殺し、薩摩に来航していたポルトガル船に乗って逃れ、マラッカでザビエルに遇い、ゴアの神学校でポルトガル語とキリスト教を学んだ。そこで日本への布教を目指していたザビエルはヤジローを通訳として伴い来日したのである。長崎でザビエルと共に布教活動をしていたが、一年後ザビエルは平戸に移りヤジローは郷里である長崎に残った。以後のヤジローの消息は分かっていない。一説には和冦となって中国に渡りそこで殺されたともいう。
 「日本史の粛然とせる失念」とは不思議な言いまわしだが、「日本史」が主語だろう。日本史が失念をした、それは「粛然とせる」失念だった、というのだ。つまり「粛然とせる」は日本史の韜晦を遠回しにいっているのではないか。かしこまった日本史にはアウトローであるヤジローの詳細は書かれていないが、実はいつも影のようにザビエルに寄り添っていたのだよ、というのだ。みなし子のようなザビエルと、ザビエルを慕うゆえに常に彼に付き従うヤジローとの関係に暖かい気分を呼び覚まされる。
 先月鑑賞した68番歌(歴史の時間忘れたやうな顔をしてモスクワ空港にロシアみてゐる)では、ロシアの歴史を思い返しながら、そしらぬ顔をしてロシアを観察している歌だった。そこにはロシアに対する思いやりとか敬意が含まれていたのだろう。この77番歌でも、日本史が棄て去ったヤジローを暖かく包んでいるようだ。
 ヤジローの殺人については、いろんな研究者が探求や考察を試みているが諸説入り乱れており、私が読んだかぎりではいずれも実証されたものとはいいがたい。ただ、現在の殺人の概念と当時の殺人のそれはかなり違うもので、仏教的な見方とキリスト教的な見方でも殺人の罪のありようはかなり違うようだ。数冊を読んだが、国外へ逃亡したヤジローが罪を問われて拷問にかけられたり、逃げ隠れした形跡はないし、日本に帰ってからも故郷の長崎でおおっぴらに布教活動をしている。親戚の者が身代わりになって罪を償い、帰国した頃にはもう清算されていたという説を説く研究者もいるが、どうであろうか。
 ところで、上にも書いたようにヤジローは和冦となって中国に渡りそこで殺されたという説もあるのだが、実は日本を去った後、中国への布教を目指したザビエルも1552年中国で亡くなっている。といっても、当時の中国は門戸を閉ざしており、本土への上陸が許されないまま上川島[現在の広東省台山市]で病死しているのだ。ザビエルの亡くなった地を慕ってヤジローは中国に渡ったのだ、とは誰も言っていないが不思議なゆかりを感じる。 (鹿取)
 

     (後日意見)(2018年8月)
 『馬場あき子新百歌』で米川千嘉子がこの歌について書いているので、「日本史の粛然とせる失念」に触れているあたりを一部抜粋する。(鹿取)

 キリスト教伝来は日本にとって画期的だったが、それを陰で支えた日本人を日本の歴史は思い出すことがなかった。スペインの海と空の青さの下で、馬場はそれを「日本史の粛然とせる失念」どと悲しみ、はるばると海を越え来ては再び日本に渡った一人の心を想う。〈逃亡者ヤジローの海灼けるほど熱き黙秘の塩したたらす〉ともうたうのだ。
 掲出歌は観念的な漢語を用いて構えの大きな上句にナイーブで素直な下句を付ける。「粛然とせる失念」は陰影に富んだ情をくっきりと明快に普遍化する表現で、馬場あき子に特徴的な抒情の文体の一つである。(米川)



ブログ版 馬場あき子の外国詠76(スペイン)

2018年08月23日 | 短歌一首鑑賞
 ブログ版馬場あき子の外国詠9(2008年6月実施)
  【西班牙 2 西班牙の青】『青い夜のことば』(1999年刊)P52~
    参加者:N・I、M・S、崎尾廣子、藤本満須子、T・H、渡部慧子、鹿取未放
   レポーター:藤本満須子    司会とまとめ:鹿取 未放

  ※この項、『戦国乱世から太平の世へ』(シリーズ日本近世史①藤井譲治)・『ザビエルとヤジ
   ロウの旅』(大住広人)・講談社『日本全史』等を参照した。


76 ただ孤なるみなし子のやうなるザビエルの心乗せたる秋の雲ゆく

      (レポート)
 4句め、5句めにこの歌の眼目がある。宣教師ザビエルはただ一人みなしごのようにインド、日本、中国へと布教のために旅をする。ザビエルの孤独と天空の秋の雲との取り合わせ、特に夏ではなく「秋」と歌ったところに憂愁の気分も漂っている。 (藤本)

 みなし子と自らを称(よ)びし長明の心にありし詩のやうな空  馬場あき子『ゆふがほの家』


     (まとめ)
 みなし子とは祖国から切り離された布教のあてどなさを言っているのであろうか。もちろん、ザビエルはたった一人で日本に来たわけではなく、仲間もいたのだけれど。馬場のスペイン訪問は六月初旬なので、「秋の雲」はザビエルが日本に滞在した遠い秋のことを思い描いているのだろう。(鹿取)


      (後日意見)(2018年8月)
 『馬場あき子新百歌』で米川千嘉子がこの歌に触れて次のように書いている。(鹿取)

 布教のために世界を旅したザビエルを思う。旅先で思うザビエルもヤジローも、沁みるような風土の青さに投げ出されていっそう生の孤独を晒していたのではなかったか。旅情とは異国の自然や歴史の珍しさに昂ぶるより、異なる時空にあって響き合う存在の孤独を発見することかもしれない。

ブログ版 馬場あき子の外国詠75(スペイン)

2018年08月22日 | 短歌一首鑑賞
 ブログ版馬場あき子の外国詠9(2008年6月実施)
   【西班牙 2 西班牙の青】『青い夜のことば』(1999年刊)P52~
    参加者:N・I、M・S、崎尾廣子、藤本満須子、T・H、渡部慧子、鹿取未放
   レポーター:藤本満須子    司会とまとめ:鹿取 未放

  ※この項、『戦国乱世から太平の世へ』(シリーズ日本近世史①藤井譲治)・『ザビエルとヤジ
   ロウの旅』(大住広人)・講談社『日本全史』等を参照した。


75 いすぱあにあ―――はるかなるものを呼ぶときの葡萄の香り薄雲の肌

     (レポート)
 Hispania いすぱあにあ:南ヨーロッパイベリア半島の大部分を占める立憲君主国。15世紀末に統一王国が成立して栄え、長らく広大な植民地を持った。日本との修交は安土桃山時代に遡る(スペインの大航海時代、カソリックの布教と侵略、征服、コロンブス)
 「いすぱあにあ」と声に出して読んでみる作者、広大な自然の中の葡萄の香りとそこにくらす人々の肌の色を薄雲のような肌と表現した。ひらがな表記と実線を使うことによって2句以下の言葉を呼び出し何とも言えない甘く哀しい感興を呼び起こしているうた。スペインではなく「いすぱあにあ」とうたったところにこの歌の生命を感じる。(藤本)

      (当日発言)
★乾燥した大地と空の色(藤本)
  
     (まとめ)
 ザビエルが日本に来て伝えたものに、ガラス・めがね・ニット生地などとともにワインがあるそうだ。前の歌の鑑賞で「日本にはワインが無いので米のお酒を飲んでいる」という意味のザビエルの手紙を紹介したが、ザビエルにとっては葡萄から作るワインはキリストと切り離しては考えられない大切このうえない品だったのだろう。ここでも「いすぱあにあ」と葡萄の香りは切り離せないものとして想われている。「薄雲の肌」は空にうっすらと浮く雲であると同時に、うすい皮を張った透き通る葡萄の果肉を思わせる壊れやすく繊細な比喩で、あこがれのスペインを象徴するものであろう。(鹿取)