かまくらdeたんか   鹿取 未放

「かりん」鎌倉支部による渡辺松男の歌・馬場あき子の外国詠などの鑑賞

 

渡辺松男の一首鑑賞 2の42

2017年11月30日 | 短歌一首鑑賞

  渡辺松男研究2の6(2017年11月実施)『泡宇宙の蛙』(1999年)
    【夢監視人】P32~
     参加者:泉真帆、T・S、曽我亮子、渡部慧子、A・Y、鹿取未放
     レポーター:泉 真帆
     司会と記録:鹿取未放

42 透りたる尾鰭をみれば永遠はすずしそうなり化石の石斑魚(うぐい)

      (レポート)
 星尾峠から30㎞ほど離れるが、群馬県には神流町恐竜センターがある。化石の発掘体験もできるのだという。もしかしたら、石斑魚の化石が荒船山に落ちていたのかもしれない。薄い尾鰭の部分はべっ甲のように透けているのではないか。「永遠はすずしそうなり」がとても効いている。永遠という言葉から重さや強さやあてどなさやロマンはイメージできても、「すずしそう」には虚をつかれる。壮大な恒久的静けさが広がる。(真帆)


        (まとめ)
 化石が落ちているということあまりないので(ネパールのカルガンダキ川では河原にアンモナイトの化石が落ちているそうだが)、近くの地層から発掘されたのかも知れない。「神流町恐竜センター」にそういう石斑魚の化石が展示されていて、それを見ての発想かも知れないが、ネットではあるかどうか調べきれなかった。尾鰭の骨だけがくっきりと残っている状態を「透りたる」と表現しているのだろうか。「すずしい」というのは松男さんのキーワードの一つだが、この語はいつも遙かな時間と結びついて現れるようで、とても感覚的な言葉だ。(鹿取)

コメント
この記事をはてなブックマークに追加

渡辺松男の一首鑑賞 2の41

2017年11月29日 | 短歌一首鑑賞

  渡辺松男研究2の6(2017年11月実施)『泡宇宙の蛙』(1999年)
    【夢監視人】P32~
     参加者:泉真帆、T・S、曽我亮子、渡部慧子、A・Y、鹿取未放
     レポーター:泉 真帆
     司会と記録:鹿取未放

41 永遠の静止のごとく月は泛き荒船山は狸あそばす

      (レポート)
 39番歌(夢監視人われすこしまだ若ければ星尾峠の名に引かれ来し)に詠われた星尾峠のある荒船山にいま鏡のような月がのぼり、月光のもと狸たちがあそんでいる、そんな詩的な風景が目に浮かんだ。
 渡辺松男の短歌は、哲学を語ることも抒情することも、ユーモアでたのしませることも風景を描くことも巧みで、読者はすっかり松男ワールドに酔うのだが、この一首などは特にそう思う。「荒船山」の固有名詞が静寂の夜の童話の世界を引き締めているように思う。(真帆)


     (まとめ)
 荒船山は群馬県甘楽郡下仁田町と長野県佐久市に跨る標高1,423mの山である。南北約2km、東西約400mの安山岩でできた台地で、平坦な頂上部と切り立った崖のある山容が、荒波を割って進む船を思わせることから、その名が付けられたといわれている。(Wikipediaより抜粋)
 40番歌(はるかより木の実匂いて来たりけり二足歩行のけものの乳房)の幻視の古代の女に引き続いて、更に遠い時間を作者は思っている。空には永遠に静止しているかのように月が浮いている。「証城寺の狸囃子」にもあるが、この月は満月か三日月か不明。荒船山の頂上は平坦な岩の台地で、月光を浴びて狸が遊んでいる図だろうか。宮沢賢治の世界をも思わせられるが、渡辺松男と賢治とは共通項も多いが違いもたくさんあって、興味深い。(鹿取)


コメント
この記事をはてなブックマークに追加

渡辺松男の一首鑑賞 2の40

2017年11月28日 | 短歌一首鑑賞

  渡辺松男研究2の6(2017年11月実施)『泡宇宙の蛙』(1999年)
    【夢監視人】P32~
     参加者:泉真帆、T・S、曽我亮子、渡部慧子、A・Y、鹿取未放
     レポーター:泉 真帆
     司会と記録:鹿取未放

40 はるかより木の実匂いて来たりけり二足歩行のけものの乳房

      (レポート)
 遠くから木の実の匂いがしてきた。例えばまたたびのクセのある匂いを自分の鼻が嗅ぎつけた瞬間、自分はその甘い実食べたさに駆け出していた、そんな場面を思い描いた。結句の「乳房」からこの二足歩行をするけものは駝鳥のようなものではなく哺乳類であり、それは作者だということを表しているのだろう、そう思ったがどうだろう。(真帆)

     (まとめ)
 遠くから木の実の匂いと共に近づいてきた「二足歩行のけもの」とは人間の女だろう。何か原始の時代の木の実を採集して生活していた逞しい女の裸の乳房が見えるようだ。「はるか」は例えば数万年前というような時間的隔たりを含んでいるのかもしれない。木の実の匂いと共に近づいてくる女というのは幻視なのであろうが、それを〈われ〉はありありと感じている。(鹿取)

コメント
この記事をはてなブックマークに追加

渡辺松男の一首鑑賞 2の39

2017年11月27日 | 短歌一首鑑賞

  渡辺松男研究2の6(2017年11月実施)『泡宇宙の蛙』(1999年)
    【夢監視人】P32~
     参加者:泉真帆、T・S、曽我亮子、渡部慧子、A・Y、鹿取未放
     レポーター:泉 真帆
     司会と記録:鹿取未放
     
39 夢監視人われすこしまだ若ければ星尾峠の名に引かれ来し

     (レポート)
 流れ星が星の尾を曳きながら落ちてゆく。その尾が消えるまでに三回願いごとを言えば願いは叶うのだという。迷信だが大人になった今でも急いで願いを三回言ってしまう。
 さて歌に詠まれている「星尾峠」は群馬と長野の県境にあり、地図でみると群馬県甘楽郡南牧村星尾に位置している。作者はこの名に魅せられ、また、名にある星の引力にひかれるように心滾らせ峠に来てしまった。もう青年ではないが夢を実現したいと渇望する若さが心にのこっていた。そう気づいた瞬間、自分はもう夢をおいかける当人ではなく、夢をえがく心を監視するだけの大人になってしまっていたのだと気づいたのではないか。
 あるいは少し唐突にも思えるが、筆者冒頭の迷信の文からつなげ、「夢監視人」とは流れ星を見上げおのおの夢の実現を願う人々の夢を地球の上から監視している人、という鑑賞もしてみた。この場合作者は生身の自分と、自分を客観的に見おろしているもう一人の自分、すなわち夢監視人とに分かれる鑑賞だ。「夢監視人」を皆様はどうとらえるだろう。(真帆)


        (当日発言)
★真帆さんのレポートに賛成ですが。自分は若さが残っているので無謀なところがあってそれを監
 視しなければならないというふうに取りました。この歌は「夢監視人」をどう読むかに掛かって
 いる歌ですよね。(慧子)
★慧子さんは、まだ自分の中に少し夢が残っていて、それがなくならないように監視している監視
 人が自分であるというように解釈されましたが、そうなのかと腑に落ちました。(真帆)
★自分の夢を監視するということがよく分からないのです。しかし、結句はなにか反語的ですよね。
 星尾峠はネットで調べましたが名前はロマンチックだけど寂しい所ですよね。(A・Y)
★いや、結句は別に反語的でないと思いますが。「夢監視人」というのは造語ですよね。そして寝
 てみる夢を監視しているのではなく自分の抱負を監視しているのだというのが真帆さんと慧子さ 
 んの解釈でした。〈われ〉はまだ少し若くて全ての夢を失っている訳ではないので、星尾峠とい 
 うロマンチックな名前に惹かれてやってきたよというのですね。平たく解釈すると青春の名残を
 惜しんでいる歌でしょうか。星尾峠の標高は1270mくらい、次の歌の荒船山に続いているそ
 うです。開けた尾根のイメージですが、見晴らしは悪いそうです。 (鹿取)



コメント
この記事をはてなブックマークに追加

渡辺松男の一首鑑賞 2の38

2017年11月26日 | 短歌一首鑑賞

  渡辺松男研究2の5(2017年10月実施)『泡宇宙の蛙』(1999年)
    【白根葵】P28~
     参加者:曽我亮子、渡部慧子、鹿取未放
     レポーター:渡部慧子
     司会と記録:鹿取未放

38 木は開き木のなかの蝶見するなりつぎつぎと木が開く木の胸

      (レポート)
 林、森、並木、そんな場で木のいっぽん、いっぽんを愛でたり話しかけたり、そのような作者像がうかぶ。そんなある時、木から蝶が舞い出た。それを木は胸を開いて胸中の大切を見せてくれた、との見立てだろう。まず一本がクローズアップされたのち、画面がつぎつぎ展開する。みんな各々の胸を開くべく。(慧子)


(当日意見)
★つぎつぎと、というのは別の木なんですね。分かりました。(鹿取)
★ある一本の木にとても親近感を覚えた、そのことを蝶を見せてくれたと言っているのかも知れま
 せん。実際は蝶なんかいなかったかもしれない。(慧子)
★なるほどね、まあ、リアルな現実の歌ではないですね。蝶はまあいてもいなくてもいいですけど。
 大切なもの、美しいものをそれぞれの木が見せてくれたってことですね。(鹿取)


コメント
この記事をはてなブックマークに追加

渡辺松男の一首鑑賞 2の37

2017年11月25日 | 短歌一首鑑賞

  渡辺松男研究2の5(2017年10月実施)『泡宇宙の蛙』(1999年)
    【白根葵】P28~
     参加者:曽我亮子、渡部慧子、鹿取未放
     レポーター:渡部慧子
     司会と記録:鹿取未放

37 恋人は押し黙るときひんやりとスイショウランのようにも見ゆる

     (レポート)
 「押し黙る」という状態が作者の恋人においては不機嫌ではなく「ひんやり」していて「スイショウラン」のように感じるらしい。水晶という鉱石、さらに四君子のひとつの蘭から、清潔と賢明のイメージをあわせもつ恋人らしい。さらに、それらどちらも山、森、そんな場と切り離せず、恋人は森の精のような人だろう。(慧子)

   
     (当日意見)
★スイショウランは斑になった薄のような長い葉に、鈴蘭のような美しい花を付けるようです。こ
 ちらも可愛らしいですね。この花のように押し黙られたら憎めないですね。(鹿取)

コメント
この記事をはてなブックマークに追加

渡辺松男の一首鑑賞 2の36

2017年11月24日 | 短歌一首鑑賞

   渡辺松男研究2の5(2017年10月実施)『泡宇宙の蛙』(1999年)
    【白根葵】P28~
     参加者:曽我亮子、渡部慧子、鹿取未放
      レポーター:渡部慧子
      司会と記録:鹿取未放

36 森深くあゆみ来たれば恋人のうしろにサンゴハリタケがいる

      (レポート)
 森深くへ分け入った。同行したのではなく、そこで会った恋人なのだろう。恋人の後ろにサンゴハリタケがいるという。傘のない白くて美しいきのこで、雲のようと例えたきサンゴハリタケである。まるで、恋人がそれに乗って天上界から会いに来ていたごとく。(慧子)


          (当日意見)
★天上界からという読みがしたいので、同行したのではないという導入なのでしょうか。リアルな
 読みだと、女性一人で森深く行くって危険ですよね。別々に行く必然性は無いし、恋人なんだか
 ら当然一緒に行ったのでしょう。前の歌が「こいびとの林檎学われのゲーデル論 霧晴れて別の
 尾瀬沼はあり」だから、さらに森深くに歩んでいったと思ってもいい。ふっとみたら恋人のうし
 ろに花のように美しいサンゴハリタケが見えた。恋人の美しさと二重写しになっているのでしょ
 う。キノコですから動かないんだけど、「いる」て捉えたのが面白いですね。馬場あき子も植物
 を「いる」って表現した歌がたくさんあります。(鹿取)



コメント
この記事をはてなブックマークに追加

渡辺松男の一首鑑賞 3の35

2017年11月24日 | 短歌一首鑑賞

  渡辺松男研究2の5(2017年10月実施)『泡宇宙の蛙』(1999年)
    【白根葵】P28~
     参加者:曽我亮子、渡部慧子、鹿取未放
      レポーター:渡部慧子
     司会と記録:鹿取未放

35 こいびとの林檎学われのゲーデル論 霧晴れて別の尾瀬沼はあり

      (レポート)
 恋人は農学に携わり、特に林檎について深く研究しているのだろう。作者の造語であろう「林檎学」が新鮮にひびく。そして、作者のゲーデル論とはゲーテについての学究だろう。日々研鑽を積んでいるらしい三句まで。下句「霧晴れて別の尾瀬沼はあり」ときれいな風景に託されている内容は、霧が晴れるように理解したり成果を上げてもまた新しい不可解点、問題が起こり、さらに学び続けなければならない。そんな状況を「別の尾瀬沼はあり」としていよう。まなざしを先に置いている二人なのだろう。(慧子)


      (当日意見)
★「林檎学」はおそらく恋人が専門に研究しているというのではなく、林檎についてあれこれしゃ
 べっている程度のことだろうと思います。ただ、林檎学を専攻しているのではないという証拠も
 歌の中にはないので、どう解釈するのも自由でしょうけれど。ただ、ゲーデル論については調べ
 て欲しかったです。ゲーデル論がなぜ名前からして違うゲーテについての学究になるのか乱暴す
 ぎます。ゲーデルというのは数学者です。不完全性定理という難しい論を打ち立てた人だそうで
 す。松男さんは「数学の渡辺」と言われていたほど数学が好きで得意だったそうですから、ここ
 は〈われ〉が恋人にゲーデルについて話しているという設定でしょう。霧の中で君と林檎やゲー
 デルについてお喋りしていたら、霧が晴れて素晴らしい景が現れたという歌意でしょう。「霧晴
 れて別の尾瀬沼はあり」はゲーデルの打ち立てた定理の裏側の比喩になっているのかもしれませ
 ん。いろんな見え方があるって。定理自体は読んでみても私には難しくて分かりませんが。
    (鹿取)



コメント
この記事をはてなブックマークに追加

渡辺松男の一首鑑賞 2の34

2017年11月23日 | 短歌一首鑑賞
★★「渡辺松男研究」に参加してくださる方を募集しています。
     母胎は「かりん」の鎌倉支部ですが、
     他の結社の方でもかまいません。
     どうぞお気軽にお越しください。
     場所は鎌倉駅東口2分の「鎌倉生涯学習センター」
     (0467-25-2030)です。
     次回は12月は9日(土)です。

  渡辺松男研究2の5(2017年10月実施)『泡宇宙の蛙』(1999年)
    【白根葵】P28~
     参加者:曽我亮子、渡部慧子、鹿取未放
      レポーター:渡部慧子
      司会と記録:鹿取未放

34 尾瀬唐檜(おぜとうひ)見上げてわれらめまいせり恋人よいかに近くとも雲

     (レポート)
 高木である尾瀬唐檜を見上げていてわたしたちはめまいした。実景であろうが、その高さに理想や志などを作者はかさねていよう。そこから「恋人よ」と言葉をおき、「いかに近くとも雲」と告げたかどうか、とにかく作者の胸中をここに示す。私達はこんな近くいるが互いに雲のようなものだ。うつろいやすく、消え去りやすく、掴みがたい…と。(慧子)

     (当日意見)
★尾瀬唐檜は40メートルくらいになるそうです。そんな高木を見上げて〈われ〉と恋人はめまい
 をした。そこから雲をもち出すのは飛躍がありますよね。そんな高い木だから雲が降りてきたら
 とても距離が近くなる。だから「いかに近くとも」と言っているのは直接には木と雲の距離だと
 思うのですが。もし〈われ〉と恋人の距離だったら「いかに近くとも雲」という例え方は難しい
 ように思うのですが。私は「恋人よ」は〈われ〉の認識「いかに近くとも雲」を告げるための呼
 びかけだと思います。(鹿取)
★恋人との関係が雲のようだと言っているのではないですか。(曽我)
★では関係が雲のようだというのは、具体的にはどうだというのでしょう?(鹿取)
★木はしっかり高く立っているが、私達の関係はそんなにしっかりしていない。だから雲のよう。
    (慧子)
★うーん、作者理屈では歌は作らないと思います。その解釈だと木が置き去りにされている。
    (鹿取)

コメント
この記事をはてなブックマークに追加

渡辺松男の一首鑑賞 2の33

2017年11月21日 | 短歌一首鑑賞

 ★★「渡辺松男研究」に参加してくださる方を募集しています。
     母胎は「かりん」の鎌倉支部ですが、
     他の結社の方でもかまいません。
     どうぞお気軽にお越しください。
     場所は鎌倉駅東口2分の「鎌倉生涯学習センター」
     (0467-25-2030)です。
     次回は12月は9日(土)です。

  渡辺松男研究2の5(2017年10月実施)『泡宇宙の蛙』(1999年)
    【白根葵】P28~
     参加者:曽我亮子、渡部慧子、鹿取未放
      レポーター:渡部慧子
      司会と記録:鹿取未放

33 夕焼けの谷川岳を押したおし逢いにゆきたきはなのかおばせ

     (レポート)
 逢いにゆきたいと思っている。谷川岳を押し倒しゆきたいという。この強さが暴力的ではなくゆたかな広がりをもつのは「夕焼けの」にあるのだろう。夕焼けの色を受けているであろう。またその時の人恋しくなるころを考えあわせると、一首にやさしさ、なつかしさがそなわっている。このような景を設定して逢いにゆきたきとは、他国の王女へ寄せる思いのようでもあるが、実はあえかな「はなのかおばせ」である。美しい花のような人と思ってもいいし、実際の美しい花かもしれない。9番歌【蟹蝙蝠(かにこうもり)大群生して霧深したれに逢いたくて吾は生まれしや】でも言われたように壮大なロマンを感じる。(慧子)


     (当日意見)
★普通「かんばせ」っていいますよね。押し倒しって凄いですね。(曽我)
★辞書にはどちらも出ていますね。かおばせがもともとで、かんばせは音便。(鹿取)
★夕焼け時の人恋しい情趣がうまく出ていて、でも「谷川岳を押したおし」だからダイナミックで
 ですね。万葉集の柿本人麻呂の「妹が門見ぬ 靡けこの山」を思い出しました。(鹿取)


コメント
この記事をはてなブックマークに追加