かまくらdeたんか   鹿取 未放

「かりん」鎌倉支部による渡辺松男の歌・馬場あき子の外国詠などの鑑賞

 

過剰防衛

2013年10月30日 | 日記
 数年前、友人がオレオレ詐欺に引っかかって300万円弱をだまし取られた。その嘆きの詳細を聞いてしばらくした頃、電話が掛かってきた。

 男の声:俺だけど、銀行の口座にお金振り込んでくれる……
 私:母親が25歳の時飼っていた猫の名前は? 
 男の声:おかん、何あほなこと言うてるんや!俺や!俺!
 私:あかん、詐欺はみんな俺言うで!質問に答えて!

 これは本物の息子だったが、久しぶりの電話だったから疑われても仕方がない。

 ある年のお正月前にもこんなことがあった。3~4ヶ月、あれやこれやメールしているのに息子からはいっこうに返事が来ない。しまいに「生きているのか?死んでいるのか?ウンとかスンとか言ったらどうだ!」と打ってみた。
 息子の返信「生きてるよ!スン!」

 一ヶ月ほど欧米を巡ってくると出かけた息子から何の音沙汰もないので案じながら、上に書いたようなことを思い出している。
コメント
この記事をはてなブックマークに追加

貧血三態

2013年10月29日 | エッセー
 貧血で倒れたなさけない記憶。いずれもみっともないことこの上ない。
①献血車  ②手指の縫合時  ③青山のレストラン

 ①献血車
 娘と食事の約束をして駅で待ち合わせた。私の用事が早く終わってしまって、駅に着いたときには待ち合わせ時間まで40分もあった。そこに「30分、あなたの時間をください」という声が飛び込んできた。駅前に停まっている献血車の前だ。即決した。
 問診を終わって、200ccでなく400cc採るのか、お腹空いているのにな、とは思ったが、まあいいやと中に入って針を刺された。切迫早産で3ヶ月入院し、毎日点滴をしていたことがあるので針を刺されるのは平気だ。この人上手かなあと針を見ていた間はよかったが、ふと目を移すとビニールのパックに採り出した血液をゆらゆらと揺すっている。それを眺めているうちにだんだん気持ちが悪くなってきた。そして寝かせてもらうはめに。気がついた時には娘との待ち合わせ時間はとっくに過ぎていて、ケータイにいくら電話しても出ないからと娘は帰宅してしまっていた。きっと献血のブラックリストに載っていて、もう献血できないんだろうな。

 ②手指の縫合時
 夜中にカッターナイフで指を切った。資源ゴミに出そうと段ボール箱を解体していて、うっかり空中からガムテープに向けてナイフをふるってしまったのだ。見るからに縫わないと駄目そうな傷だ。外科医がいる当番の病院を電話で聞いて、自分で運転して出かけた。当直の20代とおぼしき男性が丁寧に診察をしてくれ、やはり縫わないと駄目ですねと言う。指に注射を打ってさあという時、息子と同じ歳くらいだけどこの先生縫った経験あるのかなあ、と失礼な考えが頭をかすめた。そのとたんに目の前が暗くなったのだった。

 ③青山のレストラン
 ある記念日におしゃれをして青山のレストランで食事をしていた。ちょうどおいしいお肉を食べている途中で、急に気分が悪くなった。トイレにと立ち上がり、やっとトイレのドアを開けたが個室にはたどり着けず、手前の洗面所のあたりで何も分からなくなって倒れてしまった。気がついたら休憩室のベッドに寝かされていた。見守ってくれていた支配人らしき人が言った。「気がつかれてよかった、お連れの方をお呼びしましょうか。」
コメント
この記事をはてなブックマークに追加

もしもし、小樽警察です

2013年10月28日 | エッセー

 数年前、横浜に住む私のケータイに「小樽警察です。お宅の息子さんが……」という電話が入った。夕方、勤めから帰って駐車場に車を止めたところだった。「救急車で病院に運ばれました。」と続いた。半信半疑だったが、「生きているんですか?死んだんですか?」と聞いた。向こうは「生きている息子さんからこの電話番号を聞いて掛けています。命に別状はありません。」と言った。
 小樽港近くのコンビニで倒れて救急病院に入院しているという。
①後で病院の医師から電話がある。
②コンビニの商品棚が倒れて、商品にも被害がありそうだから、電話して補償について話し合ってくれ。
③コンビニに息子さんの車が止めたままになっているので、保険会社と連絡を取って、病院の駐車場にレッカー移動してくれ。

 間もなくして、劇場版オレオレ詐欺みたいに医師と名乗る人から電話があった。
④検査の結果、格段の異状は見つからないので疲労による貧血だったと思われる。明日退院させるが、車で帰すのは病院の責任上困るの で迎えにきてほしい。
⑤本人は今検査室にいるが、そのうち電話させる。

 大学院生の息子は一ヶ月前横浜の自宅を出発して、北海道にフェリーで渡った。先生や仲間達を乗せて宿から研究現場に毎日100キロの距離を往復していた。入院の前日、研究は無事終わったから、明日はフェリーで舞鶴に行くよ、と電話があったばかりだった。(舞鶴港から祖父母が住む綾部に寄る予定だった。)
 本人に電話してみる、という知恵がこの時思い浮かばなかった。ここが詐欺にひっかかるネックかもしれない。この時は、かつて小樽で警察官をしていた知人を思い出して電話し、事の真偽を確かめて欲しいと頼んだ。知人がすぐに動いてくれて事実であることが判明した。

 事実と知って、それからが忙しかった。
○その日の夜出港の小樽~舞鶴間のフェリーをキャンセルする。
○翌日の小樽~大洗間のフェリーを予約する。
○親戚に息子の迎えを依頼する。(翌日はどうしても休めない仕事が入っていた。)
○親戚の乗る飛行機のチケットを予約する。
○コンビニに電話して謝罪、明日まで車を置かせてくれないか交渉する。(若い声の店長さん、たいしたことはないから補償は全く必要ない、駐車場は広いので退院まで駐めてもらっていいですよ、と暖かい返事をいただいた。)
 
 夜中になって息子から電話が入った。院の仲間をJRの駅に、指導教授を飛行場にそれぞれ車で送って小樽港の近くまで来た。コンビニで下着を買おうとして目の前が真っ暗になって倒れた。気がついたら病院のベッドだったという。

 後から考えると不幸中の幸いというか塞翁が馬というか、車を駐めてからコンビニで倒れたというのは非常にラッキーだったと思う。もし先生達を乗せた高速道路で事故を起こしていたらどうなったろう。自分だけが死ぬならまだいいが、先生や仲間達が亡くなったりしたらどうなったろう。また対向車を巻き添えにしていたら、どうなったろう。そう思うと静止した状態で倒れたのは何といってもラッキーだった。
 
 もっとも娘はよくこんなふうに言う。「あの時のママの慌てようったらなかった。あれじゃ、コロっとオレオレ詐欺にひっかるよ」






コメント
この記事をはてなブックマークに追加

失せもの  その2

2013年10月26日 | エッセー
 先日、娘と待ち合わせて美術館に行った。やってきた娘を見たら、雨は止んでいるのに長傘を持っている。おまけにその傘ときたら私が出先で雨に降られた折、リサイクル屋に飛び込んで100円で買った物だった。鑑賞する速度が娘とは違うので、先に帰るという娘にくれぐれも傘を忘れないよう言い聞かせて入り口で分かれた。帰りに念のため傘立てを覗くとしっかり傘が残っていた。
 どうするかしばらく迷った。100円の傘だから放棄したかった。黙って帰って後から傘札を送り、傘は捨ててくださいと書いたら迷惑だろうか。傘を取りに来てくださいと言われても困る。結局、正直に申し出て、合い鍵で傘を出して貰い、帰宅してから鍵を送付した。傘札の送付料は120円だった。

 ここのところ雨続きだが、この夏も雨が多かった。着物専用にしているお気に入りの日傘があるのだが、6月7月とさす機会がなかった。8月の下旬になってやっと日傘のお出ましだと思ったが、どこを探してもない。お気に入りだったので他の日傘に買い換えるのは嫌だ。今夏この日傘を差して出た記憶がないのだが、念のため着物で出かけた場所5カ所ほどに聞いてみたがどこにもなかった。どこへ消えてしまったのだろう?

 消えたといえば、夏物の帯揚げが10枚ほど全て消えてしまった。冬物と入れ替えようとして和箪笥の引き出しを開けて気がついた。夏冬両方を入れるとあふれるようになったので、冬物は押し入れにしまっていたのである。幾枚かがなくなったのなら、使用した後アイロンがけしようと別にした可能性がある。しかし今夏使用していない帯揚げだって幾枚かはあるのに、全てがないというのはどういうことだろう。これは病気の入り口だろうか?

 しかし中には出てきたものもある。お気に入りのセーターが長年どうしても見つからなかった。
お気に入りだから捨てるはずはないのに家中探してもないのだ。家で手洗いしていたが、万一クリーニングに出していても札があるはずだ。電話だって掛かって来るかもしれない。どうもそういうこともなく、箪笥にもクロゼットにも押し入れにもない。ほとんど忘れかけていた去年になってひょんなところから出てきた。ネパールで10日間ほど背負って、その後高尾山のふもとで安いリュックを買ってから出番の全くなかったリュックの底に入っていた。買い換えた時、移し忘れたものとみえる。実に9年間リュックの底に眠っていたことになる。 
コメント
この記事をはてなブックマークに追加

【中川短歌教室のお知らせ】

2013年10月24日 | 歌会などのお知らせ
明日は「梅内美華子の馬の歌」の鑑賞を行います。(梅内さんは、ここのところテレビのグリーンチャンネルに3回出演されて、馬と短歌の話をされているそうです。)短歌の教室は横浜市都筑区中川ケアプラザで、明日10月25日金曜日午後1時からです。月2回行っている短歌教室で、月の前半は歌会を、後半は短歌の鑑賞や文法を勉強しています。お近くの方で短歌に興味をお持ちの方、よかったらいらっしゃいませんか。
コメント
この記事をはてなブックマークに追加

失せものと老人力

2013年10月22日 | 日記
 区役所へある証明を取りに行った。販売機で証紙を買っておつりと領収証を財布に収め、番号札と掲示板を見ながら、何か足りないと思ったら証紙が無い。買った証紙を手に取った記憶も無い。財布やポケットやファイルやノートやさんざん探した後、カウンターの方に落ちていませんでしたか、と聞きに行った。落とし物はなく、皆さん、無意識にどこかにしまっているようですよ、と気の毒そうに言われた。これではまるでおばあさん力全開だ、と恥ずかしくて仕方なかった。40年前のように目の前をリヤカーが通って、荷台に無くしたハンドバッグが乗っているという奇跡が起こるはずもなく、隅の方に行ってハンドバッグの中身を全て取り出したら、底にくっつくようにして小さな証紙が出てきた。

 認知症かと一瞬あせったが、40年前を考えると、要するに昔からボーとしているだけなのかもしれない。それが証拠に息子が私そっくりである。その愚息の話。

 この春、やっと息子の就職が決まった。堺に住む叔父が就職祝いをするからぜひ泊まりに来てくれと言うので、京都の実家に帰る前に親子でおじゃますることになった。新大阪まで二人で行き、私は歌友の西内さんに会うので途中で分かれた。2時間ほど遅れて叔父の家に着き、先に着いていた息子にキャリーを寝室に運んで貰うために手渡した。しばらく私のキャリーを眺めていた息子、「俺もこれと同じようなもの持ってた気がする」と呟いた。「持ってた気がするって、大きなキャリー曳いて新幹線に乗ったじゃないか!」と私。
 どこまで持っていたか、本人に全く記憶が無いので、新幹線、環状線、阪和線と従弟が電話してくれたが、どの駅でも見つかったら電話するという返事。何か大切な研究資料が入っていたのではと心配する叔父達に、着替えしか入ってないから大丈夫と本人は悠然としている。(わざわざあんな大きなキャリーに着替えしか入れないって、あるか?)結局夜中近くに最後に乗った阪和線の駅から見つかったと電話があった。
 翌日、息子がキャリーを受け取りに行っている留守に、従弟と叔父が真顔で言った。「あれで就職してやっていけるのかい?」
コメント
この記事をはてなブックマークに追加

高尾山とリュック

2013年10月21日 | エッセー


今は亡き佐々木実之さんと二人で高尾山に登ったことがある。10年前の2003年11月の下旬のことだ。その年9月に亡くなったかりんの歌友を偲んでの登山で、実之さんの提案だったが、なぜ高尾山だったかはもう覚えていない。

 高尾駅構内にリュックを吊した臨時の店が出ていた。その時、私が背負っていたリュックは、11月初めにネパールの旅に使ったたいそうなシロモノで、値段も高かったが、大きくて重い。迷わず780円の軽いリュックを買って中身を入れ替えた。

 11月の下旬だというのに山はあまり色づいておらず、美しくなかった。ケーブルカーは使わなかったので、かなり疲れた。持参した日本酒はなぜか頂上では飲まず、麓に降りてきて、どこか田んぼの畦のようなところにレジャーシートを敷いて、そこで飲んだ。寒い日であまりお酒が飲めない私は、いつまでも寒かった。実之さんがほとんど一人で飲み、飲みながら彼はしきりに泣いた。あまり寒いので引き上げて、駅のホームの立ち食い蕎麦屋でコロッケ蕎麦を頼んだ。そこでは私が泣いていて、あまり食べられず、私のどんぶりに乗っているコロッケ2つも実之さんが食べてくれた。

 ところで高尾山で買ったリュックだが、軽くてとても使い勝手がよい。安かったのはたぶんあるブランドのまがい物だったからだが、当時そのんなことは知らず、気にもしなかった。
 高尾登山の翌年、私は勤務先の高校が異動になり、自宅と勤務先が近い者は自家用車通勤が許可されなくなった。それから8年間ほぼ毎日、高尾山で買ったリュックを背負って電車で通勤した。教材を入れ、帰りにはスーパーで買った食材も入れた。勤務最後の3年間はリュックを背負って片道40分を歩いて通勤した。
 このリュック、買って10年後の今も、かなりくたびれたとはいえ日々の買い物に現役で活躍している。
コメント
この記事をはてなブックマークに追加

必要な本が無い

2013年10月19日 | エッセー


 (クリックすると写真が大きくなります。) 

 このごろ、大きな本屋さんに行っても必要な本が手に入らない。
写真の本は、もう半年くらい前に買った本だが、当然あると思った近所の本屋さん3軒になかった。

 仕方がないので息子に依頼した。勤務している某大学の正門近くの本屋さんでは職員割引がきくので、時折頼むのだが、これらの本は置いてないという。「源氏物語」に至ってはジュニア版の抄訳ならあるがどうですかと店員が聞いていると電話がかかってきた。大学時代、怠けてろくに勉強しなかったとはいえ、一応国文科の卒業である、まさか今更ジュニア版の抄訳を使うわけがないだろう、と怒った。(月1回開いている「源氏物語を読む会」に全集を持参するのは重いので、文庫本を持って行くのである。)

 れっきとした文学部(まあ、今、文学部は斜陽だが)もある大学近くの書店である。特に専門の貴重書籍でもない、「源氏物語」の文庫本が置いてないなんてけしからんと、息子相手に怒ったら、客も悪いんじゃないかという返事。学生がきちんとした本を買わないから置いてないんだという。そうかなあ?今の学生って「源氏物語」も吉本隆明も全然読まないの?

 ちなみに、「源氏物語」の方は、たまたま出たついでに新宿の紀伊國屋書店で買った。
(ここには、「のだめカンタービレ」のフランス語版が置いてあって嬉しかった。)
 吉本隆明の上下巻は、京都駅で買った。それもおみやげ屋の並ぶ一角にある街の本屋さんに、何冊も平積みで置いてあった。
 やっぱり、大学前の本屋さん、ひどくない?
コメント
この記事をはてなブックマークに追加

英語力

2013年10月18日 | エッセー
 英語が苦手である。どのくらい苦手かというと、大学受験の時、英語に見切りをつけてフランス語で受験したくらい苦手である。(そのフランス語も、卒業後全く使わなくなって忘れてしまった。)

 しばらく前、FBで坂井修一さんが東大の秋季入学式における総長式辞がすばらしかったので読んでみてくださいと書いていらした。興味を持って開いてみたら英語。挨拶部分を読んで、その後、長そうだなと思って全文を見たのがいけなかった。小さな文字でA4の3ページ分はある。後で読もうとページを閉じた。

 帰宅した息子にその話をしたら、英文の3ページくらいでめげるなよ、と笑われた。(息子には申し訳ないが、献辞付きでもらった息子の論文、修士のも博士のも絵を眺めただけで読んでいない。)もっとも、理系だから致し方なく英文で読み書きしているだけで、息子が英語を得意な訳では全くない。

 数年前、息子は3ヶ月ほど博物館で研修をする為にアメリカに出かけた。落ち着いたらアパートを探そうと、当初の10日間ほどはネットで探したホテルに滞在することになっていた。ところがいざ現地に行ってみると、パソコンを使う為には冷蔵庫のコンセントを引き抜くしかないというお粗末なホテルで、条件が全く違う。さっそくフロントへ掛け合いに行ってさんざんやりあったが、最後に英語力で負けてすごすごと引き下がったという。

 憤懣やるかたない息子は、指導してくださる博物館の先生にさっそくホテルのひどさを訴えた。先生は一緒になって悪徳ホテルを嘆き、いたく同情してくれた。そして翌日から3ヶ月間、息子はその博士宅に泊めてもらい、食事も家族と一緒に奥様の手料理を食べさせてもらった。その間の費用はどうしても受け取ってくださらず、アメリカの研究者が日本に行って困っていたら助けてやってくれ、それが私へのお返しだ、と言ってくださったそうだ。
コメント
この記事をはてなブックマークに追加

愚息を語る会

2013年10月17日 | エッセー
 出身大学の同窓会組織に誘われて食べ歩きの会に参加した時、「愚息を語る会」というのがあると聞いた。まだ参加したことはないが、語る材料なら山ほどある。まあ、この親にしてこの子ありで、息子が自分に似ているだけなのかもしれないが。


 ある時は、外国にその晩発つのに、ふと気がついたら替えのズボンがなかった。あわててタクシーでユニクロに買いに走ったらタクシー代の方が高かった、そうだ。
 またある時は、銀座で友人と食事をしていたら、ケータイに電話が入って、大事な書類を忘れたから飛行場まで届けてと言われて、横浜の自宅にとって返し、成田まで届けさせられた。


 そしてある時、夜の12時過ぎに帰宅して、明日の朝早くの飛行機を予約したが、始発の電車に乗っても間に合わないことに今気がついた、と言う。仕方がないからタクシーで行くしかない、お金は私が出すから、と言ってみたが、それでは早朝格安のチケットを手に入れたかいがない、という。
 結局、大学の後輩に車で送ってもらう交渉が成立し、午前3時半に近くの国道の交差点まで迎えにきてもらうことになった。後輩に気の毒だは、交通事故も気になるは、心配でこちらは眠れなかった。
 やがて、息子の部屋の目覚まし時計が鳴った。3時だった。起き出してシャワーを浴びる音がする。3時10分、浴室から出て自分の部屋に入った。ばたんばたんと荷物を開け閉めする音がする。まもなく静かになった。そしてずーと静かだ。3時20分、待ち合わせ場所まで5分はかかる、気が気ではないが、口出しするとおせっかいだと怒るに決まっているので、自分のベッドで黙って我慢した。21分、22分……がまんできなくなって起きだし、息子の部屋をノックして開けた。
 息子は、のんびりとベッドに腰掛けて、5本指の靴下を履いているところだった。 
コメント
この記事をはてなブックマークに追加