斉藤和義さんのニューアルバムがそろそろ出ます。ってか今日か。
んで、特にチェックとかしてなくても、ちらほら斉藤さんをテレビで見かけます。
あんまりテレビ見ないのにアルバムのコマーシャル見たし、カウントダウンの番組でアルバム全曲紹介されたし、その他もろもろ。
15歳の私Come On!
絶対今の私より喜んだだろうになぁ。
今はその辺はすんごい冷めてて、「斉藤さんが好きな音楽を楽しく続けていけさえすれば、売れようが売れまいが、露出が増えようが減ろうが、そんなことはどうでもいい。」という感じなので……。売れようが売れまいが、といっても、好きな音楽でご飯食べていける程度には売れててほしいんですが、そこの心配はもういらないと思いますし。
昔は斉藤さんの考えてることならぜんぶ知りたいくらいの勢いでしたが、今は「歌で発信してることだけ、受け取れればいいや。」って感じですし。しかも「私なりの」受信だから、彼の発信とは大きくかけ離れてる可能性も否定はしません。なんせ「phoenix」(忌野清志郎さんのことを歌った歌らしい)を聴くたびに思い出すのは渡辺洋三先生(日本人のなあなあな契約観とか法意識とかが民主主義の形骸化の原因じゃないの?ということをもっとちゃんとした言葉で50年以上も前に指摘した法社会学者)だったりして、「見えてるんでしょう?なんかすいません」しかあてはまらんっていうのに、どうしても思い出しちゃってせつなくなるような、そんな受信のしかたですが(だってほんとに「なんかすいません」としか言いようがないじゃないか。なんかすいません、ほんとすいません、すいませんってたまに思うだけで具体的に改善のための行動など何もとっておりません。いやはやもうほんとに、たいへんに、すいません……と、聴くたびにそんな感じです)。が、彼もそこは別にいいと思ってると思います。聴く人なりの受け取り方をしてくれればいい、というか。
そして17歳の、そろそろ生涯で一番つらい思いをする私に教えてあげたい。辛いことが重なったタイミングで、追い打ちで。
「あと10年もすれば、斉藤さんはそれなりに売れるようになるけど、斉藤さんが売れるようになった世の中も、あなたの住みにくさはかわらないよ。」
…って。
いや、なんか最近、昔の自分をもうちょっといじめてみたい願望が…。
なんなんでしょうね。
あ、でも、15歳の私はいじめないの。斉藤さん見つけて偉かったから。
んで、特にチェックとかしてなくても、ちらほら斉藤さんをテレビで見かけます。
あんまりテレビ見ないのにアルバムのコマーシャル見たし、カウントダウンの番組でアルバム全曲紹介されたし、その他もろもろ。
15歳の私Come On!
絶対今の私より喜んだだろうになぁ。
今はその辺はすんごい冷めてて、「斉藤さんが好きな音楽を楽しく続けていけさえすれば、売れようが売れまいが、露出が増えようが減ろうが、そんなことはどうでもいい。」という感じなので……。売れようが売れまいが、といっても、好きな音楽でご飯食べていける程度には売れててほしいんですが、そこの心配はもういらないと思いますし。
昔は斉藤さんの考えてることならぜんぶ知りたいくらいの勢いでしたが、今は「歌で発信してることだけ、受け取れればいいや。」って感じですし。しかも「私なりの」受信だから、彼の発信とは大きくかけ離れてる可能性も否定はしません。なんせ「phoenix」(忌野清志郎さんのことを歌った歌らしい)を聴くたびに思い出すのは渡辺洋三先生(日本人のなあなあな契約観とか法意識とかが民主主義の形骸化の原因じゃないの?ということをもっとちゃんとした言葉で50年以上も前に指摘した法社会学者)だったりして、「見えてるんでしょう?なんかすいません」しかあてはまらんっていうのに、どうしても思い出しちゃってせつなくなるような、そんな受信のしかたですが(だってほんとに「なんかすいません」としか言いようがないじゃないか。なんかすいません、ほんとすいません、すいませんってたまに思うだけで具体的に改善のための行動など何もとっておりません。いやはやもうほんとに、たいへんに、すいません……と、聴くたびにそんな感じです)。が、彼もそこは別にいいと思ってると思います。聴く人なりの受け取り方をしてくれればいい、というか。
そして17歳の、そろそろ生涯で一番つらい思いをする私に教えてあげたい。辛いことが重なったタイミングで、追い打ちで。
「あと10年もすれば、斉藤さんはそれなりに売れるようになるけど、斉藤さんが売れるようになった世の中も、あなたの住みにくさはかわらないよ。」
…って。
いや、なんか最近、昔の自分をもうちょっといじめてみたい願望が…。
なんなんでしょうね。
あ、でも、15歳の私はいじめないの。斉藤さん見つけて偉かったから。
なんとなく笑みがこぼれてしまいました。
1つ。
私は椎名林檎女子が大好きなのでありますが、基本彼女(バンド含む)が発信する音楽以外は興味を持ちません。
彼女の発言や私生活は問題ではないので、雑誌に載ったら買っちゃいますけど写真だけみて満足します。
表現しているものから私が受け取るものに興味があるのですね。
日記にある様に斎藤さんをよくメディアで見かけるので、その度にくらげさぼてんさんを思い出していますよ。
表現者と観客の関係って、それでいいと思います。
表現者が伝えたいこと、訴えたいことを作品を通して発信する。観客はそれを観客なりの解釈で受け取る。
それ以上もそれ以下もないんじゃないか、と。
そりゃ、「どう生きてきたらこんなもの作れるんだろう?」とか、思うことはありますが。
本人が作品として発信している以上のことを知ること、あるいは知ろうとすることに、意味はないような気がしています。